February 4, 2016

【催し】4月9日(土)まるネコ堂 さいちゃんの円坐

4月9日さいちゃんこと西條読真さんを守人に招いて、
1日ものの円坐を開催します。
よろしければぜひ。

円坐について僕なりにまとめた文章、
【269】円坐とは何か。現時点での試みとして。
もご覧ください。

大谷

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「まるネコ堂 さいちゃんの円坐」

~ まるネコ堂 円坐によせて ~

まるネコ堂には扉がない。

実際、棚をはじめ全ての収納の扉が取り払われており、調理道具や、買い置きされた食材、主の蔵書などが見晴らしよく、人と同じ空間で暮らしている。

役に立つときだけ取り出されるのではない
それらのモノは、役割以前の存在をはなっており、眺めているだけで心地よい。

映画監督のウッディ・アレンは
「生きているといっても、9割方はただ居るだけだ。」
と言ったそうだ。

私たちには役割以前に存在がある

ほんと、当たり前のことではあるけれど、

まるネコ堂は
それを実感させてくれる場所である。

春の一日、桜のころ、
みなさまと座れるのを楽しみにしています。

西條 読真

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「まるネコ堂 さいちゃんの円坐」

さいちゃんこと西條読真さんはとても話が上手い。
でも、単に話が上手いというだけではないなと思う。

さいちゃんの話はどこにも落ちていかない。
何かのために話をしているわけではなくて、
話が話としてあるのだ。

そんな話に触発されて僕も話ができる。

そうして現れた話は、
自分で生きているかのようにいつまでも続き、
やがて終わる。
最初から最後まで話が話のままでいる。

そうなんだよね。オチがつけられないだよね。

なんてさいちゃんはいうけれど、
落ちていかず、
そのまましばらく残像が漂うような話のほうが、
狙ってできるものではなくて、
話が魚みたいにピチピチしている。

これが単なる話し上手ですまされる気がしない。

きっとさいちゃんは聞くことも、
それどころか、ただ居ることも含めて、
話をしているんだと思う。

僕達が普段使っている「話す」という言葉とは
見かけが同じだけれど、
全然違うものとして、
さいちゃんは話すのだと思う。

話すことで世界を吸い込んでいる。

とさいちゃんが言う。
そしてそれはとてもセクシーな行為なんだそうな。

そんな大それてあやしげなこととして、
話をするさいちゃんの円坐です。

大谷 隆

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2016年4月9日(土) 10時〜17時 (2セッション)
 途中昼食休憩あり。軽い食事をまるネコ堂にて提供します。

まるネコ堂にて
      京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167
      注意:猫がいます。円坐を行なう部屋には入れませんが普段は出入り
      しています。アレルギーの方はご注意下さい
      JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩十五分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
      詳しいアクセスは以下よりどうぞ。
      http://marunekodoblog.blogspot.jp/p/blog-page_14.html
・守 人 :西條 読真
・主 催 :大谷 隆
・参加費 :5,500円 (昼食含む)
・定 員 :6人
・申 込 :marunekodo@gmail.com (大谷)


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