April 10, 2015

【118】ファシリテーターでない者の責任は、場が壊れることをも厭わない言動。

「自然」というのは誰も「守っていない」からこそ、
自然なんだろう。自分勝手な場。
以前書いた
の続きといえば続き。

ファシリテーターは何をしているのか。
という問いへの答えは「場を守る」だと思う。

守るべき場の種類や性質によって守り方も異なるけれど、
一言で言えば「命がけで場を守っている人」。

一方、それに対して、ファシリテーター「ではない」人は一体どうあるべきか。

ここの部分が最近見えてきて、
ファシリテーターでない者の「責任」は、
「自分の言動によって場が壊れることをも厭わない」だと
思うとしっくりくるようになってきた。

我ながら乱暴者だなと思う。

乱暴者だけど、
でもやっぱり「命がけで場を守っている人」が居るにもかかわらず、
その人の仕事を勝手に肩代わりしようとしたり、
場が壊れないように手加減して振る舞うというのは、
命をかけて守る人に対して失礼だと思う。

そういうところから見て、僕はファシリテーターに敬意を払える。

命がけで守ろうとする人と壊れてもいいから全力で振る舞う人が
同時に同じ場に存在するというのは、
矛盾するような気もするけれど、
いや、文字通り、完全なる矛と完全なる盾の勝負なのであって、
だからこそ誰も想定できない状況が出現しうるのだろう。


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