October 8, 2018

【449】気に入らなさの複雑化。赤ん坊が泣く理由。(生後32日目)

赤ん坊は泣くのが仕事、などと言われる。では、その仕事内容を見てみよう。

うちの新くんの場合、

まず、生まれてすぐに分娩室で泣いていた。何もかもが子宮の中とは違うということに対しての「泣き」であって、この「泣き」は全てに対する「泣き」である。このとき、泣く理由があるとすれば、それはたった一つ。何もかもが変わったということである。自らの誕生とそれと同義である世界の誕生に対して泣いているとも言える(※)。

そのあと、すぐに、たぶん生まれたその日のうちに、もう「おっぱいがほしい」というか「お腹が空いた」といって泣くようになる。世界(ととも)に〈生〉まれ、〈生〉きていくことが始まる。そのために仕事をしなくてはならない。だからこの泣きは、生活のための仕事である。

入ったものは出てくるわけで、次に来る仕事は「オシメが濡れて気持ち悪い」から泣く、である。うちは布おむつを使っているので、濡れるとわりとすぐに違和感が出るはずだが、それでも、生まれた直後は、オシメの状態で泣くことはなかった。たぶん1週間ぐらいから、そういう泣き方もする場合もあるようになって、3週間ぐらいして、ほぼ確実にオシメが濡れて泣くようになった。

この「オシメ通知」と並行して「抱っこ」の泣きも出てくる。「抱っこ」も当初は、単に抱き上げればよかったのが、だんだん分化していき、「抱っこしてゆっくり揺する」「抱っこして部屋を歩き回る」「抱っこして外を散歩する」と高度化し、射程が伸びてていく。必要だから泣く、不快だから泣くというレベルから、より快適さを求めて泣くという高度化、つまり文化の始まりである。

ついこの間まで、彼の具体的な仕事内容は、このぐらいだったが、現在の最先端の業務として、これらの範疇に入らないものが出つつある。彼にとっての気に入らなさは日々進化しつづける。生活と文化の担い手として彼は今日も仕事を継続するとともに、新たな仕事を生み出し続ける。

ところで、赤ん坊は泣くときに涙を流さない。少なくとも、生後一ヶ月の新は流していない。いつから人は泣くときに涙を流すようになるのだろう。一度、涙を流すようになると涙を流さずに泣くことはできなくなるのだろうか。自分が泣くときを考えると涙は必ず流れている、あるいは流れそうになる。泣くことと涙とはどういう関係があるのだろう。

※ そういえば赤ん坊は子宮の中で泣くことはあるのだろうか。たぶん泣かないと思う。しゃっくりはしてたけど。


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