僕は何かをしていると、気が付くと窮屈になっている。始めた時には見渡す限り何もないだだっ広い荒野にいる感じがするのだけど、自分なりに進んでいくうちに気がつくともう陸地がない。岬の先端へ向かう気分になる。
うまくすれば岬に立ってあらたな水平線をみることができて、あぁ今度は船旅かよ、とか思いながら見渡すかぎり何もないだだっ広い海原へ向かう。
うまくしないとどうなるかというと結構長い間迷走してやがてどこかで止まる。もう一度動き出したくなるまで停滞する。
何かを始める時のあのだだっ広さには不安と希望とがあって、とにかく前へ行こう、どっちが前なのかはわからないけど、という気分がある。岬の先端へ向かう窮屈さには臆病と優越があり、とにかく踏み外さないようにしよう、結構いいところまで来たのだからという気分がある。
でも、そんな岬は本当にあるのだろうかとも思う。僕にとって岬に見えているだけで、それはただ袋小路に迷い込んだだけなのではないか。自分の中でその行き詰まりを見晴らしの良い岬と見るか何もかもが閉ざされた袋小路と見るかの違いにしかないのではないか。
ただ、迷うにせよ、踏み外すにせよ、進んだ分だけ歩数が増えるというのは事実で、何をどうしても結局強化されていくのはその事実の確かさだけなのだ。