April 23, 2015

【132】「万能」神話との戦い。

美しい夕焼けは自分とは無関係にあるけれど、
それを美しいと認識する自分がいる。
気がついた時にはすでに囚われているのが「万能」という神話。それさえあれば大丈夫という極めて大きなストーリー。物理的な物に対しても語られるし、考えに対しても語られる。でも実際には何にでも使えるわけではなく、使う側が不適切な使い方をすることで、無理やり対応させているにすぎない。

もうこれ以上この事について考える必要がないという解答が欲しくて欲しくてたまらない。ある単一の何かに自分を依存させていく行為は快楽である。絶対性への希求。

一神教とそれ以外の宗教はそんなに簡単に分けきれなくて、たとえば日本の多神教的状況も神と名付けられたものが多数あるだけで、それらの神々が発生するメカニズムへの信奉という意味では一神教的絶対性がある。

この「万能」神話は、自分という自分にとって唯一の観測装置によって強制的にもたらされるのであって、その唯一の観測装置をどうにかして自分からほんの少しでも引き剥がすようなこととして、読むことがある。読まれたものは自分とは無関係に存在するから。もちろんそれすら言葉という自分と未分化なインターフェイスに依存するのだから、やっぱり不完全なのだけど。

現代は何もかもが相対化されたとはいうものの自分というものが自分にとって絶対的である以上、自分を通した途端に絶対化への望みが始まる。その絶対化プロセスを中断し、再相対化することとして、書くことがある。書かれたものは自分ではなくなるから。もちろんそれすら言葉という自分と未分化なインターフェイスに依存するのだから、やっぱり不完全なのだけど。

そこまでして何がしたいのか、という気もするけれど、そこまでして何かがしたいのだと思う。


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