April 20, 2015

【128】精米機は要らない、のか。発芽玄米を作る。

水につけて24から48時間。
黒米があったので混ぜてみた。
前回、結構うまくできたのでまた玄米を発芽させている。

玄米は元々はあまり好きではなかったけれど、分搗き米を食べているうちにだんだん慣れてきた。今では、好んで玄米というわけではないけれど、白米である必要も感じないぐらいになった。

発芽させるとかなり柔らかくなるのか、精米したお米を炊くのと同じように炊ける。味も良くなるらしいけれど、僕にとっては玄米にしては食べやすい印象といった程度。こうやって玄米をいつも食べるようになれば、精米機は要らなくなる、かもしれない。でも、完全に精米した白米の単純明快な旨さも時々味わいたくなるけれど。

そういえば一升瓶に米を入れて棒でつついて精米するのを映画なんかで見かけたけれど、あれはたぶん一時的に「流行した」食べ方なんじゃないかと思う。あんな感じで毎日精米し続けるのは大変だろう。きっと村で共同の水車を持っていてそこで各自精米していたんだろうけれど、都市化が始まってそういう施設が間に合わなくて、仕方なく家にあるもので何とかしようとしたら一升瓶でつつくというところに行き着いたんじゃないだろうか。

と、ここまで書いて、グーグルで調べてみたら、一升瓶精米は戦時中(1939年)の「米穀搗精等制限令」によるものとわかった。一升瓶に入れているのは玄米ではなくて七分搗米。やはり一時的な状況。

『昭和の家事』DVDによると、洗濯板での洗濯も洋装(ワイシャツなど)が入ってきてからの比較的最近の洗濯風景で、それ以前は和装で、たらいに水といっしょに入れて足で適当に踏んづけて物干し竿に通せば乾きも良いから、洗濯の負担は少なかったらしい。物干し竿というものも和装に特化された道具で、洋装ならロープが良いと思う。

「昔は大変だった」というときの「昔」は、「太古の昔から延々と受け継がれる」ような昔ではなくて、単に一世代か二世代ぐらい前の歴史的に見ると瞬間的に生じたにすぎない状況だったりする。


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