沖縄は看板の文字が美しい。 |
あとは重力が全てを引き受けてくれる。
そうわかっていても、その一歩が踏み出せなかった。
水面から2メートルほどの高さの小さな防波堤の切っ先に僕はいて、
すでに15分近くが経っていた。
一昨年の9月の10日間、
僕と澪が滞在した糸満の友人の家は、
風の通りをよく知って作られていた。
島全体を絶え間なく揺さぶる大きな空気に包まれて、
僕は10日間、ただ昼寝をしていようと思った。
素敵な友人二人は、僕らを観光などに連れ出さず、
ちゃんと放っておいてくれるのだ。
それでも、泳ぎたいというパートナーの澪にうながされて、
奥武島(おうじま)のビーチに夕方になると通った。
目当ては、泳いだあとに店先で揚げたてをつまむ「さかな」と「もずく」のぼってりとしたてんぷら。
このためにまた沖縄に来てもいいと思えるほど美味しくて、
白い外壁に黒で直接描かれた明朝体の文字は、
これまで本土で見たどの看板よりも美しかった。
イアリングのように沖縄本島にくっついた奥武島には小さな橋で渡る。
ビーチはその橋のすぐ脇にあって、
夕方になるとどこからともなく水着の子どもたちが現れる。
ゆるくアーチ状になった橋の欄干を子どもたちはたやすく乗り越え、
水面まで3、4メートルは落下する。躊躇なく。
僕はというと仰向けに浮かんで雲を見ながら潮に流されるばかりだったけれど、
子どもたちの飛び込む様子を毎日毎日眺めていたら、
いつのまにか遠い記憶にある落下感に魅せられていた。
しかし橋は高すぎる。
そこで見つけたのが防波堤。
こちらは水面から2メートルほどで、
小学校低学年がまずここで練習し、
やがて橋へとステップアップするのだ。
小さな先輩たちがいなくなるのを見計らって、
10メートルほど浜から突き出したコンクリートの防波堤の上を歩き出した。
幅約50センチ。
一歩一歩水面が遠のいていき、高所恐怖症で歩幅が縮んだ。
どうにか尖端まで辿り着いて、
最初の3分を、縮こまった脚と背筋が伸びるのに使った。
次の3分を、水面と水中の安全確認に使った。
そしてもう、やることがなくなった。
右脚を上げて体をほんの少し前に倒せばいい。
あとは重力がすべて引き受けてくれる。
そうわかっていても、その一歩が踏み出せない。
もはや振り返って同じ道を戻ることすら脚が拒否している。
足の裏に感じるジリジリと焼けたコンクリートの拷問。
ここに立っていられるのも時間の問題であるのに、
進むことも戻ることもできないのだから、
その時は永遠に訪れない。
恥も外聞もなく、立ち尽くすさらなる拷問。
遠くの水面に浮かぶ澪と友人が憎い。
シミュレーションは繰り返される。
訪れるはずの浮遊感を自分の中に「予め再現」し、
未来と現在を無理なく接続し、現在地からの離脱点を目指す。
勢いをつけるのではなく、ただ、するりと。
自分の内側の圧力を徐々に高めていく。
風船ガムを膨らます要領で、
少しずつ内側を外側へ押し出していく。
落下予定の水面に引き込まれすぎると、
意識と吹き出す息に勢いがつきすぎて、
膨らみかけたガムの表面に穴があく。
遠くの空や雲に視線を逃すと、
ガムの膜の張力に内圧が負けて、
しぼんでしまう。
外圧と内圧の双方がバランスよく高まっていって、
綺麗に球を保ちながら、
穏やかに膨らんでいく。
宇宙船同士が無重力状態でドッキングするように、
ピタリと内と外があった時、
するりと、自分が内から外へと滑り出す。
引き返せない未来が現在に置き換わる。