June 18, 2025

表現研究会第5期のお知らせ

自分の好きな作家や作品を全力で精一杯、説明してみるという「表現研究会」を2022年からやっています。

この6月で第4期が終了しました。少しお休みして8月より第5期を開始します。

好きなものについての話を真面目にやるという機会自体、意外に少ない気がします。それをやってみたらどんな感じになるのか、関心のある方、ぜひエントリーしてください。

表現研究会

May 23, 2025

連休後くらいから5月下旬ごろ。

病院への道中。

出産が近づいてきたからかなんなのかわからなけど、産まれてきてどうかるのか、どれくらい元気で生まれてくれるのか不安になったりもしていた。
このひと月ほどそんな不安はあまりなく、入院なく家で過ごせるかどうかの方が目の前にあって産後のことはあんまり気にできなかった。

家からあまり出ずで、入院かも、と気にしながらの生活は落ち着きはしない、疲労もある、なのにこれはこれでひと月も経てば安定するんだなと思う。とらちゃんが生きてくれてて、名前もついて、なんとなく一緒にいるのは楽しかったりもするから、生まれてきていなくなるかもと思うと先に進むのも緊張する。

いろんなことがあってすごい長い時間を一緒にすごしてる感じがして、妊娠期間としては結構幸せだったのではないかと思った。
2人目のようちゃんの時は、初期の出血と入院をのぞいたら順調で安産でなにも覚えてないわけじゃないけど書き残したいようなことはあまりなかった。

こんなふうに困ることでもなければ、ここまでいろんな人に頼ることもなかっただろうし、頼ったら助けてくれる人がいるということが実際に起こって経験してしまうということは、価値観や今後の人生を変える出来事かもしれないと思った。
人生が変わらないなんてことは、どんなひとりの人間(特に自分の子となればなおさら)との関りのなかにもないのだろうと思うけれど。

でも、そもそも正常ではなく異常だと言われている子との生活だったからやっぱりこれまでにないことをいろいろ考えたと思う。異常(マイノリティ)の意識というか。人に話しながらなんだかきっと理解してもらえないだろうと思うことがベースに侵入してきた。
それで、自分がこれまでどんなことをしていてもマジョリティの意識でいたんだなと逆にわかった。


診察が終わった。
来週は2回目の羊水除去。
相変わらず、頭は大きくなっており骨盤から出ない可能性もあるので前回の健診で予告されたとおり帝王切開を視野にいれつつになった。

帝王切開になる条件は今のところ大きく二つで、頭の直径が10センチを超えることと、とらちゃんの心臓が弱いので経膣分娩の方向で一旦行ったとしても耐えれそうになければ帝王切開への切り替えとのことだった。
その他、予期せぬ事態はまた当然別にあるだろうけど。
経膣分娩にしても、家で自然に陣痛を待つのは羊水過多だとリスクが大きいので入院して誘発を行うとのこと。破水したときに、いろいろ危険の可能性があるそうで、胎盤はがれちゃったりとか。
ようちゃんの時の出産が突然の破水から始まっているので、この点は自分でも不安だった。そもそも、どんだけ水でるの?みたいな単純なことも含めて。

そんな感じで羊水が多すぎるまま分娩もよくないみたいで、しかも水が多いと逆子になる可能性高く、それも含めて羊水除去にはなった。
帝王切開なら37週に入る6月8日以降の早い時期に、経膣分娩でも予定日より大分早い出産になるんじゃないかな。


芸術祭が終わってからしばらくしんどかった体調は、その後なんだか少し落ち着いてたけど、本格的に重くなってきて寝がえりなど大変。腰にもきている。息苦しさは大丈夫かと病院では聞かれるけど、それはほぼなく、胃が気持ち悪くはるけど食べれないというほどでもない。運動はほとんどできてないので、帝王切開でないとしたら、こんなんで出産の体力もつのかと不安になったりする。


来週の羊水除去の入院の話のことだったかなんだったか忘れてしまったけど、ようちゃんが「みおちゃんととらちゃん病院行くの。ようちゃん、ひとりぼっちになっちゃう」と言っていた。
妙に絵本っぽい言い回しと思ったけど、ようちゃんは聞き知った言い方を、しかも割と劇的なやつでも、試すのが好きだからそうなんだろうなと思う。
その時は、一人じゃないやんと突っ込んだ気もするけど、寂しいとかそういうニュアンスをちゃんとつかんでるんだろうなと思った。
それを言った直後には、あらたと絡んで笑い転げていた。大したことじゃないのか、と思う。と同時にまあ、何かで頭のなか一色なんてことの方が実はあんまりないことなんだろうと思う。うちもとらちゃんのことは頭にのぼるけれど、他にもいろいろあって忘れているようなときもそれなりにある。でも全部完全にバラバラにあるわけでもなく、いろんな形で結びついているとは思う。





May 13, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭に関する記事の紹介。

 第5回まるネコ堂芸術祭、今年は来ていただいた方、記者の方、そして出展者の方もいろいろ書いてもらって、なんか嬉しかったです。せっかくなので私が見つけた範囲ですが紹介したいと思います。


「2025.4.20 - 2025.4.26」

「点滅日記」より

まずは、来てくださった方のブログ。
ラジオも確か全部聞いてくれていて初日に来場。まるネコ堂芸術祭のことを特にとりあげて書こうというブログではないんですが、日々の出来事のなかで記録してもらったのは特別な感じ。ラジオは広報のためにと思って始めた。うちうちで出展者の話をある種フォーマルに聞くとてもいい機会にはなったけど、やっぱりリスナーがいるのはありがたく、会場に来てくれて嬉しかった。


【宇治市】一軒家をリノベーションした独特の空気感の中、芸術作品を芸術家と共に楽しめる「まるネコ堂芸術祭」が開催

「号外NET 宇治市城陽市」より

開催前に宣伝もしてくださり、初日のオープニングパーティーにいらしてくださいました。忙しい中ありがとうございます。事前にこのブログやサイトも見てくださっていて、写真もたくさん掲載してもらい丁寧な記事が嬉しいです。メディアに掲載してくれるからというだけでなく、来てもらえるのが嬉しい記者さんです。


まるネコ堂芸術祭は、見るよりやるのがたのしい。
まるネコ堂芸術祭から帰ってきた。

「佐川友美 ーSAGAWA TOMOMI」より

出展者の佐川友美さん、さがちゃんのブログより。
さがちゃんとは芸術祭以外でのかかわりもあるが、より濃厚になって過ごしているのがたのしかった。芸術祭を楽しんでくれる中で、まるネコ堂の生活というか、私たちの一つ一つの生活での選択をまざまざと観察している。それを文章にしてくれているのがパンチがある。こんなふうに書く人は少ないかもしれないけど、思っている人はそれなりにいても不思議じゃないと思った。そういうことを書いちゃう露骨さがさがちゃんの文章の魅力かもしれない。
ニューヨークに引っ越すかもということでカーテンの出番が短くなってしまうのではないか、意外に早い作り変えがあるのか、その辺もちょっと気になる。


「N!」より

出展者の西村眸さん、ひとみさんのブログより。4部作の大作。
個人的には①を結構面白く読んだ。すゆみさんのワークショップに参加した時の感想だ。やることとしてはピアノの生演奏を聴きながら絵を描くということで、そのことは前から知っていたが私は参加しなかった。ひとみさんが音楽を聴いてもほぼ何もイメージできないというようなことを書いているけど、窓越しに音楽を聴きながら私もなにも思い浮かべられなかった。そこから何かしよう、何か考えようと試行錯誤するひとみさんの記述になんだか突きつけられた。うちだったらそんなふうに楽しめただろうか。そういう機会があれば楽しんでみたいと思った。④のふりかえりの果敢な感じも印象に残った。


すゆみさんの5月7日のInstagramの投稿

「@sakana_no_suyumi」より

出展者のすゆみさん。本当にエナジェティックで、投稿に付された文章もそういう力を感じた。完成度ということの前に、やりたさを素手でつかみ取っていく感じがする。私とほぼ同じ予定日で妊娠されていて、体調不良もろもろで低空飛行気味だった私から見るとめっちゃ元気で体力があるように見えた。芸術祭にも4日間、どこかの時間は会場におられた。そこにはこの8年やそれ以前の経験が下支えするものがあるんだろうと思う。そういうことを思う展示でもあった。制作の進展もだけど安産もお祈りしてます。



こういう文章を読めるのはとてもありがたかったです。
紹介記事以外も、面白い文章や写真を掲載している方ばかりなので是非是非フォローしたり、他の記事も読んでみたりしてください!






May 11, 2025

ちょっと久々の妊婦健診。

2週間ちょいぶりの妊婦健診があった。
朝、新とようちゃんに今日は病院行くと言うと、ようちゃんが「みおちゃん、病院(行くの)いや」と言っていた。最近抱っこができないし普段は本当に私は人気がない。「みおちゃん、いやーーーーー。たかがいいのーーー。」と走って逃げることもしばしば。それでも、そんなこと言うんやなと思った。羊水除去の時に一泊帰って来なかったのをよく覚えてるのかも。

羊水が多いのはしんどい、けれど出来れば羊水除去の2回目も避けたい。ちょっと前からとらちゃんに羊水を飲むよう頼んでみた。
無理なお願いなのか、それならやってみようと思える範囲なのか、とらちゃんの体調は不明。あらたとようちゃんも、時折一緒に頼んでくれる。2人はとらちゃんとの交流は、私のヘソ越しが一番効果的に思えるのか、ヘソをマイクのようにして話す。羊水過多だし、お腹パンパンやからもうほぼ平らなおへそになっている。


病院ではとらちゃんの心エコーの2回目。
この検査が結構疲れる。
1時間近くエコーを取り続ける。
流石に2回目で、その辺も知ってるので遠慮なく寝ていたけど、動かないようにと緊張はするのでぐったりする。
結果は1回目と特に変わらずで、左右の心室の間に穴がある。手術が必要な可能性は高そうだけど、詳しいことは生まれてみないとわからない。


心エコーの説明が終わると、妊婦健診。
こちらもエコーをして、子宮口はちゃんと閉じてる、との言葉にとりあえずほっとする。今日も帰れる。
羊水除去の提案があるかもと思ってたけど、うちが苦しくなければ様子見でよいようだった。気持ち悪くなることもあるけど、耐えれないほどではないのでそう伝えた。

とらちゃんは頭がかなりでかいようで、今後様子を見ないとわからないけど、骨盤を通らない大きさになったら帝王切開だそうだ。念のため帝王切開できるよう今後の検査など予定していくらしい。いろいろ体調には問題がありそうなとらちゃんなので、なにかそういう理由で帝王切開はあり得るかと思ってたけど、まさかそんなわかりやすい物理的な理由で帝王切開とは。
どうやら他には、帝王切開をしないといけない理由は今のところないみたい。今後そんなに頭ばっかり大きくならないといいけど。

そっから、事務処理がいろいろあって、更に自分の心電図。
心電図なんか妊娠中にやったの初めてでこんなのするのかと思った。そっから会計で、なんやかんやで4時間くらい病院にいた。

帰り際、駅まで歩いている途中なんだか疲れていた。急に「京都 蔦屋書店」でやっている山口真人展のことを思い出してしまい行きたなった。ここからさほど遠くない。いくら理由があるとはいえ、毎回のように長時間の病院にまったくやさぐれないわけがない。展示見たいなぁ。なんだか疲れて甘い物が欲しくなってしまった時の感じを思い出す。行っても大丈夫じゃないかと思ってしまったけど、そんな事でなんかあれば結構後悔すると思ってやめておいた。
見たかったなあ。また機会があれば。


生産期に入る37週まで、だいたい4週間になった。羊水過多は早産になりやすく、入院も覚悟してと言われたのが3月末だったので、なんとか一カ月ちょい耐えた。

いったいとらちゃんはどんな人なんだろか。
せっかくなので、これからの生活のことを長期的に考えてみたいと思ってたけど、家にいれる間にやれることはやりたいと思うと目の前のことに走っている気もする。


夕方から母が来てくれてしばらくしてようちゃんが帰ってきた。「おかえり」と声をかけたけど、ようちゃんは一目散に母の方に走って行った。




May 9, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭レビュー、その2

他の出展者の作品への感想です。

オニィ・ワールド

大谷 美緒(「あんころもち」)

6歳のアラタが描いた鬼の絵を元にしたLINEスタンプやシール。「芸術作品」というよりももっと、気軽、気楽、身近、チープなところに表現の領域を作り出している。「作品を作ること」が主目的というよりも、「作り続けたさ」を自分(達)に与えようとしている。作ることを継続するために綱渡りのように断続的に成果を実らせていくスリリングさ。
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ZINEつくってみた!

西村 眸

写真、イラスト、テキストの混じったzine。写真のシャープな印象とテキストのちょっと不思議な感じ、イラストの可愛らしさに色々な自分自身が表現されている。それぞれの異なるキャラクターが入った「雑誌」的自分。自分を部分として扱わないでいる。トップの写真は展示場所でもあるその部屋を最近写したものなのに、なぜか異国情緒や遠くの憧憬、懐かしさを感じさせる。
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からだを感じる 見ている意識

宮後 りさ

展示空間の構成が練られている。突き当たりの薄暗がりに浮かび上がる青い絵が、展示方法と相まって印象的。今回は絵画がメイン作品だろうけれど、インスタレーションをやっても面白そう。冊子の形で提示されたテキストは固有名詞が説明なしにどんどん出て来て、隙間が多いが、生身の正直な感覚が描かれていて独特のドライブ感を持っている。読んでいる側が積極的に埋めようとして文章に引き込まれていく。
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私とカーテン、付き合いたて

佐川 友美

布の質感がとても良い上質なカーテン。こうして作品として提示されると、これまで僕がカーテンというものに「貧相な役割」しか与えて来なかったことに気付かされる。美術作品としてのカーテンと言うと柄やレースといった装飾的な要素を思い描いていたが、無地で生成り、シンプルな縫製がとても機能的で美しかった。日差しの透け具合が絶妙。手縫いであることを納得させる存在感がある。たしかに、カーテンとも長く一緒に過ごしていけるとうれしいなと思った。
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波を乗せて、海は、まわる

今井 雅子

昨年まではモビールを作っていたのに、今年は起き上がりこぶしなのか、とちょっと驚いたけれど、作品を見るとモビールと同じ雰囲気があり、実は同じ「ジャンル」になり得るのかと発見があった。物理的運動と美的造形の重なった場所を、一つの表現領域として提示している。風鈴や風車なども同じ場所にあるかもしれない。揺れと光・色が重なるアイデアを形にする制作技術の洗練を感じる。
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さかなのすゆみー星になる 〜アートは自分から自分へのギフト〜

すゆみ

一部屋全てを作品で埋めるパワー。溢れる色、形、物語が、躊躇いなく表に出ているように思える。貪欲さや欲張ることを肯定している感じがすがすがしく心地よい。やってみたいことに果敢に挑戦していくことやその結果の失敗、挫折に苦しむこともすべて内部に含んだ、力強い肯定的な赤い部屋。

狭間に揺れる情景

濵田恒太朗

昨年までの「ヨハネの黙示録」シリーズを現代の自分自身の境遇の中で解釈し直している感じ。日常の中の東京の街並みを、黙示録的に見える瞬間として捉えているようにも見える。そういえば僕も、何年に一度、ものすごいとしか言いようのない夕焼けに遭遇して、「あの夕日に見える赤い球体は、実は、遠方で炸裂した新型爆弾なのではないか」と身震いする時があるが、それを思い出した。制作過程の「うまくいかなさ」を露呈した冊子が添えられており、そのメイキング・プロセスに独特の魅力があるが、完成した油画作品が与える印象とズレがあって、それが一致してくると、さらに奥行きがでるかもしれない。

祈り

山本成実

内容的には、「自分なんて」という「隠れている」表現だけど、選ばれている画材は、しっかりした製本のMDノートにペン。一度書いてしまえば、失敗したと思っても、書き直したり、ページを破ったり、別の色で塗り込めたりできない。あたかも下書き無し、推敲なしで、いきなり書きつけたかのように見える。独特のリアリティとみずみずしさがある。


どの作品も何かを感じたり思ったり考えたりと触発されるものがあり、この作品たちが存在するなかで過ごせたのは有意義でした。

May 8, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭レビュー、その1

西村眸さんがブログで芸術祭の振り返りをしていて、それがとても良かったので真似します。

いろいろと考えることがあったので、第5回まるネコ堂芸術祭について、書き留めておきたいことを残しておきます。

芸術祭期間中について

前回(第4回)までは、鑑賞の邪魔をしないほうが良いのではないかと、観に来てくださった方の様子を伺っていたところがあったけれど、今回はできるだけ喋りかけてみることをやってみました。自分の作品についてだけではなく、他の出展者の作品についても僕なりに思うことや感じることを勝手にしゃべりました。

結果どうなんだろうか。鬱陶しがられていたかもしれないし、そうでもなかったのかもしれない。それぞれの鑑賞者にとってどうだったのかは正直なところよくわかりません。

でも一つ確実に言えることは、僕自身はとても楽しかった。

自分が話をしたり、なにか言ってもらったり。それに対してまた何か考えて話す、そういった複数のやり取りができた。しかもそのやり取りはほかでもない、自分自身の作品や表現、一緒にやってきた仲間の作品を通してだった。

とても幸せだった。

自作品「アラタ文字によるポスター用手描きラフ」について

今回の自分の制作を通して得られたも最も大きいことは、自分が表現したいと欲する漠然とした雰囲気を、最終的に作品として成立させるためには、形式やスタイルというのが重要なのだと実感できたこと。

形式が重要なのだということは理解はしていたけれど、形式の持つ重要性の、一体何がどう重要なのか、という実感はあまりなかった。今回とりあえず、その重要性が、要するに「作品として成立するかどうか」という判断そのもの結びついていたのだ、と思えた。

いただいた感想から、「手応え未満、記号成立未満の感じ」について。

ありがたいことに作品に対して沢山感想をいただいた。すべてとても貴重で、大事にします。ありがとうございます。

そのなかで一つだけ挙げると「フレームを傾けると文字がばらばらと落っこちそう」というものが印象的だった。これは全く想定していなかった。けれど、そう言われて見れば確かにそうで、自分でも驚いた。

後付で考えてみると。

アラタ文字は見様見真似でアラタが見本を模写したもの。正規の文字学習で「文字として練習で書いたもの」とは異なっている。現に、この春から小学生になって国語の時間でアラタはひらがなを点線をなぞるようにして練習しているが、「アラタ文字」のようなものは書いていない。

アラタ文字は、文字が文字として確定される以前の、固定化前の図像で、それがかろうじて文字としても読める状態。記号というもの自体がまだ、アラタのなかでも完成していない「これで字(記号)になっているのだろうか」という不確定な感覚で描かれていた。その仮止めの感じが、画面を不安定にさせていたのかもしれない。

「こんなんでいいのだろうか」。何かを確かに手に握ったという「手応え」に至る前の感じ。とても興味深い。この感じをもう少し進めてみたいと思いました。ありがとうございます。


May 7, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭。「あんころもち」をやって。

第5回まるネコ堂芸術祭が終わった。
出展者での振り返りが終わって、いよいよ終わったなぁという気分が。

寂しいなぁと思うくらい楽しかった。
今年の2月3月はあらたが保育園の卒園で、大変そうだった。4月になって学校を楽しみ始めた新が「小学校、楽しいな。でも、行く前は楽しいって知らんかってん」と言っていた。

第6回も開催するつもりでいる。作っていくのは自分たちだけど、やる前から楽しいかどうかわからないのは一緒やなと思った。前が楽しかった分、次はどうなるんやろうという気持ちもある。誰が参加するのかもわからないし、同じ人でも去年と今年では事情も、やることも違う。
次も楽しんでいけたらなと思う。

オープン前に出展者でのオープニングミーティング。残念ながら、あんころもちの新は不在。

初日に、出展者が集合することはこの2-3年普通のことになってきたけど、コロナの頃に始まった芸術祭なので、最初にみんなが集まった時の感慨をいつも思い出す。それに遠方からもこうやって駆けつけてくれることがありがたい。
残念ながら新は学校行事が重なり今回不在。

芸術祭全体のことや出展作品に関して書きたい気持ちもあるけど、とにかく自分のやったことについて書いておきたいと思う。

ちなみに、芸術祭サイトではこんなふうに作品案内を出しました。


今年は「あんころもち」というユニットを6歳の息子の新と組んで出展。
正確に言うと二人で出展することを決めてから、ユニット名は決まった。
新が、説明の文を書いたり、考えたりしたことを発言するということは今は難しく「あんころもち」の外相・広報はほぼわたし。新の弁明は、いつか聞けることがあれば教えて欲しい。

ちょっと話はそれる感じもするが、大学の時に作品があるといろんなことが思い出せるなと気づいた。この絵を描いた時期、こんなことがあったなとか。絵を見ても思い出すけど、記憶というのが絵に絡まってある感じがして、いろいろ思い出したときに絵のことも絡まって思い出してしまう時がある。
周りの反応や、照れくささやそんな感情も引っ張り出されてくれる。

今回の作品、制作の日々をどんなふうに未来に思い出すのか楽しみだし、きっといろいろ思い出せるような期間になったであろうことがすでに結構嬉しい。

しかし正直、開催時期が近づくにつれて喧嘩を連発していた。まあでもそれを思い出したくないことは全然ないし、あんだけ喧嘩したのに、「あんころもち、一旦終わりやな、お疲れ様。」とあらたに言うと、「まだ終わってないで」と返ってきた。


作品の完成度みたいなところの意識が新と私では違うので、その辺が合わせきれなくてヤキモキすることは多かった。「もうちょっと」と思うと何回でもやり直したい気分になるときもあるけど、新はそういうことはなかった。「やってみる」ことの方が大事で楽しいことのようだった。
自分がイライラし始めると、「ああ、この辺に自分のこだわりやら、譲りにくいことがあるのね」とわかるようになってきた。そういう自分自身を知るのに、外部からの圧力があるのはユニットを組んでいることの利点だろうと思う。
新は「やってみる」から「作品完成」までの距離が随分短い。もう、「やってみたものは作品完成」くらいの距離だ。でもなんかその瞬発力はそれはそれで見習うところがある。



新はそれなりに興味を長期間引っ張れる人だと思うけど、興味の持ち方や継続の感じも違うなと思った。この辺はどううまく行ったのかわからないけど、ずっと楽しいものを作りたい。楽しくやりたいという感覚がわたしにあった。子どもがなにか熱心にやってるときは何らかの楽しさともなっているという姿を見て来たからだと思う。
結果的に作ったものがLINEスタンプとシールになったのもそれが理由だと思う。
LINEスタンプは手っ取り早さもあってやったが、新はLINEを使わないという事実が出来上がってからあんまりだったなと思った。うちは楽しく使っている。
シールは楽しかった。出来上がったものを見て反省があったり、遊びがあった。
実際には、一時的に面倒になったりしつつだけど、沈んだり浮かんだりしつつ進んだ。


4月の月1のミーティングで制作途中のものを見せびらかす。


芸術祭が終わってから次はこんなシールやりたいと、新のリクエストがあり、それも作った。それはもう発表するものではないと思うと、あらたの好きにデザインさせてそんなにやきもきもしなかった。自分たちで作れるおもちゃが出来た感じがして楽しかった。そうだ、絵本作りが頓挫しているが絵本を描きたかったのも、自分たちが読む・遊ぶ絵本が欲しかったからだった。

芸術祭2日目から在廊した新は、お客さんが来るとシールを楽しそうに配り歩いていた。無料(投げ銭歓迎)で配ることにしていた。そういう仕組みも最後の最後で、喧嘩の末の、双方の妥協を経て直前に決まった。無料だから多少無理やりでも気兼ねなく渡すことができた、それは今回よかったと振り返ってみると思う。
シールを渡すとき口下手で説明もあいまいなので、しっかりしてくれよと思ったりもしたが、必死に渡しに行く姿を見て、この制作は新のなにかにはなったんだなぁと思った。

オニィステッカーは、12種類。箱から1枚引いてもらう。どの柄が当たるかはわからない。


原画とか誰かのアイデアをデジタル化していくというオペレーションの楽しみを見つけれたのも今回とてもよかった。デジタルにするときに、こういう風にできるよという自分の技量やアイデアを入れれるのも楽しい。作品の署名はもちろんアイデアを出した人にあるけど、なんだか自分とは関係ない他人の作品だと思わない感じが出てきた気がする。

まだまだやってみたいことがいろいろある。
いろいろ途中であまり締めくくれなかった。



May 4, 2025

今年の連休の考えごと(メモのような)。

芸術祭のあと、また羊水が増えたような気がして芸術祭までより生活がしんどい。
だいたい「増えたな」と実感すると1-2日はお腹の皮が伸びた感じで痛かったり、慣れない感じが困ってしまい。それから5-6日は、少し楽になりなんとなく同じ感じで過ごせて、また「増えたな、しんどいな」という感じの日が来る。

今回はもう流石に結構増えてるのか1-2日経っても少し楽だなとは思えなくなってしまっている。
また、羊水除去になるんだろうか。週末に久々の妊婦健診。約2週間ぶりなので久々でもないんやけど、毎日がとてもながいので久々に感じる。

とはいえ、今日から妊娠9ヶ月に入った。32週目。
なんとかかんとかここまで来れてよかったと思う。
とらちゃんは、羊水過多で胎動は感じにくいけど、それでも力強くなってきている。たまに「しゃっくりかな」と思うような、微細な動きも感じるようになった。
まだ、1ヶ月と少しはお腹で頑張って欲しいと思う。

懸案の一つだった、歯科治療がひと段落した。
順調な妊娠経過だと余裕だと思っていた治療。4月に入ってからは隆に車で送ってもらい、長期入院もなくでなんとかかんとかだった。


4月以降今の事情を話したりすると、できることは言ってと言ってくれる人が多くすごくありがたい。それぞれ事情がある中でこんなことならできると言ってくれたりする。
最初はなかなか言うのも大変で最善を尽くして生まれても1週間で死んでしまうかもしれないのにそんなに大事にすることないんじゃないか、という反応がかえってきはしないかと思う気持ちがあったけどそんなことは今のところない。いろんなことを思う人はいると思うけど、隆や新やようちゃん以外の誰にも伝えていないという状態から少しづつ知り合いに伝えていって、その時と今とは結構気持ちが変わった気がする。大事なことを伝えるということは大きな経験なんだなと思う。
というか、生まれてもすぐ死んでしまうかもしれないそもそも生きて生まれてこれるのだろうかという中でそんなに大事にすべきか1番気にしたのは自分自身だったのかもしれない。仕事のキャンセルもしたし、新も葉もいる中で動けないと隆を中心に負荷が増える。羊水過多で、子宮は普通以上に大きくなるし、静脈留もひどくなるのだろうか。自分の体はどうなるのか。産後の体はどうなるのかという不安もある。
かなり乱暴な書き方だけど、非常に大きな賭け金をかけて‥みたいな気分がなかったとは言えない。
今は、まわりも自分もしんどかったりするけどこれ自体が生きてるってことかという気分になってきた。なにか複数ある未来の選択をしてるわけではないというか。賭けたり、賭けるのをやめたりできることをしてるのではないという感じというか。
大事にして、楽しみにした分、それで何かあった時には辛いのではという気はするけど、大事にして楽しみにできた方が楽しいなと思う。過ごすということの意味が変わった気がする。これは別にとらちゃんのことに限らない。


疲れやすい。羊水過多以外に母体の異常はないようだから、重さの影響は凄まじいんだろう。
今までの臨月よりしんどい。臨月なら、だるいと思ってもどちらかというと意識的に体を動かしたけど、今はだるくて動きたくないと思ったら出来るだけそのようにしている。 
動くのは基本億劫なので子どもに怒鳴ることが増えた。近くに行って話せば済むことがなかなかできない時があるから。声だけでかくなる。


何故か今だにコーヒーが飲みたくない。ときどき飲みたいような気分になるけど、実物を見るとやっぱり違うなと思う。
飲みたくないから飲まなくてもいいっちゃ、いいんだけど、飲んでいた時のおいしかったり、気分がよかったり、一緒に飲めたりするあの感じを時々思い出す。あれができないのは寂しいなと思うようになった。

とはいえ、どんなに遅くてもあと2ヶ月ほどもあれば生まれてくる。しばらくしたら大方自分の身体はもとに戻るんだろうな。どんな生活になってるのかまだよくわからない。





May 1, 2025

4月中頃~まるネコ堂芸術祭まで。

芸術祭前最後の妊婦健診があった。これで大丈夫ならほぼ芸術祭に出れるだろうし、なんかあったらダメだなと思いながら行く。

芸術祭に出れるのも気がかりだけど、そもそも入院になると家がめっちゃ大変になる。多少やっている家事もできない。最近うちは、抱っこもできないし、しんどいからそっけないのもあり人気はないのだが、それでも新も葉も気にするだろうから隆の負担が大きくなる。助けてくれると実家の家族や友人から言葉ももらってるけど、それでも家に居れるのが断然いい。

NST(あかちゃんの心拍やうちのお腹の張りをみる)にMRI(あかちゃんの断面図みたいなのをみるのかな)にと、結構時間のかかる検査を終えて最後に診察があり帰宅できた。
会計と処方箋でそれから1時間以上で、なかなかこれで時間がかかる。

MRIの結果は多分次回。久々に次の受診まで2週間あいた!


芸術祭は楽しかった。
うちがいないかもという想定を結構してもらっての開催だった。なんか自分が頑張るより掃除もしてもらったし、いい雰囲気になっていたんじゃないかと思う。
初日の朝、朝食を作るくらいまではそれなりに動いたけど、ちょっとお腹がしんどくなってきたのであとはだいたい座っていた。

久々に会った友人に顔を見るとほっとしたわとか、思ったより元気そうでよかったとか言ってもらった。

お腹の赤ちゃんのとらちゃんが、18トリソミーの可能性があること、普通に元気でないことは「妊娠してるんですか?」とか「順調ですか?」とかいう話題になるとなんとなく話した方がいい気がしてだいたい話している。
最初はマイルドに伝えようとして、赤ちゃんは元気だけど切迫早産気味と思われたり、心配あるかもしれないけどきっと大丈夫よ(普通に元気な子が生まれるよ)、みたいに返答されてなんだか伝わらんと思ってしまっていたので、だんだん結構がっつり言うようになり相手をなんだかびっくりさせたり、なんて言っていいかわからないと言われたりして、それはそれでこれでいいのかとも考えなくもないけど伝わってはいる気がする。

前は健康であることはいいことだと思っていて、いまでも不摂生とか運動不足とかはよくないと思うけど、そもそも体が弱いみたいなことはまた別次元にあって「とにかく健康であれば」みたいなことを極端には思わなくなった。
芸術祭が始まる少し前はじめて「産まれてくるのが楽しみだな」と思った。というのもそれはとらちゃんに限らず、新の時も葉の時も意識的には思わなかった。それは多分臆病だからかもしれない。
ちょっとでも元気に産まれて家で過ごせればいいな。楽しく一緒に過ごせる仕事や生活を考えて行ければな思う。


芸術祭が終わって、さすがに疲れていた。
宇治市では妊娠8か月ごろに市の助産師や保健師の人との面談をするようになった。ようちゃんの時はなかったと思う。その人たちが来てくれた。
事前アンケートで18トリソミーかもということは伝えて、そうなった時、使えるサポート制度などあるかなど聞いていたのでいろいろ教えてくれた。
産まれてからの子どもの医療費に関してはかなり安価になるようでほっとした。訪問医療でもそんなにかからないらしい。

18トリソミーかもと言われたり、もっと前の時点で羊水検査を進められた時も思ったんだけど、普通に産もうと思えたり迷ったりできることっていうのはいい国だなと思った。
あんまりゴリゴリ調べたわけでもないけど、医療は受けれるわけだし、それなりの病気があったときにはそれなりの支援もあるようだ。そうなってみれば、それでもまだまだしんどいとかはあるんだろうけど。とりあえず、現時点で無理だと思わなくてすんでいる。


芸術祭では新が私と作ったステッカーを熱心に配ってくれた。
12種類あるステッカーを紙の封筒みたいなののなかに入れて箱に入れた。くじ引きみたいな感じで一人1枚引いてもらう。
どの柄が出るかはお楽しみ。欲しい柄が出て喜んでいる人がいたりも嬉しかった。

熱心な新の姿がよかったのか、投げ銭もそれなりにいただいた。うちは新が熱心になれるようなものがちゃんと培われていたのかということにほっとした。それに関しては全く自信がなかった。


April 24, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭、紹介してもらいました。

明後日から始まる第5回まるネコ堂芸術祭のことを「号外NET 宇治市・城陽市」と「Yahoo!ニュース」にて紹介してもらいました。
同じタイトルですが少し違ったポイントで書いてくれてます。紹介ありがとうございます。
今週は毎日のように出展者が搬入や会場のお掃除などに来てくださってます。

準備期間も残りわずかとなりました。是非、お越しください!

第5回まるネコ堂芸術祭

日程 2025年4月26日(土)~29日(火・祝)
時間 11:00~16:00(最終日のみ15:00まで)

会期中のイベント情報・その他詳細はこちらから!

April 22, 2025

表現研究会第4クールのレジュメ

表現研究会で大谷隆が発表したレジュメです。

「junaidaの絵本とゲーム」

2025-04-14 大谷隆

junaidaとは

画家。1978年生まれ。Hedgehog Books代表。京都在住。

知ったきっかけ

僕がjunaidaさんを知ったのは2024年。ロームシアター京都の蔦屋書店で「IMAGINARIUM」の表紙が目についた。この本は間違いないという「あの感じ」があったので、その場で買おうと思ったが、絵本がいくつかあるようなのでそちらも調べてからと思って家に帰り、まず「怪物園」を注文。アラタも葉ちゃんも気に入ってくれた。それから積極的に集めはじめる。画家というよりも絵本作家として。

持っている本のリスト

  • 怪物園」2020 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • 街どろぼう」2021 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • Michi」2018 装幀:Hal Udell
  • 世界」2024 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • IMAGINARIUM」2022 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • 」2019 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)

奥付めくればcozfish。

遊ぶ(プレイングな)絵本

美しい絵であるだけでなく、アイデアがあって、面白い絵。画から離れたところから「見る」「眺める」という視覚的なものというよりは、絵の世界に入って体験する感じがあるのがとても良い。絵の世界で遊ぶ(play)ことができる。

主題が画面の真ん中にあって、そこに視線が集中するといった、消失点のある透視図法的な画面の構図は少なく(そのような絵もあるが)、画面全体のあらゆるところに、何かが息づいていて、絵の中に潜入することで、意識の周囲に絵の内部世界が立ち上がって、そこに滞在することができる。全体を見通すことができず、視界は部分に限定される。物陰が重要。曲がり角の向こうがある。

好きな点の1つ目として、登場人物への〈感情移入〉に頼らずに、表現された世界への〈潜入体験〉を実現していること。むしろ、登場人物の感情表現は、かなり控えられている。それでも〈潜れる〉。このあたりに「現代的な絵本」を感じる。登場人物への感情の〈同化〉とは異なる方向で「ドラマ」を生んでいるように思う。

感情の移入や同化によって臨場感を出そうとすると、「子供向け」のものはどうしても啓発的・教育的になることが多い(大人向けだと露悪的な方向もあるが)。その点でもjunaidaさんの作品は、「正しさ優位」にならざるを得ない「教育啓発」的雰囲気とは違っていて、非生産的な「単なる遊び」の領域にとどまる。善悪基準から自由なところで面白さを実現している。

好きな2つ目。絵本は普通、「絵と文」という構成要素で捉えられる。別の言い方だと「視覚と言語」。でもjunaidaさんの絵本はそのような二分法で捉えるものというより、それより上位にもっと能動的な体験があるように思える。だから、文章がどうこうとか絵がどうこうというだけではすくいきれない魅力がある。

この上位の魅力は、もう少し突っ込んで言うとすれば、ゲーム的な面白さだと思う。ゲームは「視覚や聴覚や言語的なメディア」という言い方よりもまず「積極的なプレイ体験」として意味がある。自分自身が主人公として行動することでそれを実現している。

junaidaさん自身がゲーム好きだったりゲームを意識していたりするのかは不明だが(検索しても出てこなかった)、そういったゲーム的な能動性を誘発する感じがある。ゲームの面白さと似た面白さがある。

「ほぼ日」のjunaidaさんのインタビュー

junaida 僕の場合は、僕の絵を見て空想してもらえたら、うれしいですね。 

junaida その絵の直前直後の場面、このキャラクターはどこから来たのか、これからどこへ行くのか、いったい、どんな性格してるんだろう、こっちのふたりは友だちかな、恋人どうしなのかな‥‥。そういう、絵の前後左右を自由に想像できる余白みたいなことを、つねに意識して描いているので。 

(インタビュアー) お客さんって、そういうことを絵の前で、話してたりするんですか? 

junaida してますよ、たまに。友だちどうしで来てくれたりすると。そんな場面に遭遇すると「あ、遊んでもらえてるなあ」って。

ほんとうにjunaidaさんの絵本は遊びたくなる。「物語の世界に誘われる、ひたる」というよりもさらに一歩進んだ「そこで遊んでなんぼ」感が強い。

持っている作品のゲーム的だと感じる側面

「怪物園」

文字通りロールプレイングゲームのモンスターのよう。ポケモンだったり、古くは「ドラゴンクエスト」の鳥山明のキャラクターデザインも想起する。それぞれの怪物の背景に「設定がある」感じ。横顔、正面などがあって、一つ一つが考えられていて、そのようなモノとしての存在感がある。

「みち」

アイソメトリックな視点で消失点が無い。ゲーム用語的には「見下ろし型2D視点」。迷路のような道を指でたどっていく。ものすごく原初的な「道を進んでいく楽しさ」がある。ゲームのマップ画面のよう。幼児期の記憶として残っている「未知の道」「曲がり角の向こう」「階段の向こう」のワクワクがある。進むだけで楽しい。階段があって高低差があったりするのも楽しい。テキストなしだけど、ストーリーもある。

「世界」

これもテキストはないが、明確にストーリーがある。生まれたばかりの主人公が育っていってあらゆるものと出会い、やがておじいさんになる。自分が世界をそのようなものとして捉えていく。

「の」

junaidaさんのアイデアは、誰も思いつかない斬新なアイデア、というよりもむしろ、誰しもが子供の頃に一度は冗談や遊びとして思い浮かぶような、「普遍的なアイデア」。それを高いレベルで実現している。緻密で過剰な表現力と想像力。

ゲームの話

で、今年はゲームの話をなるべくしていこうと思っています。

子供の頃(70年代から80年代)、小説と漫画とアニメとゲームが好きだった。このうち、小説、漫画(あと映画、テレビドラマなど)にのめり込んでいることに対して後ろめたさはほどんどなかった。

一方で、アニメには若干、ゲームには強い「非社会性」を感じていた。ゲームは、漫画・アニメのあとに登場した最後のサブカルチャー。アニメとゲームは、まさに僕の世代をターゲットにして生み出されたもの。

たぶん今でもゲームは、一般社会的には「最下層のエンタメ=取るに足らない暇つぶし」という「下位」に位置していると思う。「ゲームなんてやってないで・・・」。僕自身、高校生ぐらいで、こんなことをしていてはだめだと思いゲームから距離を取った。それから20年以上のブランクがある。

5年ぐらい前に「マインクラフト(2011-)」が「世界一の販売数(ダウンロード数)」と知って興味を持って調べる。その時、「ボクセル(ピクセル)調の一人称視点なんてマニアックなゲームが世界一で、しかも10年も開発が続いてアップデートされているのか」と驚き、現代のゲームを取り巻く情況に興味を持つようになった。Steamのような世界規模のゲーム配信プラットフォームの存在もその時知った。

ゲームに対する社会的意識は、僕らの時代とは大きく変わっている。極端かもしれないが、今の20代ぐらいまでの人たちには、ゲームは教養(リベラルアーツ、解放のための技術)なのではないか。僕らにとっての漫画のように。

ヒップホップの人たち、ビートボクサーやラッパーもゲーム好きが多い。アニメ好きも多い。大谷翔平さんはフォートナイトでメジャーリーグのチームメイトと仲良くなった。山田涼介さんはapex legendsの「プレデター(上位750人、0.3%程度)」を達成。

80年代のあのころからずっとゲームに真面目に踏みとどまり続けた人たちのことを思うと胸が痛む。プロゲーマーの梅原大吾さんとか。

現在のゲーム関連で興味深い動き 2010年代以降

イェスパー・ユール『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』2016、原書2011

ゲームを学術的に扱った研究書。ゲームの面白さとはなにかを「学術的に」論じ(ようとし)ている。「ゲームの何が面白いのか」を議論する基盤を少しずつ積み上げていって、みんなで「ゲームの面白さ」の話ができるようにしていく。じっくりとした議論の進め方自体がとても面白い。それこそゲームをやってる感じ。少しずつワールドマップが広がっていく感じ。

日本デジタルゲーム学会 2011-

「本学会は2011年4月28日付けで、日本学術会議より「日本学術会議協力学術研究団体」に指定されております。」。ゲーム関連学会が、日本にも。

美術手帖2020年8月号 特集「ゲーム×アート」

今、一番元気の良いアート領域は、たぶんゲーム。未成熟なワクワク感。大きなメディアにあらわれてくるアート情報は、既にアートとして受容されているもの(絵画や彫刻など「過去芸術」)が多いが、現在の美術の内部でホットなのは「ゲーム」なのではないか。もう少し厳密には、現代美術の現在の主戦場は「漫画・アニメ」で、その次が「ゲーム」。村上隆もトレーディング・カード・ゲームを出した。たぶんデジタルゲーム開発もしたい(してる?)のではないか。

『ゲンロン8 ゲームの時代』2018

ゲームについての共同討議。1991年から2018年までのゲーム史年表とキーワード集。炎上した。

森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」2025

6月8日まで開催中。実は今、一番気になっている展示会。個々の作品を観たいというよりは、アートにおけるゲーム領域がどれぐらい「メイン」なのか、あるいは「周辺」なのかの現時点での感じを掴みたい。どれぐらいアートの世界にゲームがはびこっているのか。活性を持っているのか。観に行けそうにないのが残念。

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』1938、ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』1958

「遊び」についての古典。実は「遊び」ついて真面目に論考された本は少なくて、古典はこの2冊が必読。あとはあまりない。哲学の古典としては比較的新しい年代。現代の「ゲーム」が置かれているのと同じような「取るに足らない」位置に「遊び」自体があったということだろう。「ホモ・ルーデンス」はホイジンガが65歳で、ようやく書いた本。「面白さ」を研究することの難しさ。

「絵本が登場するとき」阿部卓也、『ゲンロン17』収録 2024

絵本はもともと書物の一種というより、おもちゃ(玩具)に隣接・連続した存在だ、という側面がある。[94]

絵本は本というよりおもちゃだった。だから「電子化」されにくい。興味深いことに、おもちゃの一種であるゲームはもともと「電子化(デジタル)」されたもので、そこから逆流するように、おもちゃとしての絵本に、「プレイできる面白さ」が流入していることになる。

子供は絵本を何度も何度も、一字一句記憶するぐらい読む。ゲームで言うと、リプレイ性が高い。何度でも遊べる。こういうところも絵本とゲームとに通ずる回路があるように思う。

装幀(ブックデザイン)が重要なのも、おもちゃと考えると納得がいく。祖父江慎さん、藤井遥さんも楽しそうに遊んでいる、いい仕事。

以上


April 18, 2025

4月4日~4月中頃。

公開しようか迷うくせにとりあえずライブで書いておきたいという気持ちもある。

4月4日にお腹の子どものとらちゃんの心臓の検査に行った。
まさか1時間近くエコーするとは思わなくてびっくりした。
左右の心室の間に穴があるらしいことがわかったけど、医師があまりに落ち着いているのでたいしたことではないように聞こえてくる。とういうか、手術でどうにかなる程度ならたいしたことではないように思えてくる。
いろいろ説明してもらったけど、胎児のエコーは当然母体越しなので、生まれてこないと確かなことは言えないらしい。
その後は妊婦健診。とりあえず羊水が多すぎるので、それを抜くために1泊2日で入院することが決まった。

なんだかその日の診察でわかったことは、胎児のことはよくわからないということだった。
方向性は示されてる感じだけど、ぼんやりしている。

隆とようちゃんが一緒に来てくれた。
長時間で、ようちゃんは(とようちゃんと一緒にいた隆は)大変だったと思う。
帰りにスーパーによったらようちゃんは最近気に入っているブルガリアヨーグルトを2つも抱えて出てきた。

気が張っているとなんとなく疲れがわからないときがあるけど、ふとどっと疲れることがあってまあそりゃ疲れるわなと思う。

初めていろいろ知らされたときより少し落ち着いた。気がする。
体も使わないように心がけているというかいろいろ助けてもらいなるべくゆっくりしているからなのか、薬は飲んでるし張りも多少マシ。なんとなく羊水の増加速度も一時期に比べて落ち着いている気がする。

まるネコ堂芸術祭の方はLINEスタンプは完成させて、それだけになってしまうかもと当初思っていたけど、シールデータも完成できて今週来る予定だからそれも展示できそうで嬉しい。

いろいろ助けてもらってありがたい。


去年、京都市京セラミュージアムでの村上隆展に連れて行ったようちゃん。
テーマソングのmononoke kyotoを気に入ったようなので聞かせまくってPVも結構見た。
今朝は「いまちーかない、の本ここ?どこ?」と図録を探す。いまちーかない、はmononoke kyotoの歌詞。正確には「いましかない」。
鬼が見たかったらしく、彫刻の鬼の写真を見せて、満足しないようで、森美術館での「五百羅漢展」の図録の赤と青の鬼も見た。
村上隆の絵って普通に子どもが好きになってしまうものが多い気がする。結構熱心に見る。


羊水除去の日。
駅までタクシーに乗って、さらに病院最寄り駅からタクシーに乗ることにした。送ってもらってもよかったのだけど、ずっと車も酔うので電車でもいいかと。
途中であらたのクラスで一緒だった子のお父さんに会った。通勤途中。降りる駅が同じだったけど、特急では座れないんじゃないかと教えてもらい私は準急に乗った。
目的の駅に着くと改札にその人が立っていて、慣れない駅だと迷ってしまうかもしれないから勝手に待っていたとタクシー乗り場まで案内してくれた。不安な日ではあったし、とてもありがたかった。

病院でしばらく待たされて、急にいろいろ準備が始まった。
せっかくだされたお昼を食べる暇なく、点滴がつけられ、お腹はすいていた・・・しかし、今は食べれないからと下げられてしまった。しかも終わったあとも出てこず処分されてしまった・・・。食欲は健在。
着いてすぐカロリーメイトを食べていたのがちょっと救い。

分娩室に通された。分娩じゃなくても分娩台に乗ることがあるのかとびっくり。
看護師さんの準備がひと段落すると、ぞろぞろと医学生だろう人が入ってきてなんと見学入れて11人体制。いつも診察してくれていた主治医は平然とやるんだけど、いろんな立場で緊張しながらやっている人もいるので緊張する。
ぶっとい針が見えて怖かった。
多分あれで羊水を抜く。

1.5L抜いたところで、赤ちゃん近づいてきたのこのくらいにしときます、と終了。
ほんとは2L抜きたかったけどと言っていた。
緊張したのか37.7℃になっていて、よくあることなのか看護師さんも普通だった。

羊水を抜いたあと、お腹の張りが強ければ入院がのびると聞いていた。
幸い特に問題なく、予定通り翌日退院できた。
入院中に保坂和志の「プレーンソング」を読んだ。作中に出てくる若者たちも実年齢は私よりずっと上なのかと思うと、すでに古典な本に思えた。確か、1990年ごろ出版。

1泊2日で家に帰りつくとあらたが困っていた。
その日あったまるネコ堂ゼミの内容を聞いていて困ってしまったらしい。いろいろ考えることがあったんだろう。

あらたはこの春から小学生になって、思った以上に学校を楽しんでいてなので頑張っている。
ほんとうに思った以上。
朝5時に起きて、夜8時前に疲れ果てて自分で布団にはいっていく。

あらたの濃密な日々の影響をうけてるのか、羊水を抜いた日からすごい日数が経った気がする。
羊水は、また増えるかもしれないし、増えないかもしれない。
増えないにこしたことはないけど、増えたら増えたで仕方がない。
次回MRIを撮るそうで、それで正直なにがわかるのかよくわかってないんやけど、その日に合わせて次の健診もある。羊水の溜まり方とか、子宮頸管の長さとか測ってくれるのかな。子宮頸管が短くなると、早産の可能性が高くなってしまうので、入院を提案されるんじゃないかと思う。羊水は一時期すごいスピードで増えたほどは増えていないようには思う。多分。


こういう話をどういうテンポで書けばいいのかわからなくなったりよくしている。大変ではあるけど、落ち込んでいるわけではない。
もう、ほぼほぼ何かの疾患を持って産まれてくるだろうと思うので、とらちゃんが病気でなければいいと単純には思えなくなった。もちろん、症状が軽かったりするに越したことはないし、病院であればいいと思っているわけでもない。生きて行けるようにできる治療もすると思う。
でも、あまりにそういうことを願いすぎるとそれがいったいそもそもとらちゃんなのかよくわからなくなって、いったい自分が誰と過ごしているのかわからなくなるような気分がある。そもそもそうであるとらちゃんの根本みたいなものを否定するようなところまでいってしまう気がすると違和感があるんだと思う。
こういう気分っていうのを半年前の自分はほとんどわからなかった。だから、上手く言えないし書けないて気分がしてるのかもしれない。

April 14, 2025

「蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影」と「モネ 睡蓮のとき」

 蜷川実花展に行ってみた。写真だと思ってたらインスタレーションばかりで実はがっかりしてしまった。

周りの人たちが「かわいい~」「きれい」と楽しんでいる中、自分は楽しみ方がよくわからなかった。

ようちゃんがいれば・・・「これかわいいな~」「キラキラやな~」「あ!」と指さして喜んで見る。そんな姿を想像してしまっていた。
しかし、私は展示を出た後のグッズショップで写真集を見て癒されていた。これは理解できる、という感じ。

後日、まるネコ堂芸術祭の出展者とそんな話をしていたら、だんだん楽しみ方がわかってきた。
会場はどこもかしこも撮影OK。もうそれはほんとにガチのニナミカスタジオ。
かわいい、きれい、キラキラ、おどろおどろしい、ライティング抜群。そんなセットの中で撮影会を楽しむことができたはず。なんか、それを一人で行って・・・というのもそんなに写真にこだわれない自分としては微妙な話だけど、ようちゃんと行くなら楽しそうだなと思ったあの感じを存分に味わえたらな、味わってみたいな。ああ、余裕があればようちゃんと行きたかった。

何気なくとった写真からだけでも醸し出されるニナミカ風味。


意識していたわけではないというかもう前提として従来のスタイルの作品の出来栄えを吟味しようと出かけて行った。そんな自分とは違った気持ちでいれば楽しめることがあったんだろうなと思う。別の角度の体験というか、蜷川実花の制作の現場に入らしてもらい探索する感じかも。

そんなことに気づけただけでも、とてもいってよかった。
写真とか、色使いはとても楽しかったから、最近はあまり買わなくなっていたポストカードを思わず購入してしまった。

公式サイトの高橋 信也さん(京都市京セラ美術館事業企画推進室ゼネラルマネージャー)のっコメントはちょっとおもしろかった。

蜷川実花の視覚表現は、展覧会を重ねるごとに明らかに進化している。進化への激しい情熱もさりながら、その華麗な表現と共にどこに向かって進化しようとしているのか?

どこに向かっているか、少なくとも傍目にはわからないらしい。
うちは熱心にフォローしてきたわけではないけど、映画を作ったと聞いた時もそんなこともするのかという意外な印象は持っていた。


疲れていたけど次の予定まで時間があり、しばらくウロウロしていたが同じ会場でやっていたモネ展も見に行った。
次の週には転院があって、羊水も多いし無理しないように・・・と言われるのだけど、この時は異常はないと言われていたので、まあ歩いて体力つけるのも悪くないんじゃないのと思ったりして行ってしまったが、振り返ってみればもうこの日しかチャンスはなかったんだな。


何度も見たモネ。「モネ 睡蓮のとき」とタイトルを見ると、「後期のモネだね~」とピンと来るくらいには見て来た。好きだけど流石にもういいかなと思っていたけど絶対会期中来ようか迷い続けるからやっぱり見てしまった。

好きになった時ほどの感激は今はないけど、見たらワクワクするものだなとびっくりした。100年以上も前の作品だからオーソドックスだけど、当時は今流行りの漫画とか新しい配色の絵を見るような感覚に鑑賞者はなっただろうしモネはそういう挑戦をし続けたんだろうと今回よくわかった。色や題材そのものもチャレンジという感じ。

あの睡蓮のある庭は、もともとあったものではなく描くためにモネが造園した。
そこにあるきれいな庭を描いたのではなく、描くための庭を作るのはある種クレージーだと思ったりもした。そして、蜷川実花は撮るためにあそこまで造花を飾り立ててるのかと思うとちょっと似たとこも感じて隣り合った美術展として見ているのは面白かった。


モネの庭について検索していたら『北山村 「モネの庭」マルモッタン』という観光施設を四国に見つけた。モネの庭を日本に再現しているらしい。
本物(?)のフランス、ジベルニーの庭の方は見れるのは知っていたけどこんなのもあるとは!
「モネ イマーシブ・ジャーニー 僕が見た光」という体感型デジタルアート展も名古屋でやっているらしい。いろいろやってんねんな。

なんだかうちが楽しんできたのではないモネの楽しみ方というのがいろいろ出てきている。
うちは古典的な作品の形がすきなんやなというのがよくわかった。それがよくよく意識できたのでこれからいろいろ楽しめそうな気がしてきた。


April 9, 2025

3月末日~4月の頭くらい。

 bloggerの編集画面はpovoの低速でもつながるので外にいるときでもかけることに気づいた。

出産前に終わらせようと始めたちょっと大きな歯科治療。1週間前までは十分終わるつもりでいたのに今はどうなることかと思っている。
今回を入れてあと3回。車で送迎してもらった。

今年で解散するあらたの保育園の保護者会で会計をしている。年末のつわりから自分ではあまりなにもできなくなったが、会長をはじめいろいろ他の人がやってくれた。会計の締めも、ちょっと産前に無理だろうと思っていたら、いろいろ会長が考えてくれてうちでできる作業以外のことを動いてくれることになり持ち越さずに終えれそう。頼もしい。ありがたい。
会は持ち回り制だったのを、4年ほど前に解散の話が最初に出てから有志になり何人かで続けて来た。解散には責任も感じるが、私自身来年はもうできないと感じた。大したことは出来なかったが、ほんとにいろいろ勉強になった。知り合いもできた。

子どもを同じような染色体異常で亡くした方がたまたま知り合いにいた。うちはまだ確定はしてないけど。
聞く前からそうでないかと思っていたらそうだった。一緒にいれる時間を楽しんでとか、大事にとかそんなことをちらっと言っていた気がする。経験者の言葉はなんだか違うというか、そんなに経験至上主義にはなりたくないのだけど、そうやって近い終わりがあるかもしれないものとして捉えられる人はそうそうない。無事な誕生を願うこともそれはそれでそういう気持ちもあるけれど、多分現実的になんともなしにというのは難しい面もあるから、それだけ聞いてたり考えたりしても落ち着かない気持ちがいくらかあるんだと思う。 
胎動が弱い子だと前々からなんとなく思っていたけど羊水が多いせいらしい。エコーの画面で前の健診からほんとにぷかぷかと羊水に浮かんでるなぁという感じになっている。あらたやようの時はえらい狭いところにいるなと思いながら見ていた。

胎動を大きく感じる日があって、それを言うと「よくなったのかな」とあらたが言っていた。それは難しいと説明した。でもその日はうちも、ほんとは元気なんじゃないかなとやっぱり思ったりしていた。
確か3月27日、隆の発案で名前をつけた。あらたは考えていたらしく「とら」に決まった。
漢字だと言っていたけど「虎」なのか「寅」なのか、どっちかのはずだけどまだ聞けていない。

毎日手帳を見るのが習慣化しつつあったのに、際全然見れなくなった。予定の概念が変わってどうつかっていいのかわからない。以前のように使っても仕方ない。ちょっと考え方を変える良い機会だと思う。

March 29, 2025

2025年3月、5月の「みんなで作って食べる」中止のお知らせ。

お申込みいただいた方には先にご連絡いたしましたが、3月30日のうどん作り、5月18日のアイスクリーム作りをともに中止にいたします。

申込んでもらった方や検討くださって方には申し訳ないですが、連絡した方にはご理解いただきありがたく思いました。
また今回初めてボランティアで一緒にやってくださる方も来てくれる予定でしたが、急な中止にもかかわらずまた声をかけてと言ってもらいありがたかったです。

最近まで特に異常はないと聞いていた妊娠経過ですが、子どもにいろいろと異常が見つかり、おそらくその関係で羊水も増えていて張りを感じることが多くなってしまいました。
みんなで作って食べるは、準備や当日結構バタバタと体力仕事の一日になりますので(普段はそれを含めての楽しみですが・・・)ただでさえ子どもの状況がよくないのに破水や早産につながったり疲れをためてしまうことを不安に思い中止を決めました。またいろいろ不安に思うと最後の準備の手も止まってしまってしまうところもありました。

おそらく短期間で開催可能な状況になるとは思えませんので、5月開催を含めて中止といたしました。

最近ははじめてのうどん作りに向けて準備を重ねてきて、一緒に作れるのを楽しみにしてたので私自身も残念です。
また再開できるのを楽しみにしています。

March 28, 2025

受診の行き帰りの電車にて。

転院先の病院の初診があった。

胎児に異常がないと聞いていたけれど、いろいろ異常が見つかり今までの主治医の歯切れの悪さや自分の体調の感じが前の妊娠中と結構違う感覚からいくとものすごく驚く感じがなかった。
でも、そりゃ異常がない方がいいので違和感は「妊娠は毎回違う」という言葉に便乗して、個体差のせいにし、大したことがないことにしたかったんだと思う。

予期はしてたけど、悪くてこの辺だろうと思っていたより悪そうだというところは正直ある。
自分でも今こういう状態にある、とはっきり説明できるほどではない。とにかく、来週も検査がある。

ここまできても異常のない妊娠がうらやましいということは今のところなくて、まだ5か月ほどだけど一緒にいてくれてるこの子がすでに特別で比べても仕方ない。悲しかったり苦しかったりがないわけでもない。
どうやったら楽しくしていけるんだろうか。今後の人生や仕事のことを考える。


次の日午後、なんだかお腹の表面が一部痛くて、それが続くので再度受診にいく。
なんにもないかもしれないけど、そうだとしてそれがわかるだけで全然いい。

張り止めのウテメリンという薬が効いたのか昨日より歩くのが楽。
初診の日は、前の病院に紹介状を取りに行くところから始まり長い1日だった。しかも、内容に誤りがあったからと先日1度取りに行った紹介状の差し替えをとりに行き、わざわざ差し替えを取りに行ったのに新しい病院で内容を確認されたら予定日の記載が間違っていたり、入っていると聞いていたものが入ってなかったりで結局いろいろ問い合わせていた。なんだかがっくり。しんどいのでがっくりが大きい。

そんな諸々の疲れが出たのか張りまくっていた。


今日の診察。エコーで見て特に今どうこうという問題はなく、NSTという胎児のモニターをする。
妊娠7ヶ月でこれをするとは思わなかった。普通は臨月にやるモニター。医師が張っているのを確認。

入院してもいいくらいだけど、子宮頸管は十分あるので上のこどもたちもいるし帰りたいでしょうと医師に言われ帰っている。
でも入院の覚悟はしといた方がいいと思います、と医師。







March 22, 2025

LINEスタンプの販売開始。転院になる。

先日申請したオニLINEスタンプ。審査が通り販売が開始されました。
あっさりその日のうちに承認されてびっくり。

初のスタンプ作りで数もすくないからか使ってみると痒い所に手が届かん、という気分。
8個やと言えることも限られていてもっと数があればなと思ったりしました。

そんなスタンプではありますが、スタンプコレクションに加えて使ってみようという方、購入していただければ嬉しいです。

購入はこちらから。

オニィ・ワールド2025



スタンプネタは「あんころもち」からではないのですが、ちょっとづつ貯めてるのでまた出せたらと考え中。


そんなことも考えつつだけど、緊張しつつも、経過観察ですむかなと出かけていった妊婦健診で特に異常はないらしいが転院が決まってしまい結構混乱。
別の病院で念のため詳しく診てもらいますみたいな話は聞いていたけど、一時的に検査に行くのかと思いこんでいた。出生前診断の話がでた12月末から1月にかけて、今後異常がでなければここで産めるのかは確認していて、大丈夫だと聞いていた。

なので、異常はないという状態での転院なのでびっくりした。
異常はない方がいいのだけど。
「羊水が多少多めかな」くらいのことをエコーを見ながら言っていたけど、今どうこうする感じの話ではないらしいし、「現状異常はないんですよね?」と再度確認したけど、「ないです」とは言われた。
今後なにがあるかわからないし、産まれてからなにかあることもあるかららしい。
とにかくもうお任せしますという形で紹介状を書きますと言っていた。「転院」と書いてしまったけど、まだ新しい病院に診察に行けてないので、自分としてはそこで産むんだという確証が持てないではいる気分。

前は異常なければここでと言ってたのに転院って、なんか説明がし難い兆しとかでもあるんやろうかと全く思わないわけでもない。

そう言ってもしょうがないけど前に行ってた話違うやんとか、次の病院はいったいどんなのなんだろうか・・・とかごちゃごちゃ考えて結構疲れた。

行ってみてどう思うのか全くわからないけど、今はなんだかちょっとわけがわからない気分になる。
異常があれば、なんとかなるなら是非すぐにと思うんだろうけど、その辺のリスクの感じが今一つピンときてないんだろうと思う。

出生前診断のときも、情報や知識不足だと思える中でとりあえずクリニックの受診を決めた。あの時の感じを少し思い出す。あの時は選択権はこちらに委ねられたけど、今回はそれはなかった。

進んでいけば今のこともちょっとすっきり見えるのかなと思う。
とりあえず、初診がまだなので。

March 18, 2025

LINEスタンプの審査に申請した。

スタンプを作るとかれこれ数か月は言っていたのに審査があるのはよくわかっていなかった。そりゃあるよね。データの作り方だけざっくり調べて突き進んできて。この間の土曜日にやっと審査があることを知る。
売り上げの分配率も全然調べてなかった、一応調べる。

なんか以前だったらこういうとことでめんどくさくなって、微妙にやる気がそがれるというかもういいやってなってた気がするけど、割と気にせずにできた。

8個のスタンプが出来たので申請しました。
LINEのみなさま審査よろしくお願いします。

スタンプは1セットにつき最大40個登録できる。個数は違っても最低価格は同じだからちょっと割高な印象になるかもしれない。
もうちょっとサクサク作れるようになるといいなと思いつつ、今回はこれで。

まだどうなるかわかりませんが、とりあえず申請まではこぎつけて、芸術祭のみなさまにもいろいろアドバイスもらったりで、

です。

最近は週に何度かあらたと朝5時過ぎに起きて制作。
2歳のようちゃんがいるので、容易に隣で制作などできないのであらたと一緒に制作時間をとるの難しい。
隆のアイデアで早朝制作が行われはじめ、オニもその時間にやらないかとその案に便乗しました。

一緒にやったのは主に着色。
まあ、なんとかかんとか8個できた。


次はシール。
N!の西村眸さんに印刷通販の会社も教えてもらったりした。
自分が見てたのより楽しそうなのがありいくつか作りたい。
印刷に結構日数がかかるので、4月10日くらいまでをめどにちょっとづつ作り進めていこう。

March 12, 2025

最近のこととお茶の苗木「あさひ」。

なんだが慌ただしくしてしまっていてなんとなく書こうと思ってるのになんども時間が取れずにいた。

なにを書こうと思ったかはなんだか忘れてしまったけど、体調を書きたい気はしてたので、ちょっと記録しとこう。

妊娠7か月に入った。予定日まであと109日。
相変わらず眠い。でも気持ち悪さは随分おさまってありがたい。つわり中は毎回飲めなくなってにおいもイヤになるコーヒー。とは言えこの時期にはもう飲み始めてた気がするけど、今回はまだ飲む気にならないし匂いまだ今一つ。出産したら飲みたくなりそう。

一昨年までは春のなんとなくのアレルギー程度の気分だったけど、去年からこれはさすがに花粉症じゃないかという症状があって薬を飲んだ。
産婦人科で花粉症の薬は飲めるのかと聞いてみたけど、あまり普通に飲んでいいよという感じでもない。どうなるかわからないので予防的にマスクをしたり、布団を干す頻度を下げることにした。ひどくならないといい。今、普段よりくしゃみ、鼻水少し多めくらい。こんな感じでやり過ごせればなぁ。
妊娠中といってもそれなりに飲める薬もあるけどやっぱり駄目なものもある。


そういえば、今年の芸術祭は私を含めて出展者に2人も妊婦がいる。
出展者家族の小さい子もうちの2歳、6歳に加えさがちゃんの1歳の息子さんが来てくれる予定。
うまく表現しづらいが、なんだか未来のある光景というかそんな気分になる。
運営はある種大変というか、思い通りにはいかない部分もあるだろうけどなんだか楽しい。


今日はお茶の苗木「あさひ」を購入。
実はお茶の木はすでに植わっている。
黄檗の真柴豆腐さんが種から育ててくれたこれもありがたい木だ。
ただ、成長が極めてゆっくりで、もう1本あってもいいだろうと購入した。
(今年はもともと黄檗(きはだ)の木を植えようと考えていたけれど、10-20mに育つ木だと知り、やめることにした。ここに植えてもそんなに育たないだろうけど、元気にすくすく育ってもらえる気もしなくなってしまった。せっかくなのでなにか植えたくなってお茶に辿り着いた。)

「あさひ」については宇治市五ケ庄にある古川製茶さんのホームページで「宇治・五ヶ庄で品種として見出された種」と書かれていたのでこれに決めた。まるネコ堂も宇治市五ケ庄にある。
五ケ庄、まあまあ広いので古川製茶さんも全くしらなかったが、ここで見いだされた種を育てるってなんだか楽しい。


March 10, 2025

景色のこと。

毎日見ていても飽きないもの。二階の窓から。

今年の芸術祭作品はポスターを作ろうと思っています。なのですが、僕のデジタルテクノロジーが追いつかず、手描きのラフどまり。ただ、ポスターについて色々と考えるというか、新しく捉え直すことができたのは収穫でした。

僕は子供の頃から好きなアイドルや映画のポスターを部屋の壁や天井に貼ったり、は、全くしていません。今でもそういうことをしたいとは思っていないのですが、たぶん「飾り」というのがあまり好きではないんだと思います。

ポスターやカレンダーを部屋の壁に貼ることに、居住空間を「飾る」という感じがあって、それが好きではないようです。それなのにポスターを作ることにしたのは「飾る」のではないアプローチが取れるような気がしたからです。

焼き物のお茶碗を好きな人が、こう、掌に乗せて「景色がいい」なんて言ったりします。お茶碗の模様というか、柄というか、そういうものが良いという意味だと思うのですが、ここでいう「景色」という言葉の使い方が面白いです。

景色というともっと「自然なもの」というか、人間のサイズを超えたパノラマというか、少なくとも手のひらに乗るようなサイズの視野には使わないと思い込んでいました。でもそう使えば、使える言葉。

それと、掛け軸。床の間に掛けるのですが、これもたぶん「景色」を作るようなイメージなんではないかなと勝手に関連付けています。飾っているわけではなく景色をつくっている。茶碗も掛け軸もどちらも茶道が関係していて、茶道の世界の自然と人との関係、人が物を作ることと自然現象との関係が、現代人のそれとは違うのかもしれない。

自然と人工が相反していない、のかもしれない。

ポスターを、部屋を飾るものと考えるとあんまりしっくりこないけど、景色を変えたり手を入れたりするものとして考えたら、やってみたくなりました。

そういえば景色は好きです。河口近くのゆったりとした川の、主に水平に広がる空間を思い浮かべるだけで気分が良くなります。

今も、二階の窓から西の方角が開けていて、日が落ちようとしています。意外に近く見えるところに、団地の長い四角の建物が斜めに七つほど並んでいて、地図を調べると向島の団地です。昔、あそこに巨椋池という巨大な池というより湖があって、向島は、その名の通り島で、この位置からは大きく広がる水面が見えていただろう、魚釣の舟も見えたかもと思うと、ずっと見ていたくなります。

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第5回まるネコ堂芸術祭に向けて書いているエントリー

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March 5, 2025

LINEスタンプ休憩日。手間をかけるからやりたくなること。

今、朝の6時過ぎ、「5時50分に目覚まし鳴らして」と寝た新が起きずに結局私だけ起きてます。
まるネコ堂芸術祭に出展するLINEスタンプの作業を一緒にしようと言っていたのに一人にだけ起きてしまい、とりあえず芸術祭用のキャプションデータを仕上げて、一人でスタンプ作るのもあんまりやなぁということでブログ。

今のところ完成としている1個目のスタンプ。

スタンプ自体は3つ目がほぼ終わりそうで、フォーマットがなんとなく決まったので速度が上がる。

いろいろ並行して出来事は起こり、ジャムを作るのに準備中。

ジャムの絵本を購入。

広口のロートを購入。
瓶を60本購入。

ほぼ日のジャムのページを印刷して、新と一緒に読んだ。

そして、砂糖を注文。

いわゆる手間ばかりかけている。
手間がかかるから始められない、やらないというのもわかるのだけど、手間をかけるからワクワクして期待度が上がっていくというのはこれもすごく事実だと思う。

確か今年の初め頃、せっかくこの庭にこれから20年くらいは実をつけてくれる甘夏でなにかしたいと思った。なにか人と関われること。まるネコ堂がちょっと気になる場所になるようなこと。果物として生を食べてもおいしいし、そのままあげてもいいのだけど、もうちょっと楽しみたい。

それでジャムを思いついた。

甘夏の果実の季節は1年でこの時期だけ。なにか試すなら逃すと来年か。
思ってとにかくジャムを作る。

正直ここまで楽しめると思っていなかった。

瓶に貼るラベルシールも作成予定。LINEスタンプがひと段落したらやろうと新と話している。人と関わりたいと思ったけど、すでに今年新が関わってくれてるので、企み通りになっている。

味って複雑なものやなと思うけど、こうやって作っているととてもおいしいものができるんじゃないかという気がしてくる。瓶買ったら美味しくなる、とか考えなかったと思うけど、今はそういう気分がある。

来週くらいにジャム、作れるかな。

ジャムおじさん糸井重里さんのジャム作りアドバイス。面白かった。この通りにやってみよう。

 たったひとつ必要なこと、それは
 一所懸命、まじめにやることだけです。(ほぼ日刊イトイ新聞より)


March 4, 2025

ノートのこと。

この汚いノートが無いと大変困る。

第3回の芸術祭で「アイデアノート」という作品を作りました。それまでノートを上手く使うことができなくて、何度も挫折してきたから、いっそ作品としてノートに関して思いつくことを一通り全部試してみることにしたら、これがよかった。

今ではノートはいつも傍にあって開かれています。

「アイデアノート」では、ものすごくページ数の多いノートやA2サイズの巨大なノートを試した。書き方も思いつくことはみんな試した。切ったり貼ったり、刻んだり穴を開けたりした。

そうやって、ノート自体や使い方に関して色々試した結果、僕が手に入れることができたのは、そもそもノートというものに対して、僕自身が、このようなものであって欲しいと願っていたノートについての原初的なイメージでした。

僕はノートは、堆肥のような雑多な栄養の元のようなものであって欲しい。

日々の膨大な考え事や、自分を取り巻く出来事、それらの気になった断片を溜め込んで、掻き回したり、並べ直したりするところ。

書き付け、読み、書き足し、書き直しながら、何かのきっかけがあればそこから芽生える。

ノートはそんな場所であって欲しい。

作品制作も仕事で書くことも話すことも、だから今はノートで始まります。ノートの中で、少しずつ形を取りながら、変形していく。やがてノートから飛び出して、独立する。

作品や書いた文章や話した事は、出来上がると僕からは離れていくけれど、ノートはいつまでも僕の傍にある。開いていない時も何となく、くすぶっている。

March 3, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭、チラシできました。

今年は初めてA4チラシを印刷に出しました。
昨年まで何度かはがきサイズの案内を作成しましたが、あんまりはがきの意味を感じなくなって、情報量アップできるチラシに挑戦。正直、つわりも長かったので2月の初めまで自分がやるかも迷ってましたが、せっかく自分が作ったものを印刷する機会なのである意味芸術祭の自分の制作そっちのけでやってみることにしました。

やってみてよくわかったけど、表面よりイベント紹介の載る裏面の方がよっぽど大変でした。
まず、そもそも今回5つにもなったイベント企画をどう整理して同じようなフォーマットに持っていくのか、そこですでに時間がかかりました。

いや、チラシにしようとする前は、同じようなものに見えてたんですが。いざ、チラシにしようとすると「こっちは全体でやるから企画の出展者名を書かんでいいんや、でもこっちは書かなあかん」とか、「これは1日程やけど、こっちは3日程もやるやん」とか「有料もあるってことは、無料表記も改めて必要やな」とか「こっちはタイトルで全部わかる感じやけど、この企画的には、ちゃんと説明文いれたいな」とか以外に揃わない。

その辺それなりに揃って見やすくなるようにと、改めて自分なりのデータ整理が必要だったのが最初の段階。

さらに、それを実際にレイアウト。
これも表面に比べるとデータ量が多いので、不慣れな分時間がかかります。
フォント、フォントの大きさ、行間、アイコン化するもの等など・・・ひとつひとつの要素に対する経験値不足でそれぞれ検討と修正を繰り返した気がします。

そして、外出した時に様々なチラシなんかをもらってきて観察。でも、観察眼を持っていなくて抑えるポイントがぼんやり。自分でやってみて、わからんってなってもう一回見てなるほどなと思ったり。

最後は、日時等の間違いがあるのが一番恐ろしかったです。
(チラシの方は大丈夫でしたが、気が抜けたのかウェブの方は一旦間違った情報をだしてしましました・・・もちろん今は修正されています。)

なんとか入稿。印刷が完了しました。
できてみるとまだまだいろいろまだまだやなと思うけど、去年の自分はここまでできなかったとは思うので、それはよかったなと思います。作業も結構楽しんだ。

表面も、いくつか考えましたが最終的にロゴのイメージから海や空を。海底から空まで、それぞれの表現の旅路をイメージしたものにしました。

やってみて、チラシをじっくりみることが前より楽しくなったのが一番よかったです。

制作記が長くなりましたが、こんなチラシです。
サイトもできていますので是非ご覧ください。

第5回まるネコ堂芸術祭サイト










February 28, 2025

温床のこと。

腐敗の温床、とか、悪の温床とか言う、あの温床(おんしょう)のことを考えている。生暖かくじめじめして、触るとぐにゅっとしたり、カビ臭いところのことだ。

温 床(おんしょう)

1 堆肥の発酵熱などで温かくして、苗の発育を促進する苗床。

2 主として悪いとされる物事が発生して育ちやすい環境のこと。巣窟。

・悪の温床。腐敗の温床

このウィクショナリーの「主として悪いとされる物事が発生して育ちやすい環境」というくだり、とてもわかり易くてなぜか笑えてきてしまう。

ある作品を観て、なにか、自分の中で蠢くようなものがあるとき、どうしてもそこから離れがたい気分になって、しつこく作品を観ることになる。そのうち、自分を支えている土台がぐにゅっと沈み込んで、体勢が揺らぐ。視界が傾く。それまで知っていた自分や世界が柔らかくなって変形する。

そういう時に、面白いものを観たと僕は思っていると思う。

自分や自分を取り巻く世界が変状して、それまでには無かった物事が生まれて育っていきそうな気分がいい。

こういうのを表すのにちょうどいい言葉だと思うのが温床。温かく適度に湿った柔らかなところ。無意識的な企てに満ちた場所。

なぜか「主として悪いとされる物事」にだけ偏ってしまって使われている。字面だけをみると心地よさそうなのに。

僕は温床に居たい。

アトリエとか工房とかというと、設備や道具が揃っている感じがあり、さらに、良い印象を与えてくれる明るさや健全さや生産性があって、それはそれでいいのだけど、温床のヌメッとした生あたたかさや湿っぽさや出来ちゃう感もいい。

第5回まるネコ堂芸術祭開催まで、あと57日。

芸術祭のサイトもできました。

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February 27, 2025

妊娠6か月も後半。眠い。そして、ジャムとか。

妊娠6か月ってこんなに眠いものなのか。

連休中、多分葉からうつった風邪で寝ていて、それ自体は1日寝たらほぼよくなった。
風邪の前は毎日毎日空腹がしんどかったけど、風邪を引いたらつわりっぽい胃のムカムカが戻ってきて、さらに眠気も結構ある。だからってつわりの時のように動けないとかはないけど、前はこんなんじゃなかった気がみたいなことを思ってしまう。

あと、お腹がもうこんなに出るのか?前ってこんなんやったっけ?と3人目にしていろいろ驚いている。
忙しいなと思っても、なるべく自力整体をするようにして体調は整えるように心掛けて、寒すぎてやる気にならなかった雑巾がけもそろそろ復活を考えよう。

妊娠アプリみたいなのをなんとなく入れていて、たまに覗くと予定日まで「○日」とか出てくるのが面白い。昨日は「あと123日」だった。


ことあるごとにいろいろ考えこんだ新の妊娠だったけど、もう全然考えることも違っている。新や葉もいまだ姿が見えないお腹の中の人にはあまり興味がなく、目の前の出来事の方が刺激的で注目は集めない。


庭の甘夏でマーマレードを作ろうと思って少し調べてみると糸井重里がじゃむおじさんだったと知る。それなりにいろいろ作ったんだろうなと思うけど、それ以上にこうやって何を考えたかとか、どうやったかを記録にまとめて残していることが魅力ですごいなと思う。
それに10年以上前に始まった企画っぽいけど、去年もちゃんとジャム販売をしている。

この人とその周りはなんかいいなと思う。
かっこいい、って感じはないんやけど、なんか気になるし、そういうことをちゃんとやるのね、とはっとさせられる。結構気になることをやっている。

今朝、先月作ったマーマレードの瓶をあけると、新と葉がすごい勢いで食べた。
新、食べる前からパンの小ささに激怒。
葉、ジャムをパンにつけるという発想は皆無。

美味しいからに違いない。
3月に収穫する甘夏で沢山作ろうと思う。糸井重里がこれからたくさん作るならとおすすめするジャムロートと保管用に瓶を買おうと思う。

February 20, 2025

消しゴムのこと。

今回の制作は鉛筆を使っている。のだけど、画材としてより重要なのは消しゴムかもしれない。

鉛筆、正確には芯ホルダーで描いて、消しゴムで消す。この消しゴムの修正が楽しいということを発見した。

描いてみて、何となくイマイチだと思う所を消して、また描く。細かい所を消すためにスティックタイプの消しゴムも買った。小さい所をちまちま消しながら、少しずつ描いていく感じが良い。

消した跡が残るのが最初は気になったけど、だんだん気にならなくなって、今では跡が残ってる方が良いと思うようになった。履歴の感じ。

細々と修正を繰り返して、今はこの線になっているけど、以前はそうではなかった。結構大胆に変更したりもしている。そういった現在の形だけではない、引き摺ったものの存在も悪くない。

デジタル作業の特徴は、この痕跡の無さかもしれない。良くも悪くも、綺麗さっぱり最終形だけになる。それはそれで楽しい。

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February 17, 2025

人恋しさのこと。

制作中の作品。ポスター用の手描きラフを展示予定。
保坂和志さんの文章で印象に残っているものがある。内容の詳しいことは忘れた。保坂さんの文章はそういうものが多い。

知人の葬式だったか結婚式だったかに行った。旧友に会った。帰りに一緒に駅まで行って、ついでにご飯でも食べようとなった。若い頃だったら、こういうときはアルコールが入って、そのまま何軒か飲みに行って、最後はどちらかの家までいってという流れになっただろうけれど、食事が終わったら、じゃぁと別れて帰ってきた。若い頃は人恋しさが強くあったけれど、年を取ると弱くなる。

こんな感じの話だ。読んだときすでに僕もそれなりの年齢で、あぁそうかもと思った。若かった頃、大阪の勤め先から飲みに行って終電を逃して、友人に深夜に電話をかけて泊めてくれないかと何度もやった。本当に迷惑だったはずだが、友人に断られたことは一度もなかった。

あのとき、終電を逃すのは半ば故意だった。最寄り駅近くのコンビニでビールを買って、友人のマンションに行く時にあったのは、人恋しさだった。友人も同じような人恋しさがあったのではないか。

会社を辞めて自営業者になってしばらくして、僕はほとんど家から出なくなった。そうなってから保坂さんの文章を読んだから、もうあんな感じで終電を逃すこともないなと思って、確かに人恋しさは減っていると思った。

でも、今も相変わらず終電を逃すこともないけれど、何かの用事でうちに来てくれた人が、用事が終わったあとに、ご飯でもどうですかと誘ったら、じゃぁお言葉に甘えて、私なにか手伝うことありますか、という流れになったときにとても嬉しい。人恋しさは今もある。

唐突だけれど、僕はたぶん作品やモチーフや制作プロセスにそういう人恋しさを探している。美術館で絵を観るときもそう。なんとも立ち去り難く思うことがある。好みというのとは少し違う、好みがそのもう少し先にあるとしたらその予感。

人恋しさや立ち去り難さを感じてもらえる展示になるだろうか。第5回まるネコ堂芸術祭まであと68日。

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February 14, 2025

LINEスタンプのデータ作り模索。

芸術祭に向けて、ペンタブを使う時間がちょっとづつ増えてきた。

デジタルでの制作を始めてから結局データをどうやって作るんだ。。。みたいな問題が毎回あって、データはパスにするの?画像で扱うの?どういうアウトラインとるの?
レイヤーでまとめるの?グループ化するの?

みたいなことの知識と経験が少しづつ溜まっていく。
あとショートカットキーをちょっとづつ覚えている。

なんか面倒な気もしてたけど、アナログで描いているときに、どれくらい筆を濡らそうかとか、絵具のチューブを机のこの辺に置いてとか、パレットはこっちでとか、ああいうことをやっていた感じとあんまり変わらない気がしてきた。

あーだこーだと紙を動かしたりして見てみる代わりにcommand+Tを押すのだ。きっと。

机の上が散らかり過ぎると、あかんなと思う感じで、データ整理ができてないとオエッてなるけど、描きはじめの最初から整理ばかりもしてられんというのもあり多少散らかる。でも目処がつけれると整理もできるようになる。
そういえば最初デジタルに移行したときは整理が大事という知識も体感もなかった。

手慣れた方が見たときに、こんな感じで大丈夫なんだろうか・・・と疑問にときどき思う。たまには解説ブログや動画は見たほうがいいんやろうな。

LINEスタンプのためのデータもいろいろ作った。
芸術祭のメンバーにお気に入りLINEスタンプもいろいろおしえてもらった。

目の位置がおかしいとの指摘があらたからあり、今度一緒に作業予定。でも一応これで作業進められそうかなというデータ作りができてきている。
 

February 12, 2025

この冬の米麹づくりひと段落。

この1週間程度の間に2回も米こうじを仕込んで、さすがに変な寝不足で疲れた。

麹づくりは温度管理が大事で夜の間も、上がりすぎてないかをチェックしたり下がりすぎてないかとチェックしたり、あるいは停滞しすぎてないかをチェックしたりする。夜の間も2‐3時間おきに目覚ましをかけたり、なんとなく目が覚めたりで起きてしまう。
1回の仕込みで二晩そんな感じ。週に計4日そんな夜を過ごした。

そして最後の1日は、なんとなくここから下がるかもなーと思いつつ、なんとなく布団でだらけていて、まあこれでもできるにはできるしーと午前3時ごろ気になりながら温度計の表記だけちらっと見て寝た。朝6時やっぱり下がっていた。下がりすぎ。
予感があったので元気があれば4時に起きて、確認→湯たんぽの湯を交換という手はあった。

それでもまあ麹はよくできた。

麹が上手くできると美味しいようで、麴箱から麹を出すたびに葉が寄ってきて食べたがる。随分食べた。新と隆はこれは旨い、前回よりよい。場所によって味が違う、と感想までくれてどんどん減る。

子どもが生まれると3か月くらいは、おっぱい(又はミルク)のためにこれくらいの頻度で夜も起きていることになる。そういえば葉の時はほとんど苦にならず合間に寝れていれば昼間の眠気はほぼなかった。丁度良く興奮ホルモンが分泌されたんだと勝手に思っていて、でも新の時は、昼間眠いかは覚えてないけど夜のアラームにも目が覚ませず、アラームはいたずらに隆を起こしてた。

そもそも、つわりがすっきりはあけず、眠さとか微妙な気持ち悪さとか変な空腹感とか残ってしまっているので、麹と疲れはそんなに関係ないのか、どうなのか。

米こうじの仕込みはこれで今シーズンは終了。味噌もまるネコ堂の分も仕込み終えた。とてもいろいろ試せたのには満足。隆が見つけてくれた永田十蔵さんの本のおかげでとても楽しめた。

どんな味噌を仕込んだかは、また一度まとめておきたい。

February 7, 2025

考え事のこと。

それさえあればどうにかなる大体、気がつくとそればかりしている一日中、みたいなものを自分の基盤にしたらいいと思って、改めて自分のことを顧みてわかったのが、僕は考え事だった。

考え事の状態にあれば時が過ぎていく。充足している。

ここで言う考え事は、だらだらと取り止めもなく移ってゆくもので、ふつう悪い意味で使われる「考え事」だ。これに比べれば妄想の方がよっぽど高級で、妄想は強くイメージを形作ることができる。

長いこと僕は考え事を低く見ていた。こんなことをしていてはいかんと、ふと我に帰ることが多かった。もっと形に残る生産的なことをしなくては。

でも、実感としては考え事で満足していると発見してしまって、順序というか秩序が変わった。

込み入って絡まった出口のない考え事の雲のようなところから、時折なにかが突出する。突出したものが現実にさらされて形になる。

創造は僕にとって、ゼロから作り出すことではなくて、混沌から秩序を形づくることで、形を作る前段階として、豊かで混沌とした蠢きがある。大袈裟に言えばそういう感じがする。

制作や表現は、考え事の分厚さから生まれてくるので、考え事は制作や表現のプロセスの外側にあるのではなくて、内側にある。というよりむしろ、制作や表現が考え事というプロセスの内側にある。

自分の性癖である考え事を自己正当化してしまって、以来、たっぷり考え事に浸る日々。大丈夫か。

芸術祭まで後78日。

February 6, 2025

芸術祭に向けて本格的に制作に入る。

美緒の妊娠だとかこの春からのアラタの小学校入学だとかで、落ち着かない数ヶ月だった。今も落ち着いたわけではないけれど、同じタイプの動乱には少したてば慣れる。ようやく春の芸術祭の作品づくりを本格的に進めはじめた。

今年はポスター用の手描きラフという中途半端なものを展示予定で、今週に入って2枚描いた。制作はいつもそうだけど、やり始めると楽しくて、もっと早くやっていればよかった。

いわゆるSNSを見なくなって久しいけど、ブログはちょくちょく読ませてもらっている。点滅日記N!はいつも更新を楽しみにしていて、読むとやる気が出てくる。ありがたい。

本格的にと書いたけれど、制作のプロセス自体はずっとやっていて、ずっと考え事をしていた。「仮である」ことの豊かさが、僕の好きな感じの動揺感とつながっているのがわかってきたのが今回の収穫で、これはとても大きい。僕の立っている地面はそんなにしっかりしていなくてゆらゆらしている。

今日は雲がほとんど見えないとても寒い日だ。二階にいると日差しが強くてカーテンを掛けたり外したりする。冬といえば冬かもしれないけど、空の下の方の山に触れるあたりが白っぽくて、目には春と言ってもよさそう。芸術祭まであと79日。

January 31, 2025

出生前診断をすすめられて考えたこと。

出生前診断を進められて、結局受けないことにした。
今の状況だと育ってくれるならどのみち産むのだし、やったからといってなにかそれで必要な治療をやろうという話でもないらしい。だったら、今回初めて知ったけど羊水検査で10万円以上かかるのはちょっと高額すぎる。

ただ、主治医からも診断を実施しているクリニックの医師からもなんとなく感じたのは、産むにしても検査して診断がつくとしたらそれに越したことはことはないのになという雰囲気。あくまでも雰囲気でしかないので間違っているかもしれない。言葉にするのは「では確定しないままということですね」みたいなこととか、「産むにしてもわかっているなら、産む前に(親が)いろいろ準備ができるので参考にできます」みたいなことだった。

やっぱり参考にするには10万以上は高い。産まれてから対処しよう。今後異常が大きくなればそれはそれで対処しようとそんな感じに思った。

とはいえ、医者としてはわかっていると楽なんじゃないかと憶測はしてしまうし、もしそうだとしたら自分としてもわかっててその上で医者に出産を対応してもらえるならそれは安心だという気はする。
ただ、実際、医者として「わかってた方が安全なので可能性があるなら受けたほうがいいです」とはダイレクトに言っていた覚えはないし、現状問題は私たちが知りたいか、私たちがそれに備えたいかということにあって、異常がみつかって可能性がそれなりにあるのでそれがおすすめされたという感じに進んだ。だから憶測でしかない。

実際どうなんだろうか・・・というのは専門家ではないのでわからないけど、もし医師がなんらかの異常があったときにこの情報があったほうがいいと思うなら、今後保険適応くらいはあってもいいんじゃないのかと思った。

今のところ、妊娠・出産自体がほぼ保険が効かないので、まずはそもそもそれがどうなるかだけど。
妊娠健診は規定回数の受診券がもらえるので正常にいけば無料に近いけど、こうやって異常がでると健診そのものの回数が増えて実費になったり、予定日を過ぎると受診券が足りなくてそれも実費だったり、保険になるならそうなってほしい。
それでも、健診くらいだったら子どもの産まれることの大きさに比べたら、気にせず払う額だけどなかなか10万円は大きい。


お金。そういえば、幸い不妊治療なしで妊娠してきたけれど、もし必要になってたとしたら、子どもはいなかっただろうなということも今回初めて考えた。お金の問題だけじゃないとは思うけど、額的にお金の問題も大きい。








January 25, 2025

久々、夜のブロギング。

久々にあらたとようが寝た後に起き出してパソコンを開いている。つわりが始まってからはそんなこと、やりたくもならなかったし、できる気もしなかったので約三か月ぶりになるか。

できれば明日までに終えたいことを終わらしたいと思っているのにブログを書いていたり、まあダラダラしていて、こういうのも久しぶりで、まあそれはそれでいいかと思う。

今週は久々の妊婦健診にも行き、現状元気だそうでほっとする。
今お世話になっている産婦人科の先生はあらたの時からお世話になっている。その初診の時に隆はエコーの上手さを指摘していた。とはいえ、他の人のエコーをあまりちゃんと受けたことがなかったので自分ではよくわからなかったが、2回ほど出生前診断もしているクリニックに行ってエコーをしてもらうと、比べてみると確かにうまいなと思った。
見てるものが違うのかもしれないけど、今の主治医は自分の探しているものを見つけるのに苦労している感じがなくて、赤ちゃんの角度の問題で今は見えないものは見えないと深追いもしないし、しゃべりながらそんなことをやっている。

12月初旬の健診で、いくつか異常が見つかって、それから出生前診断をすすめられ、そのクリニックに行った。それから、毎回エコー前は緊張する。
その日、というのは改めて今週の健診のことだけど、見れるものは見終わったあと、とりあえずほっとした。幸い最初の異常が見つかって以降、だんだんと正常になってはいる。ただ、一度異常がでているので、まあどうなるかな・・・というのはある。

そんなこんなで、非常にどうしようもない気分になったときもあったけれど、そんな気分に四六時中とらわれているというのもわずか1-2日だったかなぁと思う。全く考えない日もそれはそれでない。

出生前診断のクリニックで「あまり心配ばかりしないように」と言われて、実はそんなことを言われるほどは心配していないかもしれないと思ったりした。つわりがしんどいとか、絵が描きたいとか、ようちゃんやあらちゃんや隆のことや、実際には結構いろんなことを考えている。いろいろ考えながら、「こんなことが自分に降りかからなければよかったのに」とは思わないものなんだなと思ったりして、そういう気分でいらるようになっているのはよかったと思った。

とはいえ大きな出来事で、またなにか考えたことは書くかもしれないし、まだ考えている気はする。


もうちょっとスマートにブログの終わりを結びたいんだけど・・・と思ったら書き終われなくなった。なんの見栄だと思う。べたつかずに終われたらいいんやけどと他人のブログを読みに行って戻ってきた。

January 21, 2025

表現研究会で発表した。

先日、表現研究会で発表した。
発表したのは松本大洋のSunnyを中心とした3作品。結構、緊張した。

今までは、好きなものを結構調べて発表してきた感じだったけど、今回はそろそろ松本大洋をいろいろ読んでみようと思った矢先のつわりで、今までのやり方は通用しない感じになった。

どうしようと思いつつも、昔読んだ記憶を頼りになにが好きなのか考えた感じだった。

本当は作品のことを作品を使いながら話す、みたいなことがかっこいいなと思ってたけどあんまりそんなことができず、自分の話が多くなり、上手く説明もできずという気分で緊張したんだと思う。

そんな発表で心細く感じたりも多かったが、じっくり聞いてもらって感想をいただき、ありがたかったなと思いました。

調べられない分だけ、自分の好きだという部分を発表できた気がして、このスタイルがいいのか悪いのか続けるのか・・・ということはわからないけど、とりあえずこれができたのはよかったなと思いました。いつもより無防備な気分でした。

あと、自分が言葉では取り出せなかった感じや見逃していることを、人の感想で言葉として聞けたのもありがたかったです。

January 20, 2025

まるネコ堂芸術祭ラジオ。やってます!

昨年7月からstand.fmで週1回配信して、なんとか途切れることなく今週30回目を迎えます。

※追記 間違えました29回目でした・・・30回は1月29日です。

私は編集も担当しているので、何度も聞くのですがほんとに勝手なこと自分はいってるな、とか今ならこういうことも思ったりするなとか振り返れることも多くいろいろ勉強になります。

なによりも、インタビューなどしていて影響を受けれることがたくさんできるようになったのが収穫で、好き嫌い・苦手とかもいろいろありますが、楽しく人と話ができるようになりました。話を聞けるだろうか・・・と心配する苦手意識は減ってきたかなと思います。が気を抜かないように。


1月22日には30回分が溜まっておりますので、気になったもの一つでも聞いてもらえると嬉しいです!




1月22日の配信は出展者佐川友美さんのインタビュー。
次世代のこととか考えるといいながらできあがるのはしょぼいカーテン、といった自覚がすごく参考になる。ほんとにやりたいことはいろいろあるけど、大したことはできない、でもそこを進んでいかな先はないと、自分の制作も振り返りました。

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