目が覚めると東山の和室にいて、でも、最近はここにいることが多いので、目が覚めた瞬間のなんでここにいるのだろうかという感覚は薄れてきている。
水を飲もうと思って流しに行くとアーモンド小魚の残りがある。そういえば昨夜、ここでやったなっちゃんの円坐のあとにご飯を食べてお酒を飲んで、という記憶が順番に蘇ってきて、そのときうみちゃんが出したあのアーモンド小魚だ。
アーモンド小魚という言葉を頭のなかで音読すると、いや、頭のなかで音読している自分を思い浮かべると、丸みを帯びてつるっとしたカタカナの「アーモンド」と角ばってちょっとトゲトゲした「コザカナ」の断絶のある繋がりが楽しくて、あれ、そういえば、とこの「アーモンドコザカナ」という音の並びから湧き出して来そうになる記憶に気づく。
「アーモンド小魚考えた人ってすごいと思わん? だってアーモンドと小魚やで」とプラスチックの小袋から摘みにくそうに小魚を摘んでひげもじゃの口の中に放り込んでいたのが吐山継彦(はやまつぐひこ)で、この時もトレードマークの赤いキャップをかぶっていたはずだ。吐山は長年フリーランスのライターとして生きてきた。吐山の特徴の一つは原稿が早いということで、どんなことでもあっさり書けてしまう。ウンウン唸らず軽やかに規定文字数をきっちりと埋める技は天性のライターであり、編集者として何度も吐山には助けられた。
あれ? 今日は飲まないんですか? と夜の会議後に吐山が自転車で帰ろうとするのできくと、明日の朝までに書かなあかん原稿があんねん、という。締め切りギリギリ、そんなタイミングになることは吐山にとっては珍しい。
一回、書いてんけどな。書き直しや。
書き直しというのは尋常ではない。修正は日常茶飯事だが、書き直しは一文字いくらのライターにとってはかなり重たいペナルティで、吐山ほどの書き手でもそういうことがあるのかと驚いていると、漕ぎ出しかけたペダルから足をおろして、こちらを振り返り、
魚をテーマにした連載のエッセイやねんけどな、例えば「秋刀魚」やったら秋刀魚をネタにして書く。で、今月は鯖のやつを書いて出してん。そしたら編集者から電話かかってきて、吐山さん、申し訳ないんですが鯖は第1回で書いてますよ、って。
書いたものは書いたもの、もう自分の中には残っていない、ということ自体はそんなに不思議なことでもなくて、僕も簡単に忘れて、後で読み返してこんなことを書いていたのか、なんて思う。しかし、同じお題でもう一本、なんの疑いもなく書き上げてしまうことにはさすがに呆れた。
アーモンド小魚の話は、たしかアーモンド小魚を初めて作った会社の考案者を吐山が取材して、商品化までに社内でかなり反対されたけれど、というふうに話が進んだはずで、しかし、アーモンド小魚の何がどうすごいかは、何度聞いても、
「だって、アーモンドと小魚やで」
を繰り返しただけだった。あんたそれでもライターか、と思いつつ、アーモンドと小魚、確かにすごいなとも思っていた。