February 22, 2016

【295】なんでも疑ってかかるのが理性的なのか。

インターネットというところは、とてつもない量の「情報」があって、その中には嘘も、嘘と知らずにひろめられてしまったものもある。そういうところだから、なんでも疑ってかかったほうがいい、のだろうか。




たとえ一方的な立場から発信された虚偽に近いものであっても、よくみたらその底に何かが読み取れるかもしれない。そういうものを読み取るために、疑ってかかるという方が有効だということなのかもしれないけれど、必ずしもそうではない気がする。

どうせ嘘だと思って読むことと、まずはただ読んでみること、の間には超えられない溝がある。

「鵜呑みにする」は悪い意味で使われる慣用句だけど、そうじゃなければ呑み込めないものもある。

「騙されない」ということは生きていくのに重要なことだと思うけれど、同じぐらい重要なことに「騙される」というのもあるんじゃないかなと思う。なんでもかんでも疑ってかかっていたら、何も触れることができない。何も知ることはできない。

ということを最初に言おうと思っていたわけではなくて、もう少し直接的に、少なくとも人を騙しておいて「ダマされる奴ばかりの世の中になったことこそが問題だ」みたいなやり方は、僕は気に入らないし、そういうやり方をする人があたかもものをわかっている人間だとされることこそ問題だと思う。というのを言いたかったのでした。


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