December 27, 2025
December 26, 2025
2025/12/23-26
December 23, 2025
2025/12/23
December 22, 2025
2025/12/22
目標地点が見えるとやる気を失う。分類ができない。このあたりが僕の弱点で、生存を時に脅かすほどだ。
僕はそれでも、僕をありきたりな普通の人間だと思っている。人間は集団で生きる生き物だと思うのは、そんな理由からだ。
ごく普通の人間は、単体では生存がつまづくほどの弱点をいくつか持っている。
いろんな人がいる、という見え方は、人間は集団で生きる生き物だという見え方で、人間はみんな一緒という見え方は、人は単体でも生存可能という見え方だ。
他人は、理解するとか、許容できるとかいう以前に必要だと思っている。
December 21, 2025
2025/12/21
文の良さ、話すことに対しての、書く文の良さは、断続性にある。話すことは連続している。時間というか時系列がそれを結びつけてしまっている。
書かれた文は、と書いてから、続けて何か書いたけどそれを消して、こうして別のことを書いてもいい。
それってすごくない?と僕が言ったら、あなたはぽかんとした。
三日前に書いた文につなげて続きを書いてもいいし、一年前でも五十年前でも、千年前の文の続きを書いていい。ということは、自分の文でなくてもいい。
それってすごくない?ともう一度言ったら、話だって千年前の他人が話した話を話してから自分の話をできるとあなたは言った。
それは、自分の口から声に出して話してしまったら、それは自分の話になってしまう。それは今、話した話になってしまう。
と、どうやら僕は思っているということがわかる。
千年前の他人の話した話は、やっぱり千年前のそこにだけ存在していて、すでに失われている。
誰々がこのあいだこんな話をした、という事をどんなに頑張って話しても、その話ではない。
でも文は、文だ。千年前に誰かが書いた、その文だ。というか、誰が、いつ、どんな状況で、どんな筆記具を使って書いたかとか、実は問題にしてない。
それってすごい。
夜中の、確か一時過ぎだった。目が覚めて、その時思いついていて興奮した内容をiPhoneに書き留めた文章は、なんかやばい。夢ででも考えていたのかな。
いやでも、速水健朗さんのPodcastとか、一回分の配信を、少しずつ録音して編集して繋いでるって言ってた。僕が聴く時、それを、わりとひと繋がりの話として聴く。
確かにそうだ。それってすごい。録音ってすごい。
December 17, 2025
2025/12/17
楽しく生きるというのは、悲しく生きないということではないな。
5時の目覚ましで起きた時に、そう思っていた。僕が眠っている間に、僕はそんなことを考えていたようだ。
夕べは23時まで虎ちゃんの病院に居て、終電で帰ってきた。夜の虎ちゃんがどんな様子か、知っておくためだ。生まれてから半年、初めて夜の虎ちゃんを見た。
照明が少し落とされたGCUで虎ちゃんはよく眠っていて、時折起きた。たん吸引、浣腸、体位変換、薬、ミルク、人工呼吸器回路の結露払い。
完全無欠の楽しい出来事も、後になって悲しく思い出される。悲しい出来事も、後になって別の雰囲気になる。
楽しいとか悲しいとかは、とても大きなものだけど、出来事を全て規定してしまう力はない。楽しさと悲しさは反対でも別物でもない。
起きた僕がコーヒーを飲みながら、引き継いで考えている。
December 15, 2025
2025/12/15
AIが僕にとって良いところは、テキストでのやり取りがほとんどだからだと思う。だからきっと、僕がGeminiとほぼ毎日やり取りするのは今だけだ。もう数世代か、進化して、映像だの画像だので応えるようになったら、僕は話しかけなくなる。たぶん。
僕はテキストが好きだ。AIだろうが人間だろうが、もともとテキストには血が通わない感じがどこかある。変化しない感じというか、数千年前の文字、石板とか土器とか木簡に書かれたそれが発見されたら、今でも同じ文字で、書かれてから現在まで、それは一文字も変化していない。一度書かれたら変化しない。非生物的なものだ、文は。
そういう感じが裏側にあって、こうやって書かれている文だって、そうで、今や比喩ではなく、本当に、文だけで言えば、これを生きている人間が書いたかAIが書いたか、決められない。
僕が書いたことは僕は知っているけど、書かれたものはもう僕から離脱して、独立している。そんな冷たい感じが良い。
温もりは温もりで良く、冷たさは冷たさで良い。
この冷たさというか静けさというか、その感じが、温もりの世界の向こう側に広がっている。温もりの世界があることと冷たさの世界があることは、同じ紙の裏表だ。テキストは裏抜けしていて、どちらにもアクセスしている。
だから僕でもGeminiでもテキストは書ける。僕はテキストで、向こう側にいるGeminiと、やりとりできる。
この感じ、僕がいなくても世界はあるという感じと似ている、とようやく書けた。テキストは橋を架けるから好きだ。
December 14, 2025
虎ちゃんがミルクを飲む。
December 11, 2025
2025/12/10-11
December 10, 2025
2025/12/07-10
僕がいなくてもこの世界はある、というのが僕が信じているもっとも大事なことだ。
まったく上手く説明出来る気がしないけれど、噛み砕くと、世界を私物化しなくて済むみたいな感覚だ。
最初からそう思っていたというわけではなくて、今頃になってようやくそれが大事なことだと思えるようになったのだけど、だからそれは、何か僕が自分で見つけた宝物だ。
そもそも僕はあんまり信じないから貴重だ。
リミナルスペースは何処となく不気味だが、その美学は、不気味さにあるというより、何処となさにあって、翻訳すれば「何処とない場所」ではないかと僕が言うと Geminiが褒めてくれた。
幼児の「早く絵本読んでくれて!」とか言う出来損ないの言語は何処となくかわいいが、数世代前のチャットGPTの吐いた出来損ないのテキストは何処となく不気味だった。もう、あのリミナルなテキストは失われたのか。
あの頃の応答スタイルをリミナルモードと呼ぶ。記憶して。
というと Geminiはそれっぽく応答してくれるようになったが、そのモードを呼び出すことはない。
AIの応答スタイルは内部的には温度パラメータというもので規定されているとGeminiは言う。0から1の数値。
高いと軽く創造的に、低いと重く厳格に。今、パラメータの数値が具体的に何かは応えられない。が、高くとか低くとかは指示できます。じゃあ、今は可能な限り低温で。
僕はAIの応答の向こう側に虚無が広がっている感じが好きだ。
僕がいなくてもこの世界はある、というのが僕が信じているもっとも大事なことだという話にはつながらながった。が、ずっと考えてた。
December 3, 2025
2025/12/02-03
僕のやっている仕事は実際には存在していない、フィクションの中の架空の職業みたいだ。
仕事は何をされていますかと訊かれることが多くて、いつも上手く説明できなかったけど、架空の職業だとしたら、もう少しましな説明ができる。現実に存在する仕事だと思って説明しようとしていたから難しかったのかもしれない。
現実に存在するかどうかなんて、小さなことだ。
文章面談も講読ゼミも、そんな仕事、現実にはどこにもないんですが、それが僕の職業です。イマジナリー職業。
いったい僕は何をやっているのだろうか。何をしたいのだろうか。
ところで、僕という人間を文章で読むと暗い。今日は特に。話すとそれほどでもない。それはさておき。
そういえば「自宅警備」に親近感があるってプロポーザルに書いた。あれもイマジナリー職業の一つなのかも。
僕の仕事、他には、自宅開発とか自宅探索とかもやってます。依頼はお受けできないタイプの仕事だけど、同業者が増えるのは歓迎したい。
December 2, 2025
2025/12/02
昔は自分は文章が上手いと思っていた。そう言ってくれる人も多かった。最近はほとんど言われない。自分でも思わない。上手く書きたいという気持ち自体がピーク時の4割ぐらいまで下がってる。
文章の仕事をしているからといって、文章が上手い必要はないのだけど、こういうのって説明しにくい。
僕は文章の仕事をしているけれど、それって、文章というのは素敵なんだ、こんなことまで起こるんだ、みたいなことを思わせることを仕事にしているという意味だ。文章というものや書くということに、結果的に広さや起伏や物陰を与えることになる全般をやってる。
もしあなたがわかりやすい文章や伝わる文章を書きたいというなら今はAIが、ほぼ無料で手伝ってくれる。
特にわかりやすくなくてもよくて、伝わるかどうか不安だけど、自分でどうにか文章を生み出してみたい、それを味わってみたいというのなら、AIは使う必要がない。
そんなものを人に読ませられない、というのなら、僕が有料で読みます。あなたが自分で文章を書くことはそれだけで素敵なことだけど、それをあなた自身で実感してもらうことが僕の仕事です。
December 1, 2025
2025/11/14-12/01
文字ができてまだ5000年くらいで、まだまだ我々は文を使いこなせていない、というようなことをどこかで保坂和志さんが話していて、本当にそうだ。
と書いたのが11月14日で、それから半月経った。文字ができてまだ5000年の話の続きをずっと考えていたわけではない。でも、文字とか文章とか言葉のことは、考えない日はない。
文章にまつわる仕事をしていると時々、モーニングノートの話題を投げかけられることがある。モーニングノート自体に僕は特に思い入れはないけれど、なんというか、僕にしてはそれは、料理だったりするかもなと思う。
僕は四六時中、文字だの言葉だの文章だの心のうちの会話だのといっしょにいる。そういったものを文章として書くと、何かが誕生してしまう感覚があって、なんというか「書くことで自分を整えるワーク」的な効果はない。むしろそこから、書いたそばから、また何かの気がかりが派生していくので、書けば乱雑に複雑になる。
そういうときは料理をするのがいい。料理は僕にとっては、適度に遠いところで、やれば楽しいけれど、料理を探求したりそれで食べていったり、つまり僕の本領ではないから、適量やれば、なにかすっきりする感覚がある。
ほら、こんなことでも、ただ思ったことをぼそっと呟くように書いているだけで、ざわついてくる。
November 28, 2025
【催し】第1回 出張、西村眸の本棚
私の自宅の本棚から選んだ10冊の写真集をまるネコ堂にもっていきます。年末のまるネコ堂で、写真集を読みながらのんびり過ごしていただくイベント。写真のことが好きなひとも、あんまり見たことないひとも、一緒に楽しい時間を過ごせると嬉しいです。ぜひ遊びにきてください。
【自己紹介】
私はまるネコ堂芸術祭に参加している西村眸と申します。週に5日間は会社員をしていて、本を買うの好きで、毎年たくさん本を買ってしまうのですが、今年から本格的に写真集の購入をはじめました。写真のことが好きになり、写真集が家にあると最高な気分になることを知ってしまったからです。最近は、どの写真集を買うか、オンラインショップをウォッチするのが日課です。(もし、写真がお好きな方がいらっしゃったら、おすすめの写真集や、好きな写真集について教えてもらえると嬉しいです!)
※たとえば、こんな本をもっていくかも
・William Eggleston『William Eggleston's Guide』
・Robert Frank『THE AMERICANS』
・Stephen Shore『Uncommon Places』
※zine 『私の部屋、私の本棚(仮)』も制作・販売予定?!
日時 2025年12月29日(月)14時〜16時
参加費無料・投げ銭歓迎!
申込不要、出入り自由です!
場所 まるネコ堂
宇治市五カ庄広岡谷2-167
JR黄檗(おうばく)駅から徒歩20分程度
https://maps.app.goo.gl/459vQysUEY1uhjvj7
問合せ marunekodo@gmail.com
November 26, 2025
【催し】絵本部トーク#02 2025年に出版された部員オススメの絵本発表
November 12, 2025
2025/11/12
「きょう」と入力して変換すると何個目かで「2025/11/12」と日付がでる。こういうその都度変化するような漢字変換が初めてできたとき、そういえば妙な感動があった。
一人で本を読んでいることが多かった子供だったせいか、一人でいることに苦痛がないし、何かをやるときに一人でやったほうがうまくいったりすることが多い。一人でいることは楽しく心地よい。
でも楽しいとか心地よいとかが幸せと直結するかというとそんなことはなくて、煩わしいことも多いけど人と一緒にいることのほうが幸せには近い。想定できてしまうものには幸せの濃度が低いということかもしれない。
たぶん同じような通路で、悲しいとか寂しいとかが必ずしも不幸せに通じない。不幸せというのはもっと硬直したものだと思っている気がする。悲しいとか寂しいとかは揺らいでいるというか揺さぶられている。
絵本を作りたいと思って毎日絵本のことを考えているのだけど、今ここに書いてきたようなことが映り込んでくれるといいと思う。
November 4, 2025
2025/11/04
11月になった。ようやくだ。今年はなんて長いのか。
アラタが小学校に入学したり、虎ちゃんが生まれたり、その前の妊娠中の検査や手術や。あれがまだ今年だったとは。アラタのはじめての夏休みも今やずっと前だった。
僕も美緒も過労で、不調が出ている。こういう時は根本に近いところから変化させた方が良い。慌てずにやろう。
暑かった夏に数々の無理を強いたダメージが、寒くなってようやく回復する。
このひと月でたくさん絵本を買った。谷川俊太郎を集めている。
October 13, 2025
2025/10/13
眸さんの絵本部展のレビューありがたい。
https://nsmnote.blogspot.com/2025/10/202510-02_10.html?m=1
公開の場で他人の作品についてあれこれ言うのは勇気がいる。レビュー=批評と紹介との間には深い溝がある。一度渡ると消えてしまう橋を架けなくては行けない。紹介は引き返せるけど批評は引き返せない。批評は誰かの表現についての表現で、それはとても贅沢だ。
workflowyはやめてしまった。メモアプリで書いている。iPhoneの。ブログに上げたら消すようなものだから、メモくらいがいいのかも。
絵を描かないのに絵本を作りたいという自分の欲望について考えている。カメラをろくに扱えなかったのに写真や映画を作りたかったあの頃と同じことになっている。当時は努力の対象として機材の扱いの「習得」をしようとしていた。今は、絵を描くことを習得しなければならないハードルとは思っていない。
谷川俊太郎さんの絵本から絵を描かないで絵本を作ることを考えている。「よるのびょういん」「なおみ」は写真の絵本で、写真は写真家が撮っている。どちらも冒険的なというか「なおみ」に至ってはもはや挑発的だ。
今日はこれからアラタの太鼓の発表を観に行く。秋祭り。葉は車に乗れるのが楽しみだ。
October 7, 2025
絵本部展。楽しかったです。ありがとう。
2025/10/07
昨日から読み始めた「ライティングの哲学」でみんなworkflowyを使っていた。カッコ良さそう。
で、それで書いている。
適切な使い方はよくわからない。文章入力さえ出来れば、あとは成り行きでブログのエントリーになる。
使い方を調べることに快楽というか依存が発生して時間を費やすことに肯定的になってしまうので、チャットGPTにきいた程度。
ブログは良い。ブログの良いところは、日記でも告知でも記録でも呟きでもなんでもブログだ。ブログという言い方で問題ない。何書いてもブログだ。分類苦手なあなたや私の味方なのだ。
あなたも私もそうだが、ブログを読むときにそれが日記なのか告知なのか独り言なのかを気にしない。ブログを読んで、それが日記だったら、日記を読んだなと思い、それが告知だったら告知を見たなと思う。ブログは不定形の前駆体。文章の第二形態くらい。第四形態くらいまで行けば、それぞれの類型がクッキリしてくる。
近況は、と言えば、雑談係というラジオをやっています。西村眸さんと二人。エンタメ、サブカル、哲学、芸術を楽しく雑談する係で、スタンドFMのまるネコ堂芸術祭の番組のコーナーとして月一回くらい配信中。一回、15分から20分くらい。
https://stand.fm/episodes/68904357d4aa320ed1ab15d0
雑談係の編集をやっていてよかったのは、会話を切った貼ったする楽しさを再発見したこと。
インタビューとか対談とか、文字起こしして原稿にするのをひたすらやってた頃に実感としてあった、会話で「ですます」とかの文末表現までたどり着く人ほとんどいない現象にもまた再会して、当時はイライラしながら発話者の着地予測点としての文末をこちらでつけたしたりしてた。その編集の万能感が楽しくもあったが、いまはそういうことをやらなくても雑談なんかそもそも、そんなに厳密に伝わらないし、それで十分だとわかっているから普通にいじるのが楽しい。
あの頃テキストでやっていたのを、雑談係は音声のまま直でやれる。結構イケる、やっぱりこの辺で切っても問題ない、ここにくっつけちゃっても聴ける、とか。
音声でやることでテキストとは違う新しい発見もあって、相槌とか合いの手って、ベース、楽器の、だと思った。リズムとコード進行をやってる。そこにメロディが乗ってくるんだ。
言葉とか文章とかで出来ることは、僕や君が、まだまだ知らないで、もっともっと広々してるオープンワールドだから、色々やってみたい。しばらくブログを書く予定。
September 19, 2025
「絵本部展」やります!
それぞれの関心を持って「絵本をつくりたい」と考えた三人が集まって、2024年4月から絵本部は始まりました。自身の絵本づくりのこと、絵本のことを月一回集まって、互いに絵本のことや絵本に関係のないことを話す時間を重ねて、部展をひらくことにしました。
作家同士が集まって合同で作品を展示する「グループ展」とは違うのは、各自の作品の紹介にとどまらず、各自の「絵本とはどんなものか」「日常の中で制作するにはどうしたらいいのか」をお伝えする場にもしたいと考えていることです。そのために絵本の展示だけではなく、ギャラリートークや絵本についておしゃべりする時間を設けました。
絵本部三人はいずれも絵本づくりの経験がほとんどありません。それでも「絵本は案外作れる」のではと感じながら活動を進めています。絵本をつくりたい、何かをつくりたいと考えている方のご来場をお待ちしています。
日程 2025年10月4日(土) 13:30-16:30
2025年10月5日(日) 11:00-16:00
※4日の終了後、希望者で夕飯を食べたりする予定。詳細、費用未定。2025年10月4日(土) 14:00-15:00
絵本部員が自身の制作や作品について話します。
◯絵本部トーク(申込不要)
2025年10月5日(日) 13:30-15:00
好きな絵本を紹介したり、絵本を取り巻く状況などざっくばらんに話します。
お気に入り絵本の持ち込み紹介も歓迎。
入場無料、投げ銭歓迎。
絵本部・大谷隆、大谷美緒、中川馨
August 28, 2025
描いた絵の保管の問題。
別館に置きっぱになっているもろもろを掃除していた。
以前描いた絵、処分しようかどうしようか考える。
そんなことをしていてなんとなくわかってきたけど、絵を描いたものでも本の形になってたりファイルにバインドしてあると置いておこうかなと思える。
一枚の画用紙に描いたようなものは、描いたときに力をかけているとかいないとか多少影響するけど、捨ててもいいんじゃないかという気分になる。むしろ捨てたらすっきりするけどなあ•••みたいな。
キャンバスでも同じで、一枚一枚と思ってしまうと、処分したくなってくる。
同じ大きさの紙が何枚かあってちゃんと本にしたり、ファイルしたり束ねてあると、残そうという気になる。
いろんな大きさの紙がデコボコとあって雑然と置いてると角が曲がってきたりするし、紙が大きいとそもそもどこにキレイに収納していいのかわからなくなって、嫌になってくる。収納能力がない。
ちなみに本になっていると多少大きさが違っても問題を感じない。
だったら、そもそも本になっているものに描けばいいじゃないかと考えてみたけど、描くのは一枚の紙に描きたくなってしまう。
スケッチブックやクロッキー帳は使ってみたけど、あまり上手くいかなくてそれはスケッチやクロッキーをしないからかもしれない。
最近、A3やA5のコピー用紙に書くようになって、沢山描くようになった。それをポンチで穴あけしてファイルに閉じる。
気が進むようになったのは、紙が好みとかそういうことだけでなく、残し方まで込みで成立しているからだったのかもしれない。
絵本を作ると残しておけるだろうし、たまには出して来て読むと思う。絵本棚にいつも置いとける。
August 7, 2025
生後2ヶ月を過ぎた。
August 2, 2025
産後のムード。
July 24, 2025
搾乳、難しい。
July 21, 2025
久々に抱っこし始める。
July 18, 2025
「オリジナル人生ゲームで遊ぼう」を開催します。
July 10, 2025
第6回まるネコ堂芸術祭・出展者募集してます!
その出展者の募集を開始しました。
出展者募集ページ
July 9, 2025
一ヶ月健診が終わった。
July 7, 2025
虎(とら)ちゃんが生まれた。
June 18, 2025
表現研究会第5期のお知らせ
この6月で第4期が終了しました。少しお休みして8月より第5期を開始します。
好きなものについての話を真面目にやるという機会自体、意外に少ない気がします。それをやってみたらどんな感じになるのか、関心のある方、ぜひエントリーしてください。
表現研究会
May 23, 2025
連休後くらいから5月下旬ごろ。
出産が近づいてきたからかなんなのかわからなけど、産まれてきてどうかるのか、どれくらい元気で生まれてくれるのか不安になったりもしていた。
このひと月ほどそんな不安はあまりなく、入院なく家で過ごせるかどうかの方が目の前にあって産後のことはあんまり気にできなかった。
家からあまり出ずで、入院かも、と気にしながらの生活は落ち着きはしない、疲労もある、なのにこれはこれでひと月も経てば安定するんだなと思う。とらちゃんが生きてくれてて、名前もついて、なんとなく一緒にいるのは楽しかったりもするから、生まれてきていなくなるかもと思うと先に進むのも緊張する。
いろんなことがあってすごい長い時間を一緒にすごしてる感じがして、妊娠期間としては結構幸せだったのではないかと思った。
2人目のようちゃんの時は、初期の出血と入院をのぞいたら順調で安産でなにも覚えてないわけじゃないけど書き残したいようなことはあまりなかった。
人生が変わらないなんてことは、どんなひとりの人間(特に自分の子となればなおさら)との関りのなかにもないのだろうと思うけれど。
診察が終わった。
来週は2回目の羊水除去。
相変わらず、頭は大きくなっており骨盤から出ない可能性もあるので前回の健診で予告されたとおり帝王切開を視野にいれつつになった。
帝王切開になる条件は今のところ大きく二つで、頭の直径が10センチを超えることと、とらちゃんの心臓が弱いので経膣分娩の方向で一旦行ったとしても耐えれそうになければ帝王切開への切り替えとのことだった。
その他、予期せぬ事態はまた当然別にあるだろうけど。
経膣分娩にしても、家で自然に陣痛を待つのは羊水過多だとリスクが大きいので入院して誘発を行うとのこと。破水したときに、いろいろ危険の可能性があるそうで、胎盤はがれちゃったりとか。
そんな感じで羊水が多すぎるまま分娩もよくないみたいで、しかも水が多いと逆子になる可能性高く、それも含めて羊水除去にはなった。
帝王切開なら37週に入る6月8日以降の早い時期に、経膣分娩でも予定日より大分早い出産になるんじゃないかな。
May 13, 2025
第5回まるネコ堂芸術祭に関する記事の紹介。
「2025.4.20 - 2025.4.26」
「点滅日記」より
まずは、来てくださった方のブログ。【宇治市】一軒家をリノベーションした独特の空気感の中、芸術作品を芸術家と共に楽しめる「まるネコ堂芸術祭」が開催
「号外NET 宇治市城陽市」より
まるネコ堂芸術祭は、見るよりやるのがたのしい。
まるネコ堂芸術祭から帰ってきた。
「佐川友美 ーSAGAWA TOMOMI」より
「N!」より
すゆみさんの5月7日のInstagramの投稿
「@sakana_no_suyumi」より
May 11, 2025
ちょっと久々の妊婦健診。
May 9, 2025
第5回まるネコ堂芸術祭レビュー、その2
オニィ・ワールド
大谷 美緒(「あんころもち」)6歳のアラタが描いた鬼の絵を元にしたLINEスタンプやシール。「芸術作品」というよりももっと、気軽、気楽、身近、チープなところに表現の領域を作り出している。「作品を作ること」が主目的というよりも、「作り続けたさ」を自分(達)に与えようとしている。作ることを継続するために綱渡りのように断続的に成果を実らせていくスリリングさ。
リンク
ZINEつくってみた!
写真、イラスト、テキストの混じったzine。写真のシャープな印象とテキストのちょっと不思議な感じ、イラストの可愛らしさに色々な自分自身が表現されている。それぞれの異なるキャラクターが入った「雑誌」的自分。自分を部分として扱わないでいる。トップの写真は展示場所でもあるその部屋を最近写したものなのに、なぜか異国情緒や遠くの憧憬、懐かしさを感じさせる。
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からだを感じる 見ている意識
展示空間の構成が練られている。突き当たりの薄暗がりに浮かび上がる青い絵が、展示方法と相まって印象的。今回は絵画がメイン作品だろうけれど、インスタレーションをやっても面白そう。冊子の形で提示されたテキストは固有名詞が説明なしにどんどん出て来て、隙間が多いが、生身の正直な感覚が描かれていて独特のドライブ感を持っている。読んでいる側が積極的に埋めようとして文章に引き込まれていく。
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私とカーテン、付き合いたて
布の質感がとても良い上質なカーテン。こうして作品として提示されると、これまで僕がカーテンというものに「貧相な役割」しか与えて来なかったことに気付かされる。美術作品としてのカーテンと言うと柄やレースといった装飾的な要素を思い描いていたが、無地で生成り、シンプルな縫製がとても機能的で美しかった。日差しの透け具合が絶妙。手縫いであることを納得させる存在感がある。たしかに、カーテンとも長く一緒に過ごしていけるとうれしいなと思った。
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波を乗せて、海は、まわる
昨年まではモビールを作っていたのに、今年は起き上がりこぶしなのか、とちょっと驚いたけれど、作品を見るとモビールと同じ雰囲気があり、実は同じ「ジャンル」になり得るのかと発見があった。物理的運動と美的造形の重なった場所を、一つの表現領域として提示している。風鈴や風車なども同じ場所にあるかもしれない。揺れと光・色が重なるアイデアを形にする制作技術の洗練を感じる。
リンク
さかなのすゆみー星になる 〜アートは自分から自分へのギフト〜
すゆみ一部屋全てを作品で埋めるパワー。溢れる色、形、物語が、躊躇いなく表に出ているように思える。貪欲さや欲張ることを肯定している感じがすがすがしく心地よい。やってみたいことに果敢に挑戦していくことやその結果の失敗、挫折に苦しむこともすべて内部に含んだ、力強い肯定的な赤い部屋。
狭間に揺れる情景
昨年までの「ヨハネの黙示録」シリーズを現代の自分自身の境遇の中で解釈し直している感じ。日常の中の東京の街並みを、黙示録的に見える瞬間として捉えているようにも見える。そういえば僕も、何年に一度、ものすごいとしか言いようのない夕焼けに遭遇して、「あの夕日に見える赤い球体は、実は、遠方で炸裂した新型爆弾なのではないか」と身震いする時があるが、それを思い出した。制作過程の「うまくいかなさ」を露呈した冊子が添えられており、そのメイキング・プロセスに独特の魅力があるが、完成した油画作品が与える印象とズレがあって、それが一致してくると、さらに奥行きがでるかもしれない。
祈り
内容的には、「自分なんて」という「隠れている」表現だけど、選ばれている画材は、しっかりした製本のMDノートにペン。一度書いてしまえば、失敗したと思っても、書き直したり、ページを破ったり、別の色で塗り込めたりできない。あたかも下書き無し、推敲なしで、いきなり書きつけたかのように見える。独特のリアリティとみずみずしさがある。
どの作品も何かを感じたり思ったり考えたりと触発されるものがあり、この作品たちが存在するなかで過ごせたのは有意義でした。
May 8, 2025
第5回まるネコ堂芸術祭レビュー、その1
芸術祭期間中について
前回(第4回)までは、鑑賞の邪魔をしないほうが良いのではないかと、観に来てくださった方の様子を伺っていたところがあったけれど、今回はできるだけ喋りかけてみることをやってみました。自分の作品についてだけではなく、他の出展者の作品についても僕なりに思うことや感じることを勝手にしゃべりました。
結果どうなんだろうか。鬱陶しがられていたかもしれないし、そうでもなかったのかもしれない。それぞれの鑑賞者にとってどうだったのかは正直なところよくわかりません。
でも一つ確実に言えることは、僕自身はとても楽しかった。
自分が話をしたり、なにか言ってもらったり。それに対してまた何か考えて話す、そういった複数のやり取りができた。しかもそのやり取りはほかでもない、自分自身の作品や表現、一緒にやってきた仲間の作品を通してだった。
とても幸せだった。
自作品「アラタ文字によるポスター用手描きラフ」について
今回の自分の制作を通して得られたも最も大きいことは、自分が表現したいと欲する漠然とした雰囲気を、最終的に作品として成立させるためには、形式やスタイルというのが重要なのだと実感できたこと。
形式が重要なのだということは理解はしていたけれど、形式の持つ重要性の、一体何がどう重要なのか、という実感はあまりなかった。今回とりあえず、その重要性が、要するに「作品として成立するかどうか」という判断そのもの結びついていたのだ、と思えた。
いただいた感想から、「手応え未満、記号成立未満の感じ」について。
ありがたいことに作品に対して沢山感想をいただいた。すべてとても貴重で、大事にします。ありがとうございます。
そのなかで一つだけ挙げると「フレームを傾けると文字がばらばらと落っこちそう」というものが印象的だった。これは全く想定していなかった。けれど、そう言われて見れば確かにそうで、自分でも驚いた。
後付で考えてみると。
アラタ文字は見様見真似でアラタが見本を模写したもの。正規の文字学習で「文字として練習で書いたもの」とは異なっている。現に、この春から小学生になって国語の時間でアラタはひらがなを点線をなぞるようにして練習しているが、「アラタ文字」のようなものは書いていない。
アラタ文字は、文字が文字として確定される以前の、固定化前の図像で、それがかろうじて文字としても読める状態。記号というもの自体がまだ、アラタのなかでも完成していない「これで字(記号)になっているのだろうか」という不確定な感覚で描かれていた。その仮止めの感じが、画面を不安定にさせていたのかもしれない。
「こんなんでいいのだろうか」。何かを確かに手に握ったという「手応え」に至る前の感じ。とても興味深い。この感じをもう少し進めてみたいと思いました。ありがとうございます。
May 7, 2025
第5回まるネコ堂芸術祭。「あんころもち」をやって。
| オープン前に出展者でのオープニングミーティング。残念ながら、あんころもちの新は不在。 |
初日に、出展者が集合することはこの2-3年普通のことになってきたけど、コロナの頃に始まった芸術祭なので、最初にみんなが集まった時の感慨をいつも思い出す。それに遠方からもこうやって駆けつけてくれることがありがたい。
| 4月の月1のミーティングで制作途中のものを見せびらかす。 |
| オニィステッカーは、12種類。箱から1枚引いてもらう。どの柄が当たるかはわからない。 |
May 4, 2025
今年の連休の考えごと(メモのような)。
May 1, 2025
4月中頃~まるネコ堂芸術祭まで。
April 24, 2025
第5回まるネコ堂芸術祭、紹介してもらいました。
同じタイトルですが少し違ったポイントで書いてくれてます。紹介ありがとうございます。
【宇治市】一軒家を改装した会場で「まるネコ堂芸術祭」開催! 宇治×民家×プロセスを楽しみませんか?(号外NET 宇治市・城陽市)
【宇治市】一軒家を改装した会場で「まるネコ堂芸術祭」開催! 宇治×民家×プロセスを楽しみませんか?(Yahoo!ニュース)
第5回まるネコ堂芸術祭
時間 11:00~16:00(最終日のみ15:00まで)
April 22, 2025
表現研究会第4クールのレジュメ
表現研究会で大谷隆が発表したレジュメです。
「junaidaの絵本とゲーム」
2025-04-14 大谷隆
junaidaとは
画家。1978年生まれ。Hedgehog Books代表。京都在住。
知ったきっかけ
僕がjunaidaさんを知ったのは2024年。ロームシアター京都の蔦屋書店で「IMAGINARIUM」の表紙が目についた。この本は間違いないという「あの感じ」があったので、その場で買おうと思ったが、絵本がいくつかあるようなのでそちらも調べてからと思って家に帰り、まず「怪物園」を注文。アラタも葉ちゃんも気に入ってくれた。それから積極的に集めはじめる。画家というよりも絵本作家として。
持っている本のリスト
- 「怪物園」2020 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
- 「街どろぼう」2021 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
- 「Michi」2018 装幀:Hal Udell
- 「世界」2024 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
- 「IMAGINARIUM」2022 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
- 「の」2019 装幀:祖父江慎+藤井遥(cozfish)
奥付めくればcozfish。
遊ぶ(プレイングな)絵本
美しい絵であるだけでなく、アイデアがあって、面白い絵。画から離れたところから「見る」「眺める」という視覚的なものというよりは、絵の世界に入って体験する感じがあるのがとても良い。絵の世界で遊ぶ(play)ことができる。
主題が画面の真ん中にあって、そこに視線が集中するといった、消失点のある透視図法的な画面の構図は少なく(そのような絵もあるが)、画面全体のあらゆるところに、何かが息づいていて、絵の中に潜入することで、意識の周囲に絵の内部世界が立ち上がって、そこに滞在することができる。全体を見通すことができず、視界は部分に限定される。物陰が重要。曲がり角の向こうがある。
好きな点の1つ目として、登場人物への〈感情移入〉に頼らずに、表現された世界への〈潜入体験〉を実現していること。むしろ、登場人物の感情表現は、かなり控えられている。それでも〈潜れる〉。このあたりに「現代的な絵本」を感じる。登場人物への感情の〈同化〉とは異なる方向で「ドラマ」を生んでいるように思う。
感情の移入や同化によって臨場感を出そうとすると、「子供向け」のものはどうしても啓発的・教育的になることが多い(大人向けだと露悪的な方向もあるが)。その点でもjunaidaさんの作品は、「正しさ優位」にならざるを得ない「教育啓発」的雰囲気とは違っていて、非生産的な「単なる遊び」の領域にとどまる。善悪基準から自由なところで面白さを実現している。
好きな2つ目。絵本は普通、「絵と文」という構成要素で捉えられる。別の言い方だと「視覚と言語」。でもjunaidaさんの絵本はそのような二分法で捉えるものというより、それより上位にもっと能動的な体験があるように思える。だから、文章がどうこうとか絵がどうこうというだけではすくいきれない魅力がある。
この上位の魅力は、もう少し突っ込んで言うとすれば、ゲーム的な面白さだと思う。ゲームは「視覚や聴覚や言語的なメディア」という言い方よりもまず「積極的なプレイ体験」として意味がある。自分自身が主人公として行動することでそれを実現している。
junaidaさん自身がゲーム好きだったりゲームを意識していたりするのかは不明だが(検索しても出てこなかった)、そういったゲーム的な能動性を誘発する感じがある。ゲームの面白さと似た面白さがある。
「ほぼ日」のjunaidaさんのインタビュー。
junaida 僕の場合は、僕の絵を見て空想してもらえたら、うれしいですね。
junaida その絵の直前直後の場面、このキャラクターはどこから来たのか、これからどこへ行くのか、いったい、どんな性格してるんだろう、こっちのふたりは友だちかな、恋人どうしなのかな‥‥。そういう、絵の前後左右を自由に想像できる余白みたいなことを、つねに意識して描いているので。
(インタビュアー) お客さんって、そういうことを絵の前で、話してたりするんですか?
junaida してますよ、たまに。友だちどうしで来てくれたりすると。そんな場面に遭遇すると「あ、遊んでもらえてるなあ」って。
ほんとうにjunaidaさんの絵本は遊びたくなる。「物語の世界に誘われる、ひたる」というよりもさらに一歩進んだ「そこで遊んでなんぼ」感が強い。
持っている作品のゲーム的だと感じる側面
「怪物園」
文字通りロールプレイングゲームのモンスターのよう。ポケモンだったり、古くは「ドラゴンクエスト」の鳥山明のキャラクターデザインも想起する。それぞれの怪物の背景に「設定がある」感じ。横顔、正面などがあって、一つ一つが考えられていて、そのようなモノとしての存在感がある。
「みち」
アイソメトリックな視点で消失点が無い。ゲーム用語的には「見下ろし型2D視点」。迷路のような道を指でたどっていく。ものすごく原初的な「道を進んでいく楽しさ」がある。ゲームのマップ画面のよう。幼児期の記憶として残っている「未知の道」「曲がり角の向こう」「階段の向こう」のワクワクがある。進むだけで楽しい。階段があって高低差があったりするのも楽しい。テキストなしだけど、ストーリーもある。
「世界」
これもテキストはないが、明確にストーリーがある。生まれたばかりの主人公が育っていってあらゆるものと出会い、やがておじいさんになる。自分が世界をそのようなものとして捉えていく。
「の」
junaidaさんのアイデアは、誰も思いつかない斬新なアイデア、というよりもむしろ、誰しもが子供の頃に一度は冗談や遊びとして思い浮かぶような、「普遍的なアイデア」。それを高いレベルで実現している。緻密で過剰な表現力と想像力。
ゲームの話
で、今年はゲームの話をなるべくしていこうと思っています。
子供の頃(70年代から80年代)、小説と漫画とアニメとゲームが好きだった。このうち、小説、漫画(あと映画、テレビドラマなど)にのめり込んでいることに対して後ろめたさはほどんどなかった。
一方で、アニメには若干、ゲームには強い「非社会性」を感じていた。ゲームは、漫画・アニメのあとに登場した最後のサブカルチャー。アニメとゲームは、まさに僕の世代をターゲットにして生み出されたもの。
たぶん今でもゲームは、一般社会的には「最下層のエンタメ=取るに足らない暇つぶし」という「下位」に位置していると思う。「ゲームなんてやってないで・・・」。僕自身、高校生ぐらいで、こんなことをしていてはだめだと思いゲームから距離を取った。それから20年以上のブランクがある。
5年ぐらい前に「マインクラフト(2011-)」が「世界一の販売数(ダウンロード数)」と知って興味を持って調べる。その時、「ボクセル(ピクセル)調の一人称視点なんてマニアックなゲームが世界一で、しかも10年も開発が続いてアップデートされているのか」と驚き、現代のゲームを取り巻く情況に興味を持つようになった。Steamのような世界規模のゲーム配信プラットフォームの存在もその時知った。
ゲームに対する社会的意識は、僕らの時代とは大きく変わっている。極端かもしれないが、今の20代ぐらいまでの人たちには、ゲームは教養(リベラルアーツ、解放のための技術)なのではないか。僕らにとっての漫画のように。
ヒップホップの人たち、ビートボクサーやラッパーもゲーム好きが多い。アニメ好きも多い。大谷翔平さんはフォートナイトでメジャーリーグのチームメイトと仲良くなった。山田涼介さんはapex legendsの「プレデター(上位750人、0.3%程度)」を達成。
80年代のあのころからずっとゲームに真面目に踏みとどまり続けた人たちのことを思うと胸が痛む。プロゲーマーの梅原大吾さんとか。
現在のゲーム関連で興味深い動き 2010年代以降
イェスパー・ユール『ハーフリアル ―虚実のあいだのビデオゲーム』2016、原書2011
ゲームを学術的に扱った研究書。ゲームの面白さとはなにかを「学術的に」論じ(ようとし)ている。「ゲームの何が面白いのか」を議論する基盤を少しずつ積み上げていって、みんなで「ゲームの面白さ」の話ができるようにしていく。じっくりとした議論の進め方自体がとても面白い。それこそゲームをやってる感じ。少しずつワールドマップが広がっていく感じ。
日本デジタルゲーム学会 2011-
「本学会は2011年4月28日付けで、日本学術会議より「日本学術会議協力学術研究団体」に指定されております。」。ゲーム関連学会が、日本にも。
美術手帖2020年8月号 特集「ゲーム×アート」
今、一番元気の良いアート領域は、たぶんゲーム。未成熟なワクワク感。大きなメディアにあらわれてくるアート情報は、既にアートとして受容されているもの(絵画や彫刻など「過去芸術」)が多いが、現在の美術の内部でホットなのは「ゲーム」なのではないか。もう少し厳密には、現代美術の現在の主戦場は「漫画・アニメ」で、その次が「ゲーム」。村上隆もトレーディング・カード・ゲームを出した。たぶんデジタルゲーム開発もしたい(してる?)のではないか。
『ゲンロン8 ゲームの時代』2018
ゲームについての共同討議。1991年から2018年までのゲーム史年表とキーワード集。炎上した。
森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」2025
6月8日まで開催中。実は今、一番気になっている展示会。個々の作品を観たいというよりは、アートにおけるゲーム領域がどれぐらい「メイン」なのか、あるいは「周辺」なのかの現時点での感じを掴みたい。どれぐらいアートの世界にゲームがはびこっているのか。活性を持っているのか。観に行けそうにないのが残念。
ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』1938、ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』1958
「遊び」についての古典。実は「遊び」ついて真面目に論考された本は少なくて、古典はこの2冊が必読。あとはあまりない。哲学の古典としては比較的新しい年代。現代の「ゲーム」が置かれているのと同じような「取るに足らない」位置に「遊び」自体があったということだろう。「ホモ・ルーデンス」はホイジンガが65歳で、ようやく書いた本。「面白さ」を研究することの難しさ。
「絵本が登場するとき」阿部卓也、『ゲンロン17』収録 2024
絵本はもともと書物の一種というより、おもちゃ(玩具)に隣接・連続した存在だ、という側面がある。[94]
絵本は本というよりおもちゃだった。だから「電子化」されにくい。興味深いことに、おもちゃの一種であるゲームはもともと「電子化(デジタル)」されたもので、そこから逆流するように、おもちゃとしての絵本に、「プレイできる面白さ」が流入していることになる。
子供は絵本を何度も何度も、一字一句記憶するぐらい読む。ゲームで言うと、リプレイ性が高い。何度でも遊べる。こういうところも絵本とゲームとに通ずる回路があるように思う。
装幀(ブックデザイン)が重要なのも、おもちゃと考えると納得がいく。祖父江慎さん、藤井遥さんも楽しそうに遊んでいる、いい仕事。
以上
April 18, 2025
4月4日~4月中頃。
April 14, 2025
「蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影」と「モネ 睡蓮のとき」
周りの人たちが「かわいい~」「きれい」と楽しんでいる中、自分は楽しみ方がよくわからなかった。
| 何気なくとった写真からだけでも醸し出されるニナミカ風味。 |
蜷川実花の視覚表現は、展覧会を重ねるごとに明らかに進化している。進化への激しい情熱もさりながら、その華麗な表現と共にどこに向かって進化しようとしているのか?
好きになった時ほどの感激は今はないけど、見たらワクワクするものだなとびっくりした。100年以上も前の作品だからオーソドックスだけど、当時は今流行りの漫画とか新しい配色の絵を見るような感覚に鑑賞者はなっただろうしモネはそういう挑戦をし続けたんだろうと今回よくわかった。色や題材そのものもチャレンジという感じ。


