空を撮ろうとしたら、思い切り手前にピントが合った。 もっと手前には眼球があって、本当はそれしか見えていない。 |
今という時の特徴は、無根拠、無目的が生身の人間に露骨に迫ってくることである。だから、ごくノーマルに今を生きようとしても「なぜ居るのか、なぜ生きるのか」あるいは「なぜ死なないのか」を自分自身から常に問われてしまう。
毎日、やらねばならないことが淡々と通り過ぎて行き、気が付くと死が目の前に迫っているという幸せな時代は、近代の成立とともにフェードアウトしていった。今、もし、そんなふうに過ごしているとしたら、局所的に前近代が成立している場所か、今という時から目を背けているかだ。
無根拠、無目的が突きつけられた状況で生きていくためには、身の回りにあふれた物事の一つ一つを一度分解してから、自分自身の「居場所」からの距離が最短になるように再構築していくことで、それこそが今という時に唯一面白いことであり、かろうじて生きていく糧になる。
考えすぎず生きるほうがいいという人は、僕には時代遅れに見える。無根拠、無目的という虚無を真正面に捉えて、一歩一歩それぞれの道を一人で歩いて行く人が今という時を生きる人であり、考え続ける人である。
人類はようやくここまでやってきた。