うちは、僕と澪が一日中家にいる。二人で、家事と子育てと若干の仕事をやっている。新(あらた)の生後50日たって、最近はだいぶ落ち着いてきたけれど、最初の二週間はかなりきつかった。
もし、これで僕が外へ働きに出ていたとしたら、生活も子育ても相当に厳しい状況に置かれたと思う。たとえ、布おむつを紙おむつに、母乳をミルクに、買い物を配達に変更して、負担を下げたとしても。
だから、たとえ、料理がうまく作れなくても、掃除や洗濯をやったことがなくても、人がいるというだけで、かなり助かる。家事というのは、下手でもなんでも、3日もやれば、だれでもそれなりにできるようになるものだし、完成度が低いことによる弊害は大きくない。
新生児から目を離すのは短時間でもリスクがあって、精神的な負担が生じる。一人だとゴミの日にゴミを出すことすら一大事となる。ほかにも、授乳中は母親は身動きが取りにくいので、ガーゼを取ったり、おくるみをセットしたり、買い物に行ったりと、普段ならどうということのない簡単なことをする人が家の中に増えるだけで、大きく助かる。
現時点で、僕が考える子育てに必要な人的資源は、24時間平均して家の中に2.0人、できれば2.5人以上だと思う。これは必ずしも赤ん坊の親やその親族である必要はない。
一つの家の中にいる人の人数というのはこの100年で大きく減少したはずだ。よく言われる核家族化もそうだけれど、それだけでなく、家族ではない人が家にいるということ自体がまずなくなった。これが結果的に、現代的な社会問題の多くの原因になっていると思う。子育てに限らず、あらゆる福祉的な面や災害時対応など。
家に人がいるということの影響は、生活や子育てという、主にソフト的な面だけでなく、それだけでハードとしての家がメンテナンスされていくことにつながる。家に人がいること自体を、家の消費として捉えるのではなく、家の維持だと思ったほうがいい。家にいる人数が多いこと、それだけ多くの営みがなされる。その営みの大きさが、家のハードもソフトも豊かにしていく。家を維持し、より豊かにするのは、修理代や改築費といったお金ではない。どれほどのお金があろうと、人のいない家は貧しい。営みのない家に豊かさはない。
単純な話で、営みというのはそれがなされている場所を豊かにするのだ。
外に働きに出てお金を稼ぐということ自体を否定するつもりはまったくないのだけれど、外で働いているその営みは、外を、つまり職場を豊かにすることになる。定年退職したのに、同じ職場に再就職してしまう人がいるのは、長い時間を過ごした分、自分が職場を豊かにしたという自負があるからだろう。職場の豊かさのために自分の時間を費やしたという実感がそうさせるのだと思う。
そんなわけで、みんな、もう少し、家にいるということが成し得ることを見直したほうがいいですよ。と、ほぼ一日中家にいる僕は主張したい。今という時代、家にいることが過小評価されすぎているように思える。もっとも、気分転換は必要だけど。
家でなくても、その場所を豊かにしたいと心から思える場所があるのならば、その場所で営む時間を増やすことにどんな後ろめたさも感じる必要はない。たっぷりとその場所に自らの養分を滴らせていけばいい。
家でなくても、その場所を豊かにしたいと心から思える場所があるのならば、その場所で営む時間を増やすことにどんな後ろめたさも感じる必要はない。たっぷりとその場所に自らの養分を滴らせていけばいい。