April 13, 2015

【121】飛び去る車窓を懸命に描き留めるように。

何もしていなくても車窓は流れていく。
そして写真はそれを捉えられるというのに。
「日本海」という名前の夜行列車があった。今はもうない。小学生の夏休み、秋田の祖母のところへ行くのによく乗った。21時ごろに京都駅で乗り込んで翌朝9時頃に東能代駅で降りる。

乗り込んでからの夜の雰囲気は他では味わえないぐらい独特だった。自分の寝台のところから狭い廊下を歩いていって、列車の前か後ろかについていた洗面台の冷水機から備え付けの小さな紙袋のコップで水を飲むのが好きだった。飲んでいる途中も揺れるからよくこぼした。

隣の車両まで足を伸ばすと青いカーテンが垂れ下がった同じ寝台が並ぶ。その光景は、強烈に「よその団地に来た」ような気がして心細くなった。僕は団地に住んだことはないけれど、何度か団地に住む友達を尋ねたことがあって、団地のように同じ構造が繰り返し続くととたんに僕は自分のいるところがどこかわからなくなる。今でも新幹線の指定席に座るときには、切符の座席番号をしつこいほどに確認するのだけど、それでもここがそうだという確信は検札まで持てずにいる。

「日本海」に乗る前は、旅行の楽しさしか思い浮かばないのに、乗った途端に心細さがやってきてせめぎ合う。この夜行列車の経験が、僕の旅というものに対する二律背反的な気分を形成したと思う。

それでも翌朝、目が覚めるころにはいろいろなものに慣れてきていて、不安や寂しさが遠のき、安心と希望が支配するようになる。そういった時間帯にやっていた遊びを時々思い出す。父と僕と弟と母が寝台をたたんだ座席に座っている。

「踏切!」
車窓から見えたものを僕が叫ぶ。それを父が手帳に描く。描き終わるのを待たずに、今度は弟が叫ぶ。

「田んぼ!」

それをまた父が描く。

「自動車」「道」「木」「電線」「海」・・・

僕たちは次々と叫び、父はものすごいスピードでそれを描いていく。やがてメモ帳のページが埋まったら終わり。いつもは厳しさが優って怖い印象だった父が、描くのが追いつかずにあわてている様が楽しくて、僕たちは何度もやってやってとせがんでいた。

僕は楽しいと同時に、この時とても不思議な気分になっていた。それは、

窓の外に見えた踏切を父は見ていないから、僕が見た踏切と父が描いた踏切は同じではない。踏切の次に弟が見て叫んだ田んぼも父が描いた田んぼと同じではない。踏切と田んぼはメモ帳のページの上では隣に描かれているけれど、実際には列車が走っている分、ずっと離れたところにあった。自動車も道も木も電線も海も全然違う場所にあったものが、メモ帳の上では同じページに配置されてしまっていて、にも関わらず、そのページはひとつの景色を、あたかもある一瞬の車窓の景色のように構成されている。

だから嫌だとか偽物だとかそういうことではなく、でもなぜかその時の記憶に強くこびりついている。

生きているということは、列車の車窓のように一瞬ごとに何もかもが後ろへ飛び去っていく。人は、その一瞬の視界から何かを認識し、さらに次の瞬間現れた何かを記憶の中に恣意的に隣に配置する。「日本海」で感じたあの時の気分は、今でも僕にあって、文章を書くときにそれを強く意識する。

文章を書くときに僕は、心象的な景色を見えたとおりになるべく忠実に書こうとしているけれど、それでも、写真のように一瞬のうちにシャッターが下りてフィルムに焼き付けるようには書くことはできなくて、その景色は刻一刻と変化していく。その結果、書くことの不自由さによって、書かれた物事は、時間と空間を超えてしまう。

こうではないということを知りながら書くしかないのだけど、限りなくそうだったと言えるような文章を書きたい。


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