January 28, 2015

【064】「かゆい空」と言葉はぷにょぷにょしたもので常に再構築され続けているネットワーク。

空の空き地、つまり空き空。
ある言葉単体は、水風船のようにふにゅふにゅとしていて、よく化粧水なんかのCMで、ぷるぷるした赤ちゃんのような肌に細胞がよみがえります、という説明で使われるイメージ図のような感じで、その言葉のイメージは触ると形を変える。

このふにゅふにゅぷるぷるしたの言葉単体を触っているのが気持ちよくて、いつまでも触っていてしまう。

「大谷」という実在する人をイメージさせる語のそばに持ってくる語として、「役に立つ」と「役に立たない」を比べると、当然「役に立つ」の方が置きやすいから、通常「大谷は役に立つ」というならびに落ちつきやすい。

しかし、人というものを「役に立つ」ものと捉えること自体に嫌な感じがあるから、むしろ「大谷は役立たず」という並びの方に、その並びの隙間からのぞける奥にあるものへの希望が生まれる。「大谷は役に立つ」という並びの奥にはどろりとしたものが見えそうになる。

こうやって言葉を遊んでいると、人にもし「大谷は役立たず」と言われた時にとても楽しくなるだろうと予想がついてきて、とういうことは僕も誰かに対して「役立たず」という言葉を使ってみたくなる。

言葉は単数ではなく、すでに言葉どうしのネットワークというもので、「空」という言葉を思い描くとその近くには「広い」「飛ぶ」「雲」「ふわふわ」といった言葉の群れが現れる。ふつう「かゆい」「ねじる」「金塊」「ちくちく」といった言葉は近くに来ない。

しかし、このネットワークは、固く結び合わされているわけではなく、ゴムのようにぶにょぶにょと伸びる素材でゆるく結ばれていて伸びる。それをびょーっと伸ばすと隙間ができて、そこにもう一つ新たな言葉が入ったりする。

いやもっとこう、卵の黄身をボールに落としていって、3つの黄身が並んでいるところに4つ目の黄身が入ると4つ目が3つを押しのけるようにして間にするりとはいって、3つは少しずつ位置を変えて4つがそれなりにおさまる。ボールを傾けたり、ゆすったりすると、それだけで位置関係が変わる。こんなふうにゆるゆるとお互いが触れ合っているような感じで言葉のネットワークはある。

だからきっと、何かの拍子に「空」のとなりに「かゆい」が来るかもしれなくて、それがしっくりくるような状況があるかもしれないと考えてみたりする。そうするとだんだんその並びが不自然でなく馴染んでいって、「かゆい空」とか「空がかゆい」とかそういう言葉が徐々にネットワークに組み込まれていく。

言い換えれば、ぷにょぷにょが並んでいるところに、今まではあんまり隣り合わなかったかもしれないような別のぷにょぷにょが、もともとあったぷにょぷにょが形を変えることで今まであった並びのどこかにゆるみができて、そこにつるんとおさまるようなことが、僕にとっての言語化である。



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