June 1, 2015

【言葉の記録5】コトバのキロク公開収録その2 第3回

第3回 成長のみに頼っていく浅はかさみたいなものを感じてきている。

(沈黙1分30秒)

小林:
ちょっと関係ないのかもしれないけど、
どっかで繋がりそうな気もしつつなんだけど、
やっぱこの舞台設定が面白いなと思ってて、
めちゃくちゃ安心してこの箱
(小林・大谷と参加者を隔てるように置かれたマイクの置き台)
の後ろにいられる感じがして、前回と違ってね。

このままずっと黙っといたろうかなということさえ、
強気に思えたりして、
この場の居心地がそんなに良くないですと言われたとしても、
全然、ここ(箱のあるライン)でカットされてる感じがあって、
ほんとこれ一個だけなんだけど、ものすごい意味を持つなと思って。
間にあるとね。

前回は、それがそのままストレートに僕とか大谷さんの感覚に
入ってきたんだから、ごちゃまぜだよね。

なんかさっきの儀式みたいな、これ一個置くか、
置かないかみたいなことでも、
場を開くとか場を持つとか言った時に、
文字が読めなくなっちゃうみたいな、
なんかそういう要素ってあるなぁって思ったりして。

昨日も大学で大学生相手に研修して、
学生団体とかそういうので頑張ってる人向けの研修をやってきたけど、
そういう予め、その場合は設置されているものがある状態だよね。
そこから何を取り除いて、
新たにどういう舞台設定みたいなのを持ってくるか、
そういうのを配置できる人が、
舞台設定とか場を開くみたいなのに興味があるんだなと思ったりして。

そういう環境を設置できたらもう、
あとそこで何をやってももうそんなにおっきな結論変わんない気がして。

だから武道でいう型とか能とか芸能の世界でも型と言われるのは、
その型によって全部動きが
決まっちゃうからなんだろうなぁと思ったりして。

そういう意味で最大限昨日もそういうふうな場作りをしたし、
すでにある構成されているものから、
できるだけ非構成的にというか僕が僕のまま関われるような形で、
そのまま関わりきったんだけど、
やっぱりどっかこう設計にミスというか、
もう一個僕が見えてないなんか設定があった感じがして。

今までは、
僕がどうやったらあの場がもっとうまくいったんだろうとかいって、
結構反省モードになるんだけどなんか、
僕がうまく出来たかどうか、
僕の振る舞いがどうだったかとかそういう、
個人に所属するような、
僕の能力が高いからうまく出来ましたっていうこととは全然関係ない。

この箱一個置くかどうかだから。
ま、それを置けるかどうかみたいな意味での能力と言ったらそうだけど。
これは能力じゃないよ、だって、箱を持ってきておいてるだけだから。

その考え方とか人間観とか、深まる感じ、
もう一個僕が深めるために
何が見えていないんだろうかみたいなところに興味があって、
成長というと積み重なっていく感じがあるんだけど、
そっちじゃないなぁと思って、
その限界というか浅はかさというか、

成長のみに頼っていく浅はかさみたいなものを、
この6年とか7年とかそのレベルで感じてきているので、
そういう意味では全く別のベクトルというか、
深めていくベクトルに興味があって。

昨日もマネジメントとかファシリテーションとかが大好きで、
いろんな人のやつ見ている人からしたら、
なんていう下手な場の仕切り方をしてるんだと、
たぶん見られているようなやり方をしてて、

大谷:
うん。

小林:
事実僕、そういう技術に関しては
どんどん下手になってるなと自覚もあったりして、

大谷:
うん。

小林:
学生が見るに見かねて
「僕、模造紙に言ってること書きましょうか」とか
何人か手伝ったりして

大谷:
うんうん。

小林:
ありがとう、助かるとか言って、
全然それに平気で甘えられちゃう自分みたいなのも
ちょっとおもしろかったりして。


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