February 25, 2015

【088】切り立った崖をよじ登るように本を読む。

こんな感じの風情のない空き地も
やっぱり空き地だから、空き地の力を感じる。
どうにかハイデガーの『形而上学入門』の1章を読み終えた。読めた、とは思わないけれど、少なくともこの章のすべての文字に目を通した。それがうれしい。

ここまで読んで一番衝撃を受けたのは、実のところ、本文ではなくて訳者あとがきの一節。(どうにも読み進めなくなった時に「あとがき」を読むのは昔からの僕の癖。)
なお「空開処」(Lichtung)は普通は「空き地」を意味する。山林の一部を伐採して空き地を作ると、そこへ日光が射しこみ雨が降り注いで作物が育つ(焼き畑農業? 漢字の「無」の字がそのことをかたどっている)。ハイデッガーはこのことを承知のうえで「空開処」の語を術語として用いる。ハイデッガーにおいては「空開処」は人間の現ー存在の「現」という場処のこと、空(す)いている、空(あ)いている、開(あ)いている、明(あ)いている場処のことであって、ここで存在が自らを人間に委ね、ここで存在の非隠蔽性つまり真理が現成する。「存在の牧者」としての人間の本質のいわば深奥の場処である。[428]

ハイデガーの文章ではなく、訳者・川原栄峰のものだけど、ここにものすごく興奮した。

ハイデガーが特別な意味を与えた言葉として空き地が出てくる!
「無」という字の成り立ちが空き地である!
空き地で真理が現成するといっている!

このことを頼りに2章以降も読む。まだ顔を上げても崖しか見えないけれど。


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