May 4, 2015

【144】何もしない時間が、何かであるものを作り出す。

保坂和志の小説が好きで、というか現在進行形で今まさに日本語で小説というものをやっている人はそんなにいないのではないかと思うし、その中で一番なのが保坂さんだと思う。

保坂さんは小説とはなにかというようなことにも積極的に言葉を重ねている。小説論三部作なんかは特にそうだけど、今日、珍しく家ではない場所でネットを見ていたらこれを見つけた。

#136 途方に暮れている状態だけが信じられる

そこに、
僕はだいたい一日4、5時間しか仕事をしないんですけど、最初の2時間は何も書かないで外を見ているだけ。それか家の中ブラブラしたりするだけで、「新幹線に乗っていたらもう名古屋過ぎてるな」って思うんだけど、その2時間を何もしないでいないと出てこない。その間も、気晴らしに外とか運動のつもりで2時間歩いてりゃいいじゃんと思うけど、そうするとできない。2時間動かない時間をつくらないと次が出てこない。
とあって、この何もしないでいないと出てこないというのは、円坐をしている時の無言の時間がなければそこで話すことも出てこないというのと同じだと思う。

円坐は、ただ集まって坐る時間と場で、それ以上に何か目的や根拠があるわけではない。始まってすぐなんかは特に、無言の時間がほぼ必ず発生する。 無言の最中に無言の終わりとして話し出すということはとても高い圧力の中で扉を開くようなもので、水没していく車からドアを開けて脱出するのはとても大変なのと似ている。そういう時はエンジンルームなどから車内に一旦水が入って、車内が水で満たされて中と外とで圧力差がなくなってからドアを開けると良くて、脱出するにはそういう時間が必要である。それまでは息を止めていなければならない。苦しくて不安で本当に出られるのかパニックになりそうになる状態を冷静に維持し続けてやがてドアが開く。と書いたけど、この水没する車の話はちょっと違う話になった気がするけれど、これはこれで書けてよかったと思ったので残しておく。



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