無文字社会では同じことが話されていたのではないかと思う。
毎日、同じことを話し、毎日同じことを聞く。
季節が変わっていくとそれが少し変わってくる。
やがて季節が一巡りするとまた同じ内容の会話に戻る。
子供たちは毎日、毎年、同じことを話す。
青年たちも毎日、毎年、同じことを話す。
大人たちも毎日、毎年、同じことを話す。
老人たちも毎日、毎年、同じことを話す。
子供が青年になっていくとそれが少し変わっていく。
変わっていって青年の話をするようになる。
青年は大人になり、やがて老人になっていく。
一生が終わって、また生まれてくると、
子供の話からやり直す。
人々は、誰もが同じ話をしていることを知っていて、
しかし、それが当然であるとして聞く。
共同幻想としての会話。
こういうことが起こっている時間を円環的時間というのかもしれない。
実はほとんどの部分では無文字社会と同じように
同じことを円環的に話しているし、書いてもいる。
ただ、文字というものは、
それが過去に書かれたものと同じことであるということを
厳密に突きつけてくる。
そこから、過去から少しだけ変化を生み出そうという意志が生じる。
たとえばそれが文学というものの誕生ではないだろうか。
全くの憶測だけど。