April 30, 2015

【140】薪は切ってから割ったほうがよかった。「弱い目的」が好き。

薪を作る。
土台にしているのは松の丸太を埋めたもの。
以前、薪について書いた。

それ以降もだいたい毎日天気が良いので、ちょっとずつ薪を作っているし、ちょっとずつ使ってもいる。

七輪で燃やすためなので、七輪で燃やしやすい大きさにするのだけど、竹なら長さ20センチぐらいで4つか8つに割る。

前回は、割ってから切るという順番で書いたけど、あの後の作業をしながら、20センチぐらいにのこぎりで切ってからナタで割ったほうが心地よいということがわかってきた。以前は60センチぐらいの竹を割ってから切っていた。丸いものをノコギリで切るのでちょっと難しくなるけれど、それ以上にナタがスパンと割れる。ナタが失敗せずに毎回気持ちよく割れるという快楽の安定がノコギリを引くときの固定にテクニックが要るという気遣いの増大を超える。

そういうことは当たり前なのかもしれないし、逆なのかもしれないし、どっちでもいいのかもしれないけれど、作業効率なんか全く考える必要なく、一日10分ほど気持ち良く体を動かせれば良くて、その結果薪がやった分だけできていればいい、という弱い目的というか、淡い目的というか、そういう感じでやっている。

作業効率を上げないといけないとか、期限があるとか、そういう強い目的になると、とたんに心地よさがなくなってしまうから、そういうことは考えないようにしている。

そんな風に弱く曖昧に物事が進んでいくことで僕は十分だったりする。特に春は。


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