January 7, 2015

【043】誰か一人が「そこにいる」とその場は成り立つ

「こんな計画ーー有るものをそれである有るものにしておこうというーーは、
あの無関心ということと正反対のことなのですから。」ハイデガー
昨日書いた「1500円新年会」は、どことなくゼミと似ているなぁと思っていた。
何が似ているんだろうと考えていて、思い当たったのは、ゼミの本の選び方だった。

まるネコ堂ゼミでこれまで読んできた本は、
パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』
保坂和志『考える練習』
椹木野衣『日本・現代・美術』
ミヒャエル・エンデ『モモ』

今後読む予定の本は、
網野善彦『増補 無縁・公界・楽』
マルセル・モース『贈与論』

児童書から小説、美術、教育、歴史など、ジャンルも分野も違って、脈絡はほぼない。

選ぶ基準は、参加者が「自分が読みたい本」。
一部の本を除き、基本的に、他の参加者が、その本に興味があるかどうかは問わずに選定してきた。興味どころか、タイトルも著者も全く知らないという場合も多い。

これは1500円新年会と全く同じだ。

どんな食べ物であっても、その人が「それがほしい」と思ったものを買う。

食べ物であれ、本であれ、誰か一人でも「それだ」という意思を持てば、成立する。
他の参加者は、その一人の意思によって成立する場で様々に振る舞える。

これは以前、まるネコ堂で円坐をした時に、守人をしてくれた小林けんちゃんの言葉にも通じる。正確ではないけれど、けんちゃんは「この場にいる人が話すことを、僕はただきく。その一点によってこの場は成立する」というようなことを最初の口上として述べたはずだ。

誰か一人が「いる」と、その場は成り立つ。


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