April 24, 2015

【134】本を読むのは絶対的他者の視界を得ること。連続する死体のトンネルに入ること。

ゼミのために久しぶりに「アリス」を読む。
思いついた順に書いてあるのはカフカに似ている。
発せられた音に従って文字を連ねるのはジョイスに似ている。
昨日の続きで考えたこと。

本を読むこと、僕が本を読めたと思うことは、他者との絶望的な視界の融合が叶うときで、だからこそ、僕は本を読むのだと思う。書いた人の視界というのは他者の視界であって、僕には見えないはずのもので、それが見えてしまう。

もしもそれを、自分にとって都合の良い読み方、自分の好きな読み方をしてしまうのであれば、それは他者の視界を絵葉書のように都合よく切り取ってきて自分の部屋の壁に貼ってのんびりと眺めることにしかならず、書いた人が居た場所に立つことは永久にできない。

他者との出会いは絶望的で相容れない。生きている他者ならなおさらで、とても飲み込めるものではない。にも関わらずその視界を得られる可能性があるというところが読書の面白みだと思う。その本において書いた人は、一文字一文字を書き終え続けた瞬間瞬間に死体となり続けていて、その連続する死体というか死体のトンネルのようなものに入り込む感じがする。逆イタコ体験。

とても居心地の悪い時もあるし、強烈な恐怖を感じるときもあるけれど、それができるぐらい入り込めるのは死んでいるからである。入り込めたからと言って同化するわけではなく、異物としてあり続ける。でもその視界は記憶に残り続ける。記憶の中の視界を頼りにまた別の死体トンネルに入り込もうとする。

悪趣味なたとえで申し訳ない。この文章もそんな死体トンネルになっていてほしい。


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