(まるネコ堂ウェブサイトからの再掲)
第8回 「入ってもいい」と言われているところの動けなさ
森洋介(参加者):入ってもいい?
大谷:
どうぞ。
森:
まず自分の居場所を確保したいというのがあって喋ってるんやけど。
「入ってもいい」っていう設定の仕方って難しいって思って。
なんか二人は緊張してるって言ってるけど、
僕は僕なりの緊張があって、
話を聞いてて心が動いた時にふっと行きそうになるんやけど
「入ってもいい」というのはちょっと遠慮するんよ。
小林:
(笑)。そりゃそうだよね。
森:
ちょっと遠慮する不自然さが自分の中に残って、
この場にいるので。
僕の中で大谷さんが緊張するって言った中で、
僕の今の緊張の度合いは僕の中で
ちょっと重なっているところがあって。
その緊張の感覚のちょっと居づらいところが、
「入ってもいい」と言われているところの
ちょっと動けなさみたいなんがあるなと思って。
これを前置きしたら動きやすいかなと思って
ちょっと言ってみました。
小林:
はい。
森:
僕が動きたかったとこっていうのは、
引用するってとこに
大胆な敬意の払い方だなと大谷さん言っていて。
大谷:
はい。
森:
そこ、大胆と感じるのがなんなんかなというのを
聞きたいなと感じていて。
僕はずっと論文書きが仕事だったので、
学術的な論文。
なんか二人は緊張してるって言ってるけど、
僕は僕なりの緊張があって、
話を聞いてて心が動いた時にふっと行きそうになるんやけど
「入ってもいい」というのはちょっと遠慮するんよ。
小林:
(笑)。そりゃそうだよね。
森:
ちょっと遠慮する不自然さが自分の中に残って、
この場にいるので。
僕の中で大谷さんが緊張するって言った中で、
僕の今の緊張の度合いは僕の中で
ちょっと重なっているところがあって。
その緊張の感覚のちょっと居づらいところが、
「入ってもいい」と言われているところの
ちょっと動けなさみたいなんがあるなと思って。
これを前置きしたら動きやすいかなと思って
ちょっと言ってみました。
小林:
はい。
森:
僕が動きたかったとこっていうのは、
引用するってとこに
大胆な敬意の払い方だなと大谷さん言っていて。
大谷:
はい。
森:
そこ、大胆と感じるのがなんなんかなというのを
聞きたいなと感じていて。
僕はずっと論文書きが仕事だったので、
学術的な論文。
えー、俺、敬意払ってきたかなと思って、
そういう意味での論文書く時ってわりと
自分の主張を言いたいがために材料として使うわけで。
そういう意味での論文書く時ってわりと
自分の主張を言いたいがために材料として使うわけで。
確かにいい事言うよなとか、
こういう視点があるのかという意味で
興味関心は持っているんだけれども、
そんなに敬意をはらって引用してきたかというと、
僕自身が人に敬意を払えているのかどうかということにも
つきあたってくるんだけれども、
とりあえずそのことについては、
俺、敬意というものはそこになかったなと。
客観的にはあるじゃないって言われるかもしれないけど、
本人的には敬意足らんなという経験が今まであると。
でまず敬意なんだなというところから出だして、
僕の中では敬意を持ってなかった自分っていうのを
省みることができたっていうのが一つと、
大胆な敬意の払い方っていう、
もうちょっとその大胆の意味合いを聞きたいなっていう。
大谷:
引用って全然会ったことがない人でも
死んだ人でもできる。
違いがない。
隣にいる人が書いた文章でも100年前に書いた文章でも、
外国の人でも全く同じように扱われていて、
一気にその100年前まで行って
その人に敬意を払えるっていうか、
そこの間になんの手順もなく
いきなりそれがぼんってできるっていうのが
僕の中では大胆で。
なおかつその人の表現、
表現ってこう結構その人の内面みたいなものが
裸の状態ででているように僕には見えていて、
言い訳ができない状態にあるもの。
それに対してアプローチを一気にかけるっていうのも大胆。
「初めまして、私あの、大谷です」とか言って
「今度ちょっとなんか・・・」みたいな
そういうこと全然一切なくいきなりその人の本心を
がって掴んでやる感じがなんか大胆だなって思う。
森:
単なる敬意というより、
大胆な敬意というこのセットになったときに
面白いなと思って、
いいなと思ってるんですけど。
そういう経緯があって
僕の中で論文を引用する時に敬意を払えてない感じがあって、
逆に本になるものの原稿を書こうとした時に、
これ引用しようとしている人に、
「あなたのここを引用したいんです。
初めまして森洋介です。
ここをこういう理由で引用したくて、
こういう風に引用させてください」って
一人ひとりにどうしてもいいたくなって。
本に出るのって初めてだから編集者に相談したんです。
どうすればいいのって。
それは手続きとして編集者がやるから
それはやらなくていいんです、と。
しかも一般的な引用なら
そもそもそこまでやる必要もないんですと。
そういう風にいわれてそういうもんなんか世の中は世間はと、
自分は気にしすぎなんかと。
そこは編集者に任せて
本人に挨拶することもなく引用したんです。
無茶苦茶僕の中では大胆なんです。
大谷:
ふーん。なるほど。
森:
僕の中では大胆と引き換えに
敬意を犠牲にした感じがあって。
僕の中で大胆と敬意ってそんなに簡単に結びつかないの。
でも世の中に大胆な敬意ってあるんやろうなって思って。
逆に僕そういうのに憧れたりする。
大胆でも敬意が払える行為。
僕そういうのに憧れてるんや。
なかなか僕が実現できないから。
それでちょっと大胆な意味確認したかった。
こういう視点があるのかという意味で
興味関心は持っているんだけれども、
そんなに敬意をはらって引用してきたかというと、
僕自身が人に敬意を払えているのかどうかということにも
つきあたってくるんだけれども、
とりあえずそのことについては、
俺、敬意というものはそこになかったなと。
客観的にはあるじゃないって言われるかもしれないけど、
本人的には敬意足らんなという経験が今まであると。
でまず敬意なんだなというところから出だして、
僕の中では敬意を持ってなかった自分っていうのを
省みることができたっていうのが一つと、
大胆な敬意の払い方っていう、
もうちょっとその大胆の意味合いを聞きたいなっていう。
大谷:
引用って全然会ったことがない人でも
死んだ人でもできる。
違いがない。
隣にいる人が書いた文章でも100年前に書いた文章でも、
外国の人でも全く同じように扱われていて、
一気にその100年前まで行って
その人に敬意を払えるっていうか、
そこの間になんの手順もなく
いきなりそれがぼんってできるっていうのが
僕の中では大胆で。
なおかつその人の表現、
表現ってこう結構その人の内面みたいなものが
裸の状態ででているように僕には見えていて、
言い訳ができない状態にあるもの。
それに対してアプローチを一気にかけるっていうのも大胆。
「初めまして、私あの、大谷です」とか言って
「今度ちょっとなんか・・・」みたいな
そういうこと全然一切なくいきなりその人の本心を
がって掴んでやる感じがなんか大胆だなって思う。
森:
単なる敬意というより、
大胆な敬意というこのセットになったときに
面白いなと思って、
いいなと思ってるんですけど。
そういう経緯があって
僕の中で論文を引用する時に敬意を払えてない感じがあって、
逆に本になるものの原稿を書こうとした時に、
これ引用しようとしている人に、
「あなたのここを引用したいんです。
初めまして森洋介です。
ここをこういう理由で引用したくて、
こういう風に引用させてください」って
一人ひとりにどうしてもいいたくなって。
本に出るのって初めてだから編集者に相談したんです。
どうすればいいのって。
それは手続きとして編集者がやるから
それはやらなくていいんです、と。
しかも一般的な引用なら
そもそもそこまでやる必要もないんですと。
そういう風にいわれてそういうもんなんか世の中は世間はと、
自分は気にしすぎなんかと。
そこは編集者に任せて
本人に挨拶することもなく引用したんです。
無茶苦茶僕の中では大胆なんです。
大谷:
ふーん。なるほど。
森:
僕の中では大胆と引き換えに
敬意を犠牲にした感じがあって。
僕の中で大胆と敬意ってそんなに簡単に結びつかないの。
でも世の中に大胆な敬意ってあるんやろうなって思って。
逆に僕そういうのに憧れたりする。
大胆でも敬意が払える行為。
僕そういうのに憧れてるんや。
なかなか僕が実現できないから。
それでちょっと大胆な意味確認したかった。
(第9回へつづく)