February 29, 2016

February 26, 2016

February 24, 2016

February 23, 2016

【298】隣のおばちゃんの造園技術。

いつものように庭でぼーっとしてると隣の家のおばちゃんがザボンの木を見ていて、挨拶したらなぜかうちの庭の造園が始まっていた。

【297】畳を解体する。

思い立って畳を解体しました。以前自分たちでリフォームした時に六畳の和室を工房にしたので、畳が6枚余りました。4枚はフローリングの居間に並べて使っていますが残りの解体です。

February 22, 2016

【295】なんでも疑ってかかるのが理性的なのか。

インターネットというところは、とてつもない量の「情報」があって、その中には嘘も、嘘と知らずにひろめられてしまったものもある。そういうところだから、なんでも疑ってかかったほうがいい、のだろうか。


February 20, 2016

February 19, 2016

【292】まるネコ堂ウェブサイトをブログに統合しました。

まるネコ堂ウェブサイトにあった以下のものはブログに移設しました。
言葉の記録
食材
本や映画(映画「生きていく」評)

なお、大谷強(父親)が作っていたサイト
ノーマライゼーション政策研究」は、
おそらく今月中ぐらいでサーバー契約が切れて見れなくなります。
データ自体は手元には残してあるので、
どこかに置く場所があれば再設置するかもしれません。

【291】映画『生きていく』を観て(再掲)

映画『生きていく』

2010年 86分
出演 池田英樹
音楽 hatao 上原奈未 
監督・撮影・編集 神吉良輔
サイト

僅かではあるが自分が関わっている映画だけにこれまで落ち着いて見ること、「ただ単純に見るだけ」ということができていなかった。今日、おそらく初めて、観客として上映会に行くことができた。スクリーンの中で起こることだけに集中することができた。映画をただそこにすでに存在するものとして見ること。それがようやくできるようになった。

まずこの映画は「自分自身以外のために何かをすること」の映画だと思った。一度も北海道を訪れたことがない「両親のために」旅行を計画する主人公の英樹。逆にその「英樹の思いを叶えてやったからいい」と言う母。「英樹のために」尽力する旅行ボランティアと看護師。

中盤、この「自分自身以外」の微妙な食い違いが一つの大きな問題を投げかける。「生命」というものの「ために」働いてきた看護師・山崎の葛藤だ。看護師はその専門性によって、自分の目の前にある生命が通常よりも極めて危険な状態に置かれていることをその場にいる誰よりも具体的に知っているがゆえに、その「生命」が「池田英樹」個人に所属することに揺さぶられる。命のためか、個人のためか。山崎はこの旅行に看護師として同行することで、その線引きを大きく変えていく。

「自分自身以外のために何かをすること」が虚無を内包していることを自覚しているのが英樹である。旅行以外に楽しみがない状態、「ポッカリ穴が開いたよう」な「長続きする目標が見つけられへんからな」という日々を送っている。

英樹は人工呼吸器につながれ首から下を動かすことができないことを毎朝目が覚めた時に知らされ続けている。死が身近にある自分自身を意識させられ続けているのだ。

頚髄を損傷しておらず人工呼吸器もつけていない我々は、毎朝英樹のような死を意識しないですむ。我々は英樹とは違い「死が可視化されていない」という特権を有しているのだ。この特権は「黒人に対する白人」「女性に対する男性」の特権と同じだ。毎朝鏡にうつる「黒人」や「女性」から逃れる方法はないが、逆の「白人」や「男性」の立場では鏡には何もうつらず、意識する必要がない。

英樹にはなく、我々にある特権とは具体的には、「なぜ生きるのか?という問いに答えることなく毎日を生きることができる」である。生きることを曖昧にしたまま生きることができるという特権である。特権のない者、死が可視化されてしまった者は、「それでもなお、なぜ生きるのか?」を常に自らに問われ続けながら毎日をなんとか生き伸びていくしかない。

後半、英樹が自らと同じ症状の人に積極的に会いに行って話をする様子が描かれる。事故などで頚髄を損傷した人たちに初対面にも関わらず会いに行き、話をするのだ。英樹はその理由を問われ、曖昧な答えをした後、事故直後の自分にそうやって会いに来て話をしてくれる当事者がいなかったからという答えをする。そんな人がいればずっと楽だっただろうからと。

この答えは、一見、英樹の行動の理由の説明になっている。しかし本当にそうだろうか。自分がそうだったからということと、逆の立場に立ったときにそれを実行することの間には、往々にして大きな隔たりがある。

人工呼吸器をつけて外出すること、頸髄を損傷し大きく人生が変わってしまった直後の、それも初対面の人と話をすること、どちらもとても大変なことだ。だからこそ、誰も英樹に会いに来なかったのだ。過去に「自分がそうされたら楽になっていただろうから」という理由だけでは到底説明されるものではない。

では、なぜ、英樹は人に会いに行くのか。それは、やはりスクリーンの中に答えがある。頚髄を損傷する事故より前の英樹は、仕事も遊びもバリバリやる活発で行動派であっただろうことが伺える。少年野球では「細かなプレイは苦手。おもいっきり振り回して当たればでかい」。ちょっとやんちゃで話好き。それも、薄っぺらな社交辞令や建前ばかりの中身のない話ではなく、深く喰い込むような「本音」のぶつかり合いが好きだったのではないだろうか。

その「本音の対話」を英樹は失ったのだ。物理的な人工呼吸器の存在が話しかけてくる相手にとって心理的な障壁となり「本音の対話」を阻害し、常に人工呼吸器というフィルターを通した建前の要素が入り込んでくる。そのように感じているのではないか。人工呼吸器は英樹の喉元につながれているが、実は、彼と対峙する者の眼や口にもつながれていて、それを通してしか見たり、話したりできない。

だから、英樹は会いに行くのだ。お互いに人工呼吸器をつけていることで、あるいは頸髄損傷という障害があることで、その存在を「キャンセル」することができる相手に。そこに「本音の対話」の可能性があるから。

結果、英樹は会った人を実際に変えていく。憧れのように「外出してみたい」と語る人を外へ連れ出していく。英樹の旅行や飲み会、花見やギャンブルといった「本音の行動」の経験に裏打ちされたリアリティが「本音の対話」によって伝わり、話を聞いた者を変えるのだ。それは、本音であるがゆえに、英樹にしかできないことである。

「自分以外の誰かのために」何かをすることは比較的簡単に自分を支える理由になる。しかし、自分自身のために「生きていく」理由が必要になる事態に直面した時、自分を支えられるのは一体何か。

「自分のために」やることが「誰かのために」なっているというそのわずかな重なりを信じることはその一つかもしれない。しかし、その「重なり」の存在を自分自身で知ることは難しい。それすらも伝えてくれる自分自身以外の誰かを必要とするのだとしたら、「死が可視化した人」にとって「生きていく」ことは奇跡である。

「あなたのやっていることがたとえ自分自身のためにやっていることだとしても、それが確かに誰かのためになっているんだよ」ということを伝えようとする。この映画はそういう映画である。

2012.1.8 大谷隆

【290】まるネコ堂の食材(再掲)

まるネコ堂に遊びに来てくれる人に料理が美味しいといってもらうことが多いです。特に来客用の料理を作っているわけではなくて、普段どおりの食事です。

いつもやらないことをやるとうまくいかないし、特別に何かをしようとすると気持ち的な負担にもなるので、あえていつもどおりでと思っています。

よく聞かれるのが食材をどこから調達しているのか。
これも特別なルートで手に入れているわけではなく、普通に購入しているものがほとんどなので、ここで少しずつ紹介していこうと思います。

コーヒー

コーヒーが好きです。きっとコーヒーも僕のことが好きなはずです。それぐらい好きです。
生豆を購入して自宅で焙煎しています。以前は手回し焙煎機なども使っていましたが、結局フライパン(中華鍋)での焙煎に落ち着きました。美味しいコーヒーがいつでも飲めて幸せです。
焙煎の仕方などについては、小林けんじさんがうまくまとめてくださっているので、そちらを御覧ください。
【レシピ】いちばんうまくて安いコーヒーのつくり方(小林けんじのブログ)
【レシピ】山根澪の作ったチラシPDF(B5サイズ)も参考にどうぞ。

コーヒー生豆

焙煎したあとの豆は生鮮食品なみに劣化していきますが生豆の状態だと保存がききます。大体1回で10kg買って半年ぐらいで飲み切ります。以前は30kg買ってドンゴロスで届いたりしてましたが、最近はちょっと控えています。
深煎りが好きなのでインドネシアのマンデリンをよく買います。
【購入先】コーヒー生豆・焙煎機・コーヒー豆の販売 ワイルド珈琲

パスタ関連

パスタが良いのは必要な基本的材料の保存がきくところです。
にんにく、唐辛子、オリーブオイル、トマト缶、パスタを常備しておけば食材を足さなくても作れます。これらをある程度の量を備蓄しておけば、風邪をひいて外出できなくても、台風で外に出られなくても大丈夫。これにパルメジャーノ・レッジャーノ(パルメザンチーズ)があれば言うことなし。
にんにく、オリーブオイルは近所のスーパーやよつばの宅配で買っていて、唐辛子は庭に生えているのをむしって来ます。うちの庭はルッコラに合う土壌らしく、ルッコラが繁茂しています。むしりまくってペペロンチーノに入れています。

ディチェコ・NO.7 リングイネ

ロングパスタは2種類あるといいです。トマトソース、カルボナーラなど濃厚なソースにはちょっと太めで断面が楕円形のリングイネで決まりです。食感がいい。うちでは茹で時間は10分にしています。
ディチェコにしているのは、ザラッとした感じが好きなのと価格、入手のしやすさといったバランスからです。これよりも美味しいのはあると思いますが、日常的に食べるには十分な美味しさ、十分な価格です。楽天の通販で購入。まとめて10個以上買います。
【購入先】楽天

ディチェコ・NO.10 フェデリーニ

ペペロンチーノなどオイルのパスタはちょっと細めのフェデリーニ。湯で時間が短いので、ベストタイミングでソースを作るのが難しいのですが、ぴったりできるとものすごく美味しいです。4分で茹でています。茹でたフェデリーニにバターを落として混ぜるだけで簡単な朝食にもなります。
これも楽天でまとめ買いします。

【購入先】楽天

トマト缶

そんなに違いはないので、その都度安いものをまとめて買いますが、時々妙に水っぽいのがあるのでそういうのは次から避けます。24缶どかっと買って数ヶ月で使い切ります。ホール(切ってないやつ)とカットがありますが、どっちでもいいと思います。カットのほうが料理しやすいです。
【購入先】楽天

パルメジャーノ・レッジャーノ

下にリンクしているアールヴァレンティーノというお店が美味しいです。1kg単位のブロックで販売しています。うちでは送料の関係で2kg分。贅沢なんですが、これがあるだけでカルボナーラがそこいらの店を軽く凌駕します。通販でいくつか試しましたが、値段だけで選ぶとブロックのまま冷凍保存していたりして、パサパサで美味しくないです。
カルボナーラ、トマトソース、ピザによく使いますが、ウイスキーやワインのアテにつまむのも最高です。
量が多いかなと思っても美味しいとすぐになくなっていきます。美味しくないのを買ってしまうとなかなか無くならなくて、なんとか無くさなきゃと努力し始めてしまいます。そっちの方が精神衛生に悪いです。 【購入先】楽天(アールヴァレンティーノ)

秀逸なレシピ「カルボナーラ」

カルボナーラ、好きなのですが、生クリームをわざわざ買ってこなきゃいけなかったり、卵の黄身だけしか使わなかったりで、材料の調達と使用に不満があったのですが、ネットで見つけたこのレシピで一気に日常メニューになりました。秀逸です。うちでは豚バラの代わりにベーコンを使います。
【レシピ】イタリア人の夫が作る♪カルボナーラ

February 18, 2016

February 17, 2016

February 16, 2016

【286】プレイリスト「涙そうそう各種」。

森山良子「涙そうそう」
BEGIN「涙そうそう」
BEGIN「涙そうそう(三線バージョン)」
BEGIN「涙そうそう(三線ウチナーグチバージョン)」
夏川りみ「涙そうそう」
夏川りみ「涙そうそう(ウチナーグチ・バーション)」
加藤登紀子「涙そうそう」
Hayley Westenra “Nada Sou Sou (English Ver.)”

を「涙そうそう各種」と名付けたプレイリストで聴いている。

8曲35分。

その歌が「涙そうそう」である限り、
僕の時間は絶対だ。

February 15, 2016

【285】優れた人は異端の位置にあらわれる。

その時代のその領域(ディシプリン)で突出するほど優れた人は異端の位置に現れざるをえないと思う。異端者が自らこそが正統だと言うか、自らをその領域外に位置づけようとするかにかかわらず、その領域の根底を揺るがし原論を問うことになる。

February 14, 2016

【284】書く言語空間。親和性が低いとき。

そういえばまるネコ堂は「言葉の場所」というキャッチコピーを掲げていたなと思った。ここ数日、言語空間ということを考えている。

February 13, 2016

February 12, 2016

【282】妙な感動。その人にとって重大なこと。言語の深度。

僕は時々、妙な感動をすることがある。人の話を聞いていたり、小説を読んでいたりするときに、どうということのないようなところで、悲しいわけでもうれしいわけでもなく、ただ妙に感動して泣けてきたりする。

February 9, 2016

【281】文学の価値。

ブックオフに行って日本文学のゼミ用の本を揃える。
森鴎外『舞姫・うたかたの記』
太宰治『斜陽』
夏目漱石『道草』ゼミで読むのは『明暗』。
川端康成『雪国』はゼミのリストにはないけれど、ちょくちょく例文で出るので買っておく。これで600円ちょい。

【280】高村友也著『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』を読んで。

ベタに言うと「結構体張ってるよなぁ」と思う。と同時に同じくベタに言うと「かなり頭いいよなぁ」と思う。普通は同居しない2つのベタが同居している。日本刀でじゃがいもの皮を剥いている感じで、油断すると指がスパっといく。
それはさておき、著者が20ページで訪れた死の観念は、僕にも訪れた。同じように小学生の時で、同じように「僕はいつか死ぬ」と思い、「僕がいなくなる」と思った。その後の僕のいない世界も想像した。一人で布団に入っている時で、頭からすっぽり布団をかぶって、ぼとぼとと涙を流し、鼻の奥をツンツンさせながら、うぇうぇと嗚咽した。死の普遍性から言えば、これは誰にでも訪れることかもしれない。事実ほぼおなじ体験をしたという友人が一人いる。

僕の場合は、これと関連付けられている記憶が2つあって、一つは目の前に30センチ四方ぐらいの四次元空間の窓が現れた。母親が目の前にいたけれど、その母親との間にその窓があって、手を伸ばしても絶対に母親には触れられないと思った。僕の手はずっとずっと遠くの時空に突き出るだけだと思った。四次元空間という言葉自体をその時母親に教わったというのが直接の契機だった。

もう一つは、おそらく一度しか、それも断片的にしか聞いていないはずの「堂々巡り」というラジオドラマをなぜか鮮明に覚えている。これは放送の記録から12歳の時だとわかる。そこからどうにかして抜け出ようとしているにもかかわらず、ドアを開けると必ず元いたホテルの一室に戻ってしまうという怖い話だ。

この頃から僕はSF小説を貪るように読んだ。特に時間旅行ものが好きだった。

ようするに僕は、スッパりとは切り離されなかった。ザッくりとはいったけど、永遠の時間を飛び越えうるという空想に逃れることができる程度に、僕は「残った」のだろう。日本刀の切れ味はなかった。哲学まで一足飛びに行かず、文学に着地した、ということかもしれない。

何か聞きたいことがあるとか、話したいことがあるとか、そういうわけではないけれど、この著者には会ってみたいなと思う。少なくとも、本読みましたよ、ぐらいは言いたいと思った。


February 8, 2016

【催し】小林健司の円坐 まるネコ堂一泊二日:3月5日(土)6日(日)

小林健司の円坐 まるネコ堂一泊二日 


小林健司は最近断言した。

対話において話すことと聞くことは分離できない。

彼がついに断言するほどまでに、はっきりと掴んだものを、彼との対話(そう、対話だ)の断片的記憶から僕なりに追ってみる。

対話はその対話そのものにしかない。話す、聞くことだけを取り出すことは不可能で、「その対話」の中にある「話す」「聞く」は、二者間相互に「そこで」あらわれた現象の一側面としてしか見ることができない。対話が異なる二者間で行われるという見かけ上、話し手と聞き手は一見分離しているようには見える。

しかし実態は、聞き手は「話させ手」「話させず手」「聞かされ手」「聞かされず手」「話され手」「話されず手」であり、同時に話し手は「聞かれ手」「聞かれず手」「話させられ手」「話させられず手」「聞かせ手」「聞かせず手」となる。

こうして文字にすると強迫神経症的な順列組み合わせの羅列として現れる様相が、対話では瞬時にそして常に相互に起こり続けている。僅かな視線の動き、息遣い、体重移動・・・、そこで起こっていることすべては対話に吸収され、対話そのものとして起こる。そこでは人間の存在自体が対話そのものとして起こるのだ。

冒頭に断言と書いた。言を断つことによって始まった彼の「話す聞く」への新たな旅路を予感する。長い長い生身の旅になるだろう。

大谷 隆

==
2016年3月5日(土)10時〜6日(日)17時(一泊二日)
まるネコ堂にて
      京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167
      注意:猫がいます。円坐を行なう部屋には入れませんが普段は出入り
      しています。アレルギーの方はご注意下さい
      JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩十五分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
      詳しいアクセスは以下よりどうぞ。
      http://marunekodoblog.blogspot.jp/p/blog-page_14.html
・守 人 :小林 健司
・主 催 :大谷 隆
・参加費 :14,000円
・宿 泊 :まるネコ堂にて宿泊可能です。(雑魚寝になります)
      二日間通いでも参加可能です。
・定 員 :6人
・申 込 :marunekodo@gmail.com (大谷)

【279】新商品の撮影。

この3日ほどCARAPACEの新商品の写真撮影をしていました。腕は大したことないくせに編集者として無駄に目が肥えているので、自分で撮ると欲求不満がたまるんですよね。特に商品撮影は。

February 7, 2016

【278】庭の写真いろいろ。

まるネコ堂の庭写真です。
先日切り戻したぶどうの枝。カーポートの天井部分の波板を外してそこにのばしています。

根本の方はこんな感じ。右のポールは暗くなると自動的につくライトです。


去年の5月にコンクリートの上を花壇か何かにしようとして作った1号地はやや拡張され、コンポストを設置、少しずつ土が溜まってきています。

左奥はミニ石庭、気が向いた時に少しずつ石を並べています。

こちらは同じく2号地。大幅に拡張し、土を薄く入れてみています。ばらまいてある葉っぱは、隣のおばちゃんにもらったザボンの剪定枝からとった葉っぱです。葉っぱの下に、今は枯れていますが地を這って領土を確実に拡大しつつ付ける植物がすでに這い回っています。

ぶどうの少し後に植えたカボス。葉っぱがかなり虫に食われていますが、枝自体はだいぶ伸びたのでまぁ大丈夫だと思ってます。

七輪で使う薪。細かい枝はざぼんの枝、左側の板状のものは畳をバラしたら出てきたパーティクルボード。木を細かくして接着剤で固めたものらしい。何が入っているかわからないので、網焼きとか魚を焼くのには怖くて使えないけれど、普通に木のように燃えるのでダッチオーブンを使うときに燃やしています。

去年の唐辛子。カラカラになるまでほったらかしています。必要なときはちぎって使います。ペペロンチーノとかチリコンカンとかインドカレーとか。

余っていたコンクリートブロックとスギ・ヒノキの間伐材を敷いた小路。間伐材は半分に割ってあります。適当に置いただけなので最初はぐらついていましたが、今はしっかり地面に張り付いています。本当は少し掘って埋めるのがいいらしい。

庭も少しずつ変わっていきます。

February 6, 2016

【277】うちで一番の変わり者の猫。

シロは天才で変態。引き戸を開けるのは当然としてもその引き戸を猫が開けないように取り付けた掛けがねをジャンプして開けてしまう。これができるのはうちの3匹のうちでシロだけ。飲むようにおいている器の水に洗濯バサミや紙などなんでも入れたり出したりして、変化を楽しむこともしばしば。

February 5, 2016

【276】ぶどうの切り戻し。

マスカットベリーAという品種のぶどうの苗木を去年の春に庭に植えた。この冬に切り戻しというのをやらなければならないのだけど、今日やってみた。

February 4, 2016

【催し】4月9日(土)まるネコ堂 さいちゃんの円坐

4月9日さいちゃんこと西條読真さんを守人に招いて、
1日ものの円坐を開催します。
よろしければぜひ。

円坐について僕なりにまとめた文章、
【269】円坐とは何か。現時点での試みとして。
もご覧ください。

大谷

===
「まるネコ堂 さいちゃんの円坐」

~ まるネコ堂 円坐によせて ~

まるネコ堂には扉がない。

実際、棚をはじめ全ての収納の扉が取り払われており、調理道具や、買い置きされた食材、主の蔵書などが見晴らしよく、人と同じ空間で暮らしている。

役に立つときだけ取り出されるのではない
それらのモノは、役割以前の存在をはなっており、眺めているだけで心地よい。

映画監督のウッディ・アレンは
「生きているといっても、9割方はただ居るだけだ。」
と言ったそうだ。

私たちには役割以前に存在がある

ほんと、当たり前のことではあるけれど、

まるネコ堂は
それを実感させてくれる場所である。

春の一日、桜のころ、
みなさまと座れるのを楽しみにしています。

西條 読真

===
「まるネコ堂 さいちゃんの円坐」

さいちゃんこと西條読真さんはとても話が上手い。
でも、単に話が上手いというだけではないなと思う。

さいちゃんの話はどこにも落ちていかない。
何かのために話をしているわけではなくて、
話が話としてあるのだ。

そんな話に触発されて僕も話ができる。

そうして現れた話は、
自分で生きているかのようにいつまでも続き、
やがて終わる。
最初から最後まで話が話のままでいる。

そうなんだよね。オチがつけられないだよね。

なんてさいちゃんはいうけれど、
落ちていかず、
そのまましばらく残像が漂うような話のほうが、
狙ってできるものではなくて、
話が魚みたいにピチピチしている。

これが単なる話し上手ですまされる気がしない。

きっとさいちゃんは聞くことも、
それどころか、ただ居ることも含めて、
話をしているんだと思う。

僕達が普段使っている「話す」という言葉とは
見かけが同じだけれど、
全然違うものとして、
さいちゃんは話すのだと思う。

話すことで世界を吸い込んでいる。

とさいちゃんが言う。
そしてそれはとてもセクシーな行為なんだそうな。

そんな大それてあやしげなこととして、
話をするさいちゃんの円坐です。

大谷 隆

===
2016年4月9日(土) 10時〜17時 (2セッション)
 途中昼食休憩あり。軽い食事をまるネコ堂にて提供します。

まるネコ堂にて
      京都府宇治市五ケ庄広岡谷2-167
      注意:猫がいます。円坐を行なう部屋には入れませんが普段は出入り
      しています。アレルギーの方はご注意下さい
      JR奈良線・京阪宇治線「黄檗(おうばく)駅」から
      徒歩十五分ほど。坂道を登ります。迷いやすいです。
      詳しいアクセスは以下よりどうぞ。
      http://marunekodoblog.blogspot.jp/p/blog-page_14.html
・守 人 :西條 読真
・主 催 :大谷 隆
・参加費 :5,500円 (昼食含む)
・定 員 :6人
・申 込 :marunekodo@gmail.com (大谷)

February 3, 2016

【274】主観、客観とsubject、object。

先日の熊倉千之『日本人の表現力と個性』ゼミにトムが来てくれて、非常に興味深かった。トムは英語、スペイン語、日本語などを習得している。

本の中で主観と客観という言葉が出てくるのだけど、この言葉の使い方というか意味するところがどうやら僕のイメージしてきた「主観、客観」とかなり異なるようだ。トムがいろいろと話してくれたことを僕の理解の範囲で書いてみる。

February 2, 2016