November 22, 2021

キャラペイス 冬の展示会2021&革の手入れ体験

主に大谷美緒がやっているヌメ革の手縫い「キャラペイス」ですが、12月19日から21日まで冬の展示会2021&革の手入れ体験を開催します。

今回からいよいよ革小物を始めます。

これまで、スリッパ、ベルト、ショルダーバッグといった革製品としては比較的大きなものを扱ってきました。そのなかで、しばしば小物の商品のご要望も頂いていました。

少しずつですが製品化を進めています。

展示会では万年筆ホルダー、カード入れなどを展示販売をいたします。ネットでの販売は少し遅れる可能性がありますので、ご興味のある方はぜひ展示会に来ていただけるとうれしいです。

革の手入れ体験では、これまでに購入いただいた製品をお持ちいただければ、工房にて手入れができます。やり方がわからない方は一緒にやりますのでご安心を。オイルも無料でお使いいただけます。



キャラペイス「冬の展示会2021&革の手入れ体験

October 9, 2021

【819】絵を描く会、第二期

大谷美緒主催の絵を描く会、第2期が10月から始まりました。
隔週開催なので、続けて参加すると力がつくと思います。
単発参加よりもリピート推奨です。
お得な6回チケット、3回チケットも用意しました。

とにかく自分なりに絵を描いていく、自分にとって絵を描くというのはどういうことかに迫っていく機会になれば。

絵を描く会 第2期

October 5, 2021

【818】面白い人。

 近所の方が亡くなり、今日がお葬式だった。近所の方というのは、一般的にそれほど強い関係性を持たない。血縁でもなければ、仲間でもない。それでも僕にとってとても大切な人だった。一言で言えば面白い人だった。

 その人の面白さを説明することができるエピソードは膨大にあって、それらを列記していくこともできるが、今はしないでおく。そういうエピソードとして語れる出来事がたくさんあったから面白い人なのだ、ということではうまく説明できないと感ずるからだ。

 ただここにこうして文章を残す以上、最低限の説明はしておかなくてはとも思うから、なんとかして書いておくと、こんな具合だ。

 その人がうちの庭にふらりと姿を見せるともうそれだけで僕はワクワクした。それほどだった。たとえ姿が見えなくても、僕が庭で何かをやっていれば、その何かをやっているという気配に誘われて姿を現すのではないかと思って、また僕はワクワクした。存在自体が面白いと言える面白さだ。

 面白いということは、過去の成果を材料にして立ち上がるものではあるが、だからといって過去を参照しなくては意味をなさないものではないと思う。面白さというのは、未来へ開けているからだ。面白かったというだけではなく、面白そうだということも、面白さは持っている。

 さて、その人が亡くなった。存在自体が面白い人がもう存在しない。このことにもちろん僕は強い喪失感を覚える。しかし同時に、これでもう何もかも面白いことが起こらないとは思えないともどこかで思っている。まだ、その人によって生じる面白いことが、あるんじゃないかとどこかで思っている。

 だとしたら、まだ未来に未練とは違う何かがあるように思う。

September 27, 2021

【817】波にのれたら、

 『きみと、波にのれたら』ようやく観る。むー。

湯浅政明監督は、間違いなく天才で、僕はダントツ一番のアニメーション映画監督だと思うのです。応援してます。

以下の二作は傑作です。

『マインド・ゲーム』(2004年)
『ピンポン THE ANIMATION』(2014年)

2022年初夏『犬王』だそうで、今度こそちゃんと映画館に観に行く。松本大洋だし森山未來だし大友良英だし、大ヒットだぞ、きっと。

追記
『映像研には手を出すな!』も楽しいよね。

September 16, 2021

【816】メルロ・ポンティ『知覚の現象学』のゼミを始めます。

 ちょくちょく目にしていて、読んでみたいなと思っていたけれど、手に取るまでに至っていなかったメルロ・ポンティの講読ゼミのリクエストを頂いたので読んでいこうと思います。

 分厚い本です。とても楽しみです。

 少しずつじっくりやっていこうと思っています。読み終わるのがいつになるのかわからないですが、それも楽しみです。

 10月からです。興味のある方はぜひ。

https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/09/36.html

August 10, 2021

【815】運転免許を更新しないことにした。

 この八月で五十になった。僕は五十年生きてきた。流石に感慨深い。よく生きてこれた。

 運転免許の更新をしないことにした。運転をしたいと思わない、というか、もうむしろ、したくないと思うようになったからだ。更新期間は誕生日から一ヶ月猶予があるので、何事もなければ9月4日に失効する。それ以後は運転できない。

 ちなみに、僕は該当しないけれど、運転免許を自主返納するとメリットがある場合がある。自治体や年齢などで異なる。例、京都府。2000円分のICOCAなど実用的なものが多いので、興味がある人は調べてみると良いと思います。


August 6, 2021

【814】仕事はやっつけない。

 「やっつけ仕事」という言葉がある。仕事の一つの有り様で、「その場限りの仕事」だったり「粗雑な仕事」だったりを意味する。

 これらの意味は仕事の側からのものだから、本当はその仕事をする人がいる。仕事をやっつける「人」だ。つまり、この「人」と仕事との関係が「粗雑」であり「その場限り」ということになる。

 粗雑に扱って、終わってしまえば、もう捨ててしまう。二度とこの「人」とこの「仕事」は関係を持たない。そんなイメージだと思う。あくまでも、人と仕事は切り離されていて、人にとって仕事は打ち倒すべき敵であり、勝つか負けるかということだろう。こういう仕事観はそれほど特殊なものとは思えない。

 こうやって「やっつけ仕事」をよく見れば、「やっつけ」ではない仕事を考えることもできそうだ。

 人と仕事はどのような関係にありえるか。

 人と仕事は分離できるのか。

 仕事が終わったあと、その仕事はその人にとってもはや用済みなのか。

 仕事は敵なのか。

 こうやって、いろいろと考えることができる。

 幸福な仕事観はたくさんありえると思うが、例えば、その一つはこういうものだと思う。

 その人とその人の仕事は切り離すことができない。その人がその仕事をやるということは、その仕事がその人の一部となり、その仕事を通して、その人が変わっていく。仕事が人になっていくような仕事。

 この仕事観も、理想だと言い切れるほど特殊なものとは僕には思えない。選べるのだとすれば、僕はそういう仕事を選ぶようにしたい。

July 19, 2021

【813】「言語にとって美とはなにか」ゼミ動画、6月25日開催分

言語美ゼミのダイジェスト動画です。

第Ⅴ章「構成論」の中の第Ⅱ部「物語」。その前は「詩」でした。詩と散文との違いを構成論として吉本隆明は書いています。




今回は、ダイジェスト動画に入り切らなかった「こぼれ話」も動画にしました。


まだまだ見にくかったり聞き取りにくかったりするところもあるかと思いますが、動画の方も少しずつグレードアップさせていきます。ご意見ご感想があればぜひコメントお願いします。

July 15, 2021

【812】まるネコ堂ギャラリー、『我が家の北向きの裏庭』今井雅子さんの展示中です。

まるネコ堂1階の工房に作品展示をして「まるネコ堂ギャラリー」としています。

常設展示は2ヶ月おきに展示替えをしています。6月・7月は今井雅子さんの『我が家の北向きの裏庭』の展示中です。

絵画というか、布に描いてある絵なのですが、壁にかけて展示しています。

展示の詳しい説明は、大谷美緒のブログを御覧ください。

https://mio-aqui.blogspot.com/2021/06/blog-post_29.html


作者自身によるステートメントにある、

なかなか手をつけられないものの、気になるこの庭のことを作品の題材にすることで、腰を据えて関われそうな気がしました。

 という部分が面白いなと思います。

表現というのは、趣味的で、非現実的、非生活的なものではなくて、とても切実なものだと僕は思います。少なくとも「自分にとって」は切実です。この作品はそんな切実さから生まれているのだと思うと、いろいろと興味深く見ることができます。

作品上部、いろいろな形の屋根がひしめき合っているのを俯瞰で描いている部分と、その下にある「イタチ」や植物との関連はどういうことなのか。あるいは、屋根を俯瞰で見ているということがどういう気分なのか、などなど。

ギャラリーは10時頃から16時ぐらいまででしたら、だいたいいつでも「開店」状態で、僕か美緒がいることが多いですが、留守にしている場合がありますので、遠方より来て頂く場合は、事前にご連絡いただくほうが良いと思います。

8月29日の展示最終日は、今井雅子さんも在廊予定です。ぜひ、足をお運びください。

■会場
まるネコ堂(京都府宇治市)

■会期
2021年7月1日(木)〜8月29日(日)
   
■時間
平日10:00ー16:00は通常空いていますが、
不在や催しのため対応できない場合がありますので、ご連絡の上お越しください。
土日祝も可能な場合がありますのでお問合ください。

■今井雅子さん在廊日
8月29日(日)10:30ー16:00
※お申込不要でお越しいただけますが、人数把握などのためご連絡いただけるとありがたいです。

■申込・連絡先
mio.yamane@gmail.com (大谷美緒)


今井雅子さんのステートメント

 我が家にはリノベーションした際、建ぺい率の関係で生まれた北向きの裏庭があります。広さは三畳分くらいです。京都市内の住宅が密集した地域のため、隣家の壁に挟まれています。
 庭らしく整えたいと思い、大雑把ながら土壌改良して、園芸品種の花の種を播いたりしましたが、芽は出ず、元々自生していたシダがぐんぐん伸びただけでした。そのまま持て余していたら、ある年の夏にはイタチが2匹現れるようになって、あたふたしました。
 なかなか手をつけられないものの、気になるこの庭のことを作品の題材にすることで、腰を据えて関われそうな気がしました。
 2020年10月から2021年5月にかけて、庭の移ろいを丁寧に眺めました。
 気付いたことは、この庭が秋の終わりから春の始めにかけて思いの外、植物の緑鮮やかな空間になるということでした。街に緑が少なくなる寒い時期に、この庭の生き生きした植物の存在は、嬉しいものでした。シダが枯れて広くなった空間に次は背丈の低い植物が葉を広げる。そんな移り変わりが次から次へと続くのでした。
 この作品には、庭がリノベーションによって生まれた2016年から2021年5月までが描かれています。             

2021年6月23日 今井 雅子

July 4, 2021

【811】うまれてはじめて立ち上がって拍手した。

『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』

演劇というか能なのだけど、人間にはこんなことができるのかと圧倒されてしまった。言葉と音楽と歌と踊りと美術とあともっと色々とで、人間はこんなことができるのか。

以下、昨日観て、家に帰ってきて、とりあえず日記に書き込んでおいたこと。

▼敦賀はとくに、衝撃が大きかった。原発の問題。夢がしつこく語られた。夢が夢でなくなる。あるいは、夢が夢になる。夢という言葉の意味が変わる。夢で「糖衣のように」くるんでしまう。そういうことは僕が言いたかったことではなかったか。それを全部言われたような気になってしまう。

▼センシティブな問題をやるときに、それがセンシティブであればあるほど、思い切りやらないといけない。腰が引けた分だけ、外側に弾かれた感じになる。表現者が問題に対して弱者の位置に立つと、表現ではなくなる。「これは事実を描いているだけなんですよ」というエクスキューズが、「だからこれは自分の表現ではないのだ」というふうに防波堤を作って、自己を問題の外側に押し出してしまう。結果的に表現者が自分で表現を見切ってしまう。「私の表現なんかよりも現実を見てください」と。この演劇はそういうところがなかった。その問題の中心を内部からやっているように見えた。それそのもののように見えた。とても大きく難しい問題を扱っているのにこれができるのがすごい。

▼演技やダンスもよかったが、音楽も歌も素晴らしかった。特に歌がよかった。もうストレートすぎて、パロディに見えてくる瞬間もあるが、それでも作品から離れたような気になることがなかった。どれほど滑稽に見えようともそれを上回る情況の力があった。その情況が圧倒的に存在感を持っている。登場人物への感情移入の必要はなく、そこで観ているだけで、もう、巻き込まれている。

観に行ってよかった。

追記
影アナ(場内アナウンス)の文体がすっきりしていて、あれっと思った。男性の声だったが、僕には岡田利規さんの声に聞こえたし、文章も彼が書いている(リライトしている)ように思えた。後でネットで検索してみたところ、僕と同じ感想をツイートしている人を一人だけ見つけることができた。その人は、日付から横浜での公演を観ていた。だとしたら、横浜と兵庫という別の劇場で同じ声が流れたということになる。あれはやはり岡田利規さんなのではないか。気のせいかもしれない。

July 2, 2021

【810】「エチカ」ゼミの動画アップしました。

講読ゼミはほんとに面白くて、毎回楽しんでいます。難しそうなことを言ってるように聞こえるかもしれませんが、全然そんなことはないです。興味ある方ぜひ一度どうぞ。

▼「エチカ」ゼミ第1回 前半


▼「エチカ」ゼミ第1回 後半


動画編集は大谷美緒です。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●第2回まるネコ堂芸術祭・出展者募集
https://www.notion.so/f9ec7fa68c5445899a319a7afe09c6a0

●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html


●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
https://gengoweb.jimdofree.com/

June 29, 2021

【809】キャラペイスの動画2本アップしました。

ヌメ革の手縫い専門のキャラペイスのラインナップで意外に?人気商品なのが革のスリッパです。二枚の革を張り合わせただけのシンプルな構造をしています。キャラペイス製品全てに共通することとして、修理することを前提とした設計をしています。

といっても、実際には強くて丈夫な革製品なので、修理が必要な状態にまで使い込むのは結構時間が必要だったりします。

というわけで、今回の動画は革のスリッパの修理が必要な状態というのはどういう感じなのか、それをどのように修理していくのかを動画にしています。


もう一本は、スリッパの手入れ方法について。結構大胆に水洗いしても大丈夫という動画です。


ヌメ革・手縫い「キャラペイス」

June 10, 2021

【808】言語美ゼミの動画公開しました。

まるネコ堂ゼミ、本当に面白いと思ってやっているのですが、なかなか雰囲気が伝わらないので、大谷美緒が動画を作ってくれました。感謝です。動画は、吉本隆明「言語にとって美とはなにか」ゼミです。


面白いと思ってくださった方はぜひ一度ご参加くださいませ。
現在開催中のゼミは、
です。

June 4, 2021

【807】芸術祭をやっていてよかったと思う。

うまくできないかもしれない。失敗するかもしれない。というのは、たしかに不安ではある。だから、失敗しないような対策を採ったり、失敗した原因を究明したりする。不安をこういう領域でとらえれば、どんな人も常に不安がある。

でも、そんなことよりも、失敗も何も、そもそも何も起こらないということのほうが遥かに怖い。こういう領域の不安は、前記の不安とは異なる領域にある。

前記の不安を避けることをし続けていると、ある時自分がいる場所が後記の不安の場所だと気がつく。慎重に不安を避けていたはずが、いつしか不安の真っ只中にいる。こっちの不安はさっきの不安よりもずっと性質が悪い。そこは失敗しようのない世界だ。そもそも何も起こらない。もちろん失敗を咎める人もいない。何事もない。何もできない。誰もいない。

この「誰もいなさ」は、例えば自分がなにか好きなことがあって、だけどそれは一般的ではなく、そんなものを好きな人は自分しかいない、自分しかやっていない、自分しかそんなことに意識を向けない、というような「誰もいなさ」とは違う。やらずにたどり着く「誰もいない」ところと、やった挙げ句にたどり着いた「誰もいない」ところは全く異なる。

後記の、自分がやりたいことを必死にやっていたら気がつくと誰もいないところにたどり着いた、というときの誰もいなさは、実は、全く異なる場所にいる他の誰かと通じていたりする。誰もいないけれど、誰かと会う。

芸術祭をやっていてよかったのは、こういうことが実際の出来事として引き起こすことができると思えるからだ。それぞれが何かをやっている。そのことに共通点はないかもしれない。しかし、それでも通じている。会う。そこでは何かが起こっている。

うまくできない、失敗するかもしれないという不安は、たしかにあるけれど、それは扉についた標示のようなもので、そういう不安があるからこそ、やってみると良いのだと思う。そういう不安があるということが、そのことに対して何かしらの意識や意欲の存在を示しているからだ。不安があるけどやってみたいということだ。入り口の扉だ。

「それ」をやろうと思う。そうすると、何が起こるかわからない何かが起こる。

May 29, 2021

【806】第2回まるネコ堂芸術祭・出展者募集

毎日、なにかと慌ただしく過ぎていきます。

全世界が世界史的に大変なときです。

表現なんて、作品作りなんて、芸術なんて、ゆっくりできるときにのんびりやればいい。

今は目の前にあることで精一杯だから、それが片付いてからやりたいことに向かえばいい。


のだろうか。


さて。

芸術や表現というのは、生きていくこととどう関わり合っているのか。

芸術だの表現だのという大げさな言葉で僕が考えているのは、そういう大げさなことを日々のありふれた日常の中にどう織り込むのか、そもそも織り込めるようなものなのか、です。

どんなときにもある日常として芸術や表現を織り込んで生きていくことなんてできるのか、どうなのか。

来年も芸術祭やります。今年の9月から毎月ミーティングをやりながら。


2022年開催予定の第2回芸術祭の出展者募集を開始します。

合わせて、芸術祭サイトを改装しました。こちらもご覧ください。

まるネコ堂芸術祭サイト

第2回まるネコ堂芸術祭・出展者募集

※文字化けしてしまう場合はお手数ですが、Chromeの自動翻訳をオフにしてくださいませ。

https://biz-notion.northsand.co.jp/knowledgebase/garbled


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●第2回まるネコ堂芸術祭・出展者募集
https://www.notion.so/f9ec7fa68c5445899a319a7afe09c6a0

●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
https://gengoweb.jimdofree.com/

May 24, 2021

【805】第1回まるネコ堂芸術祭の作品記録PDFができました。

芸術祭の出展作品の図録PDFができました。御覧ください。

来年に向けての準備にも入っています。もう少ししたら第2回の出展者募集も開始します。

少し時間が経って、何より自分にとってやってよかったと思えた芸術祭でした。僕自身の作品も自分が思っていた以上に反応が良くて、うれしいです。

今は作品作りは少し休憩しつつ、ゼミ2つが面白くてそちらに注力しています。まるネコ堂ゼミも、ご興味ある方ぜひ、見学的な参加も可能です。

それから、夏合宿、来月ですが、こちらも募集中です。書くことに取り組む契機になると思います。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
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May 17, 2021

【804】2021年5月14日の文章筋トレ

3人でやる。10分と60分。

60分は、書こうかなと思っていた文章をやめにして、10分の続きを書く。10分のはその場の思いつきで書き始めたもの。思った以上に書いていて面白かったので、続きを書く気になった。こういうのはなかなか幸せだ。

書いた文章そのままで何かという感じではないのだけれど、これに手を入れてなにかにしたいと思ったりする。

芸術祭で発表した「おばあさんロボット」という絵本の文がどうにか完成させることができたのは大きくて、いつも書いている場所がアップデートされたような楽しさがある。

今回の文章筋トレの楽しさはそのおかげだと思う。

文章筋トレ


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
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●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
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May 4, 2021

【803】第1回芸術祭が終わって1日。

第1回まるネコ堂芸術祭が終わる。

芸術祭そのものは二日間なのだけれど、出展者ミーティングは毎月やっていたし、会場下見や製作相談などもあって、ほぼ一年、ずっと念頭にあった。もちろん、自分の作品製作も進めてきていた。

こんなにも「芸術芸術する」日常を送るとは思ってもみなかった、と思わず言いそうになるが、どうやら僕は、こういう日常をずっと望んでいたのかもしれない。直前にはまるネコ堂が美術館になる夢すらみた。夢の中では現代美術作品が展示されていた。

新型コロナのこともあったし、緊急事態宣言もあった。最後は無観客開催になったりもした。何かと負荷の高い事業だった。

でも、僕はこういう日常を望んでいる。考えて作って発表する。それを続けていきたい。できれば、一緒に並行してやってくれる人が多いととてもうれしい。

実行委員の山本明日香さんが当日のZoom録画を編集してくださっていて、もうすぐ公開できそうです。どんな感じかぜひ見ていただきたいと思っています。
(追記 動画ができました。芸術祭のページよりご覧いただけます。)

当日閲覧いただいた参加者の皆様ありがとうございました。

出展者のみなさんお疲れさまでした。今週末の出展者レビュー、楽しみにしています。

April 30, 2021

April 26, 2021

【801】まるネコ堂芸術祭を無観客開催に変更します。【芸術祭まであと5日】

5月1日、2日の第1回まるネコ堂芸術祭を無観客で開催することとしました。

第1回まるネコ堂芸術祭

来場を楽しみにしてくださっていた皆様にはとても残念なお知らせですが、ぜひオンラインにてお楽しみいただければと思っています。Zoomでの閲覧申込みはメールにてお願いします。marunekodo@gmail.com

なにかをやろうとしたときにある漠然とした体感を「イメージ(想像)」として、そのイメージを現実化することが表現だと言う言い方は単純すぎるかもしれませんが、今の僕はそんなふうに考えています。

そして、芸術祭そのものに対して、僕自身はあるイメージを持っていました。そして、そのイメージはとても楽しく面白く幸せなものです。それに対して変更を余儀なくされるということは控えめに言っても衝撃を伴いました。

ただ、この衝撃の存在自体が、何かがあるということの証拠にもなっています。僕なりのイメージに対して、僕にとってのなにかが確かにそこにあるということで、このことはこれからまた何かを考えていくための緒でもあります。これはこれで、長い思考と試行の端緒という気がします。いまはそれを自分に記憶しておきます。

芸術祭まであと5日。自分の展示は一旦白紙に戻して、再度検討しています。

一年前に考えたことを改めて読み返しました。あまり変わっていないようにも思えますが、少なくとも、これが書き残されていることが、一年前と今との違いではあるなと思っています。

April 10, 2021

【800】講読ゼミ(まるネコ堂ゼミ)の面白さを伝えようとする文章。その一。

ハードルが高いと言われがちな講読ゼミ


 4月6日にスピノザ「エチカ」の講読ゼミが始まった。全24回、毎月1回開催で二年間だ。僕がやってきたゼミの中では一番長い。とても楽しみだ。せっかくなのでゼミそのものと並行してなにかやってみたいなと思う。何がいいか。

 これまでゼミはたくさんやってきた。30タイトル以上になる。ゼミそのものは、力いっぱいやってきたが、一方であまり力を入れてこなかったことがある。

 ゼミの面白さを一般的な言葉で伝えようとしてこなかった。自分が自分でゼミを面白がるということに関しては、できる限りのことをしてきたけれど、他人にその面白さがわかるようにするようなことは、ほとんどしてこなかった。怠惰だった。

 だからそれをやってみようと思う。「エチカ」ゼミをやりながら、ゼミの面白さを表現していく。一体、何が面白いのか。何を面白がっているのか。ハードルが高く見られがちなゼミだが、興味さえあれば誰でも楽しめるということをどうにか伝えてみたい。

面白さを表現するとさらに面白いことが起きる

 さて、ゼミは一体「何が面白いのか」。

 こうやって具体的な問いになると、答えは問いそのものに内包されていることがわかる。

 つまり「何が面白いかを表現するのが面白い」ということだ。「本を読んで自分が面白いと思ったその面白さを表に出すことが面白い」のだと思う。

 本を読んで面白かった、というのが第一の面白さだとしたら、その面白さを表現することが第二の面白さを生み出す。さらに、新しく生まれた第二の面白さによって第一の面白さが再活性される。そうやって面白さが連鎖的に広く深くなっていく。

 これが面白くないわけがないと思うが、どうなんだろう。伝わるだろうか。少なくとも本を読んで面白いと思った経験がある人には、講読ゼミは試す価値がある。その面白さがさらなる面白さを生むのだから。

 ただ、自分が面白いと思っていることを表出するのは、ある種の露出趣味だと思う。

 自分が面白いと思うそのことを他人に見せるというのは、本当のところ、裸を見られるよりも恥ずかしいことだ。そして、同時に裸を見られるよりも楽しいことなのだ。だから一種の露出狂だと思う。

 逆に、秘密趣味というものを成り立つ。自分が面白いと思うことを徹底的に隠すことにもある種の面白さはある気がする。そちらにはそちらの愉しみがあり、こちらにはこちらの愉しみがある。

 そんなわけで、僕はこちらの露出狂の流儀で、ゼミの面白さをこんな感じの文章としてこれからもできるだけ書いていこうと思う。面白さを書くことはさらなる面白さを生むのだから、こうやって書いていくこともなにかの面白さを生み出すと期待して。

 続く。つもりです。


これまでのゼミの記録。提出されたレジュメも掲載してあります。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★5月14日開催
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
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April 9, 2021

【799】明日からキャラペイス展示会とミニガレージセール。


キャラペイス春の展示会を実施します。4月10日から12日まで3日間です。

キャラペイス:春の展示会2021&ミニガレージセール

天気、今の所、良さそうです。散歩ついでにどうぞ覗いてみてください。今回はミニガレージセールも実施中です。掘り出し物があるかも。

トートバッグ、ショルダーバッグは4月いっぱいで販売終了となりますので、気になっていた方はこの機会にぜひ。

5月以降はヌメ革・手縫い専門のキャラペイスになります。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★5月14日開催
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
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●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
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April 8, 2021

【798】2021年4月7日の文章筋トレ。

今回は参加者が僕だけになったので、一人でやる。60分、タイマーをセットする。

書こうと思っていた文章を書く。60分から90分ぐらいが今、僕が書くための時間のまとまりとしてはちょうどよい。こういう感覚があるのは長く文章筋トレをやってきたからだろう。このぐらいのチャンクで今は書くことが多くなっている。チャンクを大きくしたいという欲求は特にないが、今の自分にちょうどよいチャンクの感覚を持っていたほうが、やりやすいということはある。

ここ一月ほど忙しい。芸術祭関連で予想していた以上にやることがある。第1回というのはそういうものだ。さらに「エチカ」ゼミもはじまったし、保育園も年度が改まっていろいろと。

多忙ながらも、改めて、本当に、僕はやりたいことしかやっていないことに気づく。こんなにわがままで生きていられる、その事実に感謝する。僕の周りにいる人は素晴らしい人ばかりだ。

ありがたくも僕にもたらされているものをどうにか還元したいと思う。それ自体が僕のやりたいことであるような方法で、僕の感謝を還元したい。そんなことを考えて60分が経った。

少しずつ実現していく。

April 6, 2021

【797】第1回まるネコ堂芸術祭を5月1日、2日開催します。


開催します。
5月1日と2日です。
会場展示+Zoomです。

最近の僕は24時間365日、まるネコ堂に居ます。外出らしい外出は、保育園の送り迎えだけです。そんなほとんどずっと居る場所が、この二日間、いつもとは違う様相を見せてくれると思うととてもワクワクしてきます。準備でいろいろと大変なのですが、そういう大変さも面白さや楽しさに含まれています。

やりたいことをやっているだけで、それもここ数年はものすごく厳選した、どうしてもやりたいと思うことだけをやるようにしているのですが、それなのにどんどん忙しくなっていくのは不思議といえば不思議です。でも、やりたいということが持っている自然な延長性の凄みを考えると当然だとも思えます。

あと25日です。
がんばります。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★4月7日、5月14日開催
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
https://gengoweb.jimdofree.com/

March 25, 2021

March 24, 2021

【795】製作日誌【芸術祭まであと38日】

 いったんこんな感じかな、あとは微調整かなと思ったところから進まず、だんだん印象が薄れていく。これは良くない。かなり良くない。

 ということで、大きく全体を見直す。もともとの印象を取り戻すために、巻き戻していく。長々とたどってきた航路を自分で戻っていく。

 結局全体の8割ほどに大幅な変更、というかほぼ書き直し。かなり印象が変わる。おかげで、完成は遠くなったが、それでも、なんというか、名残惜しさが出てきた。これを完成させてしまうことへの名残惜しさ。書いていることへの名残惜しさ。この感じがあれば大丈夫。

 今週末には告知用の説明が確定する。

 出展者の会場下見がポツポツある。他人の作品だけど、少なくとも一人の人間が大事にしているものがあり、それが白日のもとにさらされようとしている。その感じにわくわくする。どきどきする。楽しい。


●5月1日、2日
4月初旬に詳細お知らせ予定。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★4月7日、5月14日開催
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●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
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●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
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●言葉の表出、夏合宿2021
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March 18, 2021

【794】製作日誌【芸術祭まであと44日】

 ほぼ10日停滞。

 こういうときに他のことはなるべく手を付けないようにしたほうがよいがそれがなかなか大変。夢も見続ける。精神的には悪化する一方で、果たしてこんなことで何かが作れるのだろうか、今つくれる状態にないのに、これより悪化するともう本当にどうしようもなくなるのではないか、となってくる。だから、なんでもいいから手を動かして気を紛らわしたくなってくる。これではない他のプランがどんどん浮かぶ。

 しかし、ここで焦って手を動かすとこれまでやってきたものはバラバラに散らばる。これではない何かはできるかもしれないが、これはできない。これがやりたいのであれば、他のことをしても意味はない。と、自分観察を楽しむ。

 結局、できるだけ最初の雰囲気が強まるのを待つ。眼の前にある中途半端な代物からは、ほとんどかき消えてしまっているその雰囲気。かき消えてしまっているから停滞している。天気を待つようなものだ。戻らなければそれまでだろう。自分が作ろうとしているものが出来上がってしまえば陳腐に思えることを恐れないように。これを恐がると何もできない。

 今日ひさしぶりに進む。ようやく目処が立つ。難所は超えたか。

 作ろうとしているのは絵本だ。正確には絵本の「文」で、絵は僕には描けないから、誰かに頼まなければならない。美緒が描いてくれたら嬉しいが、いずれにせよ5月には間に合わない。だから、絵本の「文」という中途半端なもの出展することになる。はたしてどう展示しようかと悩むが、それもこれも「文」ができたあとの話。


●5月1日、2日
4月初旬に詳細お知らせできそうです。


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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★4月7日開催
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2021年4月開始
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March 16, 2021

【793】読み書き論、現時点で書けるもの。

 文章を書いている人を文章の中に書き込むことはできない。「私は今文章を書いている」と書いても書かれているのは文章を書いている人の姿であって、まさにその文章を書いている人そのものではない。しかし、だから文章を書いている人を文章の中に書き込むことはできない、と結論するのは間違っている。

 文章を読んでいるとその文章を書いている人の姿を感じる時がある。あるいは、文章を書いている人の心の動きを直接的に感じ取れるときがある。こういうとき、かならずしも文章そのものには書き手の姿が描写されているわけではない。それでも、そういう感じがするときがある。

 淡々と子供の様子を綴った文章に親の愛情深い眼差しを感じることがあったり、年表のごとく事実の羅列を書き記したものに激しい怒りや悲しみを感じたりすることがある。

 こういった読文感覚がいったいどうやって起こっているのかを説明しようとすると、かなり難しいし、普通は手っ取り早く、作者の実際の家族構成などを引き合いに出して「この文章を書いた時点で、作者の子供はなん歳ごろで」といったことを根拠にしたり、歴史的社会的な事件の凄惨さやそれに関係する作者の立ち位置など、文章の外部で説明しようとしたりする。

 しかし、それはおかしい。作者がどのような立場にあろうと、読者は文章を読んでいるだけだ。どれほど文章外の情報を得ていようとも、この現象が生じるのは、その文章を読んだからであって、あくまでも文章にその原因を求めるのが筋だ。外部情報のトッピングはあとからいくらでも足せるが、あとからしか振りかけられない。

 そこで、文章の内部で、その作者の姿が立ち現れる仕組みを説明する必要がある。少なくとも文芸批評家にはある。例えば吉本隆明は、これを「視点」で説明しようとする。登場人物を俯瞰で見ていたはずの視点が、次の瞬間、その人物の主観になっていたり、あるいは、内的な視野になったり、というように説明することで、この転換する視点の軌跡から、ある空間構造が生まれ、そこには作者の意識が蒸気のように立ち込めることがある。蒸気のような意識に読み手が重なるようにして、作者の意識が直接的に読み手に入り込むことで、書かれていない作者の姿や意識すらも「伝わる」ということが起こる。これはかなりうまく説明されているし、これ以上うまく説明できる気もしない。

 それでも何か物足りない気がするのはなんだろうか。書くことや読むことを神聖視してしまっているのかもしれない。そんなにかんたんには説明できないはずだ、というのは、説明できてしまっては困るということかもしれない。

 細かいことではあるが、一つ言えることは、僕はそんなに見ていない。記憶というものは視覚的ではない。覚えているのはビジョンではない。イメージというのは視覚にとどまらない。聴覚像、味覚像、嗅覚像、痛覚像なども一発で変換できるぐらい一般性を持った言葉になっている。だとしたら「感情の像」のような、悲しみの像や愛しさの像というものもありえるだろう。イメージというカタカナ語をそれぐらいで使ってみてもいい。そのイメージをもう一度、言語の持っている構造体に組戻してみるとどうなるだろうか。

 作者の存在やその意識を感じ取れるというのは、作者の意識のイメージを持つということだ。持つというと能動的に思えるが、持たされるという方が近い。ここでいうイメージは視覚にとどまらない。意識を映像化したもののことではなく、意識を意識として機能させたままその作者から分離して「意識のイメージ」として取り出したものだ。意識のイメージというのは意識そのものと同じように駆動する。それが読者の意識に浸潤してくる。

 ある言葉にならない体験を誰かに言葉で伝えようとした場合、それそのものを言語化することではなく、書かれた何かしらの言葉によって意識を構造化し、その構造のなかでイメージとしてその言葉にならない体験のイメージを湧出させる。読み手はそのイメージを自身の意識に吸い込むことで、その言葉にならない体験を、より正確には、その言葉にならないその要素を、得る。

 だから、逆に言えば、きれいな夕日を見たときにある言葉にならない感覚を得たということから、「きれいな夕日を見た」と記述された体験のシーンが書かれるとする。それを読んだ人が「夕日」とは別種の「赤ん坊が生まれた」という体験のシーンでの曰く言い難い思いを、夕日の話として書かれた文章を読むことで得るということも起こりうる。この場合、夕日と赤ん坊の誕生を結びつけるものは、その人にしかないし、その人にしかなくて良い。一般的な象徴関係は結ばれる必要がない。夕日と誕生とを結びつける因果をその人の生い立ちや社会のあり方などで説明することはできないし、必要もない。この特殊な結びつきは、文章のなかの構造によって生じている。


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「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★4月7日開催
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【792】2021年3月16日の文章筋トレ。

 二人。時間がわりと取れるので10分のあと久しぶりに90分をやる。

 90分間ずっとキーボードに手をおいておくというわけではなく、60分ぐらいで一度もうこのへんでいいかと思い始める。読み返して校正をする。今日は、枝葉を削り込む意識で、後半を削除する。いつも筋トレだと、こういうのもちょっと書いておこうかという欲が出てそれをつまみ食い的に書いて残しているのだけど、読後の感想でそこにひっかかったと言われることが多いので、今回はそういった寄り道への示唆がある部分はなくしてみることにする。

 そうしているうちに、もう少し書けそうな気がしてくる。これは枝葉部分ではなく幹の続きという感じで、力を入れて書き進んで見る。

 結果的にはそれがよかった。自分ではそこが書けてよかったと思う。

 書くということ自体が試行の連続で、試すというのは、失敗しておく、とか、それではないということを確認するとか、大部分はそういった排除や潰しのプロセスだったりする。こういうことをネガティブではなく、反転させて面白く思えるかどうかは、結構重要だなと思う。書いてしまうと概ね陳腐な気がする、ということ自体を面白がれないと、しんどいのだ。膂力がいること。

 次回の筋トレ予定、今のところは、4月7日午前です。3月中にやりたいという方がいればせひリクエストください。

文章筋トレ


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●リクエスト開催:文章筋トレ 
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March 11, 2021

【791】製作日誌【芸術祭まであと51日】

 連日のように夢を見る。それなりに力を入れて文章を書こうとしている時期は夢の頻度があがる。昔はひどい悪夢を見た、というようなことは以前の日誌にも書いた

 今は目が覚めると忘れてしまっている程度の夢が多いが、昨晩のは久しぶりに強度が高く、夢を見ている最中に目が覚めた。こんな夢だ。

 僕は芸人で、後輩芸人とどこかの酒造メーカーのチューハイかなにかのCMに出演する。その後輩芸人がチューハイのイメージキャラクターに抜擢されたのだ。僕と後輩芸人は同じコンビではないが、普段から仲が良い。僕は他の誰かとコンビを組んでいるが、今日はその相方は登場しない。僕はいわゆるツッコミだ。後輩芸人はたぶんピン芸人で、芸風は天然でいつもぼーっとした感じ。人が良さそうな顔でへらへら笑っている。何が面白いのか説明しにくいが、彼を中心になんとなく可笑しみが広がっていく、そんなタイプだ。僕とその後輩芸人は昔からの知り合いだ。お互い売れなかったころから友達だった。
 CMの撮影現場は、その酒造メーカーのビルの一階。本社ビルだろう。広いロビーがある。その片隅にオープンなミーティングスペースがあって、打ち合わせ用のテーブルと椅子がある。そこに後輩芸人がすでに座っている。テーブルには、チューハイの缶が何本かとコンビニで買ってきたような適当なツマミが袋のまま雑然と散らばっている。カメラマンや照明などの撮影スタッフがその殺風景なテーブルを取り巻いている。
 そんなおよそCM撮影現場とは思えないところに僕が現れる。半信半疑で、本当にここでやるんですか、という顔をしている。後輩芸人はすでにテーブルに座ってにこにこ笑っている。脚本のようなものは一切なく、スタッフからは「いつもお二人で飲んでる感じで」とだけ説明される。
 僕は、スタッフに挨拶をして椅子に座る。すでにカメラは回っている。
 「これCMだよな。こんなんでいいの?」と僕はさきイカをつまみ上げながら後輩芸人にきく。
 「いいみたいです。いつも先輩と飲んでる感じで飲んでればいいらしいです。」
 後輩はすでにチューハイの缶をあけて飲んでいる。ラベルがカメラに見えるようにして不自然に持つといったような映りの配慮はまったくしていない。両手で缶を抱え込むように持ってちびちびやっている。僕は不安になって、スタッフのほうを向いて、いいんすか?と口を動かす。スタッフは笑顔で頷いている。
 僕も仕方なく缶を開けて後輩と乾杯をする。一応、カメラ目線で缶を顔の横に持ってきたりしてみるが、そういうのは特に求められていないようでスタッフの反応は無い。
 「いつも二人で飲んでる感じで」というオーダーに答えようと後輩との会話の糸口を探す。
 「それにしても、すごいよな。お前にCMなんて。聞いたとき俺も嬉しかったよ」
 「自分でもびっくりです。僕にCMなんて。」
 しかし、広いロビーの一角に置かれたテーブルで、どうしても会話に入り込むことができない。周りが気になる。
 「ほんっとにこんなんでいいんですか?」と声に出してカメラに向かって不審な顔をしてみせる。その様子をさらに引いた位置から手持ちのカメラが撮っている。照明があたったテーブルについている場違いな二人の男。それを撮影する大きなカメラ、頭の上辺りに迫るマイク。それらを手持ちのカメラが遠目に狙っている。
 僕はだんだん飲み込めてくる。ようするにこの陳腐で貧乏ったらしい二人の芸人の飲みを明るみに引きずり出してやらせるというシチュエーション自体をCMとして見せるという趣向なのだろう。
 「CMの仕事なんて、俺のところには来てないのに。先を越された」
 「僕も初めてで心配だから、先輩も一緒だと安心できるんですけどって言ったら、いいですよって。それでこうなったんです」
 「そんなんで呼ばれてるの俺?」
 ピーナツを小袋から出してつまんだりしながら、普通に飲んでいく。だんだん、二人とも酔いが回る。後輩は泣き上戸らしく、
 「ここまでこれたのは先輩のおかげですよ。ほんとに感謝してます」
 などと言いながら泣き出す。
 そのうち、後輩が抱きついてくる。最初は手で払い除けたりするが、だんだん激しくなっていく。僕は耐えきれずに、椅子から立ち上がる。カメラマンや照明さん、音声さんが動く。
 「もうわかったからわかったから」
 それでも後輩は両手を広げて迫ってくる。僕はテーブルから逃げ出して、ロビーを走る。後輩が追いかけてくる。撮影スタッフもあとを追うが振り切られる。その様子が引きの手持ちカメラで撮られている。
 僕も後輩も酔っているとは思えないほどの全速力でロビーを走り抜けていく。二人とも、その滑稽さをわかってやっている。後輩も本当は酔っていない。ロビーを抜けて手持ちカメラですら追いきれず画面から消えてしまう。しばらくして、僕と後輩は抱き合ってお互いを抱えるようにして、肩を叩きながら歩いて戻ってくる。元のテーブルまで戻ってくると、さっきまでいなかった若いスーツ姿の男が一人座っている。男の前にはチューハイの缶がきれいにピラミッドのように積まれている。
 「え?だれ?」と僕が驚いてみせる。
 「〇〇(会社名)の〇〇です。」と男は笑顔で自己紹介する。画面には「〇〇株式会社、広報宣伝部」というテロップが出ていそうだ。
 「ここの会社の人?」と僕がきく。
 「はい。」と若い男がこたえる。
 「ほんとうにこの会社の人?」と僕が疑う必要のないことを疑う。
 「はい。ほんとうです。」と男がこたえる。
 カメラはその様子を撮っている。さっきのロビーを走り去る立ち回りで、映像的には一山作れているが、そろそろオチをつけなくてはという気分がしている。僕はとっさに、若い広報担当者の前にピラミッドのように積まれた缶を一つとって、
 「じゃぁ、本社の住所、言って」と若い男に迫る。
 若い男がひるんで、笑顔がひきつる。
 「本社の住所、言えるでしょ。当然。」と僕は缶に書いてある住所を見ながら更に追い打ちをかける。
 「東京都、〇〇区、・・・、〇〇、1-3」と若い男はかろうじて住所を答える。
 ここで、目が覚める。

 製作とは全く無関係な日誌になってしまった。


●5月1日、2日
4月初旬に詳細お知らせできそうです。


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March 9, 2021

【790】製作日誌【芸術祭まであと53日】

 少し体調を崩した。寝ている間に熱が出て、朝にはだいぶよくなった。

 僕は、何かを作るときに、こんなことをやってもなんにもならないと思う期間が必ずある。こんなことになんの意味もない。なんの価値もない。というような気がしてくる。作っているものだけに限らず、すべてのことになんの意味も価値も感じられなくなることもある。

 難所だ。

 昔の僕は、この難所を目をつぶって、えいやっと通っていた。見ないようにして、勢いで乗り切っていた。それでうまく通り抜けられることも多かったが、失敗して難破することもしばしばあった。

 今はちょっと違う。難所というのは、航海で言えば、潮の流れが激しかったり、障害物が多かったりする場所だ。海峡などに多い。こういうところはだだっ広い大海原とは違って波乱に富んでいる。

 もったいないんじゃないか、と思うようになったのだ。目をつぶって見ないようにして、こういう場所をできるだけ早く勢いだけで通り抜けてしまうのは、もったいないんじゃないか。

 というわけで、できるだけ見て通るというのはできないだろうか。もちろん、そういうことをすると一時的には事故率は上がる。難所に目を奪われるというか、吸い寄せられてしまう。でも、こういうやり方を続ければ、そのうち再び事故率は下がっていくはずだ。そして豊かな何かを得られる特別な場所になるだろう。

 最近はそんなことを考えている。今ちょうど難所だと思う。いろいろと目が散っている。


●5月1日、2日
4月初旬に詳細お知らせできそうです。


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March 6, 2021

【789】製作日誌【芸術祭まであと56日】

 一日数え間違いをしていた。第1回まるネコ堂芸術祭まで、あと56日。

 今日は土曜日。アラタが家にいる。土日は基本的に製作は進まない。進めない。

 小さな子供を育てているときの独特の大変さはイメージというものに関係していると思う。この時期、子供関連でやることがたくさんあって追いつかないということもあるが、それ以上に物事がことごとくイメージしたとおりにならないということがある。二歳児は「イヤイヤ期」と言われて特にそれが顕著に出る時期の一つだ。

 どんな単純なことであれ、無意識に近い行動であれ、僕たちは何かをするのに少し先の未来をイメージして、それを実現するということをやっている。

 ご飯を食べる。という一見単純に見える行動もご飯を食べる前に、ご飯を食べている自分や食べ終わった自分を無意識的にイメージしている。このイメージは視覚的なものというよりは、全体的な体験としてのイメージだ。このイメージを実際にご飯を食べることで実現する。

 それがどうかしたのかと思うかもしれない。それがどうかするのだ。

 「手を洗おう」と子供に呼びかける。このとき僕はイメージとして子供と一緒に手を洗っているのを体験している。それが一言、「いや!」だ。僕のイメージとしての体験はかき消える。僕はもう一度イメージを作る。「手を洗って、ご飯食べよう」。「いや!」。また消える。また作る。「ご飯食べないの?」。「食べる!」。「じゃぁ手を洗おう。砂だらけだよ」。「いや!」。

 イメージのスクラップアンドビルドが延々と繰り返される。膨大な量のエネルギーが浪費されていく。これが、小さな子供を育てているときに生じる精神的消耗の大きな要素だと思う。肉体的作業として見た場合、子育てというのはそこまで過酷ではない。しかし、疲れる。親でなければ、それほど疲れないのは、そのイメージのなかに子供の占める割合が少ないからだ。

 僕も自分の子供でなければ、笑って見ていられる。しかし、自分の子供でなくても、自分のイメージの中にその子供が占める割合が多くなると、同じように疲労する。なんとなくだけど、僕が子供の頃はまだそういう大人が周りに多かったのではないかと思う。親でもないのに本気で怒鳴られることがしょっちゅうあった。今はそんな大人ほとんど見ない。僕自身にしたってそうだ。

 こういったことはもちろん、全く同じことによって、楽しさを生む。予期せぬ姿に愛おしさも生じる。大人とのつきあいではありえないような幸せを感じる。イメージの浪費、イメージのずれが生むものだ。

 言葉というのはイメージと強く関係がある。その言葉を書いたり読んだり話したり聞いたりすることはその体験をイメージとして構築し、現実的な意味と同じ原理で「体験する」ことだ。言葉の底の方にあるイメージとの結びつきを結ぶことだ。言葉が海面だとしたら、イメージの空間は海底から海面までの深さに相当する。

 製作もイメージの世界で進行する。土日は、そちらに回るだけのエネルギー量がない。すっからかんだ。

 昼寝のタイミングを見計らって、今日の分の日誌は書けた。

●5月1日、2日
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March 5, 2021

【788】製作日誌【芸術祭まであと58日】

 今日もファイルを展開する。今日はそこそこ進んだ。

 気になっているのは展示方法なのだけど、気にしていても展示するべきものができなければ展示できない。展示方法に関しては、一旦保留することに決める。

 夢を見た。夢の内容は覚えていないが、かなり長い時間見ていた。それなりに濃厚な夢だったと思う。ちゃんと作品にしたいと思うようなもので、ある程度長い期間が必要なものを書いているときは、普段より多く夢を見る。ちょうど今のように芸術祭に向けて何かしらを作ろうとしているときなどは、この夢を多く見る状態になる。「扉が開きっぱなしの状態」と僕はイメージしている。普段は開けて通ったらすぐ閉めるのだけど、今は開きっぱなし。無防備でもあるけれど、来訪も多い。

 数年前まではこういうとき、悪夢を見た。「言語」の原稿を書いているときは連日のように酷い悪夢を見て、眠るのが怖くなった。明らかに書くことの影響だとわかっていたから、書くのをやめれば見なくなるのも知っている。だけど、それだともう一生書けなくなる。そういう僕にしては珍しく思い詰めるような時期があって、やはりそれでも書きたいと思って悪夢を見続けながら書いているうちに、悪夢にも慣れてきた。1年から2年ぐらいはかかったと思う。そうすると不思議なことに悪夢の性質も恐怖から悲しみへと変わっていった。僕のベースは恐怖ではなく、怒りでもなく、悲しみなんだと思う。最後は悲しみの深い海が現れる。

 その後も、夢の強度は薄れている。今こうやって製作に入っても、途中で目が覚めるような強い夢は減った。とはいえ、それほど強度を持たない夢は書いていない時期よりは格段に多く見る。ちょっといつもよりドキドキしている。扉が開きっぱなしになっている。無防備だ。悪い気分ではない。むしろ心地よい。

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March 4, 2021

【787】芸術祭まであと59日。製作日誌。

 ゴールデンウィーク、5月1日と2日にやる第1回まるネコ堂芸術祭。その出展作品の製作が思うように進んでいない。思うように進まないのはいつものことで、だいたいこういうたぐいのことはいつもギリギリまで思うようにはなっていない。だから、毎度同じ状況なのだけど、毎度毎度焦ってしまったりする。

 思い描いているという視覚的な比喩よりは、雰囲気として持っているような「イメージ」がある。それをどうにかして作る。僕の場合、言葉でやるのはもう決まっている。胸のあたりがざわざわしている。

 ちょっとリズムをつけるために、こういう「あと何日」的な製作日誌を書いていってみようと思う。ブログに書く理由は、芸術祭を盛り上げる宣伝にもなるかなという下心である。そううまくは行かない予定である。

 今日も製作途中の作品を自分の意識に展開する。グーグルドキュメントのファイルを開くという具体的作業でもあるのだけれど、それだけではなくて、そうやって開いたファイルを自分の意識に展開して、その空間を作る。一文字も書けなくても、その空間には居る。



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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★3月16日開催
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●スピノザ『エチカ』ゼミ(全24回)
2021年4月開始
https://marunekodosemi.blogspot.com/2021/02/35.html

●吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●言葉の表出、夏合宿2021
https://mio-aqui.blogspot.com/2021/03/2021.html

●文章面談
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March 3, 2021

【786】まるネコ堂ギャラリーの展示替え。


二ヶ月に一度の展示替え。自分の家に絵を飾る。

来てくれた人が見てくれるというのももちろんあるのだけれど、自分で毎日のように見たり、それが存在しているという存在感を感じるのはなかなか新鮮なもの。絵を飾ることの意味がようやくわかってきた。

来ていただければ、いつでも見れます。だいたい毎日在堂していますが、念の為にご連絡いただけると幸いです。この展示は4月末頃までです。

作品についての解説は、大谷美緒のブログを御覧ください。


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【785】夏の合宿。

夏合宿のお知らせです。

いつもこうやってお知らせをするときは、季節が全く違う時期で、今だったら夏のことを考えると遠い懐かしさとしてあります。未来なのに。

今日は眩しいぐらいの日差しですが、それでも夏のものとは比べ物になりません。

お待ちしております。

言葉の表出、夏合宿2021


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March 2, 2021

【784】最初から飽きている。

 「飽きる」ためには少なくともそれ以前の一時期に「熱中している」というような時期があるはずだ。熱中しているときは自分が飽きるとは思っていない。そういうことが入り込む余地がないような状態を言うのだと思う。

 でもどうなんだろう。ネットサービスなど特にそうなのだけれど、最初からどこかもう「飽きている」ような感じがする。熱中するということ自体の水位が最初から低く、予め飽きて去る準備をしている。

 何かが飽和している。何もかもかもしれない。

 飽和した世界において経験できることは人間の一生を超えてしまっている。どんな本好きであっても、すべての本を読むことはもうできない。重要だとされる古典を網羅することだって大変だ。

 一つのことに長い時間をかけるということだけでもう、時代に逆行していると取られる。時代の流れに乗ることを欲したとしたら何も困らない。そこら中に溢れている。何もかもが似たようなもので飽和している。スクロールさせれば次々に出てくる。

 だからこそ、あるいは、しかしながら。

 僕は、一つのことにじっくりやってみると良いと思う。今となってはなかなか味わえない時間や空間の雰囲気を味わうことができる。長い時間で生きることができる。長い時間を生きることができる。数百年後、世界はどうなっているかなんて考えることが楽しい。自分で確かめることはできないが、最大限に考えられる。

 四月からはじめて二年間続ける「エチカ」ゼミに対して、そんなことを考えている。

 少しずつ申し込みが増えて、今の参加者は四人。気になっている方はぜひ。

 一度はじまってしまうと終わるのは二年後の2023年です。

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February 28, 2021

【783】2月27日の文章筋トレ。

今日は二人。10分と60分をやる。

特殊な文章を書いたわけではないけれど、そういえば以前はこんなふうには書けなかった。ということに気がついた。ほぼ毎日見ているけれど、文章で書こうと思えばちょっと苦労するような物を説明するという文章で、書いてみて感想を聞いて、あぁこういうふうに書きたいなと思っていたことを思い出した。

僕にとってはとても平板なごく当たり前の説明として書いているのだけれど、読んだ方にとっては少し特別な意識が生じるというもの。

結構うれしい。

3月の文章筋トレ、今のところ決まっているのは3月16日火曜日午前です。


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February 14, 2021

【782】2021年2月13日の文章筋トレ。

 今日は3人で。久しぶりの全員会場でzoom無し。10分と60分をやる。

 書くことは広大でいろいろな場所がある。その人にとっての場所がある。慣れ親しんだ場所もあるし、行ったことがない場所もある。行ってみたい場所もあれば、行きたくない場所もある。こういうイメージを僕は持っている。

 面白いけれど、そこにとどまることが難しい場所にどうにか留まるように書けたらいいなと思う。ぬかるんだ足場の悪い場所だったり、大きな海流がぶつかる複雑な流れの場所だったり。

 そうやって書いていると書いているのが面白い。


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February 8, 2021

【781】2021年2月8日の文章筋トレ。

 月曜日午前の文章筋トレ。3人で10分と60分をやる。曇り空だけど、ひどく寒くはない。この時間にやるのもいいなと思う。最近、朝の家事を少し見直して9時前にはコーヒーを入れて業務が始められるようになった。アラタの成長に伴って家事はどんどん楽になっていく。

 最近は、文章を書いたり読んだりするということ自体がどう面白くなるのか、というようなことを考えている。どういう文章が面白いかというよりも。かなりゆっくりとほとんど同じ場所にいる。文章筋トレではそういうことを自分なりにずっと試していける。


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February 7, 2021

【780】近況。

 昨日の小説部会のために書いたレジュメが近況の報告になっていたので、こちらにも掲載。最近はこういう感じで、レジュメという名目で話すことを予め書いてみている。それが結構面白い。話をすることと文章を書くということの両方の重なり具合がいいのかもしれない。

 話すときにはこのレジュメを見ながら、この通りではなく話している。近況報告ぐらいならレジュメ無しで話すこともできるけれど、レジュメがあるときのほうが話自体が面白くなっていると自分では思う。




小説部部会 大谷 2021年2月7日

▼旧暦の正月に向けて、次の一年についてじっくり考えることができた。新暦は、秋が終わって、冬が来たと思ったらすぐに歳が変わってしまい、途中で打ち切られる感じがする。とにかくゴールすることで精一杯で、その直後の正月は息を整えるだけ。新暦は鋸歯状。旧暦の正月は冬が深まっていて、そろそろ春を感じ始める時期にあたっている。冬の最中を使って春以降の準備することができる。旧暦はサインカーブ、季節とあっている。

▼春から「エチカ」ゼミをやる。予定を立てた。全体の区分け。こういうことからすでに「エチカ」という気がする。

▼今年は1月から経理の帳簿つけができている。快挙。これまではいつも確定申告の時期にまとめてやっていた。経理は、毎年よくわからないこととしてやっていて、これまで全く進歩がなかったが、今年は大きく変化した。かんたんだが予算もたてた。

▼芸術祭でやりたい方向性がだいたい決まった。

▼日記が続いている。長月廿四日(2020年11月9日)から。毎日、一日中考え事をしているので、だいたいそれを書いている。考えることの楽しさの要素が増える。もっと早くからやっておけばよかった。


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February 5, 2021

【779】勇気と蛮勇。

 何で読んだのか忘れてしまったが勇気と蛮勇を区別して論じている人がいて、そのときはあまりピンと来なかったが、その後も時々思い出してはどういうことだろうかと思って、思い出すたびに考えてきた。そうして今になってなんとなくこういうことなのではないかと思い当たる気がしてきている。

 それは、なにかに挑まなければならないようなとき、その先に待ち構えているだろうことに対して「目を開いている」かどうかの違いではないだろうか。

 勇気の場合は目を開いて見ている。これから起こるだろう困難な状況が予めわかっていて、それから目を背けずに進む。このとき必要とされるのが勇気だ。

 逆に、蛮勇は見ていない。「目をつぶって」やる状態だ。

 勇気は自覚的かつ持続的に困難に挑んでいくイメージだが、蛮勇は無自覚的かつ瞬間的な勢いの問題だということになる。

 勇気を持って事にあたり、その結果失敗した場合、それがどうして失敗したか、あるいはどのように失敗したか、ということを「目の当たり」にすることになる。これは厳しいことだが、もう一度同じような機会があった場合、状況がつかめている分、一回目よりはるかに失敗しにくい。

 一方で、蛮勇による行為で失敗しても、その状況は「見えていない」。おそらく「何が起こったのかわからないまま失敗していた」という感覚を持つだろう。この場合、もう一度同じことをやっても一回目と同様に失敗する可能性が高い。

 勇気を持って事に当たれば、結果がどうであれ、得られるものがある。蛮勇で事に当たれば、うまく行ったときにはその結果を享受できるが、失敗した場合は、得るものがない。

 勇気と蛮勇を区別していたのが誰だったか思い出せないが、たぶん、こういうことだと思う。

 ちなみに辞書(デジタル大辞泉)では、

勇気:いさましい意気。困難や危険を恐れない心。
蛮勇:事の理非や是非を考えずに発揮する勇気。向こう見ずの勇気。

 この「勇気」の定義では「蛮勇」を含んでいる。僕の印象も同じようなもので、そのあたりが最初にピンと来なかった理由だろうが、この「勇気」から「蛮勇」を除いたものを〈勇気〉として扱えば、〈蛮勇〉と区別して論じることができる。そして、そこから上記のような意義を見出せる、ということだと思う。

 だからなんだという感じではあるけれど、少なくとも、誰だか思い出せないその相手に対して、なんとなく借りを返せた気分はする。


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February 1, 2021

【778】スピノザ「エチカ」ゼミ、やります。

 スピノザの「エチカ」の講読ゼミをやる。毎月1回、少しずつ読み進める。一回あたりどれぐらい進めばいいのか。

 「エチカ」という題は略称で、もとの題は日本語では「幾何学的秩序に従って論証されたエチカ」である。「幾何学的秩序」というのはまずその書き方に現れていて、第一部の「神について」は定義一、二、三、四、五、六、七、八と始まり、次に公理が一から七まであって、続いて定理一、定理二と三六まである。数学のようだ。

 条文が並んだ文章はそれだけである種の世界を作っている。

 これまでゼミでやってきた本の中には同じようなものはなくて、だいたい長くまとまったひとつづきで、「定義」や「公理」「定理」といったような文章そのものがすでにあるルールで分類されているようなものとは違って、そういうルールにとらわれていないいわゆる普通の散文だ。

 普通の散文はだいたいの分量に重量が比例するようなところがある。書き手によってその比重は多少異なるが、同じ書き手であれば千文字は千文字分の重量があり、二千文字になればだいたい二倍の重みになる。だから、ゼミで読む場合、一回あたりにどれぐらい進めればよいかという目安は、文字数で決めてしまえば、そんなに内容的な重量に偏りは生じない。

 その点「エチカ」のような箇条書きは、散文よりも詩に近い。第一部の冒頭、定義一は「自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられないもの、と解する。」という短い文章だが、この文章を読むということの重量感は、散文とは異なった感覚がある。だから一回あたりでどれぐらい読むのがいいのか、単純な分量は測りにくい。

 たぶん各部の最初に出てくるいくつかの定義は重要なはずだ。この定義を読むのに何をどれだけかけたかが、その後に出てくる数十の「定理」を読むことを大きく左右する。

 そんなわけで、一回でどれぐらい読むのか、その結果、全部で何回になるのか、それぞれの回の重みはどうなるのか、そんなことをイメージしながら、回数の区切りを入れていく。まだ一度も通読していない本だけれど、おそらくこのへんはこれぐらいしか進めないだろう、このあたりは少し多めにしても大丈夫だろうと、勝手に調整していく。この作業が意外にも面白い。上下巻の文庫本二冊を開いて、行ったり来たりしながら、分量の感覚を掴んでいく。

 中身の文章を読んでいるわけではないが、それでもこの行為は「本を読む」ということの一部だ。小説を読んでいるときに、あとどれぐらい残っているのか、と残ったページの分厚さを気にすることが時々ある。「あんまりおもしろくないんだけど、あとどれぐらい読まなければならないのか」と思ってすることもあるし、「とてもおもしろいんだけど、あとどれぐらいで終わってしまうのか」と思ってやることもある。あるいは、「あとこれぐらいの厚みしかページが残ってないのに、こんな展開になって、これで本当に終わるのか」とか。こういうことを考えるのも読むことの一部だ。

 ほとんど読んでいない「エチカ」の分量的な全体像を予測しているのだが、こういう予測は良い本であればあるほど、裏切られる。まさかこんな本だったとは、とあとから思う。「エチカ」はおそらくそういう本だ。そう思いたい。

 今、知っている範囲で僕が思い描いている「エチカ」は、選ばれなかった未来の地図だ。選ばれたのはデカルトだった。僕たちが今いるこの世界はデカルトが示した未来だ。「思う」ことが「できる」という自由意志を持った個人である「我」が、「在る」ということを起点にした世界観だ。スピノザはそれとは違う可能性を示していた。違う地図を描いた。だが、僕たちはそうはならなかった。僕がスピノザに興味を持ったのは國分功一郎の「中動態の世界」で、だから、この「選ばれなかった未来図」は國分の「エチカ」像だが、自分で読んで、見れば、この像自体が変化していくのかもしれない。ともかく、「選ばれなかった未来」というイメージはとても魅力的な世界だ。

 夏目漱石は自分や自分の周囲の作家が書いている「小説」に対して、その総体としてのあり方の必然性を疑っていたところがある、らしい。日本の小説は、自分が書いているこんな感じのものとは全く異なった方向に進むこともできたはずだ、と思っていたらしい。僕たちが今、知っている日本の小説は、どんなジャンルであれ、大きく「小説」という言葉でイメージされるある総体を持っている。「小説を読む」といえば、だいたいどういうタイプの文章を読んで、どういう体験をするのかが、決まっている。漱石は、そういう「小説」体験の全体像が、今そうであるのとは違うようになる未来もあり得たと、思っていた。選ばれなかった日本語の小説の未来があった。

 「エチカ」のゼミは今の概算では24回でやる。月一回で二年だ。二年で一つの、その後の世界はそうはならなかった、というその総体がつかめるのだとしたら、僕はワクワクする。そのあと僕はどうなってしまうのか。世界はどうなるのか。

 上下巻二冊の文庫本を携えて、文庫本の中へ旅へ出る気分だ。漱石もつれていくか。ついてくるか。



 ゼミの詳細はまるネコ堂ゼミ、スピノザ「エチカ」を御覧ください。


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January 30, 2021

【777】2021年1月29日の文章筋トレ。

 zoom2人、会場2人の4人で実施。10分と60分をやる。

初参加の方がなかなかチャレンジングに書いていて面白かった。

書くことは広い場所だ。そのなかからある特定の一点を「正しい場所」として指定しようとすると必然的に狭くなる。こういう広さと狭さの関係は、何かを漠然とイメージしようとしたり、何かを具体的に表現しようとしたり、あるいは生活の中でなにか新しいことに気づいていったりするようなときに、意味を持ってくる。常に、広く取ればいいというわけでもなく、常に狭く指定すればいいわけでもなく、「漠然と特定」の関係のなかで結構していく。

2月の文章筋トレは、

2月8日(月)午前9時半から12時半
2月13日(土)午前9時半から12時半
2月26日(金)午後1時半から4時半

初めての方もぜひ。

文章筋トレ


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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January 24, 2021

【776】「受け身の学習」なるもの。

・受け身という言葉について。

・先生の話を生徒が黙って聞いているだけの授業を受け身だとする意見の人は、黙って本を読むだけの読書も受け身だと捉えているのだろうか。寿司屋で板前が握る寿司を黙って食べるだけの食事も受け身なのだろうか。

・先生の言うことを黙って聞いているというのが受け身であるかどうかは、生徒の中で何が起こっているかによる。「本を読む」ということが、本に書いてある情報を摂取することだったり、「食べ物を食べる」ことがカロリーの摂取だったりするように、先生が所持している知見を生徒が摂取するというのであれば、受け身ということになるのかもしれない。

・一方で、本を読むことは書かれた世界のなかで出来事を体験することなのだ、とか、食事をするというのも一つの全体的な体験なのだ、と捉える人であれば、ある分野について自分よりも多くの知識を持ち、それについて長い時間、多くのことを考え、思い、感じてきた人の話を聞くことで、聞き手に何かが生じ、一つの体験として体験できるという状況を想定することができるはずだ。

・僕にとって先生とはそのような事象を引き起こすことができる人で、その人の話をただ黙って聞くことは、文字通り勉強になる。学習というものや教育というものは本来そういうものだと思う。

・さて。「受け身の学習」と呼ばれるようなものは一体何なのだろうか?

・「何かでミスしてひどく怒られた。だからもうそれには触れないでおこう。」というような「学習」のイメージが浮かぶけれど、これを「教育」とするのであれば、受け身であるかどうか以前の思想の問題に思える。


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January 23, 2021

【775】そろそろ「エチカ」ゼミ。

 今日は「言語にとって美とはなにか」のゼミ3回目。毎回面白く読んでいるのだが、今回読んでみて思うのは、僕はとても深いレベルで吉本の影響を受けてしまっているということだ。何度も読んだ本だから、影響を受けているのは当然なのだけれど、自分でも気が付かないぐらいの深度に浸透している。

 吉本はこんなことを書いていたのか、と改めて思うことが多い。そして、それが、以前から僕自身が言葉にならないままで、あるいは拙い言葉でどうにか言っていたことを、それなのに、吉本がそのものずばり書いていた、というふうに見出していく。

 だから、いまだに「僕がずっと考えてきたことを吉本も考えたんだ!」などと単純に喜んでしまうのだけど、よく考えれば、吉本の影響下で考えたからそうなっているだけだ。いや、「だけ」ではないだろうけれど、もうそれぐらい読んでしまっているというのは事実だ。

 そろそろ吉本に食って掛かりたいがどうなるか。

 まあともかく、これはこれで、あと10回ぐらいゼミはあるけれど、楽しくやっていけそうだという目処のようなものは立ってきた。

 というタイミングで僕も次のゼミをやりたいなと思っていて、スピノザの「エチカ」だ。

スピノザの「エチカ」は「幾何学的な」アプローチというか「定義1、2・・・」「公理1、・・・」「証明」などと箇条書きにされているような文章で、とっつきが悪い。こういうのはゼミでやるのに良いと思う。

ということで、春分くらいから毎月少しずつの予定です。

日程詳細、これから検討しますので、興味のある方はご連絡ください。

▼関連エントリー
【766】「エチカ」をゆっくり進める。
【764】スピノザ「エチカ」に取り掛かる。



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January 21, 2021

【774】「イヤイヤ期」と呼ばれるもの。人間への挑戦。自然がやってくる。

・アラタへのイライラについて。

・パンが食べたいというのは、いい。玉子を食べたいというのも、いい。パンと玉子を載せる皿を運びたいというのも、注意を要するが、いい。ただ、その前に泥だらけの手を洗ってほしいだけなのだが、それをどうしてもやらない。絵本を読むのもいい。積み木をするのもお絵かきをするのもいい。散歩に行くのもいい。ただその前にパンツとズボンを履いてほしいだけなのだ。それをやろうとしない。全力で拒否する。それに対してイライラする。

・できないことを要求しているわけではない。「できなさ」という幼さ、稚拙さに対してのイライラはない。できないことをやろうとしている姿を見るのはむしろ喜ばしいぐらいだ。問題は、できるはずのことをやらないようにしている、少なくともそう見えるということだ。手を洗うのもパンツやズボンを履くのも、もうすでにできないことではない。これまでに何度となくできているのだ。それを「やらない」。それにイライラする。できるイメージがすでに僕にあって、そのイメージが意識的に実行されないことにイライラしている。できなかった時期は僕が濡れ布巾で手を拭っていたし、パンツもズボンも履かせていた。それに対していらつくことはなかった。

・手を洗うことやパンツやズボンを履くことは、人間にとって必要なことなのだろうか。少なくとも現代人にとっては必要だ。手を洗わなければ許容できないほどの高いリスクで感染症にかかり小児が死ぬ確率は上がる。パンツやズボンなどの衣服を身に付けなくても生きていけるような温暖な気候の範囲に、我が家はない。いずれにせよ、現代人として受け入れがたいレベルの可能性として、死ぬということだ。それが「手を洗う」ことや「パンツやズボン」を履くことの「現代人には必要」な意味となる。

・逆に言えば、「現代人として」「生きて」いかなければ、食事の前に手を洗わないことやパンツやズボンをはかないことを許容できることになる。しかし、それは、どの時代まで遡ることになるのか。そして、その結果、生存圏はどれほど限られるのだろうか。どれぐらい死ぬのか。

・アラタにとって未知なのは「手を洗うこと」ではない。もちろん「パンを食べること」でもない。それらに順序があるということだ。「パンを食べる」前に「手を洗う」という現代的な人間における順序がわからない。着衣もそうだ。逆に言えば、一連の手順としてすでに理解していること、例えば「コーヒー豆を挽いてコーヒーを淹れる」がそうで、これは大人から見ると比較的高度な理解力が必要そうに思えるものだが、意外にも、その過程の中でいくつか自分では難しい手順があるものの、全体的な順序はきっちりと従ってやることができる。一連の手続きが総合的に理解されているのだ。つまり、一連かどうか。それとこれとがどういう関係があり、どういう順序になるのか。そのわかりにくさに人間の文化的水準があると言えるかもしれない。

・手洗いや着衣といった具体的事象は我が家において生じた衝突であって、他の家庭ではこれではない現実的事象として生じる。しかし、ほぼ確実に言えるのは、どこへどれぐらい向かったところで、結局どこかで限界が来るということだ。親の寛容さの限界にぶつかるまで子は突き進むだけだ。それがどこであれ。この事態は、そういう意味である一定の普遍性を持っている。「イヤイヤ期」と呼ばれる程度には。

・子育てから離れて見ればこの種の人間的規範はいくらでもある。「車が走っている道に走り出てはいけない」「産卵期の毒蛇にいたずらしてはいけない」「地震があったらすぐに海から離れなくてはならない」。こういったことも、ある場所、ある時代における人為的文化的人間的規範であって、守られなければ、許容できないレベルで人間集団の致死率が上がる。そういった集団的生物である人間として共有する普遍性のことだ。こういう規範を「守らない」ということが引き起こしうる摩擦にも拡大できる話かもしれない。が、ここでは広げない。

・さて。

・僕が子育ての途上で感じているイライラはおそらくこういうことだ。僕が、少なくとも人間であるということを前提として生きていることそのものに、起因している。ここで言う「人間」は、僕がそう捉えるということにおいての「人間」である。この「人間」は当然のことながら「現代性」を持っている。簡単に言えば「現代人」ということだ。その僕が「人間」だと思っている「現代人」の「現代性」に対峙しているのは、究極的には「自然」だろう。

・幼児から見れば「自然」の側から、親が知らず識らずに抱えている「現代において人間であること」、つまり「現代的な人工・人為」に対峙している。なんで食べたいものを食べるのに水道の蛇口をひねって手を洗わなくてはならないような文化的規範を維持しなくては生存できないのか。なんでパンツやズボンを身に着けないと生きていけないような気候域にそもそも棲息しているのか。なんで車なんてものが走っているのか。

・この二分法的対立が双方のイライラを誘発している。

・僕は今、自分でも意識しなかった、意識しなくても良くなっていた、前提レベルの「人間」「人為」「人工」の上に立って、「自然」と闘っている。僕の子供は今、当然のごとく生まれ持った意識する以前の「自然」を前提にして、「人間」と闘っている。

・この闘いはそれほど遠くない将来、決着がつく。悲しいかな、自然が打ち負かされる。すでに絵本を読んでいる。すでに言葉を使って親と話をしている。すでにおしっこを失敗したら悔しい。すでに親がするような「難しい」ことを真似してやってみることに喜びを見出している。すでに人間として生きることに楽しさや面白さを味わっている。すでにすでに。そうして、人間が一人増える。自然から移ってくる。

・「自然に帰る」というのは、「自然」というのが人間を取り巻く「環境」としてあるのではなく、人間というものそのものが「不自然である」のだが、その人間が変化することで「自然に帰る」ことができたとするなら、そのときそれはもはや人間ではなく「自然である」、死もその一つだ、ということなのだろうな、ルソーよ。

January 18, 2021

【773】習慣というものの悪さ。

 習慣というものは一般に良いものとされている。運動の習慣。勉強の習慣。歯磨きの習慣。

 そういう習慣の良さはよくわかるけれど、習慣というものによって損なわれていくもの、いわば習慣の「悪さ」があるようにも思う。

 これは例えば飲酒の習慣や喫煙の習慣といったような、その習慣の内容によって決まる「悪さ」のことではなく、内容的に良いとされている習慣であっても必ず生じている、習慣というものそのものが内包している「悪さ」のことだ。習慣というものの本質が「悪く」作用している面とでも言えばいいだろうか。

 なかなか名指しすることが難しいので、同じ言葉の繰り返しになってしまうのだけれど、習慣にすることによって損なわれている何かがあるように僕にはどうしても思えるのだ。

 文章を書くことを「習慣でやっている」人の文章と、文章を書くことを「習慣としてはやっていない」人の書く文章とで、何かが違っているようにも思える。これは文章を書く量の問題ではなく、書くということそのものの本質的な問題のように思う。

 もちろんこれは文章に限らない。料理にしろ、絵にしろ、人付き合いにしろ、商売にしろ、そうだ。

 たぶん僕が言っている習慣の「悪さ」というのは、一般に習慣の「良さ」と言われているものと同じもので、その反対面のようなものだろう。習慣化することによって何かを得るというプロセスで同時に何かが失われているというイメージでもある。

 ヘーゲルはそれを自己疎外と呼んだ、ということが、今年読もうと思っているヘーゲルの『美学講義』には書いてあるのだろうか。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●リクエスト開催:文章筋トレ 
「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
★1月29日、2月13日開催決定
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●月一回(単発参加可能):『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
https://gengoweb.jimdofree.com/

January 13, 2021

【772】雑誌「言語」の在庫。

決算のために棚卸しをしているのですが、雑誌「言語」の比較的新しい号の在庫が少なくなっています。

特に5号、6号、7号を読みたいという方はお求めお忘れなく。

雑誌「言語」販売サイト


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「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
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●雑誌『言語』(5、6、7号、在庫僅か)
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January 6, 2021

【771】2021年1月6日の文章筋トレ。

今年はじめての文章筋トレ。常連3人で開催。10分と60分をやる。

あるかなと思って探すとカエルさんの60分文章と感想があった。文章、短いと言えば短いが感想はいっぱい話した。

今回からリクエスト開催というやり方に変えてみている。やりたいという人があればその人と日程を決めて一般に告知して開催する。どうなるか。

今月はもう一回、29日金曜日に開催予定です。興味があって予定の合う方、ぜひお待ちしています。興味があるけど予定が合わない方は、ぜひリクエストをください。日程相談して開催します。大谷(marunekodo@gmail.com)までお気軽にどうぞ。zoomでもできます。

文章筋トレ


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「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
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大谷美緒主催
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