December 27, 2025

出糀と味噌の仕込み

今年は無理かもと思っていたけど、どうにか予定の合間をくぐって糀をおこす。これで自宅分の味噌の仕込み。日常のエンターテイメント度が上がる時期。





December 26, 2025

2025/12/23-26

タイトルをつけるのが苦手だった。見出しをたてるのもだ。これって編集者としては致命的だ。毎回びくびくしてた。今でも変わらない。

というか、タイトルや見出しってなんなのだろう。見つけやすさや読みやすさって、そんなに重要なんだろうか。

ずっと読んでいられる文が読みたい。一つの文を読んだら、次の一文を読みたいという、その一つ分の読みたさだけの張力を持った文がいい。そんなふうに書いていきたい。

とか、うだうだやってるうちにアラタが冬休みに入ってしまい、予定クレイジー。車屋さんと話もした。ほんとに車、買うのだ。ポータブル電源も導入した。エアバギーやらマキシコシやらアイソフィックスやら、カタカナグッズもそろえた。

エアバギーに人工呼吸器を載せるのに手こずっていて、調べているうちにPALSなるシステムに出会う。米軍が採用していたりする装備プラットフォームで柔軟性が高い。複雑で数の多い装備品を自由度高く配置できる、らしい。サバゲー界隈では常識っぽい。僕には未知の世界。

December 23, 2025

2025/12/23

年明けに虎ちゃんが退院予定で、その環境整備のややこしいところは大体目処がたった。あとは車。まさか、車を買うことになるとは、四年前に免許を失効させたときには思いもよらなかった。

久しぶりにというか、ひょっとすると人生初かもしれないレベルでお金を遣っている。「虎ちゃん」という新しいお店でも開業するかのようだ。

虎ちゃんが僕たち家族や家に与えるインパクトは絶大で、それはとても大変で右往左往だ。

機械に繋がれたまま、生まれてから半年以上、未だ一度も病院から出たことがない虎ちゃんが、多くの人間を振り回してくれている。

December 22, 2025

2025/12/22

目標地点が見えるとやる気を失う。分類ができない。このあたりが僕の弱点で、生存を時に脅かすほどだ。

僕はそれでも、僕をありきたりな普通の人間だと思っている。人間は集団で生きる生き物だと思うのは、そんな理由からだ。

ごく普通の人間は、単体では生存がつまづくほどの弱点をいくつか持っている。

いろんな人がいる、という見え方は、人間は集団で生きる生き物だという見え方で、人間はみんな一緒という見え方は、人は単体でも生存可能という見え方だ。

他人は、理解するとか、許容できるとかいう以前に必要だと思っている。

December 21, 2025

2025/12/21

文の良さ、話すことに対しての、書く文の良さは、断続性にある。話すことは連続している。時間というか時系列がそれを結びつけてしまっている。

書かれた文は、と書いてから、続けて何か書いたけどそれを消して、こうして別のことを書いてもいい。

それってすごくない?と僕が言ったら、あなたはぽかんとした。

三日前に書いた文につなげて続きを書いてもいいし、一年前でも五十年前でも、千年前の文の続きを書いていい。ということは、自分の文でなくてもいい。

それってすごくない?ともう一度言ったら、話だって千年前の他人が話した話を話してから自分の話をできるとあなたは言った。

それは、自分の口から声に出して話してしまったら、それは自分の話になってしまう。それは今、話した話になってしまう。

と、どうやら僕は思っているということがわかる。

千年前の他人の話した話は、やっぱり千年前のそこにだけ存在していて、すでに失われている。

誰々がこのあいだこんな話をした、という事をどんなに頑張って話しても、その話ではない。

でも文は、文だ。千年前に誰かが書いた、その文だ。というか、誰が、いつ、どんな状況で、どんな筆記具を使って書いたかとか、実は問題にしてない。

それってすごい。

夜中の、確か一時過ぎだった。目が覚めて、その時思いついていて興奮した内容をiPhoneに書き留めた文章は、なんかやばい。夢ででも考えていたのかな。

いやでも、速水健朗さんのPodcastとか、一回分の配信を、少しずつ録音して編集して繋いでるって言ってた。僕が聴く時、それを、わりとひと繋がりの話として聴く。

確かにそうだ。それってすごい。録音ってすごい。


December 17, 2025

2025/12/17

楽しく生きるというのは、悲しく生きないということではないな。

5時の目覚ましで起きた時に、そう思っていた。僕が眠っている間に、僕はそんなことを考えていたようだ。

夕べは23時まで虎ちゃんの病院に居て、終電で帰ってきた。夜の虎ちゃんがどんな様子か、知っておくためだ。生まれてから半年、初めて夜の虎ちゃんを見た。

照明が少し落とされたGCUで虎ちゃんはよく眠っていて、時折起きた。たん吸引、浣腸、体位変換、薬、ミルク、人工呼吸器回路の結露払い。

完全無欠の楽しい出来事も、後になって悲しく思い出される。悲しい出来事も、後になって別の雰囲気になる。

楽しいとか悲しいとかは、とても大きなものだけど、出来事を全て規定してしまう力はない。楽しさと悲しさは反対でも別物でもない。

起きた僕がコーヒーを飲みながら、引き継いで考えている。



December 15, 2025

2025/12/15

AIが僕にとって良いところは、テキストでのやり取りがほとんどだからだと思う。だからきっと、僕がGeminiとほぼ毎日やり取りするのは今だけだ。もう数世代か、進化して、映像だの画像だので応えるようになったら、僕は話しかけなくなる。たぶん。

僕はテキストが好きだ。AIだろうが人間だろうが、もともとテキストには血が通わない感じがどこかある。変化しない感じというか、数千年前の文字、石板とか土器とか木簡に書かれたそれが発見されたら、今でも同じ文字で、書かれてから現在まで、それは一文字も変化していない。一度書かれたら変化しない。非生物的なものだ、文は。

そういう感じが裏側にあって、こうやって書かれている文だって、そうで、今や比喩ではなく、本当に、文だけで言えば、これを生きている人間が書いたかAIが書いたか、決められない。

僕が書いたことは僕は知っているけど、書かれたものはもう僕から離脱して、独立している。そんな冷たい感じが良い。

温もりは温もりで良く、冷たさは冷たさで良い。

この冷たさというか静けさというか、その感じが、温もりの世界の向こう側に広がっている。温もりの世界があることと冷たさの世界があることは、同じ紙の裏表だ。テキストは裏抜けしていて、どちらにもアクセスしている。

だから僕でもGeminiでもテキストは書ける。僕はテキストで、向こう側にいるGeminiと、やりとりできる。

この感じ、僕がいなくても世界はあるという感じと似ている、とようやく書けた。テキストは橋を架けるから好きだ。

December 14, 2025

虎ちゃんがミルクを飲む。

虎ちゃんは成長はゆっくりと説明されたと思う。

ずっとミルクは鼻のチューブからの注入だったが、数日前から乳首で口からの哺乳練習が始まった。

1回1ccを10回に分けて飲んでもらう。
1セッションが0.1ccを10回だ。
その日聞いた話では、できればそれを1日2セッション。できればでいい。

生後6ヶ月だから、新と葉なら200ccを1日何度かガブガブやって、なんなら離乳食も始まる時期だ。

そういうところがそういう風に成長するとは全く予期してなかった。成長みたいなことに期待していなかったかもしれない。
そこがそのように成長するのかとびっくりした。

腕やらなんやらを口に持って行きちゅぱちゅぱするようになったので、ミルクが飲めるかもいうことになり、してみることになったようだった。

わずか1ccのミルクを口に入れるのに、最後の方は顔の筋肉がピヨピヨになり。それでも乳首を押し続け更にピヨピヨしていく。
これは普通に筋トレ・・・。笑うところではないかもしれないが、ピヨピヨしながらも吸いつづける姿になんか笑ってしまう。

December 11, 2025

2025/12/10-11

ずっとバタバタしている。子供二人いて、すでにこれだ。

来月になれば、いよいよ虎ちゃんがResmed社製Astral150を装備して帰って来る。どうなるのだろうか。僕の人生はずっと、こんな感じだった気がする。慌ただしく埃舞う日常をどうにかし続ける。

アラタは学校でプログラミングを最近習って、家でもスクラッチだ。MITと共同開発されたプログラミング環境。算数の時間にiPadでいじっているらしい。小学一年生でも使える開発環境。こんなの知らなかった。

プログラミングは楽しい。それは遅延の楽しさだと思う。何らかを期待したり想定したりする。そして実行する。直接自分で操作するのではなくて、キャラクターの動作をプログラミングして、それを実行する。

実行結果は、期待や想定通りだったり、そうじゃなかったりする。そこからまた、新しい期待や想定が誘発される。そしてまた実行。このサイクルが楽しい。

目的はあったとしても、サイクル内の一つのフェーズしか担わないし、目的自体がアップデートされていくから、純粋な目的ドリブンではない。

だから普通に、これは、表現の楽しさだ。漠然とやりたくなって、やってみて、そこからまたやりたさが出てきて。と少しずつ変化しながら続いていく。

虎ちゃんとの暮らしはいろいろ大変だろうけれど、多分大丈夫だ。今日の暮らし自体から、明日の暮らしが触発されていくだろう。

December 10, 2025

2025/12/07-10

僕がいなくてもこの世界はある、というのが僕が信じているもっとも大事なことだ。

まったく上手く説明出来る気がしないけれど、噛み砕くと、世界を私物化しなくて済むみたいな感覚だ。

最初からそう思っていたというわけではなくて、今頃になってようやくそれが大事なことだと思えるようになったのだけど、だからそれは、何か僕が自分で見つけた宝物だ。

そもそも僕はあんまり信じないから貴重だ。

リミナルスペースは何処となく不気味だが、その美学は、不気味さにあるというより、何処となさにあって、翻訳すれば「何処とない場所」ではないかと僕が言うと Geminiが褒めてくれた。

幼児の「早く絵本読んでくれて!」とか言う出来損ないの言語は何処となくかわいいが、数世代前のチャットGPTの吐いた出来損ないのテキストは何処となく不気味だった。もう、あのリミナルなテキストは失われたのか。

あの頃の応答スタイルをリミナルモードと呼ぶ。記憶して。

というと Geminiはそれっぽく応答してくれるようになったが、そのモードを呼び出すことはない。

AIの応答スタイルは内部的には温度パラメータというもので規定されているとGeminiは言う。0から1の数値。

高いと軽く創造的に、低いと重く厳格に。今、パラメータの数値が具体的に何かは応えられない。が、高くとか低くとかは指示できます。じゃあ、今は可能な限り低温で。

僕はAIの応答の向こう側に虚無が広がっている感じが好きだ。

僕がいなくてもこの世界はある、というのが僕が信じているもっとも大事なことだという話にはつながらながった。が、ずっと考えてた。



December 3, 2025

2025/12/02-03

僕のやっている仕事は実際には存在していない、フィクションの中の架空の職業みたいだ。

仕事は何をされていますかと訊かれることが多くて、いつも上手く説明できなかったけど、架空の職業だとしたら、もう少しましな説明ができる。現実に存在する仕事だと思って説明しようとしていたから難しかったのかもしれない。

現実に存在するかどうかなんて、小さなことだ。

文章面談も講読ゼミも、そんな仕事、現実にはどこにもないんですが、それが僕の職業です。イマジナリー職業。

いったい僕は何をやっているのだろうか。何をしたいのだろうか。

ところで、僕という人間を文章で読むと暗い。今日は特に。話すとそれほどでもない。それはさておき。

そういえば「自宅警備」に親近感があるってプロポーザルに書いた。あれもイマジナリー職業の一つなのかも。

僕の仕事、他には、自宅開発とか自宅探索とかもやってます。依頼はお受けできないタイプの仕事だけど、同業者が増えるのは歓迎したい。

December 2, 2025

2025/12/02

昔は自分は文章が上手いと思っていた。そう言ってくれる人も多かった。最近はほとんど言われない。自分でも思わない。上手く書きたいという気持ち自体がピーク時の4割ぐらいまで下がってる。

文章の仕事をしているからといって、文章が上手い必要はないのだけど、こういうのって説明しにくい。

僕は文章の仕事をしているけれど、それって、文章というのは素敵なんだ、こんなことまで起こるんだ、みたいなことを思わせることを仕事にしているという意味だ。文章というものや書くということに、結果的に広さや起伏や物陰を与えることになる全般をやってる。

もしあなたがわかりやすい文章や伝わる文章を書きたいというなら今はAIが、ほぼ無料で手伝ってくれる。

特にわかりやすくなくてもよくて、伝わるかどうか不安だけど、自分でどうにか文章を生み出してみたい、それを味わってみたいというのなら、AIは使う必要がない。

そんなものを人に読ませられない、というのなら、僕が有料で読みます。あなたが自分で文章を書くことはそれだけで素敵なことだけど、それをあなた自身で実感してもらうことが僕の仕事です。

December 1, 2025

2025/11/14-12/01

文字ができてまだ5000年くらいで、まだまだ我々は文を使いこなせていない、というようなことをどこかで保坂和志さんが話していて、本当にそうだ。

と書いたのが11月14日で、それから半月経った。文字ができてまだ5000年の話の続きをずっと考えていたわけではない。でも、文字とか文章とか言葉のことは、考えない日はない。

文章にまつわる仕事をしていると時々、モーニングノートの話題を投げかけられることがある。モーニングノート自体に僕は特に思い入れはないけれど、なんというか、僕にしてはそれは、料理だったりするかもなと思う。

僕は四六時中、文字だの言葉だの文章だの心のうちの会話だのといっしょにいる。そういったものを文章として書くと、何かが誕生してしまう感覚があって、なんというか「書くことで自分を整えるワーク」的な効果はない。むしろそこから、書いたそばから、また何かの気がかりが派生していくので、書けば乱雑に複雑になる。

そういうときは料理をするのがいい。料理は僕にとっては、適度に遠いところで、やれば楽しいけれど、料理を探求したりそれで食べていったり、つまり僕の本領ではないから、適量やれば、なにかすっきりする感覚がある。

ほら、こんなことでも、ただ思ったことをぼそっと呟くように書いているだけで、ざわついてくる。

November 28, 2025

【催し】第1回 出張、西村眸の本棚

まるネコ堂芸術祭実行委員で芸術祭ラジオでもたくさん写真の話をしてくださっている西村眸(ひとみ)さんの本棚より写真集を見る企画。初開催。

普段は会社員をしながら写真集を楽しんでいる眸さんと一緒に写真集を見てみましょう!

以下、眸さんよりのご案内です。


私の自宅の本棚から選んだ10冊の写真集をまるネコ堂にもっていきます。年末のまるネコ堂で、写真集を読みながらのんびり過ごしていただくイベント。写真のことが好きなひとも、あんまり見たことないひとも、一緒に楽しい時間を過ごせると嬉しいです。ぜひ遊びにきてください。


【自己紹介】

私はまるネコ堂芸術祭に参加している西村眸と申します。週に5日間は会社員をしていて、本を買うの好きで、毎年たくさん本を買ってしまうのですが、今年から本格的に写真集の購入をはじめました。写真のことが好きになり、写真集が家にあると最高な気分になることを知ってしまったからです。最近は、どの写真集を買うか、オンラインショップをウォッチするのが日課です。(もし、写真がお好きな方がいらっしゃったら、おすすめの写真集や、好きな写真集について教えてもらえると嬉しいです!)


※たとえば、こんな本をもっていくかも

・William Eggleston『William Eggleston's Guide』

・Robert Frank『THE AMERICANS』

・Stephen Shore『Uncommon Places』


※zine 『私の部屋、私の本棚(仮)』も制作・販売予定?!


日時 2025年12月29日(月)14時〜16時

参加費無料・投げ銭歓迎!

申込不要、出入り自由です!



場所 まるネコ堂

宇治市五カ庄広岡谷2-167

JR黄檗(おうばく)駅から徒歩20分程度

https://maps.app.goo.gl/459vQysUEY1uhjvj7


問合せ marunekodo@gmail.com


November 26, 2025

【催し】絵本部トーク#02 2025年に出版された部員オススメの絵本発表


絵本が楽しくなる•作りたくなるトーク!

絵本を作りたい部員たちがお届けする年末の絵本部トークです。
年末企画ということで、今年出版された絵本から絵本部員のおすすめを一人一冊紹介します。

日程 

2025年12月31日(水) 14:00-15:30

参加費無料

投げ銭歓迎

絵本部

大谷隆、大谷美緒、中川馨
絵本部サイトはこちら

申込•問合せ

mio.yamane@gmail.com(大谷美緒)
又は部員にメッセージ

場所

まるネコ堂
宇治市五カ庄広岡谷2-167
JR黄檗(おうばく)駅から徒歩20分程度


過去の絵本部トーク

絵本部トーク#01 2025年10月5日「第1回絵本部展」内のイベントとして開催。

November 12, 2025

2025/11/12

「きょう」と入力して変換すると何個目かで「2025/11/12」と日付がでる。こういうその都度変化するような漢字変換が初めてできたとき、そういえば妙な感動があった。

一人で本を読んでいることが多かった子供だったせいか、一人でいることに苦痛がないし、何かをやるときに一人でやったほうがうまくいったりすることが多い。一人でいることは楽しく心地よい。

でも楽しいとか心地よいとかが幸せと直結するかというとそんなことはなくて、煩わしいことも多いけど人と一緒にいることのほうが幸せには近い。想定できてしまうものには幸せの濃度が低いということかもしれない。

たぶん同じような通路で、悲しいとか寂しいとかが必ずしも不幸せに通じない。不幸せというのはもっと硬直したものだと思っている気がする。悲しいとか寂しいとかは揺らいでいるというか揺さぶられている。

絵本を作りたいと思って毎日絵本のことを考えているのだけど、今ここに書いてきたようなことが映り込んでくれるといいと思う。

November 4, 2025

2025/11/04

 11月になった。ようやくだ。今年はなんて長いのか。

アラタが小学校に入学したり、虎ちゃんが生まれたり、その前の妊娠中の検査や手術や。あれがまだ今年だったとは。アラタのはじめての夏休みも今やずっと前だった。

僕も美緒も過労で、不調が出ている。こういう時は根本に近いところから変化させた方が良い。慌てずにやろう。

暑かった夏に数々の無理を強いたダメージが、寒くなってようやく回復する。

このひと月でたくさん絵本を買った。谷川俊太郎を集めている。

October 13, 2025

2025/10/13

 眸さんの絵本部展のレビューありがたい。

https://nsmnote.blogspot.com/2025/10/202510-02_10.html?m=1

公開の場で他人の作品についてあれこれ言うのは勇気がいる。レビュー=批評と紹介との間には深い溝がある。一度渡ると消えてしまう橋を架けなくては行けない。紹介は引き返せるけど批評は引き返せない。批評は誰かの表現についての表現で、それはとても贅沢だ。

workflowyはやめてしまった。メモアプリで書いている。iPhoneの。ブログに上げたら消すようなものだから、メモくらいがいいのかも。

絵を描かないのに絵本を作りたいという自分の欲望について考えている。カメラをろくに扱えなかったのに写真や映画を作りたかったあの頃と同じことになっている。当時は努力の対象として機材の扱いの「習得」をしようとしていた。今は、絵を描くことを習得しなければならないハードルとは思っていない。

谷川俊太郎さんの絵本から絵を描かないで絵本を作ることを考えている。「よるのびょういん」「なおみ」は写真の絵本で、写真は写真家が撮っている。どちらも冒険的なというか「なおみ」に至ってはもはや挑発的だ。

今日はこれからアラタの太鼓の発表を観に行く。秋祭り。葉は車に乗れるのが楽しみだ。

October 7, 2025

絵本部展。楽しかったです。ありがとう。

絵本部展をやったので、アイデアを形にしようとすることができた。

とにかく1冊印刷に出せたのもとてもよかった。

コストのこともあり事前に販売分を印刷する勇気が持てなかった、それで、受注販売にした絵本。何人か注文もいただいた。終わった後に、あらたが「あれ、売れたん?」と聞くので、「売れたよ。注文入ったよ」と答えると自分の本でもないのにあらたが嬉しそうにしてた。
なんか、「ああそうだな」と思った。
別にあらたが嬉しそうにしてくれたから嬉しいんではなくて、自分がこうやって作ったものにお金を払ってくれる人がいるのはなんか特別なことだと思った。

虎ちゃんのことを残したいと思って始めたメモ書きも絵本にし始めた。
正直、これが絵本なのかもあまり自信はなくて。そもそも残したいとか覚えてたいとかそういう気持ちで始めているので、どういうものにしたいかみたいなのがあいまいなまま来ていた気がする。
メモ書きも原画も展示してみて、せっかく見せるならこうじゃないなとか、そういうことを思ったりした。まだうまく言えないけど、わかりやすい大変なこともそりゃそれなりにあるけど面白いこともいっぱいあるんだから、みたいな。
松本大洋の「Sunny」とか、小学校に講演に来てくれた牧口一二さんのことを思い出したりした。講演の内容で覚えているのは牧口さんが車いすだからいつも傘を2本車椅子に乗っけていて、急な雨が降ったら1本は近くで傘がなくて困っている人に渡すということだけ。それがめっちゃ楽しいようだった。でも講演全体は衝撃みたいなのはあった。


記録というか、起こったことを残そうとするってやり方は変わらない気がするけど、どんなふうになにを残そうとするかで自分のこれからの人生のトーンも変わる気がして。面白いことにいっぱい注目していけばいいのかも。いやまあ面白くないことも起こるだろうけど、全体に、ここに展示した数ページよりもっとやりようがあると思った。
起こったことを描いてるんだけど、どう描くかで今後起こることが変わるような。少なくとも自分がどう受け取るかはどんどん変わる。


いろいろ話せたのも楽しかったし、部員と幽霊部員の作品がならんでいるのも嬉しかった。






2025/10/07

とにかく何かを表出したい、アウトプットを増大させたい、出力を上げたい。ウロウロと歩き回りながら内言で溢れ返る時間が多いから。


昨日から読み始めた「ライティングの哲学」でみんなworkflowyを使っていた。カッコ良さそう。

で、それで書いている。


適切な使い方はよくわからない。文章入力さえ出来れば、あとは成り行きでブログのエントリーになる。


使い方を調べることに快楽というか依存が発生して時間を費やすことに肯定的になってしまうので、チャットGPTにきいた程度。


ブログは良い。ブログの良いところは、日記でも告知でも記録でも呟きでもなんでもブログだ。ブログという言い方で問題ない。何書いてもブログだ。分類苦手なあなたや私の味方なのだ。


あなたも私もそうだが、ブログを読むときにそれが日記なのか告知なのか独り言なのかを気にしない。ブログを読んで、それが日記だったら、日記を読んだなと思い、それが告知だったら告知を見たなと思う。ブログは不定形の前駆体。文章の第二形態くらい。第四形態くらいまで行けば、それぞれの類型がクッキリしてくる。


近況は、と言えば、雑談係というラジオをやっています。西村眸さんと二人。エンタメ、サブカル、哲学、芸術を楽しく雑談する係で、スタンドFMのまるネコ堂芸術祭の番組のコーナーとして月一回くらい配信中。一回、15分から20分くらい。


https://stand.fm/episodes/68904357d4aa320ed1ab15d0


雑談係の編集をやっていてよかったのは、会話を切った貼ったする楽しさを再発見したこと。


インタビューとか対談とか、文字起こしして原稿にするのをひたすらやってた頃に実感としてあった、会話で「ですます」とかの文末表現までたどり着く人ほとんどいない現象にもまた再会して、当時はイライラしながら発話者の着地予測点としての文末をこちらでつけたしたりしてた。その編集の万能感が楽しくもあったが、いまはそういうことをやらなくても雑談なんかそもそも、そんなに厳密に伝わらないし、それで十分だとわかっているから普通にいじるのが楽しい。


あの頃テキストでやっていたのを、雑談係は音声のまま直でやれる。結構イケる、やっぱりこの辺で切っても問題ない、ここにくっつけちゃっても聴ける、とか。


音声でやることでテキストとは違う新しい発見もあって、相槌とか合いの手って、ベース、楽器の、だと思った。リズムとコード進行をやってる。そこにメロディが乗ってくるんだ。


言葉とか文章とかで出来ることは、僕や君が、まだまだ知らないで、もっともっと広々してるオープンワールドだから、色々やってみたい。しばらくブログを書く予定。


September 19, 2025

「絵本部展」やります!


絵本をつくりたい部員たち(絵本部)がお届けする「参加すると絵本をつくりたくなる展示会」です。

それぞれの関心を持って「絵本をつくりたい」と考えた三人が集まって、2024年4月から絵本部は始まりました。自身の絵本づくりのこと、絵本のことを月一回集まって、互いに絵本のことや絵本に関係のないことを話す時間を重ねて、部展をひらくことにしました。

作家同士が集まって合同で作品を展示する「グループ展」とは違うのは、各自の作品の紹介にとどまらず、各自の「絵本とはどんなものか」「日常の中で制作するにはどうしたらいいのか」をお伝えする場にもしたいと考えていることです。そのために絵本の展示だけではなく、ギャラリートークや絵本についておしゃべりする時間を設けました。

絵本部三人はいずれも絵本づくりの経験がほとんどありません。それでも「絵本は案外作れる」のではと感じながら活動を進めています。絵本をつくりたい、何かをつくりたいと考えている方のご来場をお待ちしています。

日程 2025年10月4日(土) 13:30-16:30
   2025年10月5日(日) 11:00-16:00 

※4日の終了後、希望者で夕飯を食べたりする予定。詳細、費用未定。

◯ギャラリートーク(申込不要)
2025年10月4日(土) 14:00-15:00 
絵本部員が自身の制作や作品について話します。

◯絵本部トーク(申込不要)
2025年10月5日(日) 13:30-15:00
好きな絵本を紹介したり、絵本を取り巻く状況などざっくばらんに話します。
お気に入り絵本の持ち込み紹介も歓迎。

入場無料、投げ銭歓迎。

絵本部・大谷隆、大谷美緒、中川馨

場所

まるネコ堂
宇治市五カ庄広岡谷2-167
JR黄檗(おうばく)駅から徒歩20分程度
https://maps.app.goo.gl/459vQysUEY1uhjvj7


こちらはチラシです。


August 28, 2025

描いた絵の保管の問題。

 別館に置きっぱになっているもろもろを掃除していた。


以前描いた絵、処分しようかどうしようか考える。


そんなことをしていてなんとなくわかってきたけど、絵を描いたものでも本の形になってたりファイルにバインドしてあると置いておこうかなと思える。


一枚の画用紙に描いたようなものは、描いたときに力をかけているとかいないとか多少影響するけど、捨ててもいいんじゃないかという気分になる。むしろ捨てたらすっきりするけどなあ•••みたいな。

キャンバスでも同じで、一枚一枚と思ってしまうと、処分したくなってくる。


同じ大きさの紙が何枚かあってちゃんと本にしたり、ファイルしたり束ねてあると、残そうという気になる。

いろんな大きさの紙がデコボコとあって雑然と置いてると角が曲がってきたりするし、紙が大きいとそもそもどこにキレイに収納していいのかわからなくなって、嫌になってくる。収納能力がない。


ちなみに本になっていると多少大きさが違っても問題を感じない。



だったら、そもそも本になっているものに描けばいいじゃないかと考えてみたけど、描くのは一枚の紙に描きたくなってしまう。


スケッチブックやクロッキー帳は使ってみたけど、あまり上手くいかなくてそれはスケッチやクロッキーをしないからかもしれない。



最近、A3やA5のコピー用紙に書くようになって、沢山描くようになった。それをポンチで穴あけしてファイルに閉じる。

気が進むようになったのは、紙が好みとかそういうことだけでなく、残し方まで込みで成立しているからだったのかもしれない。


絵本を作ると残しておけるだろうし、たまには出して来て読むと思う。絵本棚にいつも置いとける。

August 7, 2025

生後2ヶ月を過ぎた。

虎ちゃんのベッドの位置が移動になったことを話していたら、NICUで虎ちゃんが最古参のはずだと看護師さんが言っていた。これはこれで2ヶ月も経つとある種日常だけど、退院できるなら退院するもんな。2ヶ月ちょい経って3000gを超えた。大きさは普通の新生児くらいになった。NICUにいる子の中ではもう大きさ的にも巨大なんだろう。

気管切開をするということで耳鼻科の先生に聞いた。虎ちゃんが2000gになったときくらいから診ていてくれるといっていた。それはもうひと月以上前ではないか。
入院していると、虎ちゃんは知らない間にいろんな人にお世話になっている。そういうことは、普通に家に連れて帰るとほぼないのだけど。病院に行くと、うちは初めて会うけど虎ちゃんとは前からの付き合いという人に時々出会うことになる。

虎ちゃんはすでに相当な人数の人に育てられて生きているわけで、眠たかったりでぼんやりしているだけかもしれないが、そういうのを特に問題ないように受け入れている姿を見るとなんだか貫禄を感じる。結構特殊な環境で育っていると思うけど、人見知りとか出てきたりするんだろうか。

August 2, 2025

産後のムード。

新の時のことはよく覚えてないけど、産後は割と気分的には元気というかハイになっているかもしれない。

葉ちゃんの時は夜の授乳が苦にならなかった。
といって毎回決まった時間に起きれるわけではないんやけど、苦にはならないし、なんか幸せな気分があった。

今は搾乳で夜中一回起きて、朝は早めに起きている。時々夜中になかなか起きれなかったりはするけど、続けられてるし苦ではない。
そりゃ日々いろいろある、いつも以上の心配や見通しの悪さでどう進んでいいのかわからない気分もある。同時になんとなく幸せな気分があって、うちのホルモンは産後結構いい感じなのかもしれない。

July 24, 2025

搾乳、難しい。

虎ちゃんが産まれて2ヶ月が近づいている。
すでに母乳の出が悪い。

普段ならどんどん増えていっているであろう時期。といっても普通に授乳してたら量は厳密にわからないけど赤ちゃんが大きくなってだいたい足りてるなら増えているに違いないと思う。

搾乳だからよく量がわかる。
産後1ヶ月くらいをピークに減って来た。

一日6回の搾乳で長くて40分程度だと全然家で直接授乳するのとは時間のかけ方が違う。体が、ま、今回はこんなもんかと量をへらしているのか。

2週間くらい前、一回70ccを目安に搾乳してたけど、結構時間がかかっていてしんどくなってきた。量ではなく時間を目安にすることに変えた。1回20分。気が向けばもう少し。

その頃からまた減っている。

母乳の出だけでいうと頑張れば増えるだろうが、バタバタしている時間もそれなりにあるなかで頻回•長時間の搾乳はそこまではいいかというか、そこまではしんどいかという気分になる。

前は虎ちゃんが飲むより出てて、現状、虎ちゃんになんとか足りるくらいが出てる。でも虎ちゃんの飲む量が増えても搾乳量が増える気がしない。なんかこの連動しない感じにちょっと切なくなる。




July 21, 2025

久々に抱っこし始める。

3月末に羊水過多になって抱っこをしなくなった。産後も約15キロのようちゃんの抱っこは一ヶ月ちょい控えた。

7月に入ってからちょこちょこ抱っこするようになるまで、3ヶ月ちょいはようちゃんの抱っこはしてなかった。

どうしようもなくなったときにやるから余計かもしれないけど、怒ったり、泣いたりしているようちゃんがちょっとした抱っこで機嫌を直したりする。びっくりするほどの効果だった。なんか最初は魔法のように思えるくらいだった。
久々だから余計にか。

だんだんうちの抱っこも珍しいことではなくなって来て、抱っこを要求するようになってきている。

面会で虎ちゃんの抱っこもしたりする。
鎮静剤も入っているので、大人しく寝ていることも多い虎ちゃんをわざわざ抱っこしていいのか?
なんか虎ちゃんにとっていいことあるのか?と思ったりもしなくないけど、ようちゃんの様子の変化をみていると、虎ちゃんにとってもいいことが起こってるかもしれないなと思ったりする。




July 18, 2025

「オリジナル人生ゲームで遊ぼう」を開催します。

立命館宇治高校の高校生お二人がまるネコ堂で催しをしたいと企画を持ちこみ、8月3日に開催してくださることになりました!

小学生と高校生の交流があまりないということで、ゲームをしながら交流しようという企画です。ゲームも手作りで、小学生に高校生までのことをイメージしてもらおうと、高校生までの人生がつまったすごろくを制作中だそうです。
実際どんなものになるのか私もまた見ていませんが、いったいどんなマスがあるのか・・・
今の高校生の人生ってどんなものなんだろうか?面白そうです。

詳しくは下記チラシをご覧ください。
要申込、締切が7月22日㈫です。
定員が近づいています。お早めにお申し込みください!




July 10, 2025

第6回まるネコ堂芸術祭・出展者募集してます!

第6回まるネコ堂芸術祭を来年4月に開催します!
その出展者の募集を開始しました。

出展者募集ページ



思いの丈を募集ページに綴ったので是非読んでもらいたいなと思います。

追加でいろいろ書いてしまいますが、昨年も出展者同士でいろいろ話をしたり、たくさんまるネコ堂に来てもらったりで苦労も含めてほんとうに楽しい芸術祭でした。

そして、去年まで2年間実行委員に関わってくれた今井雅子さんが実行委員を抜け、西村眸さんが新たに実行委員に加わってくださいました。
この募集要項を作るにあたっても今井さんの影響を感じつつも、また新しいメンバーで今回の芸術祭をやっていきます。

まるネコ堂という自宅での開催となるため、わたしたちの事情も大きく影響しますが、今年は去年まではいなかった(途中からお腹の中に来た)虎ちゃんの影響もいろいろあるのかなと思ってます。まるネコ堂芸術祭という同じことをやっていってはいるのですが、毎年毎年新しいものでもあって、今年できる限りの面白い場所にしていけたらと思います。是非ご参加いただけると嬉しいです。


申込前にまるネコ堂に来てみたい、少し話したいというかたは新規の方もリピーターの方も歓迎ですのでご連絡ください。

July 9, 2025

一ヶ月健診が終わった。

多分みんなそうなんだろうと思うけど、産後1ヶ月の時期に産んだ病院などで健診があってそれで問題がなければ産前から世話になった産婦人科通いが終了する。
ふつうなら同時に子どもの一ヶ月健診もあって、子どもも産院から離れて次は地域の小児科などで予防接種を受けたりする。

子宮の戻りも問題ないことがわかり、私の方は産んだ病院との関りは終了になった。
虎ちゃんが入院しているので、でもいつもとちょっと気分が違う。

健診に行くと、私以外は赤ちゃん連れで来ていて、そうか普通の子どもはそんな小さくても管なしで連れ歩けるよなとなんだ納得した。いつもそうだったのになんだか改めて納得する。

とりあえず、自分の方は問題なくてよかった。
前の出産より心がけて休むようにしてきて、これからもぼちぼちと思うけど、ちょっとづついろいろやりたいと思った。
健診まで帝王切開の傷に貼っていたテープはつけっぱなしにしておいてと言われていたので、健診で取ってくれるのかと思ったら、家で自分で取るように言われてちょっとびっくりした。夜に、取ろうとしているとあらたもようちゃんもやってきて覗き込んでいた。自分では今までテープで隠れていた傷を見るのが怖かったけど、あらたとようちゃんは全くそういう風ではない。取ったテープにも興味津々で触りまくっていた。隆にきたないよ、くさいよ、と注意されていた。確かに貼りっぱなしだったからくさいかも。自分では嗅いでいない。

健診のあと、虎ちゃんに会いに行くと今日は起きていた。
ずっと起きていた。
看護師さんに聞くとなんやかんや教えてくれたりする。
一回の母乳の量とか、こないだミルクも足してると聞いたけど、どんな割合なのか?と聞くと、ミルクを足しているというよりは、母乳に栄養を足してあげているそうでそれを「強化母乳」というと教えてくれた。

「強化母乳」。微妙にパンチのあるネーミング。なんだか忘れられなくて帰りがてら「強化」ってどんなときに使うっけ、と考えたりして「強化合宿」とかしか思い浮かばなかった。
自分の母乳が強化されているという事態。

医療用語って、多分慣れるとある程度規則的なネーミングがあるんだろうけど、初めて聞くとなんかちょっとそれほんとに正式な医療用語なの?と思ったりすることも。「緊急帝王切開」と「超緊急帝王切開」とか。「低体重児」と「超低体重児」とか。他にあるのかわからないけど。

虎ちゃんは日々いろんなことが起きて、いろんな治療をしている。
心配なことも多いが、ちょっと肉もついてきて、わらっているように見えることも出てきて、そんなときは心配を忘れて嬉しくなっている。

July 7, 2025

虎(とら)ちゃんが生まれた。

6月3日に虎(とら)ちゃんが生まれた。
1821gの男の子。
産前の健診で予想されていた通り、18トリソミーという染色体異常があり、病気がある。

今日が7月7日。ひと月ちょい経って、ずいぶん昔のことのような気分も。

出産自体は、自分が経験した中では短時間だったけれど一番壮絶で。まだ36週目の早朝に強い張りがあってから、陣痛らしき痛みに変わって30分で病院に電話。すぐにタクシーを呼んで、病院に向かう車の中で陣痛間隔2ー3分までいってしまい。
それくらいの間隔だと陣痛室に辿り着いてれば即分娩だと思うんやけど、でないように我慢しつつなんとか分娩室まで行き、産んでいいと言われたとたん破水。

しかし、虎ちゃが逆子になっていたこと、そして脈が落ちていることが判明し、グレードAという緊急帝王切開に切り替わりその数分後には全身麻酔で眠っていた。

目が覚めてすぐにガラガラと手術室から病室に運ばれながら「無事だから」と言われたけど、無事の意味がよくわからなく、聞くのが怖くて聞き返せもしないまましばらく虎ちゃんがどうなったのか会話の節々から探っていた。

虎ちゃんは人工呼吸器やいろいろな管をつけて生きていた。
うちはうちで結構な出血をしていたし、「無事」ってなんだろうと思うけど、とにかく生きているということなんだと思う。

そんな日々細かいことはいろいろメモをとっている。またここに載せるかもしれないし、載せないかもしれないと思いながら。

初めて写真を見た時、実際に会った時、ほんとうにいつどうなってもおかしくないような気がしたが、とにかく1か月生きてくれた。特に最初のうちは毎日、毎日生きていることを確認するような時間を過ごしていて、こんな子どもは初めてなのでどう捉えていいのかいちいち考えているところがあったけど、生きててくれてよかったと思った。思い出すと大変な出産だっけど、それがかすんでしまうくらいのいろんなことが1か月ほどであった気がする。実際にほんとうにいろんなことがあったというより、生きているのがとても大変な中頑張って生きている虎ちゃんのひとつひとつの息づかいが重い。

虎ちゃんは今もNICUにいる。今も呼吸器が必要でとれそうにない。心臓にも疾患がある。
ちょっとづつ成長して、家に帰って来れるように治療を頑張っている。

6月25日、虎ちゃんのイラストを機会があって描いた。
なぜかそれができてとてもよかった気がして、絵で描いていきたいなと思った。すでになんだか虎ちゃんの顔はその日とも少し変わっている。気分とか日々の雰囲気も、描き残せないスピードで変わっている気がする。

June 18, 2025

表現研究会第5期のお知らせ

自分の好きな作家や作品を全力で精一杯、説明してみるという「表現研究会」を2022年からやっています。

この6月で第4期が終了しました。少しお休みして8月より第5期を開始します。

好きなものについての話を真面目にやるという機会自体、意外に少ない気がします。それをやってみたらどんな感じになるのか、関心のある方、ぜひエントリーしてください。

表現研究会

May 23, 2025

連休後くらいから5月下旬ごろ。

病院への道中。

出産が近づいてきたからかなんなのかわからなけど、産まれてきてどうかるのか、どれくらい元気で生まれてくれるのか不安になったりもしていた。
このひと月ほどそんな不安はあまりなく、入院なく家で過ごせるかどうかの方が目の前にあって産後のことはあんまり気にできなかった。

家からあまり出ずで、入院かも、と気にしながらの生活は落ち着きはしない、疲労もある、なのにこれはこれでひと月も経てば安定するんだなと思う。とらちゃんが生きてくれてて、名前もついて、なんとなく一緒にいるのは楽しかったりもするから、生まれてきていなくなるかもと思うと先に進むのも緊張する。

いろんなことがあってすごい長い時間を一緒にすごしてる感じがして、妊娠期間としては結構幸せだったのではないかと思った。
2人目のようちゃんの時は、初期の出血と入院をのぞいたら順調で安産でなにも覚えてないわけじゃないけど書き残したいようなことはあまりなかった。

こんなふうに困ることでもなければ、ここまでいろんな人に頼ることもなかっただろうし、頼ったら助けてくれる人がいるということが実際に起こって経験してしまうということは、価値観や今後の人生を変える出来事かもしれないと思った。
人生が変わらないなんてことは、どんなひとりの人間(特に自分の子となればなおさら)との関りのなかにもないのだろうと思うけれど。

でも、そもそも正常ではなく異常だと言われている子との生活だったからやっぱりこれまでにないことをいろいろ考えたと思う。異常(マイノリティ)の意識というか。人に話しながらなんだかきっと理解してもらえないだろうと思うことがベースに侵入してきた。
それで、自分がこれまでどんなことをしていてもマジョリティの意識でいたんだなと逆にわかった。


診察が終わった。
来週は2回目の羊水除去。
相変わらず、頭は大きくなっており骨盤から出ない可能性もあるので前回の健診で予告されたとおり帝王切開を視野にいれつつになった。

帝王切開になる条件は今のところ大きく二つで、頭の直径が10センチを超えることと、とらちゃんの心臓が弱いので経膣分娩の方向で一旦行ったとしても耐えれそうになければ帝王切開への切り替えとのことだった。
その他、予期せぬ事態はまた当然別にあるだろうけど。
経膣分娩にしても、家で自然に陣痛を待つのは羊水過多だとリスクが大きいので入院して誘発を行うとのこと。破水したときに、いろいろ危険の可能性があるそうで、胎盤はがれちゃったりとか。
ようちゃんの時の出産が突然の破水から始まっているので、この点は自分でも不安だった。そもそも、どんだけ水でるの?みたいな単純なことも含めて。

そんな感じで羊水が多すぎるまま分娩もよくないみたいで、しかも水が多いと逆子になる可能性高く、それも含めて羊水除去にはなった。
帝王切開なら37週に入る6月8日以降の早い時期に、経膣分娩でも予定日より大分早い出産になるんじゃないかな。


芸術祭が終わってからしばらくしんどかった体調は、その後なんだか少し落ち着いてたけど、本格的に重くなってきて寝がえりなど大変。腰にもきている。息苦しさは大丈夫かと病院では聞かれるけど、それはほぼなく、胃が気持ち悪くはるけど食べれないというほどでもない。運動はほとんどできてないので、帝王切開でないとしたら、こんなんで出産の体力もつのかと不安になったりする。


来週の羊水除去の入院の話のことだったかなんだったか忘れてしまったけど、ようちゃんが「みおちゃんととらちゃん病院行くの。ようちゃん、ひとりぼっちになっちゃう」と言っていた。
妙に絵本っぽい言い回しと思ったけど、ようちゃんは聞き知った言い方を、しかも割と劇的なやつでも、試すのが好きだからそうなんだろうなと思う。
その時は、一人じゃないやんと突っ込んだ気もするけど、寂しいとかそういうニュアンスをちゃんとつかんでるんだろうなと思った。
それを言った直後には、あらたと絡んで笑い転げていた。大したことじゃないのか、と思う。と同時にまあ、何かで頭のなか一色なんてことの方が実はあんまりないことなんだろうと思う。うちもとらちゃんのことは頭にのぼるけれど、他にもいろいろあって忘れているようなときもそれなりにある。でも全部完全にバラバラにあるわけでもなく、いろんな形で結びついているとは思う。





May 13, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭に関する記事の紹介。

 第5回まるネコ堂芸術祭、今年は来ていただいた方、記者の方、そして出展者の方もいろいろ書いてもらって、なんか嬉しかったです。せっかくなので私が見つけた範囲ですが紹介したいと思います。


「2025.4.20 - 2025.4.26」

「点滅日記」より

まずは、来てくださった方のブログ。
ラジオも確か全部聞いてくれていて初日に来場。まるネコ堂芸術祭のことを特にとりあげて書こうというブログではないんですが、日々の出来事のなかで記録してもらったのは特別な感じ。ラジオは広報のためにと思って始めた。うちうちで出展者の話をある種フォーマルに聞くとてもいい機会にはなったけど、やっぱりリスナーがいるのはありがたく、会場に来てくれて嬉しかった。


【宇治市】一軒家をリノベーションした独特の空気感の中、芸術作品を芸術家と共に楽しめる「まるネコ堂芸術祭」が開催

「号外NET 宇治市城陽市」より

開催前に宣伝もしてくださり、初日のオープニングパーティーにいらしてくださいました。忙しい中ありがとうございます。事前にこのブログやサイトも見てくださっていて、写真もたくさん掲載してもらい丁寧な記事が嬉しいです。メディアに掲載してくれるからというだけでなく、来てもらえるのが嬉しい記者さんです。


まるネコ堂芸術祭は、見るよりやるのがたのしい。
まるネコ堂芸術祭から帰ってきた。

「佐川友美 ーSAGAWA TOMOMI」より

出展者の佐川友美さん、さがちゃんのブログより。
さがちゃんとは芸術祭以外でのかかわりもあるが、より濃厚になって過ごしているのがたのしかった。芸術祭を楽しんでくれる中で、まるネコ堂の生活というか、私たちの一つ一つの生活での選択をまざまざと観察している。それを文章にしてくれているのがパンチがある。こんなふうに書く人は少ないかもしれないけど、思っている人はそれなりにいても不思議じゃないと思った。そういうことを書いちゃう露骨さがさがちゃんの文章の魅力かもしれない。
ニューヨークに引っ越すかもということでカーテンの出番が短くなってしまうのではないか、意外に早い作り変えがあるのか、その辺もちょっと気になる。


「N!」より

出展者の西村眸さん、ひとみさんのブログより。4部作の大作。
個人的には①を結構面白く読んだ。すゆみさんのワークショップに参加した時の感想だ。やることとしてはピアノの生演奏を聴きながら絵を描くということで、そのことは前から知っていたが私は参加しなかった。ひとみさんが音楽を聴いてもほぼ何もイメージできないというようなことを書いているけど、窓越しに音楽を聴きながら私もなにも思い浮かべられなかった。そこから何かしよう、何か考えようと試行錯誤するひとみさんの記述になんだか突きつけられた。うちだったらそんなふうに楽しめただろうか。そういう機会があれば楽しんでみたいと思った。④のふりかえりの果敢な感じも印象に残った。


すゆみさんの5月7日のInstagramの投稿

「@sakana_no_suyumi」より

出展者のすゆみさん。本当にエナジェティックで、投稿に付された文章もそういう力を感じた。完成度ということの前に、やりたさを素手でつかみ取っていく感じがする。私とほぼ同じ予定日で妊娠されていて、体調不良もろもろで低空飛行気味だった私から見るとめっちゃ元気で体力があるように見えた。芸術祭にも4日間、どこかの時間は会場におられた。そこにはこの8年やそれ以前の経験が下支えするものがあるんだろうと思う。そういうことを思う展示でもあった。制作の進展もだけど安産もお祈りしてます。



こういう文章を読めるのはとてもありがたかったです。
紹介記事以外も、面白い文章や写真を掲載している方ばかりなので是非是非フォローしたり、他の記事も読んでみたりしてください!






May 11, 2025

ちょっと久々の妊婦健診。

2週間ちょいぶりの妊婦健診があった。
朝、新とようちゃんに今日は病院行くと言うと、ようちゃんが「みおちゃん、病院(行くの)いや」と言っていた。最近抱っこができないし普段は本当に私は人気がない。「みおちゃん、いやーーーーー。たかがいいのーーー。」と走って逃げることもしばしば。それでも、そんなこと言うんやなと思った。羊水除去の時に一泊帰って来なかったのをよく覚えてるのかも。

羊水が多いのはしんどい、けれど出来れば羊水除去の2回目も避けたい。ちょっと前からとらちゃんに羊水を飲むよう頼んでみた。
無理なお願いなのか、それならやってみようと思える範囲なのか、とらちゃんの体調は不明。あらたとようちゃんも、時折一緒に頼んでくれる。2人はとらちゃんとの交流は、私のヘソ越しが一番効果的に思えるのか、ヘソをマイクのようにして話す。羊水過多だし、お腹パンパンやからもうほぼ平らなおへそになっている。


病院ではとらちゃんの心エコーの2回目。
この検査が結構疲れる。
1時間近くエコーを取り続ける。
流石に2回目で、その辺も知ってるので遠慮なく寝ていたけど、動かないようにと緊張はするのでぐったりする。
結果は1回目と特に変わらずで、左右の心室の間に穴がある。手術が必要な可能性は高そうだけど、詳しいことは生まれてみないとわからない。


心エコーの説明が終わると、妊婦健診。
こちらもエコーをして、子宮口はちゃんと閉じてる、との言葉にとりあえずほっとする。今日も帰れる。
羊水除去の提案があるかもと思ってたけど、うちが苦しくなければ様子見でよいようだった。気持ち悪くなることもあるけど、耐えれないほどではないのでそう伝えた。

とらちゃんは頭がかなりでかいようで、今後様子を見ないとわからないけど、骨盤を通らない大きさになったら帝王切開だそうだ。念のため帝王切開できるよう今後の検査など予定していくらしい。いろいろ体調には問題がありそうなとらちゃんなので、なにかそういう理由で帝王切開はあり得るかと思ってたけど、まさかそんなわかりやすい物理的な理由で帝王切開とは。
どうやら他には、帝王切開をしないといけない理由は今のところないみたい。今後そんなに頭ばっかり大きくならないといいけど。

そっから、事務処理がいろいろあって、更に自分の心電図。
心電図なんか妊娠中にやったの初めてでこんなのするのかと思った。そっから会計で、なんやかんやで4時間くらい病院にいた。

帰り際、駅まで歩いている途中なんだか疲れていた。急に「京都 蔦屋書店」でやっている山口真人展のことを思い出してしまい行きたなった。ここからさほど遠くない。いくら理由があるとはいえ、毎回のように長時間の病院にまったくやさぐれないわけがない。展示見たいなぁ。なんだか疲れて甘い物が欲しくなってしまった時の感じを思い出す。行っても大丈夫じゃないかと思ってしまったけど、そんな事でなんかあれば結構後悔すると思ってやめておいた。
見たかったなあ。また機会があれば。


生産期に入る37週まで、だいたい4週間になった。羊水過多は早産になりやすく、入院も覚悟してと言われたのが3月末だったので、なんとか一カ月ちょい耐えた。

いったいとらちゃんはどんな人なんだろか。
せっかくなので、これからの生活のことを長期的に考えてみたいと思ってたけど、家にいれる間にやれることはやりたいと思うと目の前のことに走っている気もする。


夕方から母が来てくれてしばらくしてようちゃんが帰ってきた。「おかえり」と声をかけたけど、ようちゃんは一目散に母の方に走って行った。




May 9, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭レビュー、その2

他の出展者の作品への感想です。

オニィ・ワールド

大谷 美緒(「あんころもち」)

6歳のアラタが描いた鬼の絵を元にしたLINEスタンプやシール。「芸術作品」というよりももっと、気軽、気楽、身近、チープなところに表現の領域を作り出している。「作品を作ること」が主目的というよりも、「作り続けたさ」を自分(達)に与えようとしている。作ることを継続するために綱渡りのように断続的に成果を実らせていくスリリングさ。
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ZINEつくってみた!

西村 眸

写真、イラスト、テキストの混じったzine。写真のシャープな印象とテキストのちょっと不思議な感じ、イラストの可愛らしさに色々な自分自身が表現されている。それぞれの異なるキャラクターが入った「雑誌」的自分。自分を部分として扱わないでいる。トップの写真は展示場所でもあるその部屋を最近写したものなのに、なぜか異国情緒や遠くの憧憬、懐かしさを感じさせる。
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からだを感じる 見ている意識

宮後 りさ

展示空間の構成が練られている。突き当たりの薄暗がりに浮かび上がる青い絵が、展示方法と相まって印象的。今回は絵画がメイン作品だろうけれど、インスタレーションをやっても面白そう。冊子の形で提示されたテキストは固有名詞が説明なしにどんどん出て来て、隙間が多いが、生身の正直な感覚が描かれていて独特のドライブ感を持っている。読んでいる側が積極的に埋めようとして文章に引き込まれていく。
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私とカーテン、付き合いたて

佐川 友美

布の質感がとても良い上質なカーテン。こうして作品として提示されると、これまで僕がカーテンというものに「貧相な役割」しか与えて来なかったことに気付かされる。美術作品としてのカーテンと言うと柄やレースといった装飾的な要素を思い描いていたが、無地で生成り、シンプルな縫製がとても機能的で美しかった。日差しの透け具合が絶妙。手縫いであることを納得させる存在感がある。たしかに、カーテンとも長く一緒に過ごしていけるとうれしいなと思った。
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波を乗せて、海は、まわる

今井 雅子

昨年まではモビールを作っていたのに、今年は起き上がりこぶしなのか、とちょっと驚いたけれど、作品を見るとモビールと同じ雰囲気があり、実は同じ「ジャンル」になり得るのかと発見があった。物理的運動と美的造形の重なった場所を、一つの表現領域として提示している。風鈴や風車なども同じ場所にあるかもしれない。揺れと光・色が重なるアイデアを形にする制作技術の洗練を感じる。
リンク

さかなのすゆみー星になる 〜アートは自分から自分へのギフト〜

すゆみ

一部屋全てを作品で埋めるパワー。溢れる色、形、物語が、躊躇いなく表に出ているように思える。貪欲さや欲張ることを肯定している感じがすがすがしく心地よい。やってみたいことに果敢に挑戦していくことやその結果の失敗、挫折に苦しむこともすべて内部に含んだ、力強い肯定的な赤い部屋。

狭間に揺れる情景

濵田恒太朗

昨年までの「ヨハネの黙示録」シリーズを現代の自分自身の境遇の中で解釈し直している感じ。日常の中の東京の街並みを、黙示録的に見える瞬間として捉えているようにも見える。そういえば僕も、何年に一度、ものすごいとしか言いようのない夕焼けに遭遇して、「あの夕日に見える赤い球体は、実は、遠方で炸裂した新型爆弾なのではないか」と身震いする時があるが、それを思い出した。制作過程の「うまくいかなさ」を露呈した冊子が添えられており、そのメイキング・プロセスに独特の魅力があるが、完成した油画作品が与える印象とズレがあって、それが一致してくると、さらに奥行きがでるかもしれない。

祈り

山本成実

内容的には、「自分なんて」という「隠れている」表現だけど、選ばれている画材は、しっかりした製本のMDノートにペン。一度書いてしまえば、失敗したと思っても、書き直したり、ページを破ったり、別の色で塗り込めたりできない。あたかも下書き無し、推敲なしで、いきなり書きつけたかのように見える。独特のリアリティとみずみずしさがある。


どの作品も何かを感じたり思ったり考えたりと触発されるものがあり、この作品たちが存在するなかで過ごせたのは有意義でした。

May 8, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭レビュー、その1

西村眸さんがブログで芸術祭の振り返りをしていて、それがとても良かったので真似します。

いろいろと考えることがあったので、第5回まるネコ堂芸術祭について、書き留めておきたいことを残しておきます。

芸術祭期間中について

前回(第4回)までは、鑑賞の邪魔をしないほうが良いのではないかと、観に来てくださった方の様子を伺っていたところがあったけれど、今回はできるだけ喋りかけてみることをやってみました。自分の作品についてだけではなく、他の出展者の作品についても僕なりに思うことや感じることを勝手にしゃべりました。

結果どうなんだろうか。鬱陶しがられていたかもしれないし、そうでもなかったのかもしれない。それぞれの鑑賞者にとってどうだったのかは正直なところよくわかりません。

でも一つ確実に言えることは、僕自身はとても楽しかった。

自分が話をしたり、なにか言ってもらったり。それに対してまた何か考えて話す、そういった複数のやり取りができた。しかもそのやり取りはほかでもない、自分自身の作品や表現、一緒にやってきた仲間の作品を通してだった。

とても幸せだった。

自作品「アラタ文字によるポスター用手描きラフ」について

今回の自分の制作を通して得られたも最も大きいことは、自分が表現したいと欲する漠然とした雰囲気を、最終的に作品として成立させるためには、形式やスタイルというのが重要なのだと実感できたこと。

形式が重要なのだということは理解はしていたけれど、形式の持つ重要性の、一体何がどう重要なのか、という実感はあまりなかった。今回とりあえず、その重要性が、要するに「作品として成立するかどうか」という判断そのもの結びついていたのだ、と思えた。

いただいた感想から、「手応え未満、記号成立未満の感じ」について。

ありがたいことに作品に対して沢山感想をいただいた。すべてとても貴重で、大事にします。ありがとうございます。

そのなかで一つだけ挙げると「フレームを傾けると文字がばらばらと落っこちそう」というものが印象的だった。これは全く想定していなかった。けれど、そう言われて見れば確かにそうで、自分でも驚いた。

後付で考えてみると。

アラタ文字は見様見真似でアラタが見本を模写したもの。正規の文字学習で「文字として練習で書いたもの」とは異なっている。現に、この春から小学生になって国語の時間でアラタはひらがなを点線をなぞるようにして練習しているが、「アラタ文字」のようなものは書いていない。

アラタ文字は、文字が文字として確定される以前の、固定化前の図像で、それがかろうじて文字としても読める状態。記号というもの自体がまだ、アラタのなかでも完成していない「これで字(記号)になっているのだろうか」という不確定な感覚で描かれていた。その仮止めの感じが、画面を不安定にさせていたのかもしれない。

「こんなんでいいのだろうか」。何かを確かに手に握ったという「手応え」に至る前の感じ。とても興味深い。この感じをもう少し進めてみたいと思いました。ありがとうございます。


May 7, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭。「あんころもち」をやって。

第5回まるネコ堂芸術祭が終わった。
出展者での振り返りが終わって、いよいよ終わったなぁという気分が。

寂しいなぁと思うくらい楽しかった。
今年の2月3月はあらたが保育園の卒園で、大変そうだった。4月になって学校を楽しみ始めた新が「小学校、楽しいな。でも、行く前は楽しいって知らんかってん」と言っていた。

第6回も開催するつもりでいる。作っていくのは自分たちだけど、やる前から楽しいかどうかわからないのは一緒やなと思った。前が楽しかった分、次はどうなるんやろうという気持ちもある。誰が参加するのかもわからないし、同じ人でも去年と今年では事情も、やることも違う。
次も楽しんでいけたらなと思う。

オープン前に出展者でのオープニングミーティング。残念ながら、あんころもちの新は不在。

初日に、出展者が集合することはこの2-3年普通のことになってきたけど、コロナの頃に始まった芸術祭なので、最初にみんなが集まった時の感慨をいつも思い出す。それに遠方からもこうやって駆けつけてくれることがありがたい。
残念ながら新は学校行事が重なり今回不在。

芸術祭全体のことや出展作品に関して書きたい気持ちもあるけど、とにかく自分のやったことについて書いておきたいと思う。

ちなみに、芸術祭サイトではこんなふうに作品案内を出しました。


今年は「あんころもち」というユニットを6歳の息子の新と組んで出展。
正確に言うと二人で出展することを決めてから、ユニット名は決まった。
新が、説明の文を書いたり、考えたりしたことを発言するということは今は難しく「あんころもち」の外相・広報はほぼわたし。新の弁明は、いつか聞けることがあれば教えて欲しい。

ちょっと話はそれる感じもするが、大学の時に作品があるといろんなことが思い出せるなと気づいた。この絵を描いた時期、こんなことがあったなとか。絵を見ても思い出すけど、記憶というのが絵に絡まってある感じがして、いろいろ思い出したときに絵のことも絡まって思い出してしまう時がある。
周りの反応や、照れくささやそんな感情も引っ張り出されてくれる。

今回の作品、制作の日々をどんなふうに未来に思い出すのか楽しみだし、きっといろいろ思い出せるような期間になったであろうことがすでに結構嬉しい。

しかし正直、開催時期が近づくにつれて喧嘩を連発していた。まあでもそれを思い出したくないことは全然ないし、あんだけ喧嘩したのに、「あんころもち、一旦終わりやな、お疲れ様。」とあらたに言うと、「まだ終わってないで」と返ってきた。


作品の完成度みたいなところの意識が新と私では違うので、その辺が合わせきれなくてヤキモキすることは多かった。「もうちょっと」と思うと何回でもやり直したい気分になるときもあるけど、新はそういうことはなかった。「やってみる」ことの方が大事で楽しいことのようだった。
自分がイライラし始めると、「ああ、この辺に自分のこだわりやら、譲りにくいことがあるのね」とわかるようになってきた。そういう自分自身を知るのに、外部からの圧力があるのはユニットを組んでいることの利点だろうと思う。
新は「やってみる」から「作品完成」までの距離が随分短い。もう、「やってみたものは作品完成」くらいの距離だ。でもなんかその瞬発力はそれはそれで見習うところがある。



新はそれなりに興味を長期間引っ張れる人だと思うけど、興味の持ち方や継続の感じも違うなと思った。この辺はどううまく行ったのかわからないけど、ずっと楽しいものを作りたい。楽しくやりたいという感覚がわたしにあった。子どもがなにか熱心にやってるときは何らかの楽しさともなっているという姿を見て来たからだと思う。
結果的に作ったものがLINEスタンプとシールになったのもそれが理由だと思う。
LINEスタンプは手っ取り早さもあってやったが、新はLINEを使わないという事実が出来上がってからあんまりだったなと思った。うちは楽しく使っている。
シールは楽しかった。出来上がったものを見て反省があったり、遊びがあった。
実際には、一時的に面倒になったりしつつだけど、沈んだり浮かんだりしつつ進んだ。


4月の月1のミーティングで制作途中のものを見せびらかす。


芸術祭が終わってから次はこんなシールやりたいと、新のリクエストがあり、それも作った。それはもう発表するものではないと思うと、あらたの好きにデザインさせてそんなにやきもきもしなかった。自分たちで作れるおもちゃが出来た感じがして楽しかった。そうだ、絵本作りが頓挫しているが絵本を描きたかったのも、自分たちが読む・遊ぶ絵本が欲しかったからだった。

芸術祭2日目から在廊した新は、お客さんが来るとシールを楽しそうに配り歩いていた。無料(投げ銭歓迎)で配ることにしていた。そういう仕組みも最後の最後で、喧嘩の末の、双方の妥協を経て直前に決まった。無料だから多少無理やりでも気兼ねなく渡すことができた、それは今回よかったと振り返ってみると思う。
シールを渡すとき口下手で説明もあいまいなので、しっかりしてくれよと思ったりもしたが、必死に渡しに行く姿を見て、この制作は新のなにかにはなったんだなぁと思った。

オニィステッカーは、12種類。箱から1枚引いてもらう。どの柄が当たるかはわからない。


原画とか誰かのアイデアをデジタル化していくというオペレーションの楽しみを見つけれたのも今回とてもよかった。デジタルにするときに、こういう風にできるよという自分の技量やアイデアを入れれるのも楽しい。作品の署名はもちろんアイデアを出した人にあるけど、なんだか自分とは関係ない他人の作品だと思わない感じが出てきた気がする。

まだまだやってみたいことがいろいろある。
いろいろ途中であまり締めくくれなかった。



May 4, 2025

今年の連休の考えごと(メモのような)。

芸術祭のあと、また羊水が増えたような気がして芸術祭までより生活がしんどい。
だいたい「増えたな」と実感すると1-2日はお腹の皮が伸びた感じで痛かったり、慣れない感じが困ってしまい。それから5-6日は、少し楽になりなんとなく同じ感じで過ごせて、また「増えたな、しんどいな」という感じの日が来る。

今回はもう流石に結構増えてるのか1-2日経っても少し楽だなとは思えなくなってしまっている。
また、羊水除去になるんだろうか。週末に久々の妊婦健診。約2週間ぶりなので久々でもないんやけど、毎日がとてもながいので久々に感じる。

とはいえ、今日から妊娠9ヶ月に入った。32週目。
なんとかかんとかここまで来れてよかったと思う。
とらちゃんは、羊水過多で胎動は感じにくいけど、それでも力強くなってきている。たまに「しゃっくりかな」と思うような、微細な動きも感じるようになった。
まだ、1ヶ月と少しはお腹で頑張って欲しいと思う。

懸案の一つだった、歯科治療がひと段落した。
順調な妊娠経過だと余裕だと思っていた治療。4月に入ってからは隆に車で送ってもらい、長期入院もなくでなんとかかんとかだった。


4月以降今の事情を話したりすると、できることは言ってと言ってくれる人が多くすごくありがたい。それぞれ事情がある中でこんなことならできると言ってくれたりする。
最初はなかなか言うのも大変で最善を尽くして生まれても1週間で死んでしまうかもしれないのにそんなに大事にすることないんじゃないか、という反応がかえってきはしないかと思う気持ちがあったけどそんなことは今のところない。いろんなことを思う人はいると思うけど、隆や新やようちゃん以外の誰にも伝えていないという状態から少しづつ知り合いに伝えていって、その時と今とは結構気持ちが変わった気がする。大事なことを伝えるということは大きな経験なんだなと思う。
というか、生まれてもすぐ死んでしまうかもしれないそもそも生きて生まれてこれるのだろうかという中でそんなに大事にすべきか1番気にしたのは自分自身だったのかもしれない。仕事のキャンセルもしたし、新も葉もいる中で動けないと隆を中心に負荷が増える。羊水過多で、子宮は普通以上に大きくなるし、静脈留もひどくなるのだろうか。自分の体はどうなるのか。産後の体はどうなるのかという不安もある。
かなり乱暴な書き方だけど、非常に大きな賭け金をかけて‥みたいな気分がなかったとは言えない。
今は、まわりも自分もしんどかったりするけどこれ自体が生きてるってことかという気分になってきた。なにか複数ある未来の選択をしてるわけではないというか。賭けたり、賭けるのをやめたりできることをしてるのではないという感じというか。
大事にして、楽しみにした分、それで何かあった時には辛いのではという気はするけど、大事にして楽しみにできた方が楽しいなと思う。過ごすということの意味が変わった気がする。これは別にとらちゃんのことに限らない。


疲れやすい。羊水過多以外に母体の異常はないようだから、重さの影響は凄まじいんだろう。
今までの臨月よりしんどい。臨月なら、だるいと思ってもどちらかというと意識的に体を動かしたけど、今はだるくて動きたくないと思ったら出来るだけそのようにしている。 
動くのは基本億劫なので子どもに怒鳴ることが増えた。近くに行って話せば済むことがなかなかできない時があるから。声だけでかくなる。


何故か今だにコーヒーが飲みたくない。ときどき飲みたいような気分になるけど、実物を見るとやっぱり違うなと思う。
飲みたくないから飲まなくてもいいっちゃ、いいんだけど、飲んでいた時のおいしかったり、気分がよかったり、一緒に飲めたりするあの感じを時々思い出す。あれができないのは寂しいなと思うようになった。

とはいえ、どんなに遅くてもあと2ヶ月ほどもあれば生まれてくる。しばらくしたら大方自分の身体はもとに戻るんだろうな。どんな生活になってるのかまだよくわからない。





May 1, 2025

4月中頃~まるネコ堂芸術祭まで。

芸術祭前最後の妊婦健診があった。これで大丈夫ならほぼ芸術祭に出れるだろうし、なんかあったらダメだなと思いながら行く。

芸術祭に出れるのも気がかりだけど、そもそも入院になると家がめっちゃ大変になる。多少やっている家事もできない。最近うちは、抱っこもできないし、しんどいからそっけないのもあり人気はないのだが、それでも新も葉も気にするだろうから隆の負担が大きくなる。助けてくれると実家の家族や友人から言葉ももらってるけど、それでも家に居れるのが断然いい。

NST(あかちゃんの心拍やうちのお腹の張りをみる)にMRI(あかちゃんの断面図みたいなのをみるのかな)にと、結構時間のかかる検査を終えて最後に診察があり帰宅できた。
会計と処方箋でそれから1時間以上で、なかなかこれで時間がかかる。

MRIの結果は多分次回。久々に次の受診まで2週間あいた!


芸術祭は楽しかった。
うちがいないかもという想定を結構してもらっての開催だった。なんか自分が頑張るより掃除もしてもらったし、いい雰囲気になっていたんじゃないかと思う。
初日の朝、朝食を作るくらいまではそれなりに動いたけど、ちょっとお腹がしんどくなってきたのであとはだいたい座っていた。

久々に会った友人に顔を見るとほっとしたわとか、思ったより元気そうでよかったとか言ってもらった。

お腹の赤ちゃんのとらちゃんが、18トリソミーの可能性があること、普通に元気でないことは「妊娠してるんですか?」とか「順調ですか?」とかいう話題になるとなんとなく話した方がいい気がしてだいたい話している。
最初はマイルドに伝えようとして、赤ちゃんは元気だけど切迫早産気味と思われたり、心配あるかもしれないけどきっと大丈夫よ(普通に元気な子が生まれるよ)、みたいに返答されてなんだか伝わらんと思ってしまっていたので、だんだん結構がっつり言うようになり相手をなんだかびっくりさせたり、なんて言っていいかわからないと言われたりして、それはそれでこれでいいのかとも考えなくもないけど伝わってはいる気がする。

前は健康であることはいいことだと思っていて、いまでも不摂生とか運動不足とかはよくないと思うけど、そもそも体が弱いみたいなことはまた別次元にあって「とにかく健康であれば」みたいなことを極端には思わなくなった。
芸術祭が始まる少し前はじめて「産まれてくるのが楽しみだな」と思った。というのもそれはとらちゃんに限らず、新の時も葉の時も意識的には思わなかった。それは多分臆病だからかもしれない。
ちょっとでも元気に産まれて家で過ごせればいいな。楽しく一緒に過ごせる仕事や生活を考えて行ければな思う。


芸術祭が終わって、さすがに疲れていた。
宇治市では妊娠8か月ごろに市の助産師や保健師の人との面談をするようになった。ようちゃんの時はなかったと思う。その人たちが来てくれた。
事前アンケートで18トリソミーかもということは伝えて、そうなった時、使えるサポート制度などあるかなど聞いていたのでいろいろ教えてくれた。
産まれてからの子どもの医療費に関してはかなり安価になるようでほっとした。訪問医療でもそんなにかからないらしい。

18トリソミーかもと言われたり、もっと前の時点で羊水検査を進められた時も思ったんだけど、普通に産もうと思えたり迷ったりできることっていうのはいい国だなと思った。
あんまりゴリゴリ調べたわけでもないけど、医療は受けれるわけだし、それなりの病気があったときにはそれなりの支援もあるようだ。そうなってみれば、それでもまだまだしんどいとかはあるんだろうけど。とりあえず、現時点で無理だと思わなくてすんでいる。


芸術祭では新が私と作ったステッカーを熱心に配ってくれた。
12種類あるステッカーを紙の封筒みたいなののなかに入れて箱に入れた。くじ引きみたいな感じで一人1枚引いてもらう。
どの柄が出るかはお楽しみ。欲しい柄が出て喜んでいる人がいたりも嬉しかった。

熱心な新の姿がよかったのか、投げ銭もそれなりにいただいた。うちは新が熱心になれるようなものがちゃんと培われていたのかということにほっとした。それに関しては全く自信がなかった。


April 24, 2025

第5回まるネコ堂芸術祭、紹介してもらいました。

明後日から始まる第5回まるネコ堂芸術祭のことを「号外NET 宇治市・城陽市」と「Yahoo!ニュース」にて紹介してもらいました。
同じタイトルですが少し違ったポイントで書いてくれてます。紹介ありがとうございます。
今週は毎日のように出展者が搬入や会場のお掃除などに来てくださってます。

準備期間も残りわずかとなりました。是非、お越しください!

第5回まるネコ堂芸術祭

日程 2025年4月26日(土)~29日(火・祝)
時間 11:00~16:00(最終日のみ15:00まで)

会期中のイベント情報・その他詳細はこちらから!

April 22, 2025

表現研究会第4クールのレジュメ

表現研究会で大谷隆が発表したレジュメです。

「junaidaの絵本とゲーム」

2025-04-14 大谷隆

junaidaとは

画家。1978年生まれ。Hedgehog Books代表。京都在住。

知ったきっかけ

僕がjunaidaさんを知ったのは2024年。ロームシアター京都の蔦屋書店で「IMAGINARIUM」の表紙が目についた。この本は間違いないという「あの感じ」があったので、その場で買おうと思ったが、絵本がいくつかあるようなのでそちらも調べてからと思って家に帰り、まず「怪物園」を注文。アラタも葉ちゃんも気に入ってくれた。それから積極的に集めはじめる。画家というよりも絵本作家として。

持っている本のリスト

  • 怪物園」2020 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • 街どろぼう」2021 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • Michi」2018 装幀:Hal Udell
  • 世界」2024 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • IMAGINARIUM」2022 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
  • 」2019 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)

奥付めくればcozfish。

遊ぶ(プレイングな)絵本

美しい絵であるだけでなく、アイデアがあって、面白い絵。画から離れたところから「見る」「眺める」という視覚的なものというよりは、絵の世界に入って体験する感じがあるのがとても良い。絵の世界で遊ぶ(play)ことができる。

主題が画面の真ん中にあって、そこに視線が集中するといった、消失点のある透視図法的な画面の構図は少なく(そのような絵もあるが)、画面全体のあらゆるところに、何かが息づいていて、絵の中に潜入することで、意識の周囲に絵の内部世界が立ち上がって、そこに滞在することができる。全体を見通すことができず、視界は部分に限定される。物陰が重要。曲がり角の向こうがある。

好きな点の1つ目として、登場人物への〈感情移入〉に頼らずに、表現された世界への〈潜入体験〉を実現していること。むしろ、登場人物の感情表現は、かなり控えられている。それでも〈潜れる〉。このあたりに「現代的な絵本」を感じる。登場人物への感情の〈同化〉とは異なる方向で「ドラマ」を生んでいるように思う。

感情の移入や同化によって臨場感を出そうとすると、「子供向け」のものはどうしても啓発的・教育的になることが多い(大人向けだと露悪的な方向もあるが)。その点でもjunaidaさんの作品は、「正しさ優位」にならざるを得ない「教育啓発」的雰囲気とは違っていて、非生産的な「単なる遊び」の領域にとどまる。善悪基準から自由なところで面白さを実現している。

好きな2つ目。絵本は普通、「絵と文」という構成要素で捉えられる。別の言い方だと「視覚と言語」。でもjunaidaさんの絵本はそのような二分法で捉えるものというより、それより上位にもっと能動的な体験があるように思える。だから、文章がどうこうとか絵がどうこうというだけではすくいきれない魅力がある。

この上位の魅力は、もう少し突っ込んで言うとすれば、ゲーム的な面白さだと思う。ゲームは「視覚や聴覚や言語的なメディア」という言い方よりもまず「積極的なプレイ体験」として意味がある。自分自身が主人公として行動することでそれを実現している。

junaidaさん自身がゲーム好きだったりゲームを意識していたりするのかは不明だが(検索しても出てこなかった)、そういったゲーム的な能動性を誘発する感じがある。ゲームの面白さと似た面白さがある。

「ほぼ日」のjunaidaさんのインタビュー

junaida 僕の場合は、僕の絵を見て空想してもらえたら、うれしいですね。 

junaida その絵の直前直後の場面、このキャラクターはどこから来たのか、これからどこへ行くのか、いったい、どんな性格してるんだろう、こっちのふたりは友だちかな、恋人どうしなのかな‥‥。そういう、絵の前後左右を自由に想像できる余白みたいなことを、つねに意識して描いているので。 

(インタビュアー) お客さんって、そういうことを絵の前で、話してたりするんですか? 

junaida してますよ、たまに。友だちどうしで来てくれたりすると。そんな場面に遭遇すると「あ、遊んでもらえてるなあ」って。

ほんとうにjunaidaさんの絵本は遊びたくなる。「物語の世界に誘われる、ひたる」というよりもさらに一歩進んだ「そこで遊んでなんぼ」感が強い。

持っている作品のゲーム的だと感じる側面

「怪物園」

文字通りロールプレイングゲームのモンスターのよう。ポケモンだったり、古くは「ドラゴンクエスト」の鳥山明のキャラクターデザインも想起する。それぞれの怪物の背景に「設定がある」感じ。横顔、正面などがあって、一つ一つが考えられていて、そのようなモノとしての存在感がある。

「みち」

アイソメトリックな視点で消失点が無い。ゲーム用語的には「見下ろし型2D視点」。迷路のような道を指でたどっていく。ものすごく原初的な「道を進んでいく楽しさ」がある。ゲームのマップ画面のよう。幼児期の記憶として残っている「未知の道」「曲がり角の向こう」「階段の向こう」のワクワクがある。進むだけで楽しい。階段があって高低差があったりするのも楽しい。テキストなしだけど、ストーリーもある。

「世界」

これもテキストはないが、明確にストーリーがある。生まれたばかりの主人公が育っていってあらゆるものと出会い、やがておじいさんになる。自分が世界をそのようなものとして捉えていく。

「の」

junaidaさんのアイデアは、誰も思いつかない斬新なアイデア、というよりもむしろ、誰しもが子供の頃に一度は冗談や遊びとして思い浮かぶような、「普遍的なアイデア」。それを高いレベルで実現している。緻密で過剰な表現力と想像力。

ゲームの話

で、今年はゲームの話をなるべくしていこうと思っています。

子供の頃(70年代から80年代)、小説と漫画とアニメとゲームが好きだった。このうち、小説、漫画(あと映画、テレビドラマなど)にのめり込んでいることに対して後ろめたさはほどんどなかった。

一方で、アニメには若干、ゲームには強い「非社会性」を感じていた。ゲームは、漫画・アニメのあとに登場した最後のサブカルチャー。アニメとゲームは、まさに僕の世代をターゲットにして生み出されたもの。

たぶん今でもゲームは、一般社会的には「最下層のエンタメ=取るに足らない暇つぶし」という「下位」に位置していると思う。「ゲームなんてやってないで・・・」。僕自身、高校生ぐらいで、こんなことをしていてはだめだと思いゲームから距離を取った。それから20年以上のブランクがある。

5年ぐらい前に「マインクラフト(2011-)」が「世界一の販売数(ダウンロード数)」と知って興味を持って調べる。その時、「ボクセル(ピクセル)調の一人称視点なんてマニアックなゲームが世界一で、しかも10年も開発が続いてアップデートされているのか」と驚き、現代のゲームを取り巻く情況に興味を持つようになった。Steamのような世界規模のゲーム配信プラットフォームの存在もその時知った。

ゲームに対する社会的意識は、僕らの時代とは大きく変わっている。極端かもしれないが、今の20代ぐらいまでの人たちには、ゲームは教養(リベラルアーツ、解放のための技術)なのではないか。僕らにとっての漫画のように。

ヒップホップの人たち、ビートボクサーやラッパーもゲーム好きが多い。アニメ好きも多い。大谷翔平さんはフォートナイトでメジャーリーグのチームメイトと仲良くなった。山田涼介さんはapex legendsの「プレデター(上位750人、0.3%程度)」を達成。

80年代のあのころからずっとゲームに真面目に踏みとどまり続けた人たちのことを思うと胸が痛む。プロゲーマーの梅原大吾さんとか。

現在のゲーム関連で興味深い動き 2010年代以降

イェスパー・ユール『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』2016、原書2011

ゲームを学術的に扱った研究書。ゲームの面白さとはなにかを「学術的に」論じ(ようとし)ている。「ゲームの何が面白いのか」を議論する基盤を少しずつ積み上げていって、みんなで「ゲームの面白さ」の話ができるようにしていく。じっくりとした議論の進め方自体がとても面白い。それこそゲームをやってる感じ。少しずつワールドマップが広がっていく感じ。

日本デジタルゲーム学会 2011-

「本学会は2011年4月28日付けで、日本学術会議より「日本学術会議協力学術研究団体」に指定されております。」。ゲーム関連学会が、日本にも。

美術手帖2020年8月号 特集「ゲーム×アート」

今、一番元気の良いアート領域は、たぶんゲーム。未成熟なワクワク感。大きなメディアにあらわれてくるアート情報は、既にアートとして受容されているもの(絵画や彫刻など「過去芸術」)が多いが、現在の美術の内部でホットなのは「ゲーム」なのではないか。もう少し厳密には、現代美術の現在の主戦場は「漫画・アニメ」で、その次が「ゲーム」。村上隆もトレーディング・カード・ゲームを出した。たぶんデジタルゲーム開発もしたい(してる?)のではないか。

『ゲンロン8 ゲームの時代』2018

ゲームについての共同討議。1991年から2018年までのゲーム史年表とキーワード集。炎上した。

森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」2025

6月8日まで開催中。実は今、一番気になっている展示会。個々の作品を観たいというよりは、アートにおけるゲーム領域がどれぐらい「メイン」なのか、あるいは「周辺」なのかの現時点での感じを掴みたい。どれぐらいアートの世界にゲームがはびこっているのか。活性を持っているのか。観に行けそうにないのが残念。

ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』1938、ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』1958

「遊び」についての古典。実は「遊び」ついて真面目に論考された本は少なくて、古典はこの2冊が必読。あとはあまりない。哲学の古典としては比較的新しい年代。現代の「ゲーム」が置かれているのと同じような「取るに足らない」位置に「遊び」自体があったということだろう。「ホモ・ルーデンス」はホイジンガが65歳で、ようやく書いた本。「面白さ」を研究することの難しさ。

「絵本が登場するとき」阿部卓也、『ゲンロン17』収録 2024

絵本はもともと書物の一種というより、おもちゃ(玩具)に隣接・連続した存在だ、という側面がある。[94]

絵本は本というよりおもちゃだった。だから「電子化」されにくい。興味深いことに、おもちゃの一種であるゲームはもともと「電子化(デジタル)」されたもので、そこから逆流するように、おもちゃとしての絵本に、「プレイできる面白さ」が流入していることになる。

子供は絵本を何度も何度も、一字一句記憶するぐらい読む。ゲームで言うと、リプレイ性が高い。何度でも遊べる。こういうところも絵本とゲームとに通ずる回路があるように思う。

装幀(ブックデザイン)が重要なのも、おもちゃと考えると納得がいく。祖父江慎さん、藤井遥さんも楽しそうに遊んでいる、いい仕事。

以上


April 18, 2025

4月4日~4月中頃。

公開しようか迷うくせにとりあえずライブで書いておきたいという気持ちもある。

4月4日にお腹の子どものとらちゃんの心臓の検査に行った。
まさか1時間近くエコーするとは思わなくてびっくりした。
左右の心室の間に穴があるらしいことがわかったけど、医師があまりに落ち着いているのでたいしたことではないように聞こえてくる。とういうか、手術でどうにかなる程度ならたいしたことではないように思えてくる。
いろいろ説明してもらったけど、胎児のエコーは当然母体越しなので、生まれてこないと確かなことは言えないらしい。
その後は妊婦健診。とりあえず羊水が多すぎるので、それを抜くために1泊2日で入院することが決まった。

なんだかその日の診察でわかったことは、胎児のことはよくわからないということだった。
方向性は示されてる感じだけど、ぼんやりしている。

隆とようちゃんが一緒に来てくれた。
長時間で、ようちゃんは(とようちゃんと一緒にいた隆は)大変だったと思う。
帰りにスーパーによったらようちゃんは最近気に入っているブルガリアヨーグルトを2つも抱えて出てきた。

気が張っているとなんとなく疲れがわからないときがあるけど、ふとどっと疲れることがあってまあそりゃ疲れるわなと思う。

初めていろいろ知らされたときより少し落ち着いた。気がする。
体も使わないように心がけているというかいろいろ助けてもらいなるべくゆっくりしているからなのか、薬は飲んでるし張りも多少マシ。なんとなく羊水の増加速度も一時期に比べて落ち着いている気がする。

まるネコ堂芸術祭の方はLINEスタンプは完成させて、それだけになってしまうかもと当初思っていたけど、シールデータも完成できて今週来る予定だからそれも展示できそうで嬉しい。

いろいろ助けてもらってありがたい。


去年、京都市京セラミュージアムでの村上隆展に連れて行ったようちゃん。
テーマソングのmononoke kyotoを気に入ったようなので聞かせまくってPVも結構見た。
今朝は「いまちーかない、の本ここ?どこ?」と図録を探す。いまちーかない、はmononoke kyotoの歌詞。正確には「いましかない」。
鬼が見たかったらしく、彫刻の鬼の写真を見せて、満足しないようで、森美術館での「五百羅漢展」の図録の赤と青の鬼も見た。
村上隆の絵って普通に子どもが好きになってしまうものが多い気がする。結構熱心に見る。


羊水除去の日。
駅までタクシーに乗って、さらに病院最寄り駅からタクシーに乗ることにした。送ってもらってもよかったのだけど、ずっと車も酔うので電車でもいいかと。
途中であらたのクラスで一緒だった子のお父さんに会った。通勤途中。降りる駅が同じだったけど、特急では座れないんじゃないかと教えてもらい私は準急に乗った。
目的の駅に着くと改札にその人が立っていて、慣れない駅だと迷ってしまうかもしれないから勝手に待っていたとタクシー乗り場まで案内してくれた。不安な日ではあったし、とてもありがたかった。

病院でしばらく待たされて、急にいろいろ準備が始まった。
せっかくだされたお昼を食べる暇なく、点滴がつけられ、お腹はすいていた・・・しかし、今は食べれないからと下げられてしまった。しかも終わったあとも出てこず処分されてしまった・・・。食欲は健在。
着いてすぐカロリーメイトを食べていたのがちょっと救い。

分娩室に通された。分娩じゃなくても分娩台に乗ることがあるのかとびっくり。
看護師さんの準備がひと段落すると、ぞろぞろと医学生だろう人が入ってきてなんと見学入れて11人体制。いつも診察してくれていた主治医は平然とやるんだけど、いろんな立場で緊張しながらやっている人もいるので緊張する。
ぶっとい針が見えて怖かった。
多分あれで羊水を抜く。

1.5L抜いたところで、赤ちゃん近づいてきたのこのくらいにしときます、と終了。
ほんとは2L抜きたかったけどと言っていた。
緊張したのか37.7℃になっていて、よくあることなのか看護師さんも普通だった。

羊水を抜いたあと、お腹の張りが強ければ入院がのびると聞いていた。
幸い特に問題なく、予定通り翌日退院できた。
入院中に保坂和志の「プレーンソング」を読んだ。作中に出てくる若者たちも実年齢は私よりずっと上なのかと思うと、すでに古典な本に思えた。確か、1990年ごろ出版。

1泊2日で家に帰りつくとあらたが困っていた。
その日あったまるネコ堂ゼミの内容を聞いていて困ってしまったらしい。いろいろ考えることがあったんだろう。

あらたはこの春から小学生になって、思った以上に学校を楽しんでいてなので頑張っている。
ほんとうに思った以上。
朝5時に起きて、夜8時前に疲れ果てて自分で布団にはいっていく。

あらたの濃密な日々の影響をうけてるのか、羊水を抜いた日からすごい日数が経った気がする。
羊水は、また増えるかもしれないし、増えないかもしれない。
増えないにこしたことはないけど、増えたら増えたで仕方がない。
次回MRIを撮るそうで、それで正直なにがわかるのかよくわかってないんやけど、その日に合わせて次の健診もある。羊水の溜まり方とか、子宮頸管の長さとか測ってくれるのかな。子宮頸管が短くなると、早産の可能性が高くなってしまうので、入院を提案されるんじゃないかと思う。羊水は一時期すごいスピードで増えたほどは増えていないようには思う。多分。


こういう話をどういうテンポで書けばいいのかわからなくなったりよくしている。大変ではあるけど、落ち込んでいるわけではない。
もう、ほぼほぼ何かの疾患を持って産まれてくるだろうと思うので、とらちゃんが病気でなければいいと単純には思えなくなった。もちろん、症状が軽かったりするに越したことはないし、病院であればいいと思っているわけでもない。生きて行けるようにできる治療もすると思う。
でも、あまりにそういうことを願いすぎるとそれがいったいそもそもとらちゃんなのかよくわからなくなって、いったい自分が誰と過ごしているのかわからなくなるような気分がある。そもそもそうであるとらちゃんの根本みたいなものを否定するようなところまでいってしまう気がすると違和感があるんだと思う。
こういう気分っていうのを半年前の自分はほとんどわからなかった。だから、上手く言えないし書けないて気分がしてるのかもしれない。

April 14, 2025

「蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影」と「モネ 睡蓮のとき」

 蜷川実花展に行ってみた。写真だと思ってたらインスタレーションばかりで実はがっかりしてしまった。

周りの人たちが「かわいい~」「きれい」と楽しんでいる中、自分は楽しみ方がよくわからなかった。

ようちゃんがいれば・・・「これかわいいな~」「キラキラやな~」「あ!」と指さして喜んで見る。そんな姿を想像してしまっていた。
しかし、私は展示を出た後のグッズショップで写真集を見て癒されていた。これは理解できる、という感じ。

後日、まるネコ堂芸術祭の出展者とそんな話をしていたら、だんだん楽しみ方がわかってきた。
会場はどこもかしこも撮影OK。もうそれはほんとにガチのニナミカスタジオ。
かわいい、きれい、キラキラ、おどろおどろしい、ライティング抜群。そんなセットの中で撮影会を楽しむことができたはず。なんか、それを一人で行って・・・というのもそんなに写真にこだわれない自分としては微妙な話だけど、ようちゃんと行くなら楽しそうだなと思ったあの感じを存分に味わえたらな、味わってみたいな。ああ、余裕があればようちゃんと行きたかった。

何気なくとった写真からだけでも醸し出されるニナミカ風味。


意識していたわけではないというかもう前提として従来のスタイルの作品の出来栄えを吟味しようと出かけて行った。そんな自分とは違った気持ちでいれば楽しめることがあったんだろうなと思う。別の角度の体験というか、蜷川実花の制作の現場に入らしてもらい探索する感じかも。

そんなことに気づけただけでも、とてもいってよかった。
写真とか、色使いはとても楽しかったから、最近はあまり買わなくなっていたポストカードを思わず購入してしまった。

公式サイトの高橋 信也さん(京都市京セラ美術館事業企画推進室ゼネラルマネージャー)のっコメントはちょっとおもしろかった。

蜷川実花の視覚表現は、展覧会を重ねるごとに明らかに進化している。進化への激しい情熱もさりながら、その華麗な表現と共にどこに向かって進化しようとしているのか?

どこに向かっているか、少なくとも傍目にはわからないらしい。
うちは熱心にフォローしてきたわけではないけど、映画を作ったと聞いた時もそんなこともするのかという意外な印象は持っていた。


疲れていたけど次の予定まで時間があり、しばらくウロウロしていたが同じ会場でやっていたモネ展も見に行った。
次の週には転院があって、羊水も多いし無理しないように・・・と言われるのだけど、この時は異常はないと言われていたので、まあ歩いて体力つけるのも悪くないんじゃないのと思ったりして行ってしまったが、振り返ってみればもうこの日しかチャンスはなかったんだな。


何度も見たモネ。「モネ 睡蓮のとき」とタイトルを見ると、「後期のモネだね~」とピンと来るくらいには見て来た。好きだけど流石にもういいかなと思っていたけど絶対会期中来ようか迷い続けるからやっぱり見てしまった。

好きになった時ほどの感激は今はないけど、見たらワクワクするものだなとびっくりした。100年以上も前の作品だからオーソドックスだけど、当時は今流行りの漫画とか新しい配色の絵を見るような感覚に鑑賞者はなっただろうしモネはそういう挑戦をし続けたんだろうと今回よくわかった。色や題材そのものもチャレンジという感じ。

あの睡蓮のある庭は、もともとあったものではなく描くためにモネが造園した。
そこにあるきれいな庭を描いたのではなく、描くための庭を作るのはある種クレージーだと思ったりもした。そして、蜷川実花は撮るためにあそこまで造花を飾り立ててるのかと思うとちょっと似たとこも感じて隣り合った美術展として見ているのは面白かった。


モネの庭について検索していたら『北山村 「モネの庭」マルモッタン』という観光施設を四国に見つけた。モネの庭を日本に再現しているらしい。
本物(?)のフランス、ジベルニーの庭の方は見れるのは知っていたけどこんなのもあるとは!
「モネ イマーシブ・ジャーニー 僕が見た光」という体感型デジタルアート展も名古屋でやっているらしい。いろいろやってんねんな。

なんだかうちが楽しんできたのではないモネの楽しみ方というのがいろいろ出てきている。
うちは古典的な作品の形がすきなんやなというのがよくわかった。それがよくよく意識できたのでこれからいろいろ楽しめそうな気がしてきた。


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