ぱーちゃんのブログを読んで思い出した。
その人がどういう人なのかということを僕が説明できることを僕はその人の行動原理と呼んでいる。
ぱーちゃんの行動原理は「助走をつけない」。
けんちゃんの行動原理「行動が先に立つ」。
その人がどういう人なのかを説明するものとして例えば、優しいとか正義感があるとか正直であるとか決断力があるとか、そういう言葉が使われることが多いのだけれど、僕にはこういう類の人の性質を表す形容詞が「いつもそうであるとは限らない」という理由で受け入れがたい。
もちろん、ある人のことを優しい人だなと思うことはあるけれど、それはその時、その人が優しいと僕が思うような表層を見せたということにしかならない。
一方で、僕が行動原理というふうに言っているものは、何かに邪魔されない限りは基本的にその人はそのように行動するというもの。行動を引き起こす原理。結果としての行動の内容や性質についてではない。
不思議なことに、その人がその人の行動原理にしたがって行動した時には、ほぼ間違いなく問題となるようなことが生じないように見える。それどころか、その行動によって引き起こされるかもしれない不都合というものそのものをその人は考えてもいないようにも見える。つまり、不安がない。
その人にとって他にどうすることもできないようなもの、拭い去ることも付け足すこともできないものである。年齢によって少しずつ変化していくものかもしれないけれど、子供の頃から大きくは変わらないと思う。
行動原理が見える人について、僕はその人のことが好きで、つまり、魅力的にうつる。その人がその原理に従っている限り、僕はその人の行動を無条件に受け入れている。