灰色の濃度はたまに変更する。 一時は真っ白にしていたが、目に悪そうだったのでやめた。 |
パソコンの壁紙が無いのは「気が散るから」というようなことでずっと理由づけていたけれど、ちょっと違うことなのかもしれないと思い始めてきた。
空き地が好きなのも同じ理由だと思うけれど、場や所というものはそもそもその中に何もないということを含んでいると僕は思っていて、背景や壁紙といったものがあるともうすでにそこがそれらで占められているような気分になる。そうするともう、そこで何かができる気が減ってきてしまう。
あるいは、「空っぽのスペース」というのが透明なもので、だから背景の壁紙が見えるのだという意味はわかるのだけど、いまいちぴんとこなくて、どちらかというと「空っぽのスペース」というのは不透明というかそれ自体を見ることができないわけで、その見ることができないもののさらに向こうに何があろうと見るつもりはないと思っているのかもしれない。
「無い」のことを書いているとどんなにうまくかけたと思っても次の瞬間、全く見当外れだと思ったりする。それでもなんとか言葉を重ねておこうと思うのは、在るの世界の論理である。