February 9, 2015

【072】渾身の力で「何も言うことがありません」と受ける。

「なぜ一体、存在者があるのか、そして、むしろ無があるのでないのか?」
ハイデッガー『形而上学入門』は、僕の知る中で一番「無い」について言葉を重ねている本。
先日、一泊二日の集まりに行った。一泊二日ずっと話し続けていた、と書くと、声をからしてしゃべる続けているようにも読めるけど、そうではなくて、豊かな無言の海に時々風が吹いて波が立つように話が現れていたから、ずっと黙っていて時々話したという方が近いかもしれない。

二日間、僕もずっと黙っていて時々話した。

二日目に、ある人が「きくこと」の話をしていた。それはその前の僕の言葉に対する返しだったから、その人は僕のことをじっと見ながら話していた。僕を見ていたけれど、話自体は場に置かれたものだった。それでも、僕はなぜか僕に対して言っているようにきこえてきていた。しかも、今まさに僕がきいているという、その「きいている僕」について話しているようにきこえていた。

僕は、その話のあいだずっと、ピリピリとした圧力を感じ続けていた。

圧力を感じ続けているから、何かを返そうと思うのだけど、何も言うことがなかった。こういう時、これまではただ黙ってその圧力が弱まるのを待っていた。そして、あとから「あの時の」と話を戻したりすることが多かった。

今回も、何しろ今言うことが無いのだから、言うことが現れるまで待っていてもよかったのだけど、なぜか何かを今言葉にしないとという気持ちがあった。それはたぶん、今まさに僕がきいているということそのものについての話だから、今どのようにきいたのかを今返さないといけないような気がしていた。結局、しばらく無言が続いたあとに僕が話した言葉は、

「何も言うことがありません」

だった。僕がその二日間でもっとも力を込めて話した言葉だった。この、意味をなさない言葉を話せたことで僕にはただ、なんとか受け切った、という感じが残っている。

奇しくもこの集まりはそもそも「在ると無い」について話すものだった。「無い」を認めることで、「無い」は僕を最も強く支えてくれる。「無い」は僕の力の源泉なのだと感じた。


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