January 19, 2015

【058】読むことは書くことの逆過程ではない。

同時に同地点から同方向を見ていたとしても、
何を見ているかは異なる。視界の面白さ。
わかりにくいブログが続いてますが、書き残しておきたいと思うことなので、もうしばらく辛抱してくださいませ。


読むという行為は、書かれた言葉から書いた人の視界を得ることである。

書くというのは、自分の中に湧き出てきた霧のようなものをなるべくそのままの形で外に取り出すということで、霧と書くとあの白い霧を思い浮かべてしまうけれど、もっととらえどころのない無色透明の霧とでもいうようなものだ。

一度言葉によって、形を与えられてしまったものが再び無色透明の霧に戻ることはできないから、読むことは書くことの逆過程にはならない。戻れる範囲が限られていて、霧を言葉として現した瞬間までしか戻れない。

読む、つまり書かれたものから書いた人の視界を復元するためには、読む人の中に形成された「経験と言葉が連動する体系」を使う。この読む人の体系は書いた人の中にあった体系と厳密に重なるわけではないし、時に大きくズレが生じることもある。書いた人と読んだ人がズレた体系を用いれば、復元される視界は異なるものになる。

だから、優れた本は、この両者の体系のズレをできるだけ小さくするために反復的な調製プロセスを本の中にねりこんでいる。その調製プロセスに費やされる文字数が全体に対して占める割合は、書いた人の視界の特殊度や解像度に反比例して増えていく。特殊で解像度の高い視界ほど、調製プロセスに費やされる文字の割合が増え、100%に近づいていく。

読むという行為は、書かれた言葉から読む人の経験と言葉が連動する体系を、書いた人の体系に重ねあわせていくことで、書いた人の視界にできるだけ近い視界を得ることである。



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