December 28, 2020

【770】ヘーゲルの「美学」


買ってしまった。こんな本、新本で買うとは思わなかった。


吉本隆明が「芸術と疎外」という講演でこの本のことを話している。正確にはこの本ではなくヘーゲルの『美学』として発行されている本だけど。

そもそもヘーゲルは「美学」という本は書いていなくて、講義として「美学」をやっていて、その受講者の筆記録をもとに何冊も「美学」はつくられている。この『美学講義』はその中でも初期の講義の筆記録をもとにしているものらしく、特徴としては編者の「歪曲」が少ないらしい。

ともかく、吉本が講演でも話している「自己疎外」について書かれている、はず。

これは芸術の場合で言うと、「自己疎外」という概念を最初に編み出したのはヘーゲルだと思うんですが、ヘーゲルは要するに、人間のある精神の作用があると、人間が精神の作用を行うと途端に、その精神の作用自体の中に、精神の作用をする人間を取り除けてしまう、枠から外してしまうという要素が必ず出てくるというような意味で、「自己疎外」という概念を使っています。(ほぼ日刊イトイ新聞、吉本隆明の183の講演「芸術と疎外」) 

人間が何かをしたとき、その途端、その何かがその人間を取り除けてしまう。人間が何かを表現したとき、その表現をした途端、その表現自体が表現をした人間を取り除けてしまう。こういう問題について書かれている。

今、ゼミで読んでいる吉本の『言語にとって美とはなにか』ももちろん、この自己疎外の問題は関連している。吉本は自己疎外に対して、自己表出を見出している。

『美学講義』分厚い本で、読むのが楽しみ。


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「やってみたい」というリクエストによって日程を決めていきます。
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December 23, 2020

【769】文章筋トレをリクエスト開催に変更します。次回は1月6日です。

 2021年1月から文章筋トレの日程をやってみたいという方の希望日程での開催に変更します。

「興味はあるけれど日程が合わない」という声を度々頂いていたことと、土曜日は保育の事情が平日とは違って実施の負荷が高く定期での開催継続は難しいためです。
(リクエストでの検討日程は平日と土曜日のどちらも含めますので土曜日でリクエストしたいという場合も大丈夫です。)

やること自体は変更ありません。
1回3時間で参加費は一人3,000円です。
リクエストいただいた方も参加費は同額です。

現時点でリクエスト頂いていて開催が決定している日程は、

2021年1月6日(水)13時30分-16時30分

です。

追加があれば文章筋トレのページで随時更新していきます。
【リクエスト開催】文章筋トレ


December 19, 2020

【768】言葉の表出冬合宿2020、五日目。

五日目の夜。明日の正午に文章提出。明後日はレビュー。

面白い文章を書きたい。

とだけ考えて合宿に臨んだ。最初から合宿中に書き上げられるとは思っていなかったので、とにかく書き始めたいと思っていた。

漠然としたイメージとしてあるのは、文章を書くことそのものが面白い過程として成立していく様が読み取れる文章で、そういうことがやりたかった。これぐらいのイメージでどうにかなるものか、どうなのか、それ自体もよくわからなかった。

勝算はなかったけれど、やってみればどうにかなると思っていたが、どうやらどうにもならなかった。全く書かなかったわけではないが、イメージしていたようにはなっていない。

やってみてよかったと思っているが、これでよかったとは思っていない。

明日の正午が締め切りなのだから、まだやりようがあるだろうと、これまでなら思ったかもしれないが、明日は日曜日でアラタがいる。これは流石に無理だということは、経験上、よくわかっている。無理にやるとアラタの機嫌が悪くなって、いつもできることすらできなくなる。生活が破綻する。アラタと一緒のときはアラタのことをやるのが最も良く、それ以外は悪い。

今夜の残ったこれからの数時間は、できるだけ課題がクリアに出るように、失敗がはっきりするように、文章に手を入れることにする。手技で取り繕っているところは捨てる。


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December 16, 2020

【767】言葉の表出冬合宿2020、二日目。

  昨日から言葉の表出冬合宿2020が始まる。

 合宿はこれで10回目らしい。5年前の2015年夏に言葉の表出合宿の前身となるフリーキャンプをやっている。そういうことをオープニングミーティングで主催の美緒が話してくれた。

 自分でなにかをやろうと思うとき僕は大体そうなのだけど、これは絶対おもしろいからみんなも絶対面白がるはずだと思っている。5年前のフリーキャンプもそうだった。結果は、惨憺たる物で、僕以外の主催者二人が途中で精神的にダウンする羽目になった。何をしてもいい。どこにいてもいい。いつ来ても、いつかえってもいい。連絡すら必要ない。誰がいつやってくるかわからない、何をしだすかわからない、そんな状況を「運営」することに大きな精神的負荷がかかるとは、僕は予想していなかった。まるっきり逆のことを考えていたからだ。このやり方なら、準備も計画も必要なく、やりたいことはなんだってできると。

 281時間に及んだフリーキャンプは途中で企画としてはほとんど崩壊して、僕だけが取り残されたように一人楽しんでいた。かなり寂しい経験だった。その寂しさは子供の頃から慣れ親しんでいたそれだった。

 寂しいけれど、今となっては貴重なことだ。今となっては、多くの人に、それをやっていてよかったという印象を与えるだろうと思うが、当時はそうではなかった。

 こういうことと書くことは僕の中で重なり合っている。

 今、どうであれ、それを書いておく。それは後になっても読むことができる。

 合宿の初日は初日の雰囲気があって、それが僕は好きだ。何かが始まっているけれど、まだほんの少し空気が変わったようなじんわりしたものに過ぎない。残ってしまった残務を先に片付けながら、少しずつ特別な何かが形をとっていこうとしているのを見ている。

 合宿の二日目は二日目の雰囲気があって、それが僕は好きだ。そろそろ戻れないところまで来ている。港は見えるけれど、小さくなっている。湾の腕から逃れていく。左手あたりに見えている灯台が、背後に移っていく。

 毎日少しずつ変わる月のように合宿は進む。


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December 9, 2020

【766】「エチカ」をゆっくり進める。

 ゆっくり読んでいる。どれぐらいゆっくりかというと一日一行とかそういうレベル。

 本来のタイトルである「幾何学的秩序に従って論証されたエチカ」にあるように、記述は「幾何学的」である。例えば三角形を僕たちはかんたんに思い浮かべることができるが、定義しようとすれば、「三角形は、同一直線上にない3点と、それらを結ぶ3つの線分からなる多角形。(ウィキペディア「三角形」)」といった感じになるように、まず語句の定義から始まっていく。 

第一部
定義一
自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられないもの、と解する。

 語句の定義というのは世界の土台の構築だから、この語句の並びによって世界ができあがっていく。

 「自己原因」というちょっと変わった語句から始まっている。でも実は、他の「本質」や「存在」「本性」も「考えられないもの」も僕が知っている語句ではあるけれど、「自己原因」と同じぐらいの不明感がある。どういうつもりで「本質」なのか、どういうふうに「本質」なのか。「考える」とはどういうことなのか。少しずつ消化していく。

 たぶん、そんなに複雑なことを言っているわけではないはずだ。

 「ただ在るとしか言いようのないそれのことをそれ自体の原因があると言おう」

 〈強酸性〉の日本語に溶かし込んでしまえばたぶんこんな程度だと思う。こういう意味のことを、そういうふうに記述するということに、意味以上の意味がある。

 ナメクジのように読む。楽しい。


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December 3, 2020

【765】12月2日の文章筋トレ。

初参加の友人とカエルさん、美緒の四人でやる。10分と60分。

僕なりに少し、やってみたいと思っていたことを進める。出来上がった文章のことというよりは、出来上がっていく文章を楽しむようなことをやってみている。

出来上がってしまえば、いろいろとやってみたその痕跡は消える、のだろうか。

たぶん、何をやったかというところまではたどることができないほどに判別不能になるのだろうけれど、何かをやった、というような形跡は残るのではないだろうかと思う。

何をやったのかはわからないが、何かをやったという。

なかなかおもしろかったので、続けてみることにしよう。


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November 30, 2020

【764】スピノザ「エチカ」に取り掛かる。

 スピノザの「エチカ」。これはちゃんと読みたいと思った。今できる限りで一番楽しく読みたい。細かくノートを取って読む。イメージの中の哲学科学生のように。読み進められるリズムができたらゼミをやろうかな。


役に立ちそうなサイトなど

・「エチカ」ラテン語原文

・羅英辞典(epwing形式)


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November 29, 2020

【763】「『中動態の世界』ゼミその後」の会

 9月に終了した『中動態の世界』ゼミのメッセンジャーグループで、その後もぽつりぽつりと投稿があって、ゼミをきっかけにして新たな本を読み始めたり、新しいことを考えたり、そういうことが起こっているので、参加メンバーでそれぞれ「ゼミのその後」のことを話す会をやってみた。

 僕自身、この本はゼミをやる前に思っていたよりもずっと僕自身の場所に重なっているところがあると、ゼミが終わったあとに思うようになった。それは吉本隆明の自己表出の問題で、このことは意外だった。僕以外の人はおそらくそう思わないかもしれないが、僕には中動態は自己表出と大きく関わりがあるように感じる。

 その後の会のために、ゼミのときのようにレジュメを準備した。以下に掲載する。


『中動態の世界』ゼミその後

2020年11月29日 大谷

中動態


 中動態的に世界を捉え、感じ、考えるようになった。という文章の最初の「中動態的」という言葉が僕の言葉として僕にイメージを与えるというだけで、ことの重大性はわかる。中動態とはどういうものかと訊かれれば、僕のイメージに一番しっくりくる説明は、やはり、バンヴェニストだ。(引用は『中動態の世界』)

能動では、動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示している。これに対立する態である中動では、動詞は主語がその座となるような過程を表している。つまり、主語は過程の內部にある
 「主語」や「動詞」といった西洋語由来の文法語を使わないとすれば、細江の、

動作が行為者をさらずその影響は何らかの形式において行為者自身に反照する性質のもの
でもいい。どちらにせよ僕にはこれは、自己疎外への抵抗として、有意義だ。

自己疎外

 自分が言ったこと、考えたこと、生み出したものが、自分を取り除けてしまい、自分と対立していくというヘーゲルの自己疎外の問題は大きく、僕の考える責任や自由といったものとも関係している。安易に社会批判をする人はだいたいその社会から自分を取り除けてあたかも自分はその社会に対してなんら加担していないかのように振る舞う。むしろ自己の責任を回避するための批判にすら見える。

 吉本はヘーゲルの自己疎外が社会制度として行き着いた資本主義に、マルクスのいう「社会からの疎外」が該当すると読む。そこでは、労働者が作ったものは最初から資本家のものであり、労働者のものではない。労働者は自分がつくったものを、自分でお金を出して手に入れなければならない。そういった疎外に対して、その状況そのものを「疎外し返す」こととして、吉本は自己表出を見出した。

自己表出

 自分がつくったものに自分の現実のかけらを、そのままのかたちではなく見えない構造として、入れていく。その構造が自己表出だ。自己表出のない創造は、自己疎外にしかならないし、現代においては、社会からの疎外を生む。僕がライターとして文章を書き続けられなかったのは結局の所、頼まれ仕事として文章を書いていたことに端を発し、自己疎外および社会からの疎外の状況に入ってしまったからだ。無責任な社会批判として、僕の文章から僕が取り除けられていくことに、僕自身が耐えきれなくなったのだろう。だからこそ吉本の言葉に強く打たれた。

 ところで、この自己表出の構造はまさに中動態的だ。自分が作ったものに自分の現実のかけらを、そのものとしてではなく、構造として、入れ込んでいくその構造が自己表出だとしたら、その構造を特徴づけるのは、「主語がその座となるような」「その影響は何らかの形式において行為者自身に反照する性質」と驚くほど一致する。「何らかの形式において」という細江の繊細な言葉遣いに改めて驚く。「ホームレスについて書いたから、自分はホームレス問題の解決に寄与しているのだ」などという短絡的な話ではない。むしろそれが疎外そのものだ。

契機

 吉本は自己表出の問題にもう一つ重要な観点を提供してくれる。〈契機〉だ。社会からの疎外の情況を疎外し返すためには、「あえて世界の進むべくして進む方向に従わないという思想のイメージ」[吉本隆明講演「芸術と疎外」]が必要で、これはほおっておくとそうなっていくその流れに従わず「〈契機〉をつかむ」ことと同義だ。そしてこれも『中動態の世界』の言葉で言えば「仕方なく」で済まさないということに通じる。

倫理

 ここまで書いてきて深いところにあるものとして倫理という言葉を感じる。僕にとって倫理というのは、こういった、言ってみれば、中動態的で自己表出の構造を支える、ある〈明るさ〉だ。正義や善といった言葉の一般的意味と倫理は異なっている感じがある。僕の楽観主義的な面の源泉はこの倫理としての〈明るさ〉だと思う。この〈明るさ〉は特定の光源を持たない。空間自体が明るい。

 倫理という共通項でスピノザについて、ここからなにか書けるだろうか。『中動態の世界』でスピノザを知った以降、「スピノザはいいな」と僕は何度となく思った。今なら何がどういいのかを説明できるだろうか。

神こそが唯一存在している「実体」であり、これがさまざまな仕方で「変状」することによって諸々の個物が現れる。[『中動態の世界』239]

 この神は西洋的には異端だ。ブッダも悪魔も毛虫の糞も人間もなにもかも神だという哲学に西洋的一神教の信仰は耐えきれない。というよりも、宗教的信仰というものが耐えきれないのかもしれない。人が信じ仰ぎ見るための崇高さのようなものを拒絶している。このあたりからしてもう僕は「スピノザ、いいな」と思い始めている。

 信仰をなにか「甘い、スイートな」ものとして捉えるというのが僕には嘘くさく思えてくるからかもしれない。「伝統的な日本」というものに対して「スイートな」思いを寄りかからせる「信仰的」思考も好きではない。どんな社会であれ、スイートなものがあるならビターなものもあるし、糞や憎悪や理不尽もあるとどうしても思えてくるから、「伝統的な日本」という取り上げ方の恣意性にうんざりするのだと思う。話が逸れた。ともかく、スピノザの神は宗教や信仰ではなく、あえて一般的に理解可能な範囲でジャンル分けするとすればやはり哲学だ。

 西洋的一神教は、僕がどうしてもうまく捉えることができないもののうちの一つだ。要するに僕が非西洋なのだということだろう。非西洋を東洋と名指しすれば、僕の疑問は東洋を代表しているとも言えるのではないかと思う。

 西洋的一神教の何が捉えられないかというと、その神が世界には存在せず、世界の「外」にあるということだ。別の言葉では「超越」的な存在だということになる。唯一絶対、世界を超越している。これが僕には難しい。

 僕にとって世界はすべてだ。その世界の外側にあって、世界と対置できるものというのが、まずイメージできない。そして、つまり、「イメージする」ということ自体が、神そのものを捉えることから離れてしまうということでもある。あるいは人間ごときに神を捉えることなどできない、ということかもしれない。どちらにせよ、僕にはどうにもならないということを予め定義づけられている気分になる。

 この一神教的神に対してスピノザの神は違う。神がすなわち世界なのだ。超越ではなく内在だ。どちらかというと世界のほうが無い。つまり、僕も毛虫の糞もブッダも神なのだ。こっちのほうがずっとイメージしやすいし、この「全て」という感じも「全」感があっていい。西洋の一神教は「全知全能」と言いながら「全」感があまりない。どころか、むしろ恣意的で選択的に思える。このあたりも、スピノザ、いいなと思うのだ。

 そしてスピノザの言う、毛虫の糞も異教の教祖も僕もあなたも神なんだということに僕は〈明るさ〉を感じ、そのことを指し示した本のタイトルが「倫理」を意味するというのも納得がいく。慈悲も無慈悲も、理不尽も幸福も、あなたもわたしも、神なのだという〈明るさ〉で考えたとき、全ては中動態的に、自らを座として、自分を含んで、いると思える。とてもいい。「エチカ」をきちんと読むのが楽しみだし、どうやって読もうか今から少しずつ企んでいる。「エチカ」とともに過ごしたい。

和紙

 和紙は僕のイメージとしてずっとある。吉本が言語を織物で喩えるように僕はたぶん言語を、思考を、感覚を、生活を、組織を、現実を、表現を、和紙のイメージで見る。短かったり長かったり太かったり細かったりするバラバラの繊維がバラバラの方向を向きながら在ることで一枚の紙が漉き上がる。一つの繊維に着目すれば、それは海をゆく船の航跡でもある。一つの方向や二つの方向に揃っているわけではなく、バラバラの方向にあることで在る在り方だ。僕は僕の中に様々なバラバラのものをバラバラのまま置いてきた。揃えないでおくことをなにかの使命のようにすら感じていた気がする。それらのバラバラの繊維がようやく、バラバラなままで様々な点で接触することで、柔軟に機能し始めてきている実感がある。これは本当にいい。

以上


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November 27, 2020

【762】慎重なワクワク。

アラタを見ていると思う。

アラタは大体落ち着いていて、慎重に見える。だからといって、怯えや不安を感じない。慎重であることと自信があるということとワクワク楽しいということが同居している。

不安だから慎重にやるというのは、たしかに相関が高そうだが、必ずしもそうであるとは限らない。同じように大胆だから自信があるというのも、必ずしもそうだとは限らない。

こういうことはほんの少しの観察と思考があれば、そうだと気がつくことなのだけれど、なぜか見過ごされがちだ。類型的な思考だと最初から排除されてタイプのことだ。類型的な思考は類型的な言葉遣いとして現れている。

慎重でありつつワクワクしているというのは、僕は割と好きな状態だなと改めて思う。


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November 23, 2020

【761】テーマとモチーフ。主語と動詞とそれ以外。

テーマとモチーフという言葉は、普段わりに適当に使っているが、あえてイメージの違いをいうとしたら、という話。ちゃんと調べたわけではないので、個人的なものとして。

テーマというのは日本語で主題。「これが」に相当するもの。文で言えば、主語。

モチーフは日本語で動機。「どうしたい」に相当するもの。文で言えば、動詞。

西洋哲学には、どうやら、主語主義と動詞(述語)主義というようなものがあって対立があるらしい。僕は特に優劣を感じない。何かを表現しようとするときに、主語からいくか動詞からいくかというようなことだとしたら、どちらもありうると思う。

という以前に、そもそも僕は主語と動詞の対立というもの自体をそんなに感じない。おそらく母語としての日本語話者であることがそうさせていると思う。主語が大事、と言われれば、そうだと思うし、そういうこともあるなと思い当たる。動詞が大事、と言われれば、そうだと思うし、そういうこともあるなと思い当たる。それらが〈対立〉の位置にあるかと言われると、そういうときもあるかもしれないという程度だ。

ただ一般社会では、テーマ=主語主義に偏重しているような気配は感じる。実作に取り組んでいない人、取り組む前の人は、テーマ主義や主語主義に惑わされている感じがある。そういう人はモチーフや動詞という手もあるよということは知ったほうがいい。楽しくなる。

ただまぁ、それぐらいのことだと思う。楽しくなって少し広がる。

さて、このへんの文法用語まで来ると実は広場があることに気づく。

前置詞主義とか助詞主義とか副詞主義もあったりできそうな気がする。

僕は助詞が好物だ。

そういえば、この「僕は助詞が好物だ。」という文章の主語と動詞はなんなのだろう。要するに僕は正直に言って文法にはあまり詳しくはないだけではないか。


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【760】11月21日の文章筋トレ

カエルさん、てるこさん、ゆうきさん、僕の四人でやる。僕は体調が悪い。木曜日からずっとお腹が痛い。進行を共同主催のゆうきさんに任せた。

10分と60分をやった。

体調が悪いときの思考は独特で、普段とは全く違うことを全く違うやり方でやっている感じがする。端的に悲観的だ。普段の楽観主義の裏返しのようなことになる。どちらが表でどちらが裏かというよりも、二つの面を行き来するきっかけが体調なのかもしれない。だとしたら歳をとるに従って悲観的な面が増えていくのだろうか。そうかもしれない。もっともこれはたぶん一般的に言えることだろう。

誰もが体調が悪くなれば悲観的になるものだし、年を取れば体調が悪い時間が増えるし、つまり年を取れば悲観的になるということになる。

この一般則はそこそこの強度を持って僕たちにのしかかってくるはずで、それに対してどう対処するのかというのは、今から考えておくことができる。

子供の頃、体調が悪くなると僕は本を読んだ。布団に寝かされて他にやることがなかったからだ。親もたくさん本を買ってきてくれた。

おとなになって、お金を貰って文章を書いていた時期、書き終わるととたんに体調が良くなった。書けないことが体調を悪化させていたのかもしれないが、それでも、高いプレッシャーのなかで書いているときの爽快感は体がしっかりと覚えている。

今でも、僕は、弱ったときは本に手が伸びる。文章を書けば体調は復調することが多い。

文章筋トレで60分書いているうちにお腹の痛みが引いていた。

読んだり書いたりすることが僕にとってどれほどのことをもたらしているのかということの見積もりは年々大きくなっている。才能だの評判だのを抜きにして、僕には文章がとても大きなものとしてあると実感する。


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November 22, 2020

【759】正でも反でも斜でもなく、横切りたい。

寄り添いたいわけではないし、寄り添われたいわけではない。

対決したいわけでもない。

斜に構えたいわけでもない。

ただ、横切りたいのだと思う。

そう思う理由は、横切ることがもっとも広く場所を生じさせるからだ。

正も反も斜も、短い時間において苛烈に効果を生じるけれど、そうそう長くは続かない。広くもならない。

きちんと横切ることだ。

影響や関係という言葉の持っている角度が違うのだ。

November 17, 2020

【758】キャラペイス秋の展示会、終わる。


 11月14日から16日の3日間、まるネコ堂でキャラペイスの展示会をやっていた。たくさんの人が来てくれて賑わった。ありがたい。楽しかった。いつもと違う時間だった。非日常だ。

 工房のテーブルや棚に商品を並べて、商品説明を添えてとやったが、それ自体はいつもの日常と大きく変わるわけではない。こういうことが割とすんなりとできるようになったこと自体が驚くべきことだ。自宅で展示会をやる。自分たちで作った商品を売ることができる。


 最近は美緒が描いた絵の常設展示もしている。二ヶ月で掛けかえる。その絵も来てくれた人に観てもらえる。感想を言ってくれる人も多い。ギャラリーだ。

 ここは、キャラペイスの工房でもあるし、絵を描くアトリエでもある。講座やイベントをやることもある。そして住宅でもある。日常だ。

 非日常は日常の極限に現れる日常の一つの姿で、それはそうかんたんには現れない。それが現れるときは、日常でない気分が日常そのものに襲来する。幸せだ。


 たくさん面白い話が聞けた。天気も良かった。


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November 4, 2020

【757】第0.5回まるネコ堂芸術祭終わる。

10月31日に第0.5回の芸術祭が終わった。
が、まだ「一回も」やっていない。

こういう言葉遊びをしたくて「第0回」や「第0.5回」と名付けたわけではないが、言葉遊びは軽視できない。

とりあえずこれまでにわかったことを書く。

こんなことを誰も尋ねてこないとは思うけれど、もし「なにか今後も続けていくだろうことを始めようとするときに第1回じゃなく第0回としたほうがいいのか」という問われたとしたらこう答える。

第1回としてやればいい。ただ、もしその第1回ができないかもしれない状況の陥ったとき、一つの足掻きとして「第0回をやる」というものが残っていると考えればいい。

規模を縮小したりしてでも第1回としてできる事態はこれに当てはまらない。規模を縮小して第1回としてやればいいだけだからだ。当てはまるのは、それそのものの本質的な何かが失われてしまうほどの、つまり、もうそれとは言えないような大きな欠落がある事態だ。

つまり「0か1か」という二分法、「1でなければ0だ」として捉えざるを得ない場合だ。

こういうときに「0」でありつつ「やる」という矛盾した方法があるということだ。言葉遊び的な抜け穴と言ってもいい。

「0をやる」ことをやったあとに、ここから再度「1」を目指す。

「0をやる」ことと「なにもやらない」ことは違いがある。どちらが良いかは一概には言えないが、それでも違うのは確かだ。この違いがある以上、一つの選択肢となりうる。

とりあえずここまで。

第0.5回をやって、第0回の意味を再確認した。

いよいよ第1回。2021年5月1日、2日に向かいます。


若干名ながら、第1回出展者の追加募集を行っています。
第0.5回、第1回準備ページをお読みください。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●11月14日から16日:キャラペイス秋の展示会2020
新作「革のショルダーバッグ」など
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●12月15日から21日:言葉の表出、冬合宿2020
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●定期:文章筋トレ
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●月一回(単発参加可能):『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
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●雑誌『言語7』発行
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October 30, 2020

【756】明日は第0.5回まるネコ堂芸術祭。

 なんでまた0.5回なんて中途半端なことをやろうと思ったのだろうかと自分を恨んだりもしたけれど。

 今回は、自分なりに物事をやっていくその作法というかそういうものそのものからじっくり考え直してみようと思ったのが悪かったのか、今さっきようやく45分でしゃべろうと思うものが形をとった。ほんとうなら、というか今までならここからかなり手を入れていくことをやるというか、そういう手を入れるということがメインというか、そういうやり方をやってきたのに、もう時間が殆どない。あと2時間もしたらアラタを迎えにいって、そうなったら、明日の朝、本番直前までたぶんもう手を施せない。

 これでいいのかと思うけれど、楽しいのは確かだ。しんどいけど面白いのはそうだ。

 0.5回なんて中途半端なことをやろうと思った僕は、ちょっとはセンスがあったのか。

 ZOOMで閲覧無料です。希望の方は大谷まで。URLお送りします。

第0.5回まるネコ堂芸術祭


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October 21, 2020

【755】10月17日の文章筋トレ

カエルさん、てるこさん、ゆうきさん、僕の4人。10分と70分をやる。

文章筋トレ自体、もう結構長いことやっている。初回が2019年1月だから1年10ヶ月だ。僕の経験ではこのあたりが分岐点になりやすい。飽きるか飽きないか。

大抵のことは、真面目にやればやるほど、3年ぐらいの間に飽きる。僕は多分人より飽きっぽいのだが、この飽きっぽさは正確に言えば、習慣化しにくいということだと思う。

飽きてくる前に習慣化してしまえば、もうそれは意識に上らないわけで、飽きるとか飽きないとかいう状況ではなくなる。

そういう感じで習慣化してやったほうがよいこともたくさんあるが、そういう感じでやってしまうとよくないこともある。

僕にとっては文章を書いたり読んだりすることは、習慣化しないほうがよいことだ。習慣化したほうが良いことの一番の例は歯磨きだ。

歯磨きするようには文章を書かないほうがよい。

つまり、このあたりで方向は三つに分かれる。

1つ目は、飽きてやらなくなる。

2つ目は、習慣化してやる。

3つ目は、飽きもせず習慣化もしないでやってみつづける。

当然のことながら3つ目の方向へ進むことは稀で、険しく難しく、そして断然面白い。

今回の文章筋トレは、そんな分岐点だった。このあたりで分かれる。他の人もそうな気がした。

文章そのものについては僕はもう分岐点を経て、3つ目の方向で進んでいることを知っている。進んでしまっている。帰還不能点を超えてしまったと思う。もう戻れないのだから、このまま「やってみつづける」。目に見える波の下には激しい海流の存在があることを知っている。見えない海流を読むことでなんとかどこかに辿り着こうと藻掻(もが)いている。溺れたりしながら。

面白くもなく面白くなくもなくやっていけるほど文章は生存必要性を持っていない。歯磨きをしないと痛い目にあうが、文章に深入りしないでもさほど痛い目に遭わない。文章は人間にとって後付だ。代替物は他にいくらでもある。3つ目の方向は、稀で、険しく難しく、そして断然面白いだけだ。

文章筋トレは果たしてどうなのか。僕にとってどうなのか。


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October 20, 2020

【754】キャラペイス新製品、革のショルダーバッグ販売開始。

 


久しぶりのキャラペイス新製品。革のショルダーバッグ。一年ほどかけて、試作と試用を繰り返してきたのが完成した。

「一生使える」というのが製品コンセプトだ。

  1. そもそも耐久性が高く「丈夫である」こと
  2. ずっと使いたくなる「育っていく素材である」こと
  3. たとえ壊れても「修理できる構造である」こと
この三つを満たしたものを「一生使える」としている。

設計から言えば、修理さえ続けていれば、一生どころか数世代は使えるかも。

ずっと使う、ずっとそばにいる、そして変化し続けていく。
そういうものが、僕はいま気になっていて、文章もそうやって書いていきたい。読んでいきたい。

このショルダーバッグ、僕にも一つ作ってもらった。今後も使用感を時々書いていきます。



とりあえず、ノートと本を入れてみた。ペンはサイドに挿している。
まだ革が新しく、色が薄い。その分繊細な感じがする。
色がついてくると頼もしくなる。

11月に展示販売会をやるので、よろしければおいでください。

キャラペイス 秋の展示会2020
2020年11月14日(土)〜11月16日(月)
11:00-16:30
場所:まるネコ堂

【753】10月15日の文章筋トレ。

サトシと美緒と僕の三人でやる。10分と70分。

天気が良い。小さな薄い雲が頭の上に少しだけあって、天気の良さを際立たせる。が、サトシの世田谷は曇り空で雨すら降ってきそうな気配だという。

なぜか爆笑の筋トレになった。

文章を書くことの位相は現実の位相とは少し違っている。この違いは意識しておいたほうが良い。現実は爆笑ものではなく、むしろ書くことに対して厳しいが、それでも書いたものを読めば爆笑しうる。


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October 8, 2020

【752】10月7日の文章筋トレ。

 サトシと二人でやる。13時半から17時まで3時間半ある。二人だとかなりゆっくりできる。

10分と70分をやる。

サトシも僕も書いている時間、ズームのカメラもマイクも入れたままでやった。文章筋トレでは、カメラもマイクも、切っても切らなくてもどちらでも良いが、経験上大抵の人は切る。僕はいつも、主催者という立場やタイムキーパーとしての役割上、カメラもマイクも入れっぱなしだ。主催者という立場というのは、オンラインミーティングの参加者全員がマイクもカメラもオフにしてしまうと、その「場所」自体の成立という点で、僕にとって若干の疑義が生じるからだけど、実際にどうなのか、どうなるのかは、試していない。

ともあれ、今回はふたりとも切らなかった。だから見ていようと思えばずっと文章を書いている最中の相手を見ていることができる。ズームだとそうやって画面を見ている自分もまた、見える。僕はだから、そうやって文章を書いているサトシとそのすぐ近くに表示されている文章を書いている僕を見続けながら文章を書いた。

文章を書いているところを人に見られるということ自体、それなりに不思議なことだ。文章を書いている自分を見ながら文章を書くというのはさらに不思議なことだ。

文章を書くというときに、誰にも見られない、あるいは、誰にも興味を持たれないような場所に自分を隔離せねばならないというのも、一つの思い込みなのだ。

文章を書くということにはもっと可能性があると僕は思っていて、文章を書くという状況そのものもその可能性の対象に入っている。何事も試してみたい性分だ。



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October 6, 2020

【751】言語美という母港。

言語美ゼミに向けて読み始める。何度読んだかわからないぐらい読んでいる本だ。もう、最初の「文庫版まえがき」ぐらいはさっと通り過ぎることができるだろうと思ったら、やっぱり発見があった。

なるほどこれはこういう意味だったのか。吉本はこういうことを言わんとしていたのか。ということを新しく読む。

書かれていることは初見のときから一文字たりとも変わっていない。にもかかわらずこうして今でも変化を続けている。変化をしているのは僕だからだ。前回読んだときからの僕の変化が言語美から読み取れる。

『言語にとって美とはなにか』は僕にとって、むしろ母港なのかもしれない。戻ってくる度にその景色は違って見える。今回のゼミも面白くなりそうだ。


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October 3, 2020

【750】言語美ゼミに参加を申し込む。


大谷美緒が主催する『言語にとって美とはなにか』ゼミに参加を申し込んだ。講読ゼミは30ほどやってきたが今回がたぶん「初参加」だ。主催者は参加(参り加わること)できない。なんとも感慨深い。

今の時点ではゼミを通じて吉本隆明という人の全体像を自分のなかに浮かび上がらせることができたらいいなと思っている。漠然とではなくできるだけ具体的に。

長旅だ。補給と修理をしながらゆこう。


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October 2, 2020

【749】10月31日土曜日、第0.5回まるネコ堂芸術祭

 第0.5回という中途半端な数字ですが、芸術祭をやります。

今年のゴールデン・ウィークにやったのが第0回で、来年のゴールデン・ウィークに第1回をやります。今回はその中間です。中間報告とか途中経過とかそういったものです。なんだ完成品じゃないのか、と思われると思いますが、そうです。

「途中」「最中」という進行形が持っている不安定さが言ってみれば醍醐味かもしれません。出来上がったら全然違った、みたいなこともあるかもしれない。

少なくとも生きていくことはずっと進行形であり、途中であり、最中だというのは、僕自身の実感としてとても強くあります。当たり前といえば当たり前だけど。

同時に、何かをはじめるにはどうしたらよいか、といった「最初」「はじまり」にも興味があります。何かをはじめるときのその「はじまり」の実感もあります。

「ずっと続いている」ということと「今がはじまり」ということは実は矛盾しているのですが、それほど遠く隔たっているわけではないのではないかとも思います。

はじめること、続けること、そして終わること、こういったことの全体を芸術の場所として僕はイメージしています。

第0.5回の出展はすべてオンラインです。無料です。お申し込みいただければzoomのURLをお伝えします。

第0.5回まるネコ堂芸術祭


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September 30, 2020

【748】9月30日の文章筋トレ

3人で、10分と1時間10分をやる。

気持ちの良い季節。天気も気温も湿度も風速も申し分ない。あまりに気持ちが良すぎて1時間10分は書けなくなりそうだった。眠くなる。

曲りなりにも催しをやっているのだから寝てはいけないというようなことは思わなかった。書けなくても、それで良いと思った。書けないことがマイナスだとも思わなかった。書くための時間であることも、この気持ち良い時間の一つの要素だと思った。僕が書けなくても他の人は書いている。そういうことが幸せな気分だった。書くための時間だったが書けなくても十分に素晴らしいと思っていた。眠くなった。

その上で、あえてこの状況で書くとしたらどうなるのか。そういうことをやってみたくなった。眠気を抑えるのではなく、眠たく幸福な気分のまま、書く。どうやればよいのか。

とりあえず眠たい自分をそのままにしておいて、その自分を含めて書くというようなことを考えてみた。自分のなかで何かを立ち上げるような書き方ではなく、自分から滑り出ていくような感じで書けないだろうか。書くことによってそれが可能になるようなことはできないだろうか。

結局、A4一枚分ほど書けた。面白く書けた。書かれた内容が面白いという以前に書いているときの自分から乖離していく感じが面白かった。書かれた内容もちょっと変な感じで、僕としてはそこそこ面白かった。書いているというその状態自体が面白くなるように書けたのがなにより面白かった。


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September 29, 2020

【747】9月27日の芸術祭ミーティング

 2回目のミーティングが日曜日にあった。出展者(実行委員含む)8人全員がZOOMで集まる。1回目のミーティングもそうだけれど、これぐらいの人数で全員がすんなり集まること自体に新鮮な感じがある。

 例によって決めることはほとんどない。連絡事項がいくつかあるぐらいで、それもすぐに終わる。残った時間でなんとなく話す。僕は途中で昼寝から起きてしまったアラタの面倒を見ながらスピーカーから聞こえる音を聞く。こんなゆるい雰囲気でなにかをやる、なにかができる、ということが不思議な気がしてくるが、これでいい。経験上、一番良い結果がでる。

 今回のミーティングで心に残った言葉は、芸術祭ページに掲載する各自のプロフィールについてで「私はプロフィールがないので、この芸術祭でそれを作ることにしました」というようなことを言われた方がいた。ハッとした。

 プロフィールというのは、厄介で、どう書いてもそれで自分がぴったりと指し示されているような感じはしない。「自分とは、なにか」に答えられている確信は、どこまでもない。求められるたびに落ち着かない気になる。

 しかし、単純に考えてみれば、自分がこれまでやったことややったとされていることが、自分の「輪郭・外形(plofile)」として示すということなのではないか。だとしたら、これからやることによって、輪郭・外形が作られたり、作り変えられていくとも言い得る。

 そういうシンプルなことなのではないか。「自分はなにをしてきたか、あるいは、しているか、そして、するか」。その輪郭・外形。その横顔。シンプルだけど、日々の自分に突きつけてくるようなところもある。再び、ハッとした。プロフィール自体もその人の一つの表現なのだと思う。

 近日中に第0.5回芸術祭のタイムテーブルを公開予定です。



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September 28, 2020

【746】『中動態の世界』ゼミ、終了。

 9月26日土曜日。國分功一郎著『中動態の世界』の講読ゼミが終了した。全9回。毎月1章ずつ読んで9ヶ月かかった。参加者は4人。それぞれに何かが生じたのではと思う。

 今回のゼミをやるにあたって、僕は、僕なりの目標を持っていた。

 「レジュメを文章として面白く読めるようにする」というものだ。最終回に成ってようやく、それなりに面白くかけたと言い得るぐらいにはなった(よろしければぜひお読みください)。他の参加者にもおもしろいと思ってもらえたのはとてもうれしい(山野カエル「最後のゼミへ向かう夜に」)。

 自分なりの負荷を掛けたことで、読むことにも影響があった。いつもより本に対して揺さぶりを掛けて読んだ感じがする。そのぶん、危うい読解をしたと思う。誤読もあるだろう。それがレジュメに出てしまっているかもしれない。でも、危険を犯しただけのことはあって、読むことがまた広がった。とてもスリリングだった。

 最終回の第9章は本当に面白く読めた。すでに書かれてしまっているはずの文章が少しほどけて、その間を魚のように縫って泳ぐ感じがあった。すでに書かれてしまっている文章なのに、読んでいるまさにその瞬間に新しく書かれていくかのような感覚だった。この本は何度か通読はしていて、どんなことが書かれていたかは、すでに知っている。それなのに、今まさに新たに書かれ直していくように読めた。読むことで書かれていく。得難い経験だった。

 読み終えた今は、別の本になってしまったかのような重厚さを感じる。

 ゼミはそれなりに疲れる。月一回、一章分読むだけ。なのに疲れる。ゆっくり読むことは、長い時間その本に付き合うことだ。ささっと読んで生じるイメージは間違っているわけではないが、ゆっくり読んでいくとイメージが重層化していく。

 良い本は玄米のようなものだ。玄米はよく噛んで食べると味が変わるし、消化にも良い。それと似ている。白米は噛まずに飲み込んでもそれなりに消化できるし、食味もわかりやすいが、その分予め失われているものがある。玄米を飲み込むように食べることもできるが消化できなかった部分がそのまま出てくる。そこで諦めずにもう一度よく咀嚼して食べるとより深く消化できると続けたかったが、この比喩ではやめておいたほうが良さそうだ。



 参加者全員のレジュメをまるネコ堂ゼミのサイトで公開しています。
 まるネコ堂ゼミ:國分功一郎『中動態の世界』

 山根美緒主催の『言語にとって美とはなにか』ゼミ、10月からはじまります。参加者募集中です。よろしければ。




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September 23, 2020

【745】9月19日の文章筋トレ。

参加者5人、うち一人途中退出。会場参加が3人。

10分と60分をやる。

改めて書くと、文章筋トレというのは文章を「筋トレ」という比喩で捉えてやってみたらどうなるかという試みだ。これまでのところわかってきたのは「筋肉」としての比喩が通じる範囲でなにかしらの筋力は増強される。

この筋肉としての比喩が通じる範囲というところが具体的にどのような範囲なのか。少なくとも「言葉の正確な選び方」や「文章のわかりやすさ」「イメージのしやすさ」と言った「外形(シェイプ)」にとどまるようなものではない。

では、なにが「筋肉」なのか。どれぐらいの深度を持つのか。

書くというときにそもそもどんな「筋肉」が必要なのだろう。

たとえば、書きたいと思っている何かを書こうとするときにどんな「筋肉」が必要なのだろうか。いや、それ以上に、そもそも書きたいと思うためにはどんな「筋肉」が必要なのだろうか。こういったこと自体がむしろ鍛えられている気がする。

褒められたくて、報酬が得たくて、書くのであれば、こういった筋力は必要ない。正確には筋力の比喩が必要ない。どうすれば評価されるかという情報収集とそのアウトプットの仕方の方がむしろ重要で、効果がある。書くことそのものは自明で、書くことを疑う必要が無いほうが情報収集とその加工に集中できる。書くことそのものへの筋力などという比喩で、その前提的存在を露出させるのは逆効果だ。疑わずにやるほうが「経済的」だ。

そうではなく、逆説的ではあるが「たんに書くということはどういうことか」「なぜ書くのか」という「疑い」を持ちつつ書くためにはどんな筋肉がいるのか。その筋肉が鍛えられていく。

書くという態勢を自らで保つために必要な筋肉がまず必要だ。そういうものがまず鍛えられる。これは必ずしも文字数などでカウントできるものではないし、書かれた言葉の良し悪しによって短絡的に評価できるものでもない。評価によって書くというのは報酬によって書くことと同じだ。

理由は明瞭ではないのに、この文章はなんだか、なにかあるなと思うような文章は、そういった書くことの前提としての態勢を保つ(保留する)筋力があるのではないか。そこに保たれている姿勢から読み手は何かを受け取るのではないか。

態勢を保つというのはもちろん地面に固定するようなものではなく、その地面その地面に応じて自分の全体の筋肉をバランスさせることが必要だ。特定の筋肉というよりは筋肉と骨格の連携のことだ。書くことにとどまらない表現全般にまで拡張できるような、「まさにその状況」に留まる体全体の有り様のことだ。それによって、まさにその、表され現されるまで保つことを自らに求め続けるその状況そのものに留まることができる。破滅と幸福とが混交したその状況に。


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September 16, 2020

【744】9月16日の文章筋トレ

今日は参加者なし。どうしようかなと思う。記憶ではこれまで参加者のいなかった回はなかったと思う。

一人でやることもできる。あるいは今、少しずつ書いている文章の続きを書く時間にすることもできる。A4のコピー用紙を横置きにして、縦書きで書いている。一回で1時間ぐらい、書ける分だけ書いたら、その日は終わりにして、次の機会にまた、新しい真っ白なコピー用紙に書き始める。毎回、再起動させる。一回に数枚ぐらい。一応モチーフと言うかテーマと言うか、そういうものはあるけれど、たぶん何よりも、この毎回いちいち真っ白な紙に向かうために力を使っているということがこの文章を規定していくような気がする。それの続きをやろうかと思っていたが、結局休むことにした。


ちょっと疲れが溜まっている。毎日大したことをやっているわけではない。ただ、放っておくと全く休まずに考え事をして本を読んで文章を書いてとやり続けてしまう。

横になる。少し休めた。

午後は『中動態の世界』ゼミのレジュメ作成をする予定。次が最終回。9ヶ月かけて読んだだけのことはあったと思う本だ。本はゆっくり読んだほうがいいが、ゆっくり読める本は少ないし、ゆっくり読むのは力がいる。最終回のゼミが楽しみだ。


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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●12月15日から21日:言葉の表出、冬合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/05/2020.html

●定期:文章筋トレ
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●月一回:『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●まるネコ堂芸術祭、準備ページ
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●マンツーマンの文章面談
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●雑誌『言語7』発行
https://gengoweb.jimdofree.com/

September 10, 2020

【743】文章筋トレ、10月以降の日程を掲載しました。

文章筋トレの10月以降の日程を発表しました。時間帯を午後にして、延長しました。その分価格も変更して、土曜日と合わせています。参加、ご検討くださいませ。

10月
 7日(水)13時30分から17時【3,000円】
 15日(木)13時30分から17時【3,000円】
 17日(土)13時30分から17時【3,000円】

11月12月は、土曜日の日程のみ確定しています。平日は検討中です。

お申し込みは下記ページをご覧ください。

●文章筋トレ
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September 3, 2020

【742】孤独な共同作業。

 乱れた文章を書いてくれたらいいと言われているような気がする。時間さえ貰えれば直しはする。それなりに落ち着けるところに落ち着けてやれる。そのかわり、つまらないのは読ませるなよと釘を刺されている。そういうところは我ながら容赦ない。心地よい緊張関係のために全力を出しておく。考えることの面白さを堪能し、読むことの面白さを堪能し、直すことの面白さを堪能する。


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●12月15日から21日:言葉の表出、冬合宿2020
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隔週の水曜午前、月一回の土曜午後
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●9月まで月一回:『中動態の世界』ゼミ(全9回)
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September 2, 2020

【741】9月2日の文章筋トレ。

朝はかなり涼しくなった。カエルさん、美緒、僕の3人でやる。10分と60分。

10分が良かったと10分が終わったときにカエルさんが言った。僕も10分が良かったと思った。60分が終わると、60分が良かった。

文章筋トレという名前をつけてやっていることは、筋トレのように文章をやってみたらどういうことになるかということだ。文章は筋トレではないとか言うこととは言語的には少しずれた位相にある。言語的には少しずれたことをまさに言語でやっているわけだから、まるで違うことだろう。言語的に何かをやれば、言語的にそれをやっただけのことは起こる。少なくともそれは確認できている。

到達点を捉えてからそこへ向かうというアプローチが取れない水平線の向こう側へ向かうには、こういうやりかたもある。凪の退屈さを動員し、豊かさの嵐へと巻き込まれる。

開始時刻が来た。十分に暑いのでエアコンが元気よく動きだす。


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August 26, 2020

【740】『ゲンロン』を読む。

相変わらず本を読む。

ゲンロン』の第Ⅰ期、1から9と0を揃えてせっせと読んでいる。今日的な問題を取り上げて日の当たる場所に並べていく作業は見た目以上にとても力がいる。そういった作業は、それそのものである今日的な問題にすぐさま突き当たるからだ。『ゲンロン』が巻き起こしていく「炎上」は、今日的な問題の在り処をしめす狼煙のようなものなのかもしれない。

『ゲンロン7』に掲載された、國分功一郎、千葉雅也、東浩紀の鼎談が良かった。三人それぞれが異なる立場にありながら、同じような領域を観ている。意見が合うことよりも異なることが価値を生み出していくという、当たり前のことを、可燃性の強い今日的問題のなかで語っているのに素直に魅了される。こういうことは書かれている/話されている表象から感じる以上に難しいことだと思う。とてもいいと思う。

『ゲンロン』のおかげでプラープダー・ユンのようなタイの作家を知れたのは嬉しいことだった。もっと読むことができるといい。

スピノザがあちこちに出てきた。同じくスピノザについて書いた國分功一郎『中動態の世界』の講読ゼミをこのタイミングでやれたのはとても幸運だ。幸運だと思えるということはギリギリだということだ。言い換えれば半分弱は失敗している。ゼミは来月最終回。

涼しくなると寂しい気分とともにたぶんもっと本を読みたくなる。


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August 24, 2020

【739】8月23日の芸術祭ミーティング。

 第0.5回、第1回、まるネコ堂芸術祭に向けての初めての出展者オンラインミーティング。8人。

 「漠然とやりたいと思っていることがあって、それはおそらく芸術というのが最も近い分野だと思われることだけど、いざやろうとするとどうやってやればいいのかわからなかった。だからこの芸術祭のコンセプトが自分にぴったりだと思った」というようなことを出展者の一人が話していて、あぁ、そういう意味では、僕自身もそうだと思った。そう言葉にされて、そう思った。

 僕も、やりたいと思うようなことがおそらく芸術に該当するだろうと思っていたけれど、それをどうやればいいのかわからなかったから、芸術祭をやることにしたのかもしれない。

 あと付け意外の何者でもないけれど。

 それで思い出したのだけど、僕には、この芸術祭に関してずっとついて回っている自分への疑問がある。僕は、芸術を飛び越して、芸術祭をやろうとしているのではないか。一旦飛び越しておいてから、逆行して芸術をしようとしているのではないか。芸術祭をやるのだから、そこには芸術があるということになるのだ、という逆算的なことをやろうとしているのではないか。

 この疑問は不安も引き起こす。こういうやり方には、何か大きな落とし穴があるのではないか。

 もちろん、これは僕個人の実行委員としての疑問や不安であって、他の実行委員がそうだというわけではない。芸術をやり、その芸術をもって芸術祭に向かうという順行の人もいる。人もいるどころか僕以外はそうだろう。

 つまり、僕の問題として、僕自身が自分を「芸術をやる人」にできていないということだ。

 ともあれ、いや、ということは、僕の個人的な実行委員としての仕事の一つはそこにある。この、ひょっとしたら大きく空いているかもしれない落とし穴をじっと見つめるということだ。空いてないかもしれないし、空いているかもしれない。あるいは、すでに落ちているかもしれない。穴の底で何かを見つけるかもしれない。

 これも一つの楽しみだ。



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August 23, 2020

【738】8月19日の文章筋トレ。

 開催日からだいぶ経ってしまった。参加者はカエルさん、みどりさんと僕。10分と50分をやる。

 50分のあと、僕の文章についての質問からの話でいろいろとしゃべった。喋った内容はともかく、気がつくと終了予定時間を1時間もオーバーしている。もともと時間管理は苦手なのだけど、最近は少し気にかけていた。というか、文章筋トレの進行に関して、ほとんどこだわっていないのだけど、時間だけはこだわったほうがいいのではと思って気にしていたので、さすがにちょっと対策を考えたほうがいいかもしれない。

 文章に関して、あるいは、読むことや書くことに関しての話というのは、容易に当人の全体性に拡張しうる。「文章のこと」に限定できない。文章というのが、そういう輪郭をもった何かとして限定できない。文章に限らず「表現」というものはそうだと思う。だから、文章に関してや読むこと、書くことに関しての話というのは、どこまでも延長されうる。

 時間管理が難しいのは、僕の能力もあるけれど、そもそもそういうものだからでもある。そのために「文章筋トレ」という名称にして、時間制限して、タイマーを使っていることの意味があるのだと思う。だから、やはり時間ぐらいは気にしないといけない。時間ぐらいしか気にする必要はないとも言える。どうしようかな。


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August 21, 2020

【737】不安は失くならない。

不安というのはカビのようなものだ。

有害なカビが繁殖したときに効果的な対処は、カビそのものの除去よりも、カビが繁殖しにくくなるような状況を作ることだ。風を通したり、日に当てたりする。そのためにそのあたりを少し掃除する。ものを動かしたりする。比較的小さな規模であればそれぐらいでいい。ずっと長く放置されていて、容易には手がつけられなくなっていたら、少しずつものを運び出して、大掃除をする。できれば、穏やかに少しずつやっていくのがいいが、場合によっては腕まくりをしたほうがいいかもしれない。

逆に取るべきでない対応は、カビの方から見て都合の良いことだ。何か他のもので蓋をして風通しや日当たりを悪くするようなことだ。あるいは、見て見ぬ振りをしてそのままにしておくことだ。カビはさらに大きくなっていく。他のもので蓋をすると、そこは立ち入ることができなくなる。見て見ぬ振りをするということは、そのあたりの視界を自ら塞ぐことになる。

それを続けているとどうなるか。思いっきり首を捻じ曲げてそっちを見ないようにして、あさっての方向を見ながら、あちこちにものが転がっているような場所を進む障害物競走を強いられていく。視野は狭く障害物がごろごろある。不安に駆られたときの行動や表出は、このいびつな視野と自己内立ち入り禁止区域の多さに由来するもので、およそどんなことでも起こりうる。頻出するパターンはあるにはあるが、それだけを補足していてもとらえきれない。外部で観測されるのは、どんなことでも起こりうる特殊な状況のなかから無理やりひねり出されたものだ。そういったものへの都度的な対応は破綻する。破綻し座礁した対応そのものにも、またカビは生える。カビは強靭だ。

ところで、カビは必ずしも有害とは限らない。有益なものもある。同じように、不安も、必ずしも有害とは限らない。不安は、有益とすら言える別のものでもある。

有害なカビが繁殖しないようにすることと、発酵食品を上手く育てることは、同じ領域にある、というよりも同じことだと言ってもいい。発酵食品というのは、いろいろ手をかけて、比較的長い時間、いろいろな段階を経ながらできあがっていくもののことだ。温度や湿度など周囲の状況も影響する。うまくいくこともあれば、失敗することもある。前回上手くいったからそのとおりにやったつもりでも、今度は失敗することもある。

発酵食品を作るように、自分にとって素敵なことをゆっくりと少しずつ変化させてなしていくことと、有害なカビが大きくなりすぎないように、自分にとって不安なことを小さくとどめていくことは、実は同じことだ。不安と素敵なことは同じ場所にあると言ってもいい。それらの胞子は空気中に常に漂っている。

不安を外部から取り除こうとする思想はだから、カビと一緒に発酵食品も取り除いてしまう。自分のカビの対処を他人に任せるのはおすすめしない。ゆっくりと自分で風を通して日に当てる。


August 19, 2020

【736】興味を失うということ。

 子供が絵本が好きで、毎日何度も読み聞かせをせがまれる。たぶん、多くの子供が絵本が好きだし、おそらく僕も絵本が好きだった。毎日何冊もあるいは同じ本を何度も読んだ。それが何年か続く。

 しかし不思議なことに、大人になってみると多くの人は絵本がそれほど好きではなくなっている。毎日読んだりしない。少なくとも子供が持っている絵本に対する強烈な情熱を保持していない。そういう人がほとんどだ。僕もそうだ。いつの時点でか、絵本から離れた。

 なぜ絵本から離れたのか。興味がなくなった。他のことに関心が移った。ということなのだけど、その「興味がなくなった」「関心が移った」ということは、一体どういうことなのだろう。絵本が嫌いになったわけではない。今でも絵本に対してある種の憧憬を持っている。子供の頃の絵本を読んだり読んでもらったりした経験そのものの記憶が劣化したり反転したりしているわけではない。だからたぶん、今でも「絵本は好き」なまま、「興味がなくなった」り「関心が移った」りしている。

 どんなに絵本が好きでもすべての絵本を読むことはできない。だから「絵本に興味を失う」という現象は、好きである絵本のすべてを経験する前に起こる。一体どうやって好きなものへの興味を失うのだろう。その時何が起こっているのだろうか。

 何か「興醒め」するような出来事が外部的に発生したということがまず考えられる。そういうこともあるだろう。しかし、この場合は「興味を失った」という「興醒め」のシーンを明確に思い起こせるはずだ。あるいは、それを忘却したとしても、なにかそういうある衝撃を持った出来事があったという痕跡ぐらいは残る。しかし、すべてがそれで説明がつくような気がしない。むしろ、なんとなくいつのまにか「興味を失う」ことのほうが多いように思える。

 ここまで「興味を失う」というフレーズを維持して話を進めてきた。「何かが起こることで興味を失う」という前提でその何かを見ようとしてきた。が、おそらくそうではなくて、どちらかというと「興味を維持する」ことのほうに何かがある。「なにかが起こることで興味が失われない」のではないか。

 興味というのは、一度生じればそのまま放置していても維持されるものではない。炎のようなもので、燃料や酸素が供給されなければ消える。「熱中」していたものが「冷める」。「興醒め」はもともとそういう言葉だ。

 なにかの外部的な要因で燃料や酸素の供給が途絶えることもあるが、燃料や酸素を使い尽くしてしまうということもある。それ以上にもっとありえるのが、燃料や酸素が、燃え盛っている炎に対して十分な供給量を確保できなくなりそうだ、このままだと近いうちになくなってしまうという予感や予想がたったときに、薪をくべたり、酸素を送ったりすることをやめてしまう。つまりそこにある薪や酸素の量の見込みが立ってしまったとき、興味を失う。こう考えれば、興味を失うのは、実はとても当たり前なことだと思う。やればやるほど興味を失いやすい。早く燃料が尽きる。

 むしろ特殊なのは、興味という炎がなぜ消えるかではなく、いつまでたっても炎が消えないことがあるということのほうだ。そんなことがなぜ起こるのか。どうやって起こっているのか。

 一つの筋道を考えることができる。薪の比喩で言えば、盛大にボイラーに木片をくべながら、同時に植林するようなことが起こっていることになる。これは消費から生産への立場の転換で、つまり、大人になっても絵本が好きで毎日絵本を読んでいる人のいくらかが当てはまるのだろうけれど、絵本作家や絵本を作る側に回ることだ。

これで解決されるかのように思える。

 が、しかし当然のことながら、絵本作りというものへの興味自体もまた何かしらによって維持されなければならないことになる。そうやって立場を変えていくこと、例えば職掌を大きくしていくことや、仕事の規模を大きくすることで、それは実現できるかもしれないけれど、根本的には同じことを反復している。あとは人間の寿命との兼ね合いの問題で、死ぬまで絶やさず燃やし続けられるかということになる。

 でも、と思う。そういうことなのだろうか。どこか釈然としないのは、たぶん比喩の限界に近づいているからで、炎や燃料の比喩ではこういう結末になってしまうということだと思う。

 だから、炎の比喩を棄却して、もう一度もとに戻る。

 一気に書けると思えないが、なるべく書くと、興味というのが起こるのは、それそのものに対するとらえ方が全体的に変化してしまうということなのではないか。そういうものだと思っていたことが、実はそうではないかもしれないというときに興味は起こる。この、それまで思っていたことが、どうやらそもそもそうではなかったという前提の喪失、遡及的な組み換えのようなことが、それ全体を再活性させる。

 絵本が好きでたくさん読む。ときどき、あれ?絵本って実はこういうものだったのか、いままで絵本だと思って読んでいたあの経験はいったいなんだったのか、ということが起こる。もちろん、こんなことがいつも起こるわけではない。しかし、時々起こる。時々で十分だ。

 だから差異の問題ではない。絵本Aと絵本Bの差異が興味を掻き立てるということではない。これだといずれ、いずれというのは、比較的短期間に、思った以上に早く、「燃え尽きる」。そうではなく、絵本Bを読んだら、それまで読んできた絵本Aが何か別の絵本やあるいは絵本じゃないものになってしまう。そういうようなことではないか。それそのものを暗黙に規定していた前提が変わってしまうようなことだ。この場合は、絵本Aと絵本Bの差異だけが焦点化されるわけではなく、絵本Bがその全体をもって、絵本というものの前提を変えてしまったかのような経験をするかどうかが問題となる。こういう経験が時々起これば、興味は失わない。

 そんなに大それたことなのかと思うが、それぐらい大それたことなのだと思う。それぐらい僕らは物事への興味を失う。興味を失わないでいることが難しい。失った興味を別の何かに新しく乗り移ることで補おうとする。そしてやがてまた失う。また乗り移る。また失う。そういう流れのなかにある。これを否定することはできない。その必要もない。たいがいはそうなのだし、それでいい。

 口癖のように「おもしろい」という言葉をよく僕は使う。人より多く使う分、その言葉に対して、何かしらのことを言わなくてはと思う勝手な自負がある。誰からも頼まれていない。幸いなことに僕はまだ書くことや読むことへの興味を失っていない。おもしろい。それらは時々、それら自身の前提を変えてみせる。今もそうだ。いつまでもそうなのかはわからない。そうでなくならないようにするには、今もそうするぐらいしか思い当たらない。読むことや書くことがおもしろいということが起こっている。幸いだ。

August 14, 2020

【735】覚えていられないが、思い出さないわけではない。

時々自分の文章が心臓に悪い。書くときでは無い。読むときだ。最近の文だ。自分のだ。以前のでは無い。ここ一年ほどだ。僕でない人が読むとどうなるのかはわからない。どうなるのだ。自分で読んで心臓に悪い。望んだのか。ドキドキする。何を書いたか思い出せない。読み進めている間、思い出せない。簡単でない。コーヒーが無い。コップが空だ。机の上だ。見なくてもわかる。曇り空は時間がわからない。目が痛い。モニターが明る過ぎる。違う、部屋が暗いのだ。繋がりのない事柄だ。外も暗い。交差する事柄だ。僕の認識はいつも繋がりがない。因果の射程が短いのだ。覚えていられない。別々の物語が進行している。雑誌に載っている連載は複数あるが、同じ号の別の記事とは因果がない。それを続けて読む。シネコンで立て続けに三つ映画を観た。二十代だ。壁が赤い。



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August 12, 2020

【734】8月11日の夢。

 ちょっとややこしい夢を見た。面白い夢だった。書き残しておこうと思う。

 僕の実在の友人がほぼ当人そのものとして登場する。仮にSとしておく。Sと二人で話をしている。薄暗い居酒屋のような飲み屋のカウンター席だ。Sが今度イベントをやるという。場所を借りて二日間のイベントらしい。映画の上映会かライブ?のようだ。その会場のイメージは、僕が昔、何度か足を運んだり自分でも上映会や音楽ライブのイベントをやったことがある中崎町の古い建物に重なる。

 どんなイベントなのかをSはその場で案内文をメールしてくれる。僕はそれをざっと読む。本来は二日間のイベントなのだけど、何らかの理由(コロナ?悪天候?)で開催できなかった場合には、一日に短縮して別企画をやることになっている。こちらの企画は軽めの企画になっていて、トークショーらしい。テーマ的には同じで、規模を縮小した企画だ。トークするのはSで、どんな内容を話すのか、その触りの部分をYouTubeにアップしてある。案内文にURLがある。僕はそのYouTube動画を見る。内容は思い出せないが、僕の興味にも合う面白そうなことを話している。僕はなにかコメントしたくなって、その場で、Sにメールを書く。すぐそばにS本人がいるのに直接話さずにメールしている理由はよくわからない。それに対してSからの返信が来る。そうして、メールで何度かやりとりをする。かなり充実した内容のやり取りで、いろいろと考えることができて有意義だ。ただ、なにかちょっとした違和感も感じている。相手はSなのにSではないように思うことが何度かある。メールのやり取りが一段落したときに、隣にいるSに、どうしてちょっとSじゃないような感じの返事をするのかと尋ねる。

 「えっ?」とSが答える。
 「え、じゃなくて、なんかS、変じゃない?」というようなことを僕が言う。
 「それ、誰にメールしてますか?」とS。
 「えっ?」僕は血の気が引く。

 慌ててアドレスを確認するとSのアドレスではない。僕はSだと思って別人とやり取りしていた。しかも、おそらく会ったことがない人だ。もう一度、Sの案内をきちんと読み直す。その人物はSとは別の人で、ゲストとしてそのトークショーに登壇することになっている。大学の先生か研究者かそういった感じの人だ。

 しかし、YouTubeの動画はSに見える。正確に言えば、Sがその手の人のコスプレをしているように見える。髭がSと違う。別人と言われると別人にも思える。

 ともかく、僕は大変失礼なことをしてしまったと、慌てて謝罪のメールを送る。Sだと思って冗談を交えたかなりラフな書き方をしていたからだ。すると、隣のSが、

 「でも、それ僕なんですけどね」と言う。

 僕は、どういうことかと問う。

 「だから、それも僕です」とSは平然と言う。

 本当に焦っていた僕は、とても安心したと同時にSに「本当に焦ったよ」というようなことを強い調子で言う。正直かなりムカついていたが、しばらく話をしているうちにそのムカつきも収まってくる。そして、Sと別れる。

 店から出てしばらく一人で夜の道を歩いているとSからメッセージが来る。

 「さっきは騙してしまってごめんなさい。本気にすると思わなかったので」というような内容だ。

 このあたりで僕は目が覚める。このあたりというのは、目が覚めたあとも引き続き夢の中にいる感じで、このことをシームレスに考え続けていた。夢と現実の境があとからでは思い出せない。いつ目が覚めたのか判断できない。Sのメッセージが、夢の中で届いたのか、目が覚めてからそれが届いたかのように思ったのか、わからない。もし、目が覚めてからだとしたら、それは夢よりももっと直接的な僕の願望としてメッセージを欲しがっていたということだろう。いずれにせよ、僕は、何にムカついていたのかをSのメッセージに返信するつもりで、次のように考えた。目が覚めてからだ。

 騙されていたことにムカついているかというと、必ずしもそうではない。そういう面もあるにはあるけれど、むしろ本心は別にある。僕は、ある人に対して、別人だと思いこんでメールのやり取りをした。肩書的にしっかり書いてあったかどうかはわからないが、大学の先生なのか研究者か、そういった人だということになっている。その人に対して、僕は、そういった見かけはデタラメで、よく知っている友人だと思って、対応をした。だからもし、夢の中のSが僕の友人だと言うだけでなく、実際にそういった研究活動をしているのだとしたら、Sが謝る必要はない。僕の友人が、別の名前で別の活動をしているということはあり得るし、そうだとしたら、僕は何も「騙されて」いないからだ。同一人物であるかどうかは、僕の観点ではそれほど重大なことではない。むしろ問題は、その人が持っているだろう専門性や知識、知性といったものへの敬意を僕が欠いていたことだ。肩書の有無の問題でもない。一人二役だろうが、ちょっと冗談まじりの軽いノリの企画であろうが、イベントでトークショーをやろうと言うぐらいなのだから、それなりの関心や、それについて考えたり思ったりしたことを持ち合わせているはずだ。そういうものへの敬意が僕には欠けていた。事実、メールでのやり取りは充実していて有意義だった。そのことについて多くの熱量が投下されていなければ、有意義なやり取りにはならなかっただろう。たくさん考えていたからそうなった。トークショーのテーマに関して、僕がメールしていた相手には十分に専門性があったのだ。最初からそのつもりでやり取りをしていれば僕は焦ることはなかった。それが友人であろうと別人であろうと。僕は、僕の失礼さにムカついていた。Sへのムカつきがあるとしたら、僕が焦っているのを横目に見ながら「平然としていた」ということぐらいだ。

 面白い夢だと思ったので、布団の中で一度内容をできるだけ思い起こした。そうしているうちに目が冴えてきたので、これは残しておこうとパソコンを開いてここまで入力した。入力した内容を読むと、僕のムカつきに過剰に焦点があたってしまっているが、思い返すとそれほどのムカつきではなかった。それよりも全体に僕はとても楽しく過ごしていたし、今でも楽しい。久しぶりに薄暗い居酒屋に行けた。そこで二人で話をしていた。今は2020年8月11日の午前2時17分だ。



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【733】もうすぐ締め切り。まるネコ堂芸術祭出展者募集。

 なにかぼんやりとでもやってみたいようなこと、それが実現したらいいなぁというようなイメージは一般的に夢と言われている。はっきりとした夢もあれば、はっきりしない夢もある。はっきりしているからといって実現しやすいかといえばそうでもないし、ぼんやりしているからしにくいというわけでもない。

何を書こうと思っているのかを事後的に浮かび上がらせようと思って書いているのだけれど、そういう夢というものが、そもそも広いものであって、濃淡や高低がある。夢というものがある場所自体が、単一の場所ではなくて、様々な様相が重なり合っている。

どうやって行けばいいのかわからないという以前に、そこがどんなところかわからない。どこへ行けばいいのかわからない。どこを通ればいいのかわからない。とりいそぎどこに向かえばいいのかもわからない。地図もコンパスもない。

そもそも、存在するのかすらわからない。

そういう場所にまつわる一連の試行錯誤を楽しんだり苦労したり挫折したり面白がったりすることをやりたいと思って、まるネコ堂芸術祭という、取り急ぎ人が集まれるだけの空き地をつくりました。

誰かが何かをやっている(らしい)ということが、自分に何かを引き起こすかもしれないという可能性の場所です。

まるネコ堂芸術祭出展者募集
8月22日締め切りです。



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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●12月15日から21日:言葉の表出、冬合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/05/2020.html

●定期:文章筋トレ
隔週の水曜午前、月一回の土曜午後
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_26.html

●月一回:『言語にとって美とはなにか』ゼミ(全13回)
大谷美緒主催
https://marunekodosemi.blogspot.com/2020/07/34.html

●まるネコ堂芸術祭・出展者募集
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_84.html

●9月まで月一回:『中動態の世界』ゼミ(全9回)
https://marunekodosemi.blogspot.com/2019/12/32.html

●マンツーマンの文章面談
https://marunekodoblog.blogspot.com/p/blog-page_20.html

●雑誌『言語7』発行
https://gengoweb.jimdofree.com/


August 10, 2020

【732】8月9日の小説部部会。

  二ヶ月おきの頻度で続いている小説部の部会。部員は5人。部と言っても部らしい活動はこの部会のみ。前回の部会以降の近況報告をそれぞれの部員がして、あとは自由に話す。13時半から夕方まで。ここ何回かはZOOMでやっている。

 それぞれがそれぞれにやっていることを時々集まって報告し合うという形式で、どれほどモチベーションが維持できるものなのかと僕自身も半信半疑なのだけど、毎回驚くほどにそれぞれが充実した活動をしている。錯覚かもしれない。錯覚だとなにか困るかといえば困らない。

 小説部と言いながら、小説ではないものを書いていたり、それどころか絵を描いている人もいるのだけど、それがなにか範疇外かというとそういう雰囲気はなくて、他の部員もそういうものだと思って聞いている。と思う。

 何をもって部活動なのかという問に対して予め挑戦していると言ってもいいようなところがあるのだけれど、僕も含めて、部員にはそんな挑戦をしている自覚はない。

 いつまで続くか本当にわからないが、こんなことをやっているとそのうち何かしらの目に見える成果が出てしまうのではないかと、おそるおそる期待している。

 次回の部会日程を決定した。次回の日程ぐらいしか決めることはない。

 万が一、こんな小説部に興味のある方がいれば大谷までご連絡ください。


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August 9, 2020

【731】8月8日の文章筋トレ。

 常連メンバー5人と初参加の方が一人。10分と60分をやる。

 初参加の人がいると僕自身、僕が持っている前提を再確認することになる。

 文章筋トレは、参加した人それぞれが自分なりに試行錯誤する場所だ。その人なりの試行をし、それを他の人がどのように受け取ったのかを返す。他の人の受け取り方自体もまたその人なりの試行である。それを例えば6人でやる。これだけで相当に複雑で、十分に予測不能になる。

 が、事実はさらに複雑で、自分の試行に対して、自分自身がすでに内的に返答してしまうし、他人の文章に対する自分の体験にすら、自分ですでに返答してしまう。感想を言うというのはそのあとにようやくやってくるフェイズだ。

 言い換えると、文章を書くということ自体がすでに相当な距離を進んだ先にようやくなされていることで「見えているものをそのまま主観を入れずに書き出しました」といった書き方ですら十分にそうだ。同じように、ある文章を読んだときに自分に生じていることをどのように捉えるかということも、もうすでに相当な距離を進んでしまっているし、その言語的表明ともなればさらに倍は、進んでしまう。

 もしも、誰かが文章筋トレという場における文章の価値を一義的に定義したり、端的に、目指すべき見本を提示することができたとしたら、この複雑さは大きく減衰できるかもしれない。ただ、それは現状ではできていないし、そもそもできることなのかどうかも判断できない。少なくとも僕には今でもできない。

 文章筋トレにおいては、文章を書いたり読んだりするということへの前提をそもそも共有していない。書くとはどういうことか、読むとはどういうことか、それらがそれぞれの人の領域にあるということの「方に」重心をもたせている場所だ。それらは表出された複数の人の言葉たちによって事後的、追加的、集合的、都度的に成立していく。それはだからやはり「前提」ではないのだけれど、一つの問題があるとすれば、そう言い得るのは最初からその場にいたメンバーだけで、途中から参加した場合は、その時点での途中経過にすぎない何かを前提として受け取る。このことに対して、改めてそういう前提はない、あるいは、一時的な状況だと説明すべきなのだけれど、この説明自体がなにかの前提の上になされていると受け取られる。ここが難しい。

 「ルールはありません。自由にしてください。」ということほど強大なルールになりうるものはないし、前提の完全かつ恣意的な目隠しにもなりうる。こういうことに自覚的でないといけないことを、初めての人が来るとその都度、僕は思う。そして、その都度、その時点において、不自由な説明をどうにかする。



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August 6, 2020

【730】想像以上に予想通り。

5月29日にこのエントリーを書いて以来、香港を取り巻く状況は「想像以上に予想通り」に進んだ。当時は、多少の紆余曲折も想定されると、日本語で思っていた。事実は最短距離を通っている。少しこのことを考える。5月29日は僕がこの記事を読んだ日だ。あれから二ヶ月と少し経った。

メモ
香港警察、海外の民主活動家6人を指名手配 国安法違反の疑い(bbc)

August 5, 2020

【729】8月5日の文章筋トレ。

蝉が鳴いている中、カエルさん、みどりさんがzoom、美緒と僕がまるネコ堂で、10分と60分をやる。

そう言えば前回は、一つも書かず話してばかりいた。その反動なのかどうなのか、今回は殆ど話らしい話をせずに取り掛かった。

文章筋トレをどのようにやるのかということ自体にも試行錯誤があって、あまり前例に固執しないようにはしている。というよりも、前例に固執できるほど、僕の記憶力は良くないのかもしれない。いろんなことがあってほしいとは思っている。

今日は今日で面白かった。カエルさんの言う通り、終わる頃には蝉は一つも鳴かなくなっていた。

8月8日土曜日開催はおかげさまで満席となりました。

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August 3, 2020

【728】空き地。言葉の表出、夏合宿2020が終わった。


合宿のはじまりにあたって、僕が少し話をする時間があった。久しぶりに空き地の話をした。

空き地はただの場所だ。何かでない場所だ。

誰でも入れる。いつでも入れる。いつでも立ち去れる。いつまででも居られる。何かをしようと思えばできる。何かを持ち込むこともできる。持ち込んだ何かで何かを作ることもできる。使い終われば持ち出される。何もしないでも居られる。入らないでも居られる。

空き地は未然だ。可能性そのもので、最大の全面的肯定であるただの場所だ。消費されることが無い。劣化しない。空き地が死ぬのはむしろ何かが成ったときだ。僕は、空き地の死は歓迎されて欲しいと思っている。何かが成るという一つの出来事は喜ばしいことだと思っている。

可能性が死ぬのだから、それは希望にあってほしいということだと思う。可能性の死自体がそもそも希望だ。こういうことを書くと、僕にはたぶん死を楽観的にとらえる意識があるような気がしてくる。悲しいことや寂しいことが幸せではないとは言えない。

出来事はいつも、一つずつしかない。まだ書かれていない白い場所に何かが一つ書かれる。空き地はいつもある。大抵の時間は誰も居ない。蝉が鳴いている。月が出る。


July 30, 2020

【727】言葉の表出合宿、楽しい。


合宿三日目の夜を迎えた。夕方から会場には、ゆうきさん、てるこさん、まゆちゃん、美緒、アラタ、僕が集まってきた。一緒に夕食を食べた。ゆうきさんとてるこさんは先程帰宅した。まゆちゃんは今は別館に移動して一人でビールを飲んでいる。書いてもいるのかもしれない。アラタを寝かしつけたあと、僕と美緒は本館で少し仕事をしている。もうひとりの参加者、カエルさんは今頃和歌山の自宅で書いているか、飲んでいるかしているはずだ。

文章提出期限は明日の正午。あと13時間40分。楽しい。

今、僕の視界に入る、つまり見える範囲にいるのは美緒だけで、あとの人の姿を直接見ることはできない。それでも一緒に合宿をしている。そう思える。むしろ見えない分、余計に強くそう思えるのかもしれない。

書くことは一人だ。だからこそ、他人をこんなにも近く感じることができる。

前回から僕は合宿の主催ではなくなった。運営に直接関わっていない。そういう立場だからか、以前より純粋に楽しむことができている気がする。

明日の文章提出後、午後の時間を使って全員分の文章を読む。明後日その感想を一日かけて話す。まだまだ合宿は続く。

July 29, 2020

【726】合宿二日目。

 昨日から言葉の表出、夏合宿2020がはじまった。午後にものすごい雷雨がやってきた。その最中にまゆちゃんがやってきた。Tシャツに大粒の雨があたった跡があった。zoomをつないだらてるこさんとカエルさんがやってきた。二人はここには居ない。ゆうきさんは仕事中だろう。カエルさんがアイスを食べていた。それを見た僕らもアイスを食べたくなった。アイスを買いに行くには雷雨の中、外出しなくてはならない。カエルさんがzoomから居なくなった。てるこさんは近くのコンビニにアイスを買いに行った。てるこさんの場所では雷雨は降っていない。zoomから誰も居なくなったがしばらくそのままにしておいた。まゆちゃんと美緒が文章を書き始めた。僕はブログを書いた。雷雨はどこかへ移動していた。窓を開けた。

July 26, 2020

【725】グーグル翻訳で遊んでみる。

私はりんごが好きです。
I like apples

私はりんごも好きです。
I also like apples.

私もりんごが好きです。
I also like apples.

私もりんごは好きです。
I also like apples.

私もりんごも好きです。
I also like apples.

私はりんごもみかんも好きです。
I like apples and mandarin oranges.

私もりんごもみかんも好きです。
I also like apples and oranges.

私はりんごやみかんが好きです。
I like apples and mandarins.

私もリンゴやみかんが好きです。
I also like apples and oranges.

私はりんごが好きでもあります。
I also like apples.

私もりんごが好きでもあります。
I also like apples.

私はりんごも好きではありません。
I don't like apples either.

私はりんごは好きでもありません。
I don't like apples either.

(2020年7月26日現在)

July 22, 2020

【724】7月22日の文章筋トレ

今日はみどりさんとカエルさん。ひとしきり天気の話などをしたあとで、10分も60分もしなかった。

2時間半ただ話をしていたと今になると書くことになるが、その時間の最中は、一言喋り終わる度に、そろそろ始めようかと思いながら、そうはならなかった。2時間ぐらいたっていることに気がついてからは、もうこのまま話し続ければいいかと思った。

これで良かったのかどうなのかの判断は早急にすべきではないし、こういうことが頻発するようになれば、もともとの仕立てを変更しなくてはならないぐらいの重大なことなのだけど、これで良くなかったかといえば、そうではまったくない。位置づけにくいものだったことは確かで、これはこれで保持しておこうと思う。

書くことと読むことの境界の拡張性は高く、だから、どんなことを話していても、読んだり書いたりしていることから離れた気はしなかった。



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July 18, 2020

【723】7月18日の文章筋トレ。

今日は五人。今日から土曜日は5時まで。少し時間が伸びた。

10分と60分をやる。

60分を書き終わった時点で残り時間がかなりあって、今日は流石に余裕があるなと思っていたら、終わったのは17時40分頃だった。40分もオーバーする。

文章を書くことは、最近の僕は、他人との距離を調整することと同じことだという気がしている。他人との距離を文章を書くこと以外で調整するのはとても難しい。文章を書くことでも難しいけれど、試すことができる。

大概のことは通じる。通じるということについて書き手ができることは実はそんなになくて、大概のことは通じると思って書けばそれでいい。書き手がやるべき多くのことはそれ以外のことだ。と、言いきれそうな気分がしてくる。

いい感じに他人が気にならなくなり、他人に出会うことができる時間だと思う。

半分眠りながらの報告。

ZOOMが安定してきたので、要件を緩和していこうと思っています。初めての方もぜひご検討ください。

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▼僕が書いた10分の文章。
 窓の先、隣の家の屋根の上に1センチほど山が見える。1センチと言っても定規をあてればそれぐらいだろうという意味で、定規をあてるその場所次第でいくらでも変わる。1センチというのは、だから、僕の勝手な大きさの単位だ。基準は無い。ただ、僕がここから見た時になだらかな山頂の辺りが少しだけ見えているその少しというのを1センチと呼んでいる。その山頂から右に5センチほど行くと、見えていた山の向こう側にある山が見える。これも同じぐらいの高さで、その山影は前面の山影より薄く、ほとんど灰色だ。前側の山は深緑。その二つの山影の上2センチほどに雲の底がくる。雲も灰色だが、奥の山影より底の部分は少し薄く、上に行くにつれさらに薄くなっていく。視線の目標を前面の山の山頂に固定したまま、雲の上まで見ようとするとおでこの奥のあたりが気持ちの悪い痛みを覚える。眉間にシワが寄る。あの山たちと雲とはどちらが近くにあるのかわからない。たぶん雲が近い。それらが10センチ四方ぐらいにある。この縮尺で行くと僕の視界の全体は50センチ四方ぐらいだ。



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July 9, 2020

【722】7月8日の文章筋トレ。

昨日だ。一日経ってしまった。参加者は、カエルさんとみどりさん。いつもの平日メンバーだ。

10分と60分をやる。

僕は最近、できるだけ完成までの時間を遅くさせようというようなことを試みているのかもしれない。そのおかげで、速く書きたいということも早く書きたいということも思わなくなった。すでに、正確に書きたいとも美しく書きたいともわかりやすく書きたいとも思わなくなっている。楽に書きたいとも思わない。

本当に書きたいのだろうか。いや、本当に書きたいのだ。


文章筋トレ
土曜日は満席になりがちです。お早めに。



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【721】この世界は見た通りでは全然ない。

という比較的新しい科学的知見が面白く読める本。



僕たちが見ている視覚像はいわばフィクションで、現実世界(物理的世界)をありのままには表わしていない。空間的にも時間的にも。僕たちが見ているのは「現在の現実」ではない。

というデリダっぽい視覚を僕たちは楽しんでいる。
あるいは吉本隆明の心的現象論。


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July 3, 2020

【720】芸術祭実行委員会、再起動する。

明日香と美緒とで実行委員会のミーティングをzoomでやる。

今後のイメージが固まってきた。10年やりたい。10年やっていたらどんなことになっているのか。どんな場所になっているのか。

頭よりずっと上の方にあって、背伸びしたりジャンプしたりして手を伸ばしてようやく手に入れたものがとても甘い、しかし失敗すると空振りに終わったり転んで怪我をすることもある、というイメージが「発表の場」という言葉には付きまとう。

そういう手の届くかどうかわからない甘い報酬や失敗したときの苦い罰としてではなく、背伸びをしたりジャンプしたりするためにそもそも必要な「地面」のようなイメージを、僕は持っている。そういう場所があり続ければいい。その場所は、ときに「発表の場」としても在り得るだろう。

疲れたときはしゃがんだり寝ころんだりもする。離れたり近寄ったりもする。ボーっとする。本気で真面目にやっている人がいる。人が集まるときもあれば、閑散としているときもある。

その場所はずっとある。何かを始めたり、続けたり、終わったりできる場所だ。ここがあれば、なんとかなると思える場所だ。



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June 28, 2020

【719】「言葉にならない」が言葉を支える。

6月27日の『中動態の世界』第6章意志と選択のゼミ用に書いたレジュメの一部。
この本を読むと吉本隆明の自己表出について考えが及ぶことが多い。

▼言葉と思考。心の動きと出来事の描写。自己表出。
 言葉として存在しないことが、直ちに存在しないとは言えないのは当然のように思えるが、これは、言葉の無能さ・限界を指し示すと同時に、言葉というものの存在原理でもある。

 僕たちが何かを体験した。その体験は素晴らしいもの、あるいは、ひどいもの、あるいはまた平凡なものだった。しかし、どのようなものであったか「言葉にすることが出来ない」「筆舌に尽くしがたい」「言葉にするとどこか違ってしまう」と思うことはよくある。ここで終われば、文字通り「言葉にならなかった」となる。多くの場合はこのようにして言葉というものの限界点を示して、その体験の痕跡に留まる。しかし、一部の例外的な場合、それでもなんとか表出しようとして、歩を進める。その手段は、ともかく自分が体験した出来事を述べることになる。出来事の描写である。そして、その述べたてたところの言葉を別の人間が受け取って、その体験を再現することで、「言葉にすることが出来なかった」はずのその「何か」を体験したと感じることができる場合がある。出来事の描写しか言葉になっていないにも関わらず、曰く言い難い感情や感覚や思考や、いわゆる心の動きのような、話し手の内部に生じたそれらの渾然一体と成った何かが、受け手にも発生する場合がある。言葉自体が「出来事の描写」しかなされていないからといって、そういった「言葉にならない」ものが存在しなかった、ということにはならない、という言ってみれば当たり前のことがここにある。

 この「言葉にならない」もの、何かを指し示すことができないもの、であるにも関わらず、書き手にただならぬ何かを引き起こし、読み手にも感取されたそれそのものを吉本隆明は自己表出と呼んだ※。言葉というのは、その自己表出性が、ともかく何かを指し示すということそのものである指示表出性と交差し折り合うことで「言葉になる」。「言葉にできない」という沈黙は、多くの人たちにとっては言葉の限界であるが、別の人には言葉の可能性である。言葉の側から記述すれば「言葉にならない言葉にできない」その「ならなさ、できなさ」の抵抗的事態そのものが、言葉というものの支持体であり、言葉を存在させ変動させてきたと吉本は見ていた。

※語のレベル(文法レベル)で言えば、助詞などの、指示性が低くても、何かを引き起こすことができるものは自己表出性が高い語となる。


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June 24, 2020

【718】6月24日の文章筋トレ。

よく晴れて風もある気持ちの良い日だったが、それはこの辺りのことで、zoomで当たり前にやるようになってくると天気の話もひと味違ってくる。ここではない場所の天気になぜか親身になったりする。今日は3人。平日はだいたいこのメンバーになる。カエルさんとみどりさん。僕。

10分と60分をやる。

3人ぐらいがちょうど良いという感想がある。時間的な余裕はこれぐらいが僕も良い。話題の保持度合いもちょうどいいかもしれない。

それと、これぐらいの人数だと、自分が誰と一緒にいるかを見失わないで済むという感覚はある。僕だけなのかもしれないが。

こういうことと書くことや読むことは、近いところにあるかもしれない。

書くとか読むというのは無防備な死角だらけの状態に思える。お互いに何かをやり「合う」のではなく、むしろ「合わない」という前提があるかもしれない。人が居るとか居ないとか言うことの階層が普通とは違う感じがある。それで良いこともあるし悪いこともある。

月イチ土曜日の人混み感もあれはあれでいろんなことが起こる。一方で、少しじっくりが良いという方は平日がおすすめ。

そもそも文章を書くのがうまいとか下手とかそういうこととはちょっと違う、しかし真面目な文章の場所です。気になった方はお問い合わせください。

あなたの文章を読むことが楽しみです。


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June 20, 2020

【717】6月20日の文章筋トレ。

今日は満席。主催者含め全部で6人。これだけの人が書いて読んで感想を言えばそれなりのことは起こる。書くことはそれぞれで、共通に目指す場所があるわけではないが、一人の人間がフルパワーでやればそれなりの場所を占める。そうして他者と接触することになる。

10分と60分をやる。

書くことは孤独だ、と言えば孤独だけど、言葉というのは共通性としてもあるわけで、どんなに書くことが孤独であったとしても、何かを通じてしまうとも言える。書いても書いても花が咲くかはわからない。咲いたとしてもどんな花かもわからない。でも、土は良くなりましたねぐらいのことは言える。


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June 18, 2020

【716】本当かどうか、わかりませんよ。

『ことばと』の真ん中より少し後ろに載っている保坂和志さんの「胸さわぎ」に、

でも注意してください、私は「察しがいいイコールすぐれている」とは言ってません。察しがいいというのは一種の反射神経のようなものだし、相手の気持ちを先取りしたり敏感に共感共振したりする一種の相槌能力にすぎません、ギンバイカは南米のたぶん熱帯雨林に生えている大木です、大理石は大理石です。[136]

という、著者本人に似ていそうな尾花氏がカルチャーセンターの講師として話しているところが、保坂さんらしいなと思う。保坂さんは小説家として思考していて、それがどういう思考なのかは、もう少し後に、

だから食人をはじめた第一世代の人が百年後の食人に参加しても違和感を感じない、と尾花氏は言った、尾花氏はこういうことをだいたい毎回思いつきでしゃべる。
「だから正しくは〈第一世代〉という考えもインディオにはないんですね。すべての物や事は永遠の昔から今あるかたちで彼らはやってきている。
 本当かどうか、わかりませんよ。
 ここには本当かどうかとぼくたちがつい考えてしまうような選択肢的発想というか懐疑主義と言うか、そういう発想はないんです。」
 一部の人を除いて全員が「それ、よくわからない」という顔をした、その顔をしなかった一部の人である四人か五人は頷いたわけではなく笑い顔になった、面白いと思ったらそれを信じる人たちということだ、[142]

と喋っていて、どういうものかがわかるようになっている。

本当かどうかは脇において、面白いことを大真面目に考えていくのが保坂さんの小説家の思考で、それで言えば、小島信夫は、本当かどうかなんて最初からどうでもよくて、面白いことを素で書いてしまう、ナチュラルボーン小説家だ。空想や妄想を書いているのではない。空想や妄想かどうかなど、最初からどうでもよい、ということだ。だから小島信夫の思考には空想や妄想が無い、というか、空想や妄想という概念自体がずっと後方に置かれている。それを本当かどうかという正しさに寄りかかって読者は読むのだから、ざわついてしかたがない。小島信夫を読んでいると僕は自分でも意識できないレベルの根本的な自分の人間としての倫理がこの人とは通じ合わないのかもしれないという恐怖をどこかで覚える。今『寓話』を入手したくてしかたがない。一度借りて読んだ。生粋の欲しい本だ。



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■近々開催のまるネコ堂の催し
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●12月15日から21日:言葉の表出、冬合宿2020

●定期:文章筋トレ
隔週の水曜午前、月一回の土曜午後
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大谷美緒の企画です。
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June 15, 2020

【715】『ことばと』買った。

ことばと』買った。HMKに教わった。vol.1を買った。vol.2が出る前に買った。

読めてよかった。千葉雅也、ウティット・へーマムーン、阿部和重だ。ウティット・ヘーマムーンが特に良かったと今は思っている。他の作品も読みたいぐらいだ。

この三作はたぶん文体が好きだ。僕が好きな文体だ。僕が好きな文体を読むと僕は、向こう側で光がきらめいている亀裂を感じる。好きでない文体はぺったんこだ。書かれていることだけしか浮かばない。紙に張り付いた文字が張り付いたままだ。せいぜいが映写機のようにその像を浮かばせてはくれる。

書かれていないことが紙を引き裂くように現れると僕はワクワクする。そんなことはどこにも書いてない。詩の力を手放していない。媒介しない。紙を破ってしまいたい。

雑誌を買い続けようと思ったのは何年ぶりだろうか。



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June 10, 2020

【714】6月10日の文章筋トレ。

かなり蒸し暑くなってきた。今日は4人だ。カエルさん、みどりさん、美緒、僕。始まった途端に雨が降ってくる。慌てて洗濯物と布団を回収する。雨が降ってきたのはまるネコ堂だけだ。カエルさんも降ってきた。みどりさんは晴天だ。

10分と45分をやる。

10分が意外によく書けた(自己比)。文章筋トレは僕はだいたいは、一応「よく書こう」と思っている。外的な基準によらないで、外的な基準ではよく書けてはいないものであって、自分で「よく書けた」と思えるようになればいいなと思っている。

文章筋トレのおかげかどうかわからないけれど、たぶんそうだけど、最近買った文芸誌の作品の中のいくつかがとてもおもしろく読めた。読んで「よく書けてるなぁ、すごいなぁ」と思えるようになった。以前ならそこまで素直に評価できなかった。評価しないくせに気になっているという状態だった。収穫だ。

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