保坂和志の小説論3部作はそれ自体が小説である。 |
ここでいう小説は保坂和志の「私にとって小説とは「読む」もの「書く」ものであると同時に「考える」ものだ。私は読んだり書いたりする以上に、小説について考えることに時間を使っている」という時の小説で、「“産む能(あた)う”=“(イメージ・情景・出来事・・・・・・etc.を)産出する能力”」という能産性があるものだ。(『小説の自由』の「まえがき」と「文庫版まえがき」より)
こういうのが書きたかったんだよなあと思わされるということは、すなわち、僕にはそれを書く能力がなかったということだ。これでまた一つ僕の辿りつけない場所が見えた。生きていくということは、可能性という霧が晴れて絶望の地図が出来上がっていくことでもある。心地良い。