たとえばこんなふうに書いてみる。
どんなふうかというと、
まさにこんなふうに、
今こうして書いているように、
書いてみる。
こうして書いているともうすでに、
いくらかのものが書かれているのを
読むことができる。
読んでいくとやがて、
今読んでいることが今書いているところに追いついて、
今読んでいるところが今書いているところになる。
さっき読んでいることはさっき書いていることで、
今読んでいることは今書いている。
さっき書いたことを今読むと、
こんなふうに書いてみるということを
さっき書こうとしていたかのように読めるけれど、
そうではなくて、
今書いたことを書き続けているうちに
こんなふうに読めるものが書かれている。
書くということと読むということは、
同時にできるし、
書いたことを読むことは、
書いた時から、ずれて読むこともできる。
だんだんと書いていることが長くなると、
そのずれは大きくなっていって、
さっき書いたときの書いていた気分は、
ずっと遠くになっていて、
さっき書いたところを読んでみると、
その遠さが際立つ。
今こうして書いていることは、
今書いているこの一文字の、
次の一文字のことを見ているから、
今こうして書いた一文字はもう書いた瞬間から
たちどころに後ろにずれ始めていく。
ずれ始めた文字たちから発せられる信号のようなものが合わさって、
それが波のようになって、
その波が追い風になって、
次へ次へと文字を書くことを駆り立てるけれど、
ふとした時に、
その風は消えてもう、
次の文字は現れない。
そうしてまた、
風を感じたくて、
さっき書いたところを読む。
読んでいるうちに、
また風が立ってくるけれど、
それはその読んでいるところを
書いていた時に吹いていた風ではなくて、
別の風で、
別の風は過去の風で、
そのことがわかっているから、
もう切ない。
こんなふうに、こんな風に書いてみる。